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Kapitel 05
奪還 04
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フローズヴィトニルソン王城内。
ルディは言質は無くとも、朱色の髪をしたヒトの男が飛竜の大隊が擁するネームドであると確信を得た。値踏みするような目付きでその男を上から下まで観察し、ニタリと口の端を引き上げた。
「《朱い魔物》ヴァルトラム――……そうか、相手がネームドとなれば戦力を出し惜しみしているときではない」
ルディは素早い動作でハンドサインを出した。兵士たちはその指示に従い、ルディとヴァルトラムの間に展開した。ヴァルトラムに最初の攻撃を仕掛けた者たちは床に倒れて使い物にはならないが、それでもまだ大半は残っている。
四名の兵士がヴァルトラムに躍りかかった。ズドンッ、ズドンッ、とヴァルトラムは銃で応戦するが、俊敏な彼らはそれを回避した。
ヴァルトラムは突き出された爪に対して腕で盾を作って防御した。毛をむんずと掴み、力尽くで床に叩きつけた。そのまま足で踏みつけ、頭を撃ち抜いた。それから最も近くに迫っていた獣人、その眉間に銃口を突きつけた。引鉄を引くと、頭部がパァンッと弾けた。
「貴様ァッ」
ふたりの兵士が同時にヴァルトラムに躍りかかった。
爪とナイフの挟撃。ヴァルトラムは爪を突き出した腕を捕まえて制止させ、ナイフを握る兵士には蹴りを繰り出した。兵士は延髄に蹴りを真面に食らい、膝から折れて体がグラリと揺らいだ。
兵士がヴァルトラムの視界からフェードアウトすると、眼前にいたのはルディだった。ヴァルトラムは瞬間的に目を大きくした。
ブシャアッ! ――ルディの爪がヴァルトラムの肩の肉を抉った。
ルディは爪の先に引っかかった肉を、手首を振って払い落とした。
ヴァルトラムはルディの得意気な表情を見て、ハッと鼻で笑った。
「へぇ。俺の体を傷つけられるたァ、イイ爪してんじゃねェか」
「フローズヴィトニルソンにとって最も誇るものは己の爪牙。それこそが強さ」
ザシュッ、ブシュッ。――ルディが腕を振るう度にヴァルトラムの肉体は引き裂かれた。
ヴァルトラムは二、三歩後退し、自身の身体に目を落とした。シャツが赤く染まり、その裂けた隙間から傷口に触れると、ぬちゃりとした感触。真っ赤になった手の平を見て、知らず知らずの内に口角が上がった。
この男にとって痛みや熱は昂揚であり嬉々だ。
「名に恥じぬ戦闘狂と見える、《魔物》」
ルディは爪に付着した血をピッと振り払った。
「その戦闘狂が何故エンブラひとりにこだわるのだ。イーダフェルトの住人はヒト至上主義のはずだが」
ヴァルトラムはルディからの質問に首を傾げた。
「成人もしてねェ小娘になんざ興味あるわけねェだろうが。俺は、俺のオンナを取り返しに来ただけだ」
その言葉を聞いて、天井に向かって真っ直ぐに立つルディの耳がピクンと動いた。
「まさかあの〝四ツ耳〟のことか。それこそ何故だ。《魔物》ともあろう男が〝四ツ耳〟如きを、わざわざ危険を押して取り返しに来る理由は何だ。女には不自由すまい、飽きるほど相手にしただろう。お前ほどの男がたったひとりの女にこうまでするのは命令だからか、任務だからか」
「まだ飽きるほどヤッてねェ、バーーーカ」
ヴァルトラムはルディに真っ直ぐに銃口を向けた。
「命令だの任務だの何を勝手にグチャグチャとほざいてやがる。賊だっつってンだろ」
ズドンッ、ズドンッ、ズドンッ、ズドンッ!
銃口から放たれた弾を、ルディは素早く回避した。
床から飛び上がり天井を蹴り縦横無尽に動き回りつつ、ヴァルトラムとの距離を詰めた。自分の間合いまで到達するや間髪入れずに攻撃へと移った。
今度はヴァルトラムが上半身を捻って攻撃を躱し、銃を引いて片手にマチェットナイフを構えた。
ルディは咄嗟に足の爪で床を穿ち、急停止した。ヒュンッと白刃が鼻先を通過した。大きなマチェットナイフを勢いよく振り切ったヴァルトラムの背中が見えた瞬間、ルディは踏みこんだ。その無防備な背中を切り裂いてやるために。
だが、ヴァルトラムは想定以上に素早い動作でグインッと回転した。目を見開いたルディのマズルに触れそうなほどの距離に銃口を突きつけた。
まずい。完全に踏みこんだ後だ。身体は前方への推進力を得ており、制止することも後退することも時すでに遅し。ルディは渾身の力で腕を引き寄せ、手の平で銃身を叩いた。
銃口はルディの正中線からは逸れたが、弾は頬を掠めた。否、掠めたというには深い。口の端付近から耳近くまで皮膚が裂け、血が噴き出した。
ルディは床を蹴ってヴァルトラムから距離を取った。
血液は傷口からどぷどぷと流れ出て顎をたっぷりと塗らした。ルディはゆっくりと傷を拭ってクククッと笑みで顔を歪めた。
「流石はネームド。ヒトの割にしぶとい」
「流石はケモノ。並のヒトより殺し甲斐があるぜ」
カカカカカッ、とヴァルトラムは愉快そうに高笑いしながら床を蹴ってルディに突進していった。
§ § § § §
フローズヴィトニルソン王城内・低層階廊下。
ウルリヒには長身の天尊をも上回る上背がある。ウルリヒは天尊に向かって剣を振り下ろした。
ガギンッ! ――重たい音を立てて天尊は剣を受け止めた。
(この男、素手で剣を受け止めた?)
ウルリヒは剣を押し下げようと力を増しながら天尊の装備を観察した。
天尊は一見して鎧の類いは身に付けていない。衣服の下に分厚い装甲を隠している風でもない。しかし、《雷鎚》はプログラムの熟練者という評判を知っているからピンと来た。
「成る程。貴様らヒトはプログラムで肉体を強化して戦うのか。で、武器はどうした。敵陣に攻め入るのに丸腰か?」
「気安く話しかけてんじゃねェ。友だちかテメエ」
「流石はネームド。大した手練れと見える。だがアキラを手に入れるためだ。俺も負けん」
イラァッ、と天尊の苛立ちが急激に膨れ上がった。
「何でテメエがアキラを手に入れられる話になってんだ。あァッ? アキラは未来永劫絶対的に俺のものだ。半ケモノが夢見てんじゃねェ」
ドッスゥッ! ――天尊はウルリヒの脇腹に蹴りこんだ。
その衝撃によってウルリヒの体は波打ったが、引き下がらなかった。
「アキラは俺をそんな風には言わん。俺のことを恐ろしくはないと、好きだと言ってくれた」
天尊はウルリヒの両手首を捕まえ、脇腹に再度ドウンッと膝をめりこませた。
「世間知らずの王族が、女にちょっとイイって言われて逆上せ上がりやがって」
天尊にも覚えがある。だから敢えて些細なことであるように、有り触れたことであるように、運命的ではないように、主張した。運命など感じてもらっては困る。アキラと運命的に結ばれているのは自分であるはずなのだから。
「声や姿が愛らしいだけではない。己を顧みず身代わりになれるほど慈愛深く勇敢だ。聡明で、他者を理解して思い遣る心を持っている。俺の妻にこれほど相応しい女はいない」
ドウンッ! ――天尊の膝が今一度同じ箇所にめりこんだ。
ウルリヒの筋肉がメリッと軋んだが、苦痛をギリッと噛み殺して天尊の目から少しも視線を逸らさなかった。
その燃えるような眼光が、なんと挑戦的でなんと腹立たしいことか。天尊は、まるで自分のほうが正当であるかのように屈託なく主張する眼光に神経を逆撫でされた。
「アキラを、俺に無断でそんなに褒めんな💢」
天尊はウルリヒから手を離して拳を振りかぶった。
ガッキィン! ――ウルリヒはそれを剣の腹で受け止めた。拳の威力がビリビリと振動となって伝わってくる。
ウルリヒが天尊の拳を弾き返した次の瞬間、腕が伸びてきて胸元を鷲掴みにされた。ものすごいトルクで押されて壁に背中から激突させられた。
ウルリヒも負けじと天尊の衣服を掴み返し、壁から跳ね起きてクルリと立ち位置を入れ替え、今度はウルリヒが天尊を壁に叩きつけた。ドスンッ、ドスンッと入れ替わり立ち替わり壁に叩きつけ合い、白い壁に次々と亀裂が走った。
天尊は背中が壁から離れる拍子にウルリヒの腹部を蹴り飛ばし、距離を取った。そして、アキラたちを背にしてウルリヒのほうへ手の平を突き出した。
――《機銃掃射》
突き出した天尊の腕に小さな光る飛礫が蜷局を巻いたかと思うと、ウルリヒに向かって一斉に発射された。
ウルリヒは飛礫を剣で薙ぎ払った。幾つかは取り零したが、どれもウルリヒにとっては掠り傷程度であり致命傷にはなり得なかった。
ボフッ。――天尊が頭上に翳した手に、突如として火球が生じた。
火球は見る間に回転しながら火勢を増して肥大した。天尊は頭上で自分と同じくらいの大きさにまでなったそれを、ウルリヒに向かって投げつけた。
ウルリヒは床を蹴り壁を蹴り、縦横無尽に動き回って回避した。やや距離を取って顔を上げたところで、両腕を使って体の前で十字を組んでいる天尊が見えた。
天尊は深く呼吸を吸いこみ、貯めこんだ力を一気に解放するように両腕を振った。天尊の生じさせた雷撃が指向性を持ってウルリヒに向かう。
ズッドドォンッ!
壁を張るビシュラの身体には、ビリッビリビリッ、と衝撃が伝わってきた。
「申し訳ございませんアキラさん……ッ。わたしが力不足なばかりにッ、大隊長が全力をお出しになることが叶わずッ……」
「どういう……? ティエンはあれで加減してるんですか」
「……おそらくは。大隊長の攻性プログラムの威力がこの程度のはずはありません」
アキラがビシュラの横顔を覗きこむと、玉のような汗が額から流れ落ちた。はあ、はあ、と大きく息継ぎをし、言葉を発するのもしんどそうだ。
アキラの目には見えないが、ふたりを守り続けている〝壁〟、それを維持するには大層ビシュラの体力を消費するのであろうことが想像できた。
「本来、大隊長は高出力なプログラムを行使する広域戦闘を得意となさっています。その破壊力は甚大です。わたし程度の牆壁では耐久できずに巻き添えになってしまう危険性があり、大隊長は出力を抑えざるを得ません」
ウルリヒは、爆煙のなかを突進してくる人影を捉え、咄嗟に剣を自分の前に構えた。
ガキャアン! ――天尊の拳とウルリヒが構えた剣の腹が衝突した。
天尊もウルリヒも互いに視線がかち合っても一歩も退かず圧し合い続け、ギリッギリと拮抗する。
(この馬力……! この男、本当にヒトか?)
獣人の肉体はヒトに勝る。それはフローズヴィトニルソンの誰もが信奉するものであり、ウルリヒが疑念を持つことすらなかった。ヒトとは身体能力が劣り肉体的短所を補うために、ネェベルを駆使する技術の研究発展に生物的活路を見出さざるを得なかった、そういう生き物だと考えていた。
しかしながら、天尊の膂力は確かにウルリヒと伍す。鬩ぎ合う力と力との狭間で振動する剣が、パキッと音を立てた。
「貴様ァッ!」
バキィインッ! ――刀身が中程で折れた。
反動でウルリヒが仰け反った隙を逃さず、天尊は拳を振りかぶった。空気の層を潰しながら圧縮したパワーを撃ち出す豪腕。
ウルリヒは剣の柄を投げ捨て、獣の如く咆哮を上げた。
ブッシュウッ!
血飛沫を巻き上げたのは天尊のほうだった。
ウルリヒの鋭利な爪は、刀剣をも防いだ《装甲》を貫き、天尊の肉に突き立てられた。胸の上から肩まで大きく引き裂かれ、噴き出した血液で白い服が緋色に染まる。
「剣を握っているから得意な武器はコレだと思ったか。フローズヴィトニルソンの一番の得物は己の爪牙だ」
「それがどうした」
天尊の目がギラリと光った。血液に濡れながらも握りこんだ拳を解いてはいなかった。天尊が再び拳を振りかぶり、ゾクッとウルリヒには予感がした。
ドッゴォオオン‼
轟音と共に、天尊の拳は床に大穴を穿った。
ウルリヒはすんでの所で回避し難を逃れたが、幾重にも走った亀裂が床の石材を粉々に砕いていた。
(これが、この男をネームドたらしめる一撃……!)
天尊は床から拳を引き抜き、しゃがみこんだ体勢のままウルリヒを見た。
ウルリヒも天尊を見据えて鼻に皺を寄せてフンッと息を荒くした。
「貴様、マルモア石製の床を割るとは真にヒトか」
天尊は立ち上がり、両の拳と拳とを合わせた。合わせた隙間にバジンッと電流が奔り、ウルリヒは忌々しげに目を細めた。
「ッはあ……ッはあ……!」
アキラがふとビシュラの荒い息遣いに気づいてそちらを見遣ると、ビシュラの額は噴き出す汗でぐしょぐしょに濡れていた。発汗しているのに顔面は蒼白で指先はぷるぷると震える。何かしらの限界を迎えようとしていることは火を見るより明らかだった。
アキラは「ビシュラさん!」とその体を支えようとしたが、ビシュラはネェベルを消費し続けるプログラムを解除しなかった。ビシュラが遵守すべき命令はアキラを保護すること、そのために牆壁を維持すること。意識が続く限りは牆壁を維持すると心に決めた。しかし、限界が近いことには自覚がある。
(ダメです……。わたし程度では大隊長の余波を持ち堪えることすらもう……)
指の先から力が抜けてゆく。頭から血の気が引く感覚。自分の体温が高いのか低いのかすら分からない。遂には天地の方向も分からない。暗転しかけた視界にチカチカと閃光が見えた。
「う……歩兵、ちょ…………ほへ、い……歩兵長ぉおーー!」
ビシュラは有りっ丈の声で叫んだ。正真正銘最後の体力を振り絞って。
――あの人なら、きっとわたしを見つけてくれる。
見知らぬ場所、高い壁、別の世界に隔てられても迎えに来てくれたのだから、あの人ならきっと何処にいても見出してくれる。あの人がそうまでしてくれる理由をわたしは知らないけれど。
わたしは弱い自分自身よりも、あの人の強さを信じた。
§ § § § §
「近ぇな」
ヴァルトラムはポツリと独り言を零し、天井を見上げた。
ヴァルトラムは手に銃を握って床に座りこんでいた。上半身にも下半身にもルディの攻撃を受け負傷していたが、それに不釣り合いなくらいに無表情だった。
ルディはヴァルトラムの態度を見て、この男には痛覚がないのではないかとにわかに疑い始めた頃合いだった。
「暢気なものだな」
「焦る必要なんざねェだろ。カスリ傷くらいでよ」
ヴァルトラムはゆっくりと大仰に立ち上がった。
それから、銃についているツマミを何やらガチャガチャと操作するが、彼は自身の武器でも調整や整備は苦手だ。普段ならマクシミリアンに任せっきりなので面倒なことこの上ない。
ヴァルトラムの発言を聞いたルディの眉間が、ピクッと跳ねた。自慢の爪を侮られたのは少なからずプライドを刺激された。
「もっと惨く抉られるのが望みかッ!」
ルディが牙を剥いた瞬間、ヴァルトラムがスッと銃口を差し出した。ルディではなく、やや上方に向かって。
ズドォオン!
ヴァルトラムの弾丸は天井を撃ち抜いた。
雷のような轟音を立て、底が抜けたように一気に瓦礫がヴァルトラムとルディの上に降り注いだ。
人ひとり分もの大きさがあるマルモア石の塊が降ってくるなか、ルディはヴァルトラムに近づけず、部屋の端まで一旦後退せざるを得なかった。何を考えているのかとルディが目を見張ると、ヴァルトラムがニヤリと嗤ったのが見えた。
「貴様、何の真似だッ!」
ルディは言質は無くとも、朱色の髪をしたヒトの男が飛竜の大隊が擁するネームドであると確信を得た。値踏みするような目付きでその男を上から下まで観察し、ニタリと口の端を引き上げた。
「《朱い魔物》ヴァルトラム――……そうか、相手がネームドとなれば戦力を出し惜しみしているときではない」
ルディは素早い動作でハンドサインを出した。兵士たちはその指示に従い、ルディとヴァルトラムの間に展開した。ヴァルトラムに最初の攻撃を仕掛けた者たちは床に倒れて使い物にはならないが、それでもまだ大半は残っている。
四名の兵士がヴァルトラムに躍りかかった。ズドンッ、ズドンッ、とヴァルトラムは銃で応戦するが、俊敏な彼らはそれを回避した。
ヴァルトラムは突き出された爪に対して腕で盾を作って防御した。毛をむんずと掴み、力尽くで床に叩きつけた。そのまま足で踏みつけ、頭を撃ち抜いた。それから最も近くに迫っていた獣人、その眉間に銃口を突きつけた。引鉄を引くと、頭部がパァンッと弾けた。
「貴様ァッ」
ふたりの兵士が同時にヴァルトラムに躍りかかった。
爪とナイフの挟撃。ヴァルトラムは爪を突き出した腕を捕まえて制止させ、ナイフを握る兵士には蹴りを繰り出した。兵士は延髄に蹴りを真面に食らい、膝から折れて体がグラリと揺らいだ。
兵士がヴァルトラムの視界からフェードアウトすると、眼前にいたのはルディだった。ヴァルトラムは瞬間的に目を大きくした。
ブシャアッ! ――ルディの爪がヴァルトラムの肩の肉を抉った。
ルディは爪の先に引っかかった肉を、手首を振って払い落とした。
ヴァルトラムはルディの得意気な表情を見て、ハッと鼻で笑った。
「へぇ。俺の体を傷つけられるたァ、イイ爪してんじゃねェか」
「フローズヴィトニルソンにとって最も誇るものは己の爪牙。それこそが強さ」
ザシュッ、ブシュッ。――ルディが腕を振るう度にヴァルトラムの肉体は引き裂かれた。
ヴァルトラムは二、三歩後退し、自身の身体に目を落とした。シャツが赤く染まり、その裂けた隙間から傷口に触れると、ぬちゃりとした感触。真っ赤になった手の平を見て、知らず知らずの内に口角が上がった。
この男にとって痛みや熱は昂揚であり嬉々だ。
「名に恥じぬ戦闘狂と見える、《魔物》」
ルディは爪に付着した血をピッと振り払った。
「その戦闘狂が何故エンブラひとりにこだわるのだ。イーダフェルトの住人はヒト至上主義のはずだが」
ヴァルトラムはルディからの質問に首を傾げた。
「成人もしてねェ小娘になんざ興味あるわけねェだろうが。俺は、俺のオンナを取り返しに来ただけだ」
その言葉を聞いて、天井に向かって真っ直ぐに立つルディの耳がピクンと動いた。
「まさかあの〝四ツ耳〟のことか。それこそ何故だ。《魔物》ともあろう男が〝四ツ耳〟如きを、わざわざ危険を押して取り返しに来る理由は何だ。女には不自由すまい、飽きるほど相手にしただろう。お前ほどの男がたったひとりの女にこうまでするのは命令だからか、任務だからか」
「まだ飽きるほどヤッてねェ、バーーーカ」
ヴァルトラムはルディに真っ直ぐに銃口を向けた。
「命令だの任務だの何を勝手にグチャグチャとほざいてやがる。賊だっつってンだろ」
ズドンッ、ズドンッ、ズドンッ、ズドンッ!
銃口から放たれた弾を、ルディは素早く回避した。
床から飛び上がり天井を蹴り縦横無尽に動き回りつつ、ヴァルトラムとの距離を詰めた。自分の間合いまで到達するや間髪入れずに攻撃へと移った。
今度はヴァルトラムが上半身を捻って攻撃を躱し、銃を引いて片手にマチェットナイフを構えた。
ルディは咄嗟に足の爪で床を穿ち、急停止した。ヒュンッと白刃が鼻先を通過した。大きなマチェットナイフを勢いよく振り切ったヴァルトラムの背中が見えた瞬間、ルディは踏みこんだ。その無防備な背中を切り裂いてやるために。
だが、ヴァルトラムは想定以上に素早い動作でグインッと回転した。目を見開いたルディのマズルに触れそうなほどの距離に銃口を突きつけた。
まずい。完全に踏みこんだ後だ。身体は前方への推進力を得ており、制止することも後退することも時すでに遅し。ルディは渾身の力で腕を引き寄せ、手の平で銃身を叩いた。
銃口はルディの正中線からは逸れたが、弾は頬を掠めた。否、掠めたというには深い。口の端付近から耳近くまで皮膚が裂け、血が噴き出した。
ルディは床を蹴ってヴァルトラムから距離を取った。
血液は傷口からどぷどぷと流れ出て顎をたっぷりと塗らした。ルディはゆっくりと傷を拭ってクククッと笑みで顔を歪めた。
「流石はネームド。ヒトの割にしぶとい」
「流石はケモノ。並のヒトより殺し甲斐があるぜ」
カカカカカッ、とヴァルトラムは愉快そうに高笑いしながら床を蹴ってルディに突進していった。
§ § § § §
フローズヴィトニルソン王城内・低層階廊下。
ウルリヒには長身の天尊をも上回る上背がある。ウルリヒは天尊に向かって剣を振り下ろした。
ガギンッ! ――重たい音を立てて天尊は剣を受け止めた。
(この男、素手で剣を受け止めた?)
ウルリヒは剣を押し下げようと力を増しながら天尊の装備を観察した。
天尊は一見して鎧の類いは身に付けていない。衣服の下に分厚い装甲を隠している風でもない。しかし、《雷鎚》はプログラムの熟練者という評判を知っているからピンと来た。
「成る程。貴様らヒトはプログラムで肉体を強化して戦うのか。で、武器はどうした。敵陣に攻め入るのに丸腰か?」
「気安く話しかけてんじゃねェ。友だちかテメエ」
「流石はネームド。大した手練れと見える。だがアキラを手に入れるためだ。俺も負けん」
イラァッ、と天尊の苛立ちが急激に膨れ上がった。
「何でテメエがアキラを手に入れられる話になってんだ。あァッ? アキラは未来永劫絶対的に俺のものだ。半ケモノが夢見てんじゃねェ」
ドッスゥッ! ――天尊はウルリヒの脇腹に蹴りこんだ。
その衝撃によってウルリヒの体は波打ったが、引き下がらなかった。
「アキラは俺をそんな風には言わん。俺のことを恐ろしくはないと、好きだと言ってくれた」
天尊はウルリヒの両手首を捕まえ、脇腹に再度ドウンッと膝をめりこませた。
「世間知らずの王族が、女にちょっとイイって言われて逆上せ上がりやがって」
天尊にも覚えがある。だから敢えて些細なことであるように、有り触れたことであるように、運命的ではないように、主張した。運命など感じてもらっては困る。アキラと運命的に結ばれているのは自分であるはずなのだから。
「声や姿が愛らしいだけではない。己を顧みず身代わりになれるほど慈愛深く勇敢だ。聡明で、他者を理解して思い遣る心を持っている。俺の妻にこれほど相応しい女はいない」
ドウンッ! ――天尊の膝が今一度同じ箇所にめりこんだ。
ウルリヒの筋肉がメリッと軋んだが、苦痛をギリッと噛み殺して天尊の目から少しも視線を逸らさなかった。
その燃えるような眼光が、なんと挑戦的でなんと腹立たしいことか。天尊は、まるで自分のほうが正当であるかのように屈託なく主張する眼光に神経を逆撫でされた。
「アキラを、俺に無断でそんなに褒めんな💢」
天尊はウルリヒから手を離して拳を振りかぶった。
ガッキィン! ――ウルリヒはそれを剣の腹で受け止めた。拳の威力がビリビリと振動となって伝わってくる。
ウルリヒが天尊の拳を弾き返した次の瞬間、腕が伸びてきて胸元を鷲掴みにされた。ものすごいトルクで押されて壁に背中から激突させられた。
ウルリヒも負けじと天尊の衣服を掴み返し、壁から跳ね起きてクルリと立ち位置を入れ替え、今度はウルリヒが天尊を壁に叩きつけた。ドスンッ、ドスンッと入れ替わり立ち替わり壁に叩きつけ合い、白い壁に次々と亀裂が走った。
天尊は背中が壁から離れる拍子にウルリヒの腹部を蹴り飛ばし、距離を取った。そして、アキラたちを背にしてウルリヒのほうへ手の平を突き出した。
――《機銃掃射》
突き出した天尊の腕に小さな光る飛礫が蜷局を巻いたかと思うと、ウルリヒに向かって一斉に発射された。
ウルリヒは飛礫を剣で薙ぎ払った。幾つかは取り零したが、どれもウルリヒにとっては掠り傷程度であり致命傷にはなり得なかった。
ボフッ。――天尊が頭上に翳した手に、突如として火球が生じた。
火球は見る間に回転しながら火勢を増して肥大した。天尊は頭上で自分と同じくらいの大きさにまでなったそれを、ウルリヒに向かって投げつけた。
ウルリヒは床を蹴り壁を蹴り、縦横無尽に動き回って回避した。やや距離を取って顔を上げたところで、両腕を使って体の前で十字を組んでいる天尊が見えた。
天尊は深く呼吸を吸いこみ、貯めこんだ力を一気に解放するように両腕を振った。天尊の生じさせた雷撃が指向性を持ってウルリヒに向かう。
ズッドドォンッ!
壁を張るビシュラの身体には、ビリッビリビリッ、と衝撃が伝わってきた。
「申し訳ございませんアキラさん……ッ。わたしが力不足なばかりにッ、大隊長が全力をお出しになることが叶わずッ……」
「どういう……? ティエンはあれで加減してるんですか」
「……おそらくは。大隊長の攻性プログラムの威力がこの程度のはずはありません」
アキラがビシュラの横顔を覗きこむと、玉のような汗が額から流れ落ちた。はあ、はあ、と大きく息継ぎをし、言葉を発するのもしんどそうだ。
アキラの目には見えないが、ふたりを守り続けている〝壁〟、それを維持するには大層ビシュラの体力を消費するのであろうことが想像できた。
「本来、大隊長は高出力なプログラムを行使する広域戦闘を得意となさっています。その破壊力は甚大です。わたし程度の牆壁では耐久できずに巻き添えになってしまう危険性があり、大隊長は出力を抑えざるを得ません」
ウルリヒは、爆煙のなかを突進してくる人影を捉え、咄嗟に剣を自分の前に構えた。
ガキャアン! ――天尊の拳とウルリヒが構えた剣の腹が衝突した。
天尊もウルリヒも互いに視線がかち合っても一歩も退かず圧し合い続け、ギリッギリと拮抗する。
(この馬力……! この男、本当にヒトか?)
獣人の肉体はヒトに勝る。それはフローズヴィトニルソンの誰もが信奉するものであり、ウルリヒが疑念を持つことすらなかった。ヒトとは身体能力が劣り肉体的短所を補うために、ネェベルを駆使する技術の研究発展に生物的活路を見出さざるを得なかった、そういう生き物だと考えていた。
しかしながら、天尊の膂力は確かにウルリヒと伍す。鬩ぎ合う力と力との狭間で振動する剣が、パキッと音を立てた。
「貴様ァッ!」
バキィインッ! ――刀身が中程で折れた。
反動でウルリヒが仰け反った隙を逃さず、天尊は拳を振りかぶった。空気の層を潰しながら圧縮したパワーを撃ち出す豪腕。
ウルリヒは剣の柄を投げ捨て、獣の如く咆哮を上げた。
ブッシュウッ!
血飛沫を巻き上げたのは天尊のほうだった。
ウルリヒの鋭利な爪は、刀剣をも防いだ《装甲》を貫き、天尊の肉に突き立てられた。胸の上から肩まで大きく引き裂かれ、噴き出した血液で白い服が緋色に染まる。
「剣を握っているから得意な武器はコレだと思ったか。フローズヴィトニルソンの一番の得物は己の爪牙だ」
「それがどうした」
天尊の目がギラリと光った。血液に濡れながらも握りこんだ拳を解いてはいなかった。天尊が再び拳を振りかぶり、ゾクッとウルリヒには予感がした。
ドッゴォオオン‼
轟音と共に、天尊の拳は床に大穴を穿った。
ウルリヒはすんでの所で回避し難を逃れたが、幾重にも走った亀裂が床の石材を粉々に砕いていた。
(これが、この男をネームドたらしめる一撃……!)
天尊は床から拳を引き抜き、しゃがみこんだ体勢のままウルリヒを見た。
ウルリヒも天尊を見据えて鼻に皺を寄せてフンッと息を荒くした。
「貴様、マルモア石製の床を割るとは真にヒトか」
天尊は立ち上がり、両の拳と拳とを合わせた。合わせた隙間にバジンッと電流が奔り、ウルリヒは忌々しげに目を細めた。
「ッはあ……ッはあ……!」
アキラがふとビシュラの荒い息遣いに気づいてそちらを見遣ると、ビシュラの額は噴き出す汗でぐしょぐしょに濡れていた。発汗しているのに顔面は蒼白で指先はぷるぷると震える。何かしらの限界を迎えようとしていることは火を見るより明らかだった。
アキラは「ビシュラさん!」とその体を支えようとしたが、ビシュラはネェベルを消費し続けるプログラムを解除しなかった。ビシュラが遵守すべき命令はアキラを保護すること、そのために牆壁を維持すること。意識が続く限りは牆壁を維持すると心に決めた。しかし、限界が近いことには自覚がある。
(ダメです……。わたし程度では大隊長の余波を持ち堪えることすらもう……)
指の先から力が抜けてゆく。頭から血の気が引く感覚。自分の体温が高いのか低いのかすら分からない。遂には天地の方向も分からない。暗転しかけた視界にチカチカと閃光が見えた。
「う……歩兵、ちょ…………ほへ、い……歩兵長ぉおーー!」
ビシュラは有りっ丈の声で叫んだ。正真正銘最後の体力を振り絞って。
――あの人なら、きっとわたしを見つけてくれる。
見知らぬ場所、高い壁、別の世界に隔てられても迎えに来てくれたのだから、あの人ならきっと何処にいても見出してくれる。あの人がそうまでしてくれる理由をわたしは知らないけれど。
わたしは弱い自分自身よりも、あの人の強さを信じた。
§ § § § §
「近ぇな」
ヴァルトラムはポツリと独り言を零し、天井を見上げた。
ヴァルトラムは手に銃を握って床に座りこんでいた。上半身にも下半身にもルディの攻撃を受け負傷していたが、それに不釣り合いなくらいに無表情だった。
ルディはヴァルトラムの態度を見て、この男には痛覚がないのではないかとにわかに疑い始めた頃合いだった。
「暢気なものだな」
「焦る必要なんざねェだろ。カスリ傷くらいでよ」
ヴァルトラムはゆっくりと大仰に立ち上がった。
それから、銃についているツマミを何やらガチャガチャと操作するが、彼は自身の武器でも調整や整備は苦手だ。普段ならマクシミリアンに任せっきりなので面倒なことこの上ない。
ヴァルトラムの発言を聞いたルディの眉間が、ピクッと跳ねた。自慢の爪を侮られたのは少なからずプライドを刺激された。
「もっと惨く抉られるのが望みかッ!」
ルディが牙を剥いた瞬間、ヴァルトラムがスッと銃口を差し出した。ルディではなく、やや上方に向かって。
ズドォオン!
ヴァルトラムの弾丸は天井を撃ち抜いた。
雷のような轟音を立て、底が抜けたように一気に瓦礫がヴァルトラムとルディの上に降り注いだ。
人ひとり分もの大きさがあるマルモア石の塊が降ってくるなか、ルディはヴァルトラムに近づけず、部屋の端まで一旦後退せざるを得なかった。何を考えているのかとルディが目を見張ると、ヴァルトラムがニヤリと嗤ったのが見えた。
「貴様、何の真似だッ!」
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