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Kapitel 05
37:奪還 03
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ヴァルトラムはアキラとビシュラが軟禁されていた部屋に到達した。二手に分かれる際、アキラが留まっていた位置を天尊から教えられた。ビシュラも其処にいる可能性が高いと。
豪快にドアを蹴破って押し入ったものの、当然室内は蛻の殻。ヴァルトラムは拍子抜けという顔で溜息を吐いた。
「……誰もいねェじゃねェか。アイツのほうがアタリかァ」
まず目に突いたのは天蓋付きのベッド、花が飾り付けられた室内、華やかな紋様の絨毯、大きなクローゼット。部屋には窓があり、明かりも風も部屋に入れることができる。年若い娘を軟禁するには丁度良さそうな部屋だ。
それから床に太い鎖が転がっているのを発見した。鎖の先端には鋼鉄製の輪っか。それが足枷であることにはすぐに分かった。やはり此処は軟禁部屋で間違いない。では、彼女らは軟禁部屋から出されて何処へ行ったか。
ヴァルトラムはチッと舌打ちして踵を返し、部屋から出て行った。
ウルリヒは腕に抱えていたアキラとビシュラを床に降ろした。床に足がついた途端に駆け出そうとしたアキラの手を、ウルリヒが捕まえて引き戻した。振り返ったアキラがウルリヒを見ると、彼は縋るような目で見詰めてきた。
「俺の傍にいると、約した。誓いを立てた」
違う、契約などで縛りたいのではない。アキラの自由意志で選択してほしい。自分が思っている半分でもよいから、傍にいたいと思ってほしい。口では無理強いしたくないと言いながら契約を盾に縛り付けるなどなんとも無様だ。でかい図体をして年端もゆかない少女に縋り付くなどなんとも滑稽だ。頭では解っていても、心が離したくないと叫んでいる。
「ごめん」
アキラは、ウルリヒの目を真っ直ぐ見ながら言った。
「ごめんね、ウルリヒくん。キミに嘘を、吐いた」
ずっと嘘を吐いていた。だからいつかは言わなければいけないと覚悟をしていた。キミは優しい王子さま。優しいキミを傷付けると分かっていながら、残酷な真実を告げる。
「俺の傍にいると約したことか。俺のようなものでもいつかを愛することもあるかもしれないと……言ったことか」
ウルリヒのことは憎くも嫌いでもなかった。軟禁されてはいたが、そもそも拉致を命じたのは彼ではないし、手厚く待遇してくれた。王子という身分に慢心することなく、品行方正な人柄だった。何よりアキラを本気で愛している。異なる種族の者を真摯に愛することができる彼なら、どのような姿をしていても真摯に愛し返してくれる者もいるはずだと、心からそう思う。
しかしながらアキラには決して不可能だ。
「ずっとキミの傍にはいられないし、傍にいたとしても……わたしはもうティエン以上に誰かを好きになることなんて、ない」
ドクンッ、と一際大きな鼓動を鳴らし心臓が停止したかと思った。末期の悲鳴のように。
手を捕まえているウルリヒの力が強まり、アキラは若干顔を顰めた。その時下から窺い見たウルリヒの表情は、アキラが初めて見るものだった。泣きそうな顔をしていると、思ってしまった。彼自身、どのような表情をしたか無自覚だろうし、アキラへの感情が生まれて初めてのものなのだから、そのような顔をするのも生まれて初めてだったのかも知れない。
見てはいけないものを見てしまったのではなかろうか。アキラは言葉を失してしまった。
「俺の女から手を離せ」
天尊はウルリヒを睨み付けて言い放った。
「俺の女、ではない」
ウルリヒからの返答に対し、天尊は「あァッ?」と悪態を吐いた。
「アキラは最早貴様の婚約者ではない。俺のモノだ。生涯傍にいると、伴侶になると誓いを立てたのだから」
「は?」
バチンッ!
バチバチバチッ、と天尊の周囲を電子が駆け巡り、ビシュラはハッとした。天尊の額にはクッキリと青筋が立っており、眉間に深い皺を刻んだ形相は鬼のようだ。
「生涯の伴侶だと……? 寝言言ってんじゃねェぞこのクソ畜生野郎がァアアアッ‼」
天尊の怒声が響き渡り、空間を震撼させ、憤怒で制御を解かれた電流が無作為に迸った。
「ひいぃっ……!」
ビシュラは咄嗟に壁を張ってアキラや自身に電流が及ぶことを防いだが、体はカタカタと震えていた。実際に接してヴァルトラムのことを普段から恐ろしい恐ろしいと思っていたし、ほかの隊員も隊で恐れられている人物と言えば真っ先にヴァルトラムを挙げるから、天尊がこんなにも怒りで我を忘れるような気質だとは予想だにしていなかった。
(いつも冷静な大隊長があんなにお怒りになるなんて! 恐い恐い恐い!)
天尊は一歩一歩踏み締めるようにウルリヒとの距離を詰める。床を踏み締める度に、その身に纏った怒気が電流となってバチンバチンッと耳障りな音を立てた。
ウルリヒはアキラから手を離し、自身の後方へとズイッと押し遣った。アキラを行かせる気は毛頭無いが、天尊との戦闘は一触即発。己も臨戦態勢をとらざるを得なかった。
「命令だビシュラァッ! 俺がこのクソ野郎をぶち殺すまでアキラを守れ!」
「はっ、はいぃ!」
ずる、ずる、ずる。
先程までウルリヒがいた広間には、まだルディと一個小隊が待機していた。彼等は何かを引き摺るような音に気付いた。もしくは、石造りの廊下をそれなりの重量のあるものが這いずり回るような奇妙な音。
ルディを含め、彼等は全員音のほうへと振り返った。やはり一人の男が何かを片手に引き摺りながら歩いてくるのを視認し、各自持ち場でバッと身構えた。男の動作は緩慢であり、全員が充分にその男を観察することができた。男が手にしているものの正体を知り、全身の毛がブワッと逆立った。男は、意識を失っているだけなのか、既に事切れているのか、ピクリとも動かない獣人の頭の天辺を握り締め、そのまま廊下を引き摺って来たのだ。廊下には一本の、蛇行した真っ赤な線が描かれていた。
「ホォー、ケモノ臭ェわけだぜ。集会中か?」
男は、白い歯を剥き出しにしてニィッと笑った。獣人の小隊と対面したというのに、臆した様子は微塵も無かった。寧ろその様は強がりでも何でもなく歓喜の笑みのように見えた。
「オイ、生きているのか! 返事をしろ!」
「ソイツから手を離せ! 両手を高く上げて跪け!」
「貴様たちは総員何名だ! 答えろ! 二名かッ」
ヴァルトラムは黙って視線だけを動かして広間をグルリと観察した。彼等の言葉はすべて聞き取れてはいるが、何匹もガヤガヤと五月蠅いことこの上ない。忙しくなく質問攻めにされては答える気も失せる。
「貴様も三本爪飛竜騎兵大隊か」
その質問を発した者は、一人だけ随分と落ち着き払っている奴だと思った。ヴァルトラムはルディに目を留めた。アーマーを身に付けていないしほかの警備兵たちとは異なる装いであり格が違う。何より質問が核心を突いていた。確信めいて三本爪飛竜騎兵大隊などと口にするのは、隣国の城から姫を拉致した件を明らかに知っているからだ。
「たった二人で王城を襲撃するとは……いくらかの有名な三本爪飛竜騎兵大隊であろうとも全く以て不遜が過ぎる」
「賊だっつってんだろ」
ヴァルトラムに対し、ルディは目を細めて笑みを作った。正体を見抜いているし見抜かれているが、互いに不敵な笑みだった。
ルディは片手をスッと天井に向けて挙げた。それを合図と知り兵士たちは横一列を作った。彼等はヴァルトラムと対峙し、グルグルと喉を鳴らし姿勢は腰を低くし前傾気味に、ジリッジリッと床を爪で引っ掻く。
「排除しろ」
ルディが命じた次の瞬間、獣人の兵士たちは引き絞られた矢が放たれるように一斉にヴァルトラムに飛び掛かった。よく研がれたナイフが如き鋭利な爪が、ヴァルトラムに襲い掛かった。
パキィンッ。
浅黒い肌を引き裂くはずだった長い爪は悉く中程から折れた。彼等の自慢の爪は、見開いた視界のなかでヒュンヒュンッと宙を舞った。眼前の男は何もしなかった。ただ待ち構えていただけだった。何をされることもなく、彼等の自負は脆くも砕け散った。
彼等は当然驚愕し、揃いも揃って一瞬呆けてしまった。岩をも砕く自身の爪が肉すら裂けないことなど想像もしていなかったのだ。敵が、血みどろの仲間を引き摺って現れたとしても。
「つまんねえヤツらだ」
獣人の兵士はハッとしてヴァルトラムの顔を見た。その表情は先程の笑みとは打って変わって失望だった。あからさまにガッカリしたという、期待外れという、この場には剰りにも不釣り合いな表情。
ヒュッ、と風を切った音。次の瞬間、ヴァルトラムの面前、一番至近距離にいた兵士が真っ赤な血飛沫が噴き上げた。横一文字にぱっくりと開いた喉元を両手で押さえるが、鮮血の勢いを止めることはできなかった。ヒュッ、ヒューッと喉から空気が漏れる度に夥しい量の血液が漏れ出ていくことに絶望を感じながら両膝を折った。
その後は、ヴァルトラムが片手に振り回すマチェットナイフに急所を突かれ、或いは腕を切断され、誰も彼もが同じように冷たい石造の床に倒れた。乳白色の表面に濃い紅が飛び散り、水溜まりが広がりそれを飲み込んでゆく。
紅の水溜まりが拡がってゆくのにつれて、獣人の嗅覚には些か刺激的な新鮮な血液の臭いもどんどんと充満してゆく。頑強で強靱であるはずの獣人の兵士が為す術も無く頽れてゆく様は、まるで悪夢のような光景だった。朱色の髪を靡かせて兵士たちを蹂躙する浅黒い肌をした男をまじまじと見ながら、ルディはゾワッと身の毛が弥立つのを感じた。
「な、何だこれは……っ、バケモノめ!」
一人の兵士が慄きながら本音を吐露した。否、これは最早自身の意思では如何ともしがたい醒めない悪夢への愚痴だ。
「三本爪飛竜騎兵大隊の朱髪、この圧倒的な戦闘力…………貴様、《朱い魔物》ヴァルトラムだな」
ドンッ、とヴァルトラムはマチェットナイフを兵士の太腿に突き刺した。ギャアギャアッと野太い悲鳴を浴びながらルディのほうを振り返り、口角を引き上げてニヤッと嗤った。
言葉での肯定は無かった。軍服も勲章も物理的な証拠は何も無かった。しかしながら返り討ちに遭った果敢な兵士たちの無残な様が証としては充分すぎた。
グローセノルデン領・フローズヴィトニルソン王国境界付近――――
三本爪飛竜騎兵大隊は、兵の一部と飛竜をヴィンテリヒブルク城に残し、境界ギリギリの林のなかに人員と車輌の大部分を展開していた。
ザクッザクッ、と雪を踏み締めながらマクシミリアンが緋とトラジロの許へやってきた。
「配置は完了した、フェイ」
「隊章をすべて剥がしたか再度確認」
「もう何度も確認してるが」
「もう一度だ」
マクシミリアンは「はあ」と溜息を吐き、踵を返した。頭をガリガリと掻きながら元いた場所へと戻っていった。
「苛立っていますね」
トラジロはマクシミリアンの後ろ姿を眺めながら緋に言った。
「お前に比べれば何ということはない。グローセノルデン大公の矢面御苦労」
「大公は不条理な方では在られませんよ。寧ろ大隊長よりも冷静なくらいです」
トラジロはフッと笑みを零したが、それは心からおかしくて笑っているようにはとても見えなかった。
「女を取り返すのに単身敵地に乗り込むのは冷静とは言えないか」
「そうです。今の大隊長はお立場を失念なさる程度には冷静さを欠いていらっしゃる。もしもその身に不測の事態が起きた場合、隊はどうなるとお思いなのか。御寵愛のお嬢さんの身を案じておられるのは解りますが、大隊長には隊を指揮するという責務がおありです」
「置いていかれたのが不服か?」
緋は腕組みをしてクッと笑った。随分と子どもっぽく変換したのは揶揄だ。トラジロの口振りを聞いていると苛立っているのはどちらか分からない。
正直やや気を害されたトラジロはジロリと緋を見た。トラジロが緋に対して反抗心のようなものを見せるのは珍しい。感情を抑えきれなかったのは図星を指されたからだ。
「往かせたのは貴女ではありませんか、緋姐。貴女だけは大隊長をとめてくれると思っていたのですよ。まったく、この隊には私の味方がいない」
「いいや、アタシはお前の味方だよ。ただ、アタシもお前ほど冷静じゃないだけさ」
豪快にドアを蹴破って押し入ったものの、当然室内は蛻の殻。ヴァルトラムは拍子抜けという顔で溜息を吐いた。
「……誰もいねェじゃねェか。アイツのほうがアタリかァ」
まず目に突いたのは天蓋付きのベッド、花が飾り付けられた室内、華やかな紋様の絨毯、大きなクローゼット。部屋には窓があり、明かりも風も部屋に入れることができる。年若い娘を軟禁するには丁度良さそうな部屋だ。
それから床に太い鎖が転がっているのを発見した。鎖の先端には鋼鉄製の輪っか。それが足枷であることにはすぐに分かった。やはり此処は軟禁部屋で間違いない。では、彼女らは軟禁部屋から出されて何処へ行ったか。
ヴァルトラムはチッと舌打ちして踵を返し、部屋から出て行った。
ウルリヒは腕に抱えていたアキラとビシュラを床に降ろした。床に足がついた途端に駆け出そうとしたアキラの手を、ウルリヒが捕まえて引き戻した。振り返ったアキラがウルリヒを見ると、彼は縋るような目で見詰めてきた。
「俺の傍にいると、約した。誓いを立てた」
違う、契約などで縛りたいのではない。アキラの自由意志で選択してほしい。自分が思っている半分でもよいから、傍にいたいと思ってほしい。口では無理強いしたくないと言いながら契約を盾に縛り付けるなどなんとも無様だ。でかい図体をして年端もゆかない少女に縋り付くなどなんとも滑稽だ。頭では解っていても、心が離したくないと叫んでいる。
「ごめん」
アキラは、ウルリヒの目を真っ直ぐ見ながら言った。
「ごめんね、ウルリヒくん。キミに嘘を、吐いた」
ずっと嘘を吐いていた。だからいつかは言わなければいけないと覚悟をしていた。キミは優しい王子さま。優しいキミを傷付けると分かっていながら、残酷な真実を告げる。
「俺の傍にいると約したことか。俺のようなものでもいつかを愛することもあるかもしれないと……言ったことか」
ウルリヒのことは憎くも嫌いでもなかった。軟禁されてはいたが、そもそも拉致を命じたのは彼ではないし、手厚く待遇してくれた。王子という身分に慢心することなく、品行方正な人柄だった。何よりアキラを本気で愛している。異なる種族の者を真摯に愛することができる彼なら、どのような姿をしていても真摯に愛し返してくれる者もいるはずだと、心からそう思う。
しかしながらアキラには決して不可能だ。
「ずっとキミの傍にはいられないし、傍にいたとしても……わたしはもうティエン以上に誰かを好きになることなんて、ない」
ドクンッ、と一際大きな鼓動を鳴らし心臓が停止したかと思った。末期の悲鳴のように。
手を捕まえているウルリヒの力が強まり、アキラは若干顔を顰めた。その時下から窺い見たウルリヒの表情は、アキラが初めて見るものだった。泣きそうな顔をしていると、思ってしまった。彼自身、どのような表情をしたか無自覚だろうし、アキラへの感情が生まれて初めてのものなのだから、そのような顔をするのも生まれて初めてだったのかも知れない。
見てはいけないものを見てしまったのではなかろうか。アキラは言葉を失してしまった。
「俺の女から手を離せ」
天尊はウルリヒを睨み付けて言い放った。
「俺の女、ではない」
ウルリヒからの返答に対し、天尊は「あァッ?」と悪態を吐いた。
「アキラは最早貴様の婚約者ではない。俺のモノだ。生涯傍にいると、伴侶になると誓いを立てたのだから」
「は?」
バチンッ!
バチバチバチッ、と天尊の周囲を電子が駆け巡り、ビシュラはハッとした。天尊の額にはクッキリと青筋が立っており、眉間に深い皺を刻んだ形相は鬼のようだ。
「生涯の伴侶だと……? 寝言言ってんじゃねェぞこのクソ畜生野郎がァアアアッ‼」
天尊の怒声が響き渡り、空間を震撼させ、憤怒で制御を解かれた電流が無作為に迸った。
「ひいぃっ……!」
ビシュラは咄嗟に壁を張ってアキラや自身に電流が及ぶことを防いだが、体はカタカタと震えていた。実際に接してヴァルトラムのことを普段から恐ろしい恐ろしいと思っていたし、ほかの隊員も隊で恐れられている人物と言えば真っ先にヴァルトラムを挙げるから、天尊がこんなにも怒りで我を忘れるような気質だとは予想だにしていなかった。
(いつも冷静な大隊長があんなにお怒りになるなんて! 恐い恐い恐い!)
天尊は一歩一歩踏み締めるようにウルリヒとの距離を詰める。床を踏み締める度に、その身に纏った怒気が電流となってバチンバチンッと耳障りな音を立てた。
ウルリヒはアキラから手を離し、自身の後方へとズイッと押し遣った。アキラを行かせる気は毛頭無いが、天尊との戦闘は一触即発。己も臨戦態勢をとらざるを得なかった。
「命令だビシュラァッ! 俺がこのクソ野郎をぶち殺すまでアキラを守れ!」
「はっ、はいぃ!」
ずる、ずる、ずる。
先程までウルリヒがいた広間には、まだルディと一個小隊が待機していた。彼等は何かを引き摺るような音に気付いた。もしくは、石造りの廊下をそれなりの重量のあるものが這いずり回るような奇妙な音。
ルディを含め、彼等は全員音のほうへと振り返った。やはり一人の男が何かを片手に引き摺りながら歩いてくるのを視認し、各自持ち場でバッと身構えた。男の動作は緩慢であり、全員が充分にその男を観察することができた。男が手にしているものの正体を知り、全身の毛がブワッと逆立った。男は、意識を失っているだけなのか、既に事切れているのか、ピクリとも動かない獣人の頭の天辺を握り締め、そのまま廊下を引き摺って来たのだ。廊下には一本の、蛇行した真っ赤な線が描かれていた。
「ホォー、ケモノ臭ェわけだぜ。集会中か?」
男は、白い歯を剥き出しにしてニィッと笑った。獣人の小隊と対面したというのに、臆した様子は微塵も無かった。寧ろその様は強がりでも何でもなく歓喜の笑みのように見えた。
「オイ、生きているのか! 返事をしろ!」
「ソイツから手を離せ! 両手を高く上げて跪け!」
「貴様たちは総員何名だ! 答えろ! 二名かッ」
ヴァルトラムは黙って視線だけを動かして広間をグルリと観察した。彼等の言葉はすべて聞き取れてはいるが、何匹もガヤガヤと五月蠅いことこの上ない。忙しくなく質問攻めにされては答える気も失せる。
「貴様も三本爪飛竜騎兵大隊か」
その質問を発した者は、一人だけ随分と落ち着き払っている奴だと思った。ヴァルトラムはルディに目を留めた。アーマーを身に付けていないしほかの警備兵たちとは異なる装いであり格が違う。何より質問が核心を突いていた。確信めいて三本爪飛竜騎兵大隊などと口にするのは、隣国の城から姫を拉致した件を明らかに知っているからだ。
「たった二人で王城を襲撃するとは……いくらかの有名な三本爪飛竜騎兵大隊であろうとも全く以て不遜が過ぎる」
「賊だっつってんだろ」
ヴァルトラムに対し、ルディは目を細めて笑みを作った。正体を見抜いているし見抜かれているが、互いに不敵な笑みだった。
ルディは片手をスッと天井に向けて挙げた。それを合図と知り兵士たちは横一列を作った。彼等はヴァルトラムと対峙し、グルグルと喉を鳴らし姿勢は腰を低くし前傾気味に、ジリッジリッと床を爪で引っ掻く。
「排除しろ」
ルディが命じた次の瞬間、獣人の兵士たちは引き絞られた矢が放たれるように一斉にヴァルトラムに飛び掛かった。よく研がれたナイフが如き鋭利な爪が、ヴァルトラムに襲い掛かった。
パキィンッ。
浅黒い肌を引き裂くはずだった長い爪は悉く中程から折れた。彼等の自慢の爪は、見開いた視界のなかでヒュンヒュンッと宙を舞った。眼前の男は何もしなかった。ただ待ち構えていただけだった。何をされることもなく、彼等の自負は脆くも砕け散った。
彼等は当然驚愕し、揃いも揃って一瞬呆けてしまった。岩をも砕く自身の爪が肉すら裂けないことなど想像もしていなかったのだ。敵が、血みどろの仲間を引き摺って現れたとしても。
「つまんねえヤツらだ」
獣人の兵士はハッとしてヴァルトラムの顔を見た。その表情は先程の笑みとは打って変わって失望だった。あからさまにガッカリしたという、期待外れという、この場には剰りにも不釣り合いな表情。
ヒュッ、と風を切った音。次の瞬間、ヴァルトラムの面前、一番至近距離にいた兵士が真っ赤な血飛沫が噴き上げた。横一文字にぱっくりと開いた喉元を両手で押さえるが、鮮血の勢いを止めることはできなかった。ヒュッ、ヒューッと喉から空気が漏れる度に夥しい量の血液が漏れ出ていくことに絶望を感じながら両膝を折った。
その後は、ヴァルトラムが片手に振り回すマチェットナイフに急所を突かれ、或いは腕を切断され、誰も彼もが同じように冷たい石造の床に倒れた。乳白色の表面に濃い紅が飛び散り、水溜まりが広がりそれを飲み込んでゆく。
紅の水溜まりが拡がってゆくのにつれて、獣人の嗅覚には些か刺激的な新鮮な血液の臭いもどんどんと充満してゆく。頑強で強靱であるはずの獣人の兵士が為す術も無く頽れてゆく様は、まるで悪夢のような光景だった。朱色の髪を靡かせて兵士たちを蹂躙する浅黒い肌をした男をまじまじと見ながら、ルディはゾワッと身の毛が弥立つのを感じた。
「な、何だこれは……っ、バケモノめ!」
一人の兵士が慄きながら本音を吐露した。否、これは最早自身の意思では如何ともしがたい醒めない悪夢への愚痴だ。
「三本爪飛竜騎兵大隊の朱髪、この圧倒的な戦闘力…………貴様、《朱い魔物》ヴァルトラムだな」
ドンッ、とヴァルトラムはマチェットナイフを兵士の太腿に突き刺した。ギャアギャアッと野太い悲鳴を浴びながらルディのほうを振り返り、口角を引き上げてニヤッと嗤った。
言葉での肯定は無かった。軍服も勲章も物理的な証拠は何も無かった。しかしながら返り討ちに遭った果敢な兵士たちの無残な様が証としては充分すぎた。
グローセノルデン領・フローズヴィトニルソン王国境界付近――――
三本爪飛竜騎兵大隊は、兵の一部と飛竜をヴィンテリヒブルク城に残し、境界ギリギリの林のなかに人員と車輌の大部分を展開していた。
ザクッザクッ、と雪を踏み締めながらマクシミリアンが緋とトラジロの許へやってきた。
「配置は完了した、フェイ」
「隊章をすべて剥がしたか再度確認」
「もう何度も確認してるが」
「もう一度だ」
マクシミリアンは「はあ」と溜息を吐き、踵を返した。頭をガリガリと掻きながら元いた場所へと戻っていった。
「苛立っていますね」
トラジロはマクシミリアンの後ろ姿を眺めながら緋に言った。
「お前に比べれば何ということはない。グローセノルデン大公の矢面御苦労」
「大公は不条理な方では在られませんよ。寧ろ大隊長よりも冷静なくらいです」
トラジロはフッと笑みを零したが、それは心からおかしくて笑っているようにはとても見えなかった。
「女を取り返すのに単身敵地に乗り込むのは冷静とは言えないか」
「そうです。今の大隊長はお立場を失念なさる程度には冷静さを欠いていらっしゃる。もしもその身に不測の事態が起きた場合、隊はどうなるとお思いなのか。御寵愛のお嬢さんの身を案じておられるのは解りますが、大隊長には隊を指揮するという責務がおありです」
「置いていかれたのが不服か?」
緋は腕組みをしてクッと笑った。随分と子どもっぽく変換したのは揶揄だ。トラジロの口振りを聞いていると苛立っているのはどちらか分からない。
正直やや気を害されたトラジロはジロリと緋を見た。トラジロが緋に対して反抗心のようなものを見せるのは珍しい。感情を抑えきれなかったのは図星を指されたからだ。
「往かせたのは貴女ではありませんか、緋姐。貴女だけは大隊長をとめてくれると思っていたのですよ。まったく、この隊には私の味方がいない」
「いいや、アタシはお前の味方だよ。ただ、アタシもお前ほど冷静じゃないだけさ」
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