ゾルダーテン ――美女と野獣な上下関係ファンタジー物語

花閂

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Kapitel 05

急襲 05

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 ヴィンテリヒブルク城。
 帰還した天尊ティエンゾンたちは、会議室でフェイと会した。
 ヴァルトラムは強硬手段で追跡を中断させられたことが随分と気に食わず、帰還するなり自室へと戻った。
 緋は獣人たちに襲撃された寝間着姿のまま待ち構えていた。ユリイーシャを警護するためとはいえ、城に残された身では気が気でなく着替えることすらも手に付かなかった。すぐ傍にいながらアキラとビシュラを拉致されてしまったのだ。責任感の強い彼女は追跡の報を待っている間中、否、帰還した今もまだ自分を責め続けている。自分の判断は最良のものであったか、誤りであったとしたら何処で間違えたのか、ではどうするべきだったのか。
 緋は天尊に対して少なからず面目ない気持ちがあり、今は目を合わせづらかった。天尊はそのような緋の前を素通りして会議室へと入り、数個目の椅子にドサッと腰かけた。そして、トラジロとズィルベルナー、緋の三人に背を向けて窓外へと視線を投げた。
 緋は、大きな痣を作ったズィルベルナーの顔をマジマジと見た。

「交戦したのか」

「俺はしてないよ」

「負傷してるじゃないか」

「コレは歩兵長にやられたの! 味方なのに思いっ切りブン殴るんだぜ、ヒデエよ」

 ズィルベルナーはブスッとして椅子に座った。何やらブツブツと文句を言いながら自分の頬を摩る。
 当のヴァルトラムは此処におらず当たり所がないから、不機嫌そうな顔をトラジロに向けた。

「何で追跡やめたんだよ、トラジロ。歩兵長をあのまま行かしとけば俺がブン殴られることもなかったのに」

「あのまま追跡すれば確実に越境していました。拉致したのが獣人とはいえ、無許可で境界を越えれば領土侵犯です。我々がグローセノルデン大公に依頼されている以上、我々がの国と問題を起こせば国家間の争いに発展してしまう危険性があります。現段階ではまだそれは回避したい展開です」

「攫ったのは向こうなのに頼んで許可なんかくれんの」

「知らぬ・存ぜぬで通そうとするでしょうね。それなりの証拠を示さなければ合法的に入国するのは難しいかと」

「そんなの攫って逃げたモン勝ちじゃんよー」

 ズィルベルナーはデスクの上に突っ伏した。

「そうです。だからユリイーシャ姫君がそうならないように大公は我々を呼ばれたのです」

「お姫様は無事だったからまあ、任務的には良かったんだろうけどさー」

「良くはありませんよ。我々は警備を敷いていたにも関わらず、姫君の寝所に侵入を許したことは事実。これだけでも充分すぎる失態です」

 トラジロは、はあっ、と大きな溜息を吐いた。

「ここで重要なのは、城外城内の警備の目を掻い潜り、侵入者は誰にも遭遇することなく姫君の寝所まで辿り着いた点です。おそらく、この城には一部の者しか知り得ない非常にプライベートな抜け道が存在しており、それを侵入者に教えた内通者がいた、ということです」

「そーだよなー。裏切り者がいたんだもん。俺たちの所為じゃねーよなー」

 キィッ、と部品が軋む音がした。全員の目が天尊のほうへ向かった。
 天尊は椅子を回転させて身体の正面を彼らのほうへに向けた。窓外を見ていたのにわざわざ向き直ったのは、何か言うべきことでもあるからだ。

「そう思うか、ズィルビー」

 天尊の声は普段よりも一段低く聞こえた。

「本当にそう思うのか?」

「……ごめんなさい」

 ズィルベルナーが謝ったのは条件反射だった。機嫌が悪いときの大隊長には逆らわない。大隊長が叱るときは必ず自分が悪い。これは彼に染みついた習性のようなものだ。

「あまり気落ちなさらないでください、大隊長」

 トラジロは急ぎ足でズィルベルナーの背後を通過し、天尊の前に進み出た。
 天尊は無言でトラジロに目を向けた。

「……とは申し上げにくいのですが、お嬢さんフロイラインとビシュラを攫った犯人が獣人であることは明白。でしょうから命の危険までは――」

「だから何だッ!」

 ドォンッ!
 天尊の怒声と同時に握り拳がデスクの上に落ちた。
 ズィルベルナーはそれに痺れ上がり、拳を腿の上に置いてピーンッと背筋を張った。
 トラジロは天尊に対して急いで頭を下げた。

「御寵愛のお嬢さんフロイラインを拉致され、大隊長のお怒りはご尤も。あそこでよくぞ踏み堪えてくださいました」

 あれを踏み堪えたというのは言い過ぎだ。天尊には留まる気など一切無かった。天尊を制止するためにトラジロとあの場にいた騎兵隊員が総掛かりで、油断した者は怪我まで負った。

「至急、現況をグローセノルデン大公に御報告いたします。大公より御返答あるまでしばしの間、お待ちください」

 トラジロの判断はまったく以て正論だ。天尊も理性の部分ではそれを認めざるを得なかった。ただただ感情だけが納得しないで、今すぐにでも飛び出していきたい衝動に駆られた。天尊は感情をどうにかこうにか制御した。アキラを喪失する不安や、本来ならば此処での事情に何の関係もないアキラの身に災難が降りかかる不条理、それに対する怒りを。
 かくして、三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターはヴィンテリヒブルク城にて待機することとなった。


 ヴィンテリヒブルク城・宿舎。
 カッカッカッ。――硬いヒールが床を叩く音が廊下に響く。よく教育された使用人や侍女たちはそのような音を立てない。
 靴音の主は緋。ヴァルトラムの部屋に向かう最中だ。一見して冷静そうに見えるが、気分は心底沈んでいた。
 彼女は昨夜、アキラとビシュラを奪われたのは自分の失態だと悔いていた。ユリイーシャの護衛という任務は果たした彼女を責める者など誰ひとりいなかった。アキラを奪われた天尊でさえ緋を面と向かってなじることはしなかった。緋だけが自分を許せなかった。
 ヴァルトラムの部屋の前まで辿り着き、自然と嘆息が漏れた。此処まで来て何もしないというわけにもいくまい。柔らかく拳を造った。
 コッコッ、と部屋のドアをノックしても返事はなかった。しかし、室内で人の気配がする。ヴァルトラムに当たり前の応対など初めから期待していない。緋はノブを回してドアを押し開いた。
 ドアの隙間から話し声のようなものが聞こえる。ヴァルトラムの部屋にヴァルトラム以外の誰かも共にいる。よくよく聞いてみれば緋のものよりもずっと高音のそれは、女の声だ。途切れ途切れ、短く吐く、息継ぎのような若い女の声。甘さと気怠さを一緒くたにしたような高い声。

「アッ、アッ……大尉様、ああン……ッ」

 緋は最早、溜息も出なかった。呆れる前に何も期待していない、歩兵長と呼ばれるこの男には。そもそも歩兵長と呼ばれることが奇跡のようなものだ。地位と名声に値する人性が欠けている。戦うことしか能が無い、酒も博奕も女もやりたい放題、情も涙もない人でなし、大凡最低の男。自分の〝お気に入り〟が手に届く範囲に無ければ、その寸隙に早速目移りする、つまりは別の女を軽々しく部屋に引きこむ薄情な男だ。

「歩兵長」

「キャアッ」

 案の定、薄暗い室内でヴァルトラムはベッドにいた。その上には顔は何度か見たことあるという程度の知り合いでもない女。おそらくは、城に仕える使用人のひとり。若い女が高い声を上げながらほとんど裸の状態でヴァルトラムの上で腰をくねらせていた。何をしているのかなど訊く必要も無い。予想通り過ぎて驚きもしなければ怒りも湧いてこなかった。
 使用人の女は緋を見て顔を真っ赤にし、ヴァルトラムの上から飛び降りた。ベッドの上や床に散乱していた衣服を拾い上げ、身に付けられるものだけを慌てて纏って部屋から出て行った。緋はその女には何も言わなかったが、彼女は目を合わせることもできなかった。兎にも角にも、情事の現場を見られた羞恥のほうが勝ったのだろう。
 対照的に、ヴァルトラムには動揺が微塵も無かった。悪いことをしているなどという意識は皆無であり、慌てふためくはずもない。何もかも胸糞が悪くなるくらい想定通りだ。

「行動前に何をやってる、今は待機中だぞ」

 緋は足早にベッドに近づいた。ヴァルトラムの頭のところで足を停めて腕組みをし、顔を覗きこんだ。

「待機は、休暇じゃない。新兵じゃないんだ、わざわざこんなこと言わせるな」

「待機つってもすることもねェ」

 ヴァルトラムはハッと鼻で笑った。枕から頭を持ち上げて肘を突いて支え、緋を見上げた。なんと不貞不貞しい顔だ。待機中の兵士のひとりとして自分の行いを恥じる気も悔いる気も、歩兵長たる矜恃も無い。

「待機中ってのは何するモンなんだ。教えてくれよ、俺ァ学院ギムナジウムも出てねェから新兵並みのオツムでよォ」

「アタシを挑発しても何にもならないぞ。ケンカは買わない」

「俺は、何のためにここでじっとしとかなきゃなんねェんだって訊いてんだ」

「アンタが好きに女を抱いたりケンカしたりするためじゃないってことだけは確かだよ」

「クソつまんねェこと言いやがって」

 ヴァルトラムは吐き捨てるように言った。

「負傷してるわけでもねェ、標的も分かってる、目と鼻の先にいるんだ、いつでもブチ殺せる。それなのに待機ってのはどういうことだってんだ、なァオイ」

 緋は溜息を吐いてヴァルトラムから目を逸らした。ヴァルトラムがかなりフラストレーションを蓄積しているらしいことは分かった。いつ暴れ出すかは時間の問題だ。

「…………。そんなにすることがないならナイフでも研ぐんだな」

 緋はヴァルトラムの行いを叱責しなかった。そう言い置いて、部屋を後にした。
 今すぐにでも動き出したいのは緋とて同様だ。しかし、情況がそれを許さない。情況を理解してしまえる頭を持っているが故にもどかった。


 会議室。
 天尊は窓辺に立ち、外ばかりを眺めていた。アキラが連れ去られた方角を睨みつけるようにしてずっと眺望していた。
 トラジロはその天尊の後ろ姿を視界の真ん中に据え、固い顔をして立っていた。緋とズィルベルナーも、トラジロの斜め後ろに立って報告の場に同席した。
 右腕と言われるトラジロとて、機嫌の悪い天尊に対してさらに機嫌を悪くさせるような報告をするのは気が重たい。しかし、務めとしてしないわけにはいかない。「大隊長」と切り出すと、天尊は首から上を此方へと向けた。

「隊員を派遣して境界内ギリギリから長距離探知を試みました。が、ビシュラのネェベル反応を検知することはできなかったとの報告を受けました。未だビシュラから救難信号が発せられた形跡もないとのこと。ネェベルや通信を妨害・遮断する施設内に監禁されているか、境界内からの探知では範囲の及ばない僻地まで連れ去られたか、最悪の場合は生存していない可能性も考えられます」

 天尊は窓から少し離れてゆっくりと振り返った。
 トラジロは天尊が自分のほうへ移動してくるのを察知しつつ、直立して報告を続行した。

「しかし、現段階では王城内もしくは王家関連施設、探知妨害できる特別な施設に捕らえられていると考えるのが妥当かと。の国領土内の該当施設を至急ピックアップするとともに、ネェベル探知を継続して――」

 天尊が自分の真ん前で足を停め、トラジロはグッと歯を食い縛った。
 ゴキンッ! ――予想通り、天尊の鉄拳が振り下ろされた。
 しかしながら、それを受け止めたのはトラジロではなくズィルベルナーだった。天尊とトラジロとの間に割って入り、トラジロの身代わりとなって殴られた。
 それに対して天尊は何も言わなかった。褒めも怒りもしなかった。自分の憤りを吐き出したいだけだから殴られる標的は誰でも良い。

「もう少しマトモな報告ができるようになったら俺を呼べ」

 天尊はトラジロとズィルベルナーの隣を通過した。
 トラジロは慌てて振り返った。

「大隊長! お気持ちは分かりますが、グローセノルデン大公に御承認いただくまでは決して早まられませんよう何卒ッ」

 天尊の耳にトラジロの進言は届いたのか届かなかったのか、何の返事もせずに会議室から出て行った。

 天尊が退室してドアが閉まり、ズィルベルナーはスッと肩から脱力した。途端に、天尊の前では我慢した痛みが顔面に広がった。

「いっつー……」

 ズィルベルナーは殴られた顎を摩りながらデスクに片腕を突いて俯いた。訓練にしろ私生活にしろ、天尊に殴られた記憶は数え切れないほどあるが、何度殴られても痛いものは痛い。

「すみません、ズィルベルナー。割を食わせましたね」

「いいよ。大隊長に殴られたら泣くだろオマエ」

「泣きませんよ」

 ズィルベルナーが冗談のように笑ったから、トラジロも申し訳なさそうな眉をしながら笑った。
 このふたりは立場上は騎兵長と二位官、長として隊を指揮する者とそれを補佐する者、または上長と部下だが、幼い頃より共に育った兄弟分でもある。助け合いは至極当たり前のことだった。

「大公と連絡はつきそうなのか」

 緋から訊ねられ、トラジロは大きな溜息を吐いた。

「少々難航しています。流石は雪中行軍に慣れていらっしゃる。すでにかなりの距離を移動されていたようで、こちらからの直通通信は届きません。中継基地のカバー域に入りさえすれば交信は可能なのでソレ待ちです」

「イーダフェルトのようにはいかないか」

「イーダフェルトに比べるとこちらは中継基地がかなり少ないですからね」

「なるべく早く返答が欲しいところだな。あの調子の大隊長を宥め続けるのはお前が大変だろう」

 大変などというものではない。ズィルベルナーの手綱を握るのとはわけが違う。天尊の意に沿わない判断をしなければならないのは気が重たいが、それが自分の役目だと重々承知している。

「大隊長も大変ですがヴァルトラムもでしょう。くれぐれも勝手な行動をさせないようにお願いします。少なくとも大隊長が動かれない間は。ヴァルトラムはどうしていますか?」

 緋はハッと鼻で笑った。説明するのも馬鹿馬鹿しいあの様だ。

「その辺のメイドとヤリまくってるよ。陽の高い内からなッ」

緋姐フェイチェ……」

「ここんとこずーっとビシュラちゃんを気に入ってるかと思えば、いなくなったらスグこれかよ。やっぱ変わんねーな、歩兵長は」

 トラジロは呆れて額を押さえ、ズィルベルナーはブスッとして口を尖らせた。

「変わったさ、たぶんな」

緋姐フェイチェ?」

 トラジロとズィルベルナーはふたり揃って意外そうに緋の顔を見た。
 もしかしたら大隊の誰よりもヴァルトラムをよく知っているかもしれない緋が、ヴァルトラムの変化を感じ取ったというなら、そうなのだろう。独善的で傲慢で罪悪感に欠ける自己中心的なあの男が変わるなど、トラジロとズィルベルナーにはにわかには信じられないことだけれど。

「……こっちがぶち切れたら見落とすくらいほんの少しだけな」
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