ゾルダーテン ――美女と野獣な上下関係ファンタジー物語

花閂

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Kapitel 05

帰還 01

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 グローセノルデン領・フローズヴィトニルソン境界線。
 北の大公爵の領地グローセノルデンと獣人の国フローズヴィトニルソン、地続きの白銀の大地でありながら異なる種族である、両領地の境界には、明確な線が敷かれている。境界線上に大人の身長ほどの杭を等間隔に打ち、その間を有刺鉄線が繋ぐ。有刺鉄線で築かれた境界を挟み、フローズヴィトニルソンの境界警備兵と三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターとが睨み合っていた。

「ここから先はフローズヴィトニルソンの土地だ。直ちに武装を解除して退去しろ」

「だぁからー、テメーらの領地には入ってねーんだから、文句言われる筋合いはねーっての」

「他国の兵士が武装して展開する行為自体が遺憾だ。即刻退去しろ!」

「俺たちのどこが兵士だっつーの。獣人のクセに目が悪いのかよ。俺たちはどっから見てもただの賊だろー」

「ま。そっちには一歩も入ってねーから俺たちが何者でも関係ねーけど」

「見え透いたことを! たかが賊がそのような装備をしているものかッ」

 突如境界に出現した彼らの武器や装備は上等であり、明らかに野盗程度が備えられる代物ではなかった。飛竜や部隊章を確認できず身元を断言することはできないが、賊らしいのは、礼節を弁えないその厚顔な態度くらいのものだ。
 境界の警備兵たちは、王に近しい人物が隣国の姫の拉致を企て、実際に王城に軟禁していることなど知る由もない。目的の分からない脅威に対して、いたずらに緊張するよりほかになかった。
 マクシミリアン、トラジロ、フェイの三人は、境界線より下がった位置で待機中。大型四輪で寒風を凌ぎつつ火を熾して暖を取っていた。
 そのマクシミリアンの許へ、前方から隊員がやって来た。

「獣人のヤツらがウザったくて前のほうピリピリしてんスけど。もう始めちまっていいスか」

「ダメダメ。御行儀よく待機してろ」

「えー。いつまで待機なんスかあ」

 マクシミリアンはトラジロと緋のほうへ振り返った。

「大隊長と歩兵長、どのくらいで戻ると思う?」

「何も王都を制圧しようという話ではない。王城に潜入して身柄を奪還するだけです。上手くいけばもうそろそろ――」

「潜入するだけで済めばな。歩兵長がいるとなると、どこまでやるか」

 三人は押し黙った。
 ただでさえ厄介な問題にヴァルトラムが加わると嫌な予感しかない。あれは自分がしでかした事の顛末や関わった人々の事情や感情、もっと高度な二領地間の機微など何も意に介さない男だ。

「しかし歩兵長は今回、飛竜に乗るために戦闘用ブーツを装備していない。ろくにアーマーも付けずに極めて軽装だ。無茶はしないんじゃないか」

「歩兵長がそんなことを気にするか」

 緋は確信めいて断言した。
 マクシミリアンも「だよな」と溜息を吐き、項垂れて後頭部をガリガリと掻いた。

られたモンをり返しに行ったんだぞ。何が何でもり返してくるだろうさ。もしそのために街をぶっ壊す必要があれば迷わずやるだろう」

 トラジロは額を押さえて一際深い溜息を吐いた。

(大隊長も私もビシュラはヴァルトラムの〝金の輪っか〟になり得ると考えていましたが、あの男が自ら〝金の輪っか〟を取り返しに行くことになるとは……当初の想定とは少々違ってきましたね。果たしてこれは大隊にとってプラスかマイナスか……)

 ズィルベルナーは大型四輪のボンネットの上に座りこんでボーッと空を眺めていた。ふと、灰色の空に黒い点をひとつ見つけた。しばらく観察していると、その黒点は徐々に大きくなってゆき、形状がはっきりと分かるまでになった。それは大きく翼を羽搏かせる黒い飛竜だった。

「あー。ディアンウェイだー」

 ズィルベルナーが空を指差し、周囲の者は皆、空を仰いだ。見る見るうちに電威の姿は大きくなり、その背に天尊とアキラ、ヴァルトラム、ビシュラの四人を乗せていることが視認できた。
 電威は、隊員たちの沸き立つ歓声を、その鼓翼で巻き起こる突風によって掻き消しながら空から降下してきた。
 ずずぅん、と重たい音を立てて電威は四肢を大地につけた。
 ヴァルトラムはビシュラを抱えて電威の背から飛び降り、地面に下ろしてやった。

「無事だったかビシュラ。ケガは無いか」

「はいッ。御心配をおかけしました」

 ビシュラは緋や隊員たちの顔を見ると、いつもの場所に戻ってきたのだという実感が追いついてきて、顔からふにゃあと力が抜けた。「フェイさん~~」と泣きながら緋に抱きついた。
 緋は笑いながらビシュラの背中をポンポンと撫でてやった。

「服がズタボロの割りには傷はヒドくない」

 マクシミリアンはヴァルトラムの外観を一頻りジロジロと観察してそう零した。「ビシュラが治した」とヴァルトラムから返ってきて、マクシミリアンは、へー、と感心してビシュラのほうを振り返った。

「お前やるなあ、ビシュラ」

 ビシュラはぐりぐりと頭を撫でられ、やや上目遣いにマクシミリアンを見た。

「わたし、少しはお役に立てたのでしょうか……?」

「ああ。歩兵長はウチの最大戦力だ。歩兵長を消耗させないことは重要なことだ。お前の回復プログラムは立派なモンだぞ」

 ビシュラは少し頬を桜色にして気恥ずかしそうにはにかんだ。


 ヴァルトラムとビシュラはすぐさま地面に降りたが、天尊とアキラは電威に騎乗したままだった。電威は飛竜のなかでも最大級の体高であり、ビシュラがそうであったようにアキラも補助がなければ降りることはできない。しかし、天尊はその素振りを見せなかった。
 トラジロは電威に跨がったままの天尊を見上げた。

「大隊長。御帰還おめでとうございます。お嬢さんフロイラインも御壮健な御様子、誠に重畳」

「俺はこのままでヴィンテリヒブルクへ戻る」

お嬢さんフロイラインも御一緒に、ですか。お身体に負担がかかるのでは」

「いい。少しふたりになりたい」

 トラジロが少々不思議そうに、はあ、と返した。
 ズィルベルナーが横からトラジロを指差してケタケタと笑った。

「トラジロは野暮だなあ。恋人同士なんだからふたりきりでイチャイチャしたいだろ~」

 どっすぅ! ――ズィルベルナーの脇腹にトラジロの肘打ちが決まった。
 トラジロは自身を粋でスマートな人物とは思わないが、ズィルベルナーから指摘されるのは面白くなかった。
 トラジロはキリッとした顔を天尊に向けた。

「かしこまりました。道中お気を付けください」


  § § § § §


 ヴィンテリヒブルク城・天尊の貴賓室。
 天尊は電威で空を駆け、境界付近に出払った大隊の内、最も早く城へと帰投した。城に残っていた隊員たちは天尊の負傷を見て、早く手当をと慌てたが、天尊はまるで無視して部屋へと戻った。そして、部屋に戻るや否や、使用人にアキラを着替えさせるよう言い付けた。

 天尊は着替えの頃合いを見計らって寝室のドアをノックして入室した。
 自身も血や土で汚れた衣服を脱ぎ、ラフなシャツへ着替えを済ませていた。負傷は簡単に応急処置をした。

「着替え終わったか」

「いま終わったばっかり」

 天尊のほうを振り返ったアキラの衣服は、フローズヴィトニルソンで着ていたものとは確かに変わっていた。
 アキラの周囲にいた使用人たちは、天尊と入れ替わりに素早く出入り口のドアへと移動した。
 天尊はアキラの前に立ち、頭の天辺から足の爪先まで精察した。
 アキラにはその視線の意味が分からなかった。特に不潔だったわけでも無いのに衣服を急いで着替えさせられた意味も。

「ほかにヤツから与えられたものは?」

「着てたものだけだけど……?」

「ヤツが与えたものはすべて処分する」

 天尊は使用人たちのほうを振り返った。

「燃やせ」

 そう言って、使用人たちに部屋から出て行くように命じた。
 何もそこまでしなくても。アキラは口から出かけた言葉を呑みこんだ。
 おそらく、天尊の機嫌はよろしくない。アキラがウルリヒを庇い立てしたことは、かなり憤慨したはずだ。またウルリヒを擁護するようなことを言ったら、神経を逆撫でしてしまうだろう。自分が手を上げられることはないとしても、自分以外の誰かに八つ当たりがいくのも避けたかった。

「ティエン。怒ってる?」

「たぶんな」

 天尊は即答した。

「ウルリヒくんを殺さないでって言ったから?」

「そもそも、ユリイーシャの身代わりになったところからだ」

「あれは、そうでもしないとユリイーシャさんが危ないと思って。あのときわたしにできることって、あれくらいしか思いつかなかったから」

 天尊はアキラとの距離を詰め、身体と身体とが触れ合いそうなほど間近に迫った。咄嗟に後退ろうとしたアキラの腰に手を回し、逃がさなかった。

「俺のことは考えなかったか?」

 アキラは天尊の顔をそっと見上げた。目が合った天尊はほんの少し責めるような表情で、スッと顔を背けてしまった。
 それはしてはいけないことだとか、ちゃんとしなさいだとか、いつも責めるのは自分のほうなのに、責められることには慣れていなかった。

「ユリイーシャのことは考えられて、俺がどんな思いするかは考えられなかったか」

「それはッ――……正直、あのときは……うん。ティエンのことは考えてなかった……ごめん」

「そろそろ解ってくれ。俺はアキラが何よりも大切だ。アキラ以外がどうなろうとどうでもいい。もうアキラなしじゃあ生きられん」

 天尊はアキラを抱き締めた。太い腕で締め上げられたアキラは、ウッとか細い声を漏らした。それでも天尊は腕の力を緩めなかった。
 何度確かめても安心できない。手に入れたと思っては遠くに引き離される。この少女はか弱いくせに勇敢で、稀有で儚い存在だ。目を離した隙に、泡のように弾けて消えてしまうのではないかと錯覚する。悪夢だ。きっとこの先の生涯ずっと、この悪夢は終わらない。

「だが、アキラは違う」

 アキラは目を見開き、え、と零した。

「アキラは俺がいなくても生きていける。ギンタさえいればな。それどころか、赤の他人が死にかけていたら、俺のことも自分のことも忘れてソイツを助けようとする。俺がどれだけアキラを大切に想って愛しても、アキラにとってはすぐに忘れ去られる程度の価値しかない」

(ウッ……! かなり、苦し……ッ)

 アキラは流石に呼吸が苦しくなって天尊の身体をパンパンッと叩いた。
 天尊が腕の力を緩めたので、アキラはその表情を窺い見られた。そして、ギクッとした。
 溢れ出そうな感情を、否、もう今まさに噴き出さんと喉元を突く感情を、どうにかこうにか蓋をして抑えこんでいるような、土壇場の表情。噛み殺している感情は怒りか悔しさか。否、違う。これはもっと痛くて切ない――――

「も、もしかして、怒ってるんじゃなくて……傷ついてるの?」

 天尊はアキラの頭頂に額を置き、匂いを嗅ぐように額を擦りつけた。
 小さな声で「そうかもしれんな」と答えが返ってきて、アキラは胸が締めつけられる思いがした。天尊のような男が傷ついていることを認めるのは、自分だけに見せる弱味だ。
 今度はアキラのほうから天尊を抱擁した。

「切羽詰まるといろいろ考える余裕無くなって、身体が勝手に動いちゃうって……それで、その所為で……ティエンを傷つけて、ごめんなさい」

 アキラは天尊の胸板に顔を埋めて「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も言い、天尊のシャツをギュウッと握り締めた。

「わたしだってティエンを大切に想ってるよ。どんなときだってティエン以外の人を好きになることなんて、絶対にないよ」

 いま言わなくてはいけない言葉だと覚悟を決めて口にしたのに、心臓が自分でも想定外に煽ぐ。天尊は命懸けで行動してくれたというのに、このようなことで動揺しているなど情けない。

「本当に?」

「こんなことで嘘つかないよ」

 天尊はアキラの頬に手を添え、顔を上げるよう促した。

「俺の目を見て言ってくれ。俺を愛しているか?」

 アキラは、顔の近くで囁かれて頬がかあっと赤くなった。
 そろりと天尊の顔を覗き見ると、嬉しそうに、そして少し困ったように微笑んでいた。アキラのほうから想いを告げてくれた喜びと、先ほどまでの苦しさとが入り混じり、そのような何とも言えない表情をさせた。

「さっきも言ったよ」

「何度でも聞きたい」

「……ティエンが一番好き」

 天尊は口の端を引いて満足げに微笑んだ。
 その言葉を何度でも聞きたい。そのためなら何も惜しくは無い。
 想われていると感じ、言葉を聞き、感触を確かめると、一気に愛しさが湧いてきて、傷ついた痛みなど一瞬にして忘れてしまう。嗚呼、なんと愚かしい。何度傷つけられても、何度踏み躙られてもきっと、愛することをやめられない。意思でやめられるものならば、この脆弱で無知な少女に心が囚われてしまうことなどなかった。囚われてしまった自覚はあるのに後悔はない。この力も身命も、運命を、心臓を、持てるすべてを、捧げる。

「アキラからキスしてくれたら信じる」

「ええッ⁉」

「俺はアキラの願いをきいた。ヤツを生かした。とんでもなく自制した。だから、褒美くらいあってもいいだろう」

「~~ッ……」

 アキラは反論できなくなり口を噤んで眉を八の字にし、天尊の顔を見た。
 天尊の機嫌は、少しはよくなったのだと思う。先刻のような息苦しい翳りは消えていた。そして、あのような表情はもうさせたくないと思った。天尊は自他ともに認めるプライドの高い男だ。あのような表情をさせるのはきっと、自分の所為だ。
 天尊は褒美と言ったが、アキラは謝罪の気持ちでめいいっぱい背を伸ばし首を伸ばした。爪先立ちで、唇と唇とがふっと触れるだけのキスをした。
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