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Kapitel 05

36:奪還 02

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 天尊ティエンゾンとヴァルトラムが王城に侵入して早々に、武装した兵士たちが駆け付けてきた。己の爪や牙が武器である彼らは得物を手にしていないものの、黒いアーマーで身を固めており物々しい出で立ちだ。

「賊かッ⁉」

「王城を襲撃するとはなんと不敬な!」

 兵士たちは獣が威嚇するように吠え立てるが、ヴァルトラムは面と向かって対峙して不敵にニヤリと笑った。

「賊だ。り返しにきたぜ」

 天尊とヴァルトラムは牙を剥いて躍り掛かってきた獣人の兵士たちを易々と叩き伏せた。高い身体能力を誇る屈強な兵士も彼ら二人には恐るるに足らず、迅速に歩を進めた。

 研磨され光沢のある石造りの真っ直ぐな廊下を、天尊とヴァルトラムは直進していた。天尊の進行に迷いはなかった。天尊は事前にアキラに〝目印〟を付けおり、防壁内に侵入してしまえばその位置を捕捉することは難しいことではない。

 ――――《索敵》


 天尊がプログラムを起動すると脳内に空間を把握する走査線が走り、自分以外の生物の存在を感知することが可能となった。譬え、物陰や曲がり角に身を潜めていたとしても何ら障害にはならない。

「一時方向、十一時方向」

 ズドンッ、ズドンッ。

「四時方向」

 ドスンッ。
 天尊が言い当てた場所から敵が姿を現した瞬間、ヴァルトラムが射撃する。弾丸を受けた兵士たちは短い呻き声を上げ、その場で行動不能となる。それを繰り返しながら、攻撃の暇すら与えず先へ先へと進行する。言われた場所に必ず的が出現するのだから最早引鉄を引くだけのマシンのようであり、ヴァルトラムにとっては退屈ですらある。予測不能である分、街中のゲームのほうがまだマシではないか。

「数が多くて面倒だな」

 足止めと呼べるような足止めもされていないのに、天尊がチッと舌打ちして足を停めた。

「ヴァルトラム、耳を塞げ」

「あ?」

 天尊が何故そのようなことを言ったのか考えるのも面倒なヴァルトラムはとりあえず面倒臭そうに耳を塞いだ。
 パチンッ、と天尊は指を鳴らした。
 キンッ、キィンッ、キィンッ、キィィイイインッ!
 始めは指を弾いた程度の音だったものが、壁や床、天井に反響する度に一気に増幅され、最後には体に響くほどの大音量と化した。空気がビリビリと振動するのを感じながら、天尊はやや不快そうに片眉を引き上げた。
 しかしながら、ヒトよりも格段に発達した聴覚を持つ獣人は、その程度では済まなかった。ギャンッ、ギャアッ、と野太い悲鳴があちこちから聞こえたかと思うとドッと床に伏した。耳を押さえて身悶えている彼らを一瞥して天尊はハッと鼻先で笑った。

「耳が良すぎるのが仇になったな」

 これにはさしものヴァルトラムもくらっと来たが、片足を一歩前に出して踏ん張った。素直に耳を塞いでいなければヴァルトラムにとっても相応のダメージであったろう。

「テッメェこの野郎……」

 ヴァルトラムは天尊の背中をジロッと睨んだが、天尊はヴァルトラムのダメージなど気にも留めなかった。無数の敵兵を戦闘不能にできるのであれば、屈強な男が多少ダメージを負うことなど些細な代償だ。
 天尊は床に伏して悶えている兵士たちにトドメとも言える一撃を加え、行動不能にしつつ先を急いだ。


 バンッ、と荒々しい音を立てドアが開いた。入室してきたルディは、アキラが横になっているベッド傍にいるウルリヒに一目散に近付いた。

「御無事ですか王子」

「先程の衝撃は何事だ、ルディ」

 王城内にいる者なら誰しも先刻の轟音と震撼を感じたに違いない。国内で最も威厳があり堅牢な建造物、王城が揺れるなど只事ではないに決まっている。だからこそルディはいつもの余裕を捨て、慌ててウルリヒの許にやって来たのだ。

「城の防壁プログラムが破られました」

「防壁を、破ったッ……?」

 ベッド脇の小さな腰掛けに座っていたウルリヒは思わず立ち上がった。

「敵勢は!」

 それが、とルディが口を開いた直後、一人の兵士がルディが開け放ったままのドアから駆け込んできた。ウルリヒとルディの姿を見付けると素早く近付いてきて、眼前で片膝を突いた。

「王子、将軍、御報告致します! 防壁を突破し、王城内に賊が侵入しました。現場からの報告によりますと賊は二名、重火器の装備はなし、現在階下へと進行中、目的は不明ッ。また、王城上空を飛竜が制空しており、王城への破壊行為を断続的に繰り返しております」

「飛竜だと?」

 ウルリヒとルディは互いに視線をかち合わせた。両名とも脳裏には同じ人物を思い描いたのだ。

「防壁が破られた際の強烈な閃光を、王子も御覧になりましたか。あれは恐らく稲妻。この晴天のなか突如として稲妻を降らすなど考えられるのは……」

「飛竜と稲妻を自在にする賊などいるものか。遂に来たのだ、《雷鎚ミョルニル》が」

 ウルリヒはグッと拳を握り、確信めいて断言した。姿も確認していない賊をの者だと確信して少々も疑念が湧いてこないのは野生の勘か、それとも分かつことのできない唯一のものを求め合ってしまった者同士故の宿命か。

「いつか来るとは思っていた。アキラが本当に《雷鎚ミョルニル》の婚約者だというのなら避けられまい。自分のものを奪われて、そのままにしておく男とは思えん」

「……となれば一兵卒では何人集めても時間稼ぎにしかなりますまい。生半可な兵士ではいたずらに犠牲を増やすだけです」

「無論、俺が行く」

 ルディは片膝付き頭を垂れている男のほうへと視線を移した。

「防壁の復旧作業を急げ。十八年分のエネルギー備蓄を使用することを許可する。出力全開で防御力を上げろ。三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッター大隊長が自ら先陣を切ったのだ。いつ隊が侵攻してきてもおかしくはない。これ以上ヒト風情を、決して、断じて、一匹たりとも、一歩たりとも、王と王子が御座おわすこの城へ踏み入らせるな」

「ハッ!」

 兵士は力強い返事をし、部屋から駆け出して行った。
 ルディはウルリヒを諫めも宥めもしなかった。主が往くと言うのなら、助言・助力はしても行く手を阻むことなどできはしない。ルディという従者は、兄弟と称えられても将軍位を得ても、最終的にはウルリヒの望みを叶える為に存在しているのだから。
 ウルリヒが敵を迎え撃つ為に足を出そうとした瞬間、ピンッと服を引っ張られた。振り返ると、ベッドから上半身を起こしたアキラが服の裾を掴んでいた。
 アキラは青白い顔をしてウルリヒの目を見詰める。どのような思いで何を言おうとしているか、ウルリヒには解るような気がした。そのようにか細い手で、この裾を誰の為に掴んでいる?

「その目を……真実俺の為にしてくれるようになれば、よいのだが」

 ウルリヒはフッと笑みを零した。その仕草と言葉からウルリヒの心情を察したアキラの手から裾がスッと擦り抜けた。
 彼がアキラの望みを袖にしたのはこれが初めてだ。何でも叶えてやると、何でも与えてやると約束したアキラの願いだとしても、これだけは叶えられない。きっと「行くな」と、「あの人を傷付けないで」と言うのだろう。アキラを傍にと望む限り避けられない衝突があるように、決して叶えてやることのできない願いだ。何でもしてやろうと誓っても、現実にはしてやれないことのほうが多いのだと、彼は王子として生を受けて以来、己自身というものを最も思い知った。
 ウルリヒとルディが部屋から出て行った後、アキラは黙り込んでいた。なんと声をかけたものかとビシュラが顔色を窺うと、アキラはシーツを握り締めて或る一点を見詰めていた。ビシュラが「アキラさん」と声を掛けると、視線は固定したままで口を開いた。

「ティエンが二人だけで来たって……本当ですか」

 ビシュラは目を閉じ、探査プログラムを起動した。分も待たずすぐにパチッと目を開いた。

「事実のようです。大隊長と歩兵長のネェベル反応を感知しました」

「なんでっ、こんなに大勢いるところにたった二人でっ……」

 ビシュラのほうへ顔を向けたアキラは明らかに余裕が無かった。眉を八の字にして何かを堪えているような表情だった。それは少々想定外であったビシュラは、一瞬口を噤んでしまった。

「アキラさんが取り乱されるところ……初めて拝見しました。御自分のことにはいつも平静になさっているのに、大隊長ことはそんなにご心配なさるのですね」

「心配しますよ、当たり前じゃないですかっ」

 そう言ってアキラはパッと顔を背けた。

「ティエンはっ……大ケガを負ったことが何度もあって……。死んでもおかしくないことだって平気でする、から……っ」

 ビシュラは天尊の側面の一つを知るに過ぎない。大隊長の地位に相応しく尊大で絶対的な天尊しかビシュラは見たことがないが、アキラにとっては負傷して死ぬことも有り得る「普通の男」なのだ。ビシュラは時偶アキラが年下であることを忘れてしまうが、天尊のことで明確に動揺したアキラは年相応の少女らしく見えた。
 普通の男と普通の少女、当たり前の恋人同士。恋人が自分の為に窮地に飛び込んできたら取り乱すくらいに案じて当然だ。

「ごめんなさい」

 そう思った矢先、アキラから予想外の謝罪。ビシュラは「そんなこと」と首を左右に振って否定した。純粋に意外だったから口から零れただけで、アキラが取り乱したことを責めたわけではない。

「ティエンのところに行かなくちゃ」

 アキラはガバッと掛け布団をめくり、ベッドから降りた。両足を床で踏んで安心した。体に倦怠感は残るが動かすことに難はない。それからドアのほうへと向かった。

「えっ、アキラさん⁉」

 ビシュラも慌ててアキラの後を追った。

「ティエンと会って、元いたところに帰るんです。ティエンが無茶する前に」

 アキラは自分の身長よりも遙かに大きなドアを、両手で力を込めて押し開いた。
 いつもドアの外にいるはずの門番はいなくなっていた。突然の侵入者に対応する為、この部屋の番を離れたのであろう。
 眼前に広がる一本道の廊下。最初に歩いたときは何処へ繋がっているのか分からず多少の恐怖もあったが、今はこの先に希望がある。部屋の外へ出れば希望はすぐそこだ。アキラはビシュラの手を取り、駆け出した。

「か、階段を探しましょうアキラさん! 大隊長は上階からいらっしゃっています。上に行けばきっと会えます!」

「確か庭に出るときに見たようなっ……」

 誰もいない廊下にペタペタペタッと二人分の裸足の駆け足が鳴った。方角は分からないが遠くのほうで騒音が聞こえる。城内が其方に気を取られている間は、誰も二人に注意しない。何もできない令嬢と侍女だから警戒していないはずだ。
 裸足に石造りの廊下はきっと冷たかったろうが、二人はそのようなことにも気付かず走った。ただ夢中にやっと現れ出でた光明を目指した。


 アキラたちが軟禁されている部屋に最も近い広間に、ウルリヒとルディが一個小隊を連れて待機していた。ウルリヒはルディと二人で待ち構えるつもりだったが、ルディが王子の身を守る為に最低限の編成は必要と兵士を用意した。
 そう、周辺国に知れ渡るエインヘリヤルのネームド《雷鎚ミョルニル》、三本爪飛竜騎兵大隊大隊長を待ち構え、迎撃し、撃退する為に。いいや、討ち滅ぼしてしまってもよい。領土に無断で侵入し王城の防壁を強引に突破したなど、動機が至極個人的であれ侵略行為だ。しかしながら、その発端が自身の父によるものだと考えれば、彼の人格がそこまでは求めなかった。

「《雷鎚ミョルニル》の位置は捕捉しているか。あとどのくらいで接敵する」

 ウルリヒは傍近くにいた兵士に尋ねた。

「それがっ、進行が早すぎます。ほぼ迷いなくこちらへ、王子の御座おわすここへ向かってきております」

「俺へ向かってきているのではない。アキラを目指しているのだ」

 ウルリヒは返答した兵士からフイッと視線を逸らした。ルディは顎髭を触りながら「ふむ」と零した。

「確かに、《雷鎚ミョルニル》はプログラムの熟練者と聞きます。何らかの手段でアキラの現在位置を感知しているのでしょう。エンブラはプログラムを扱えず、アキラもビシュラも衣服はすべてフローズヴィトニルソンのものですし、如何にしてかは分かりかねますが」

 王子、将軍、と兵士が慌てた様子で声を上げた。

「対象が進路を変更! ここを迂回するように急激に方角を変えました」

 ルディは腕組みをし、指で自分の腕をトントンと叩く。

「ここへ来て何故? 今までの迷いのなさはどうした。戦術か?」

 ルディと顔を見合わせていたウルリヒは突然ハッと何かに気付いた。途端に地を蹴って走り出した。


 天尊とヴァルトラムは二手に分かれて行動していた。互いに互いの実力は知り尽くしており、単身だからといって一兵卒にどうこうできるとは考えられない。
 現行動は正式な命令によるものではない。現行動に於いて二人が一見して協力関係にあるのは、目的が一致しているからに過ぎない。「取られたものを取り返す」という目的だ。
 階下を目指す内に窓を見付けた天尊は、其処から城外へ出た。階下を目指すなら律儀に通路や階段を探すよりも外から飛行して一気に下降したほうが早い。飛行も浮遊も不可能なヴァルトラムはこの時点で別行動となる。
 天尊は壁面の窓から城内の様子を観察しつつ自由落下した。
 賊が城内に侵入したことは警備兵全員に知れ渡っているだろうが、よもや防壁プログラムを突破して強引に侵入したはずの賊が、城外にいるとは想定していないのだろう、窓外を注意する者は誰もいなかった。城内に残っているヴァルトラムが派手に行動してくれれば、更に其方に警備が集中して尚良い。そもそもヴァルトラムが単身で隠密行動するなど無理であろうが。
 一定速度で自由落下していた天尊は突然宙でビタッと停止した。城外壁面に規則的に配置された窓、その一つの枠のなか、窓ガラスに隔てられた向こう側、ようやく見付けた探し物。探し続けた黒髪の少女は、窓ガラスに映り込んだ白い景色のなかで、生きて動いていた。

「アキラ、無事か……っ」

 天尊から思わず安堵の溜息が漏れた。そのような小さな独り言が窓ガラスを越えて届くはずがない。しかしながら黒髪の少女は不意に窓の外を見た。
 アキラは一瞬目を大きくした。それから足を停め、窓ガラスに近付いた。まさか其処にいるとは思わなかった。遠く引き離されていると思っていたのに、近付いているとはいっても、まさかこんなにも近くに。二人の間を隔てているのは、窓ガラス一枚だけだ。
 アキラは窓ガラスにそっと触れた。天尊も窓越しにアキラの小さな手に自分の掌を合わせた。冷たいはずのガラスの温度を感じなかった。硬質の感触すらも気にならなかった。
 ただ、互いの瞳を見詰めていた。対のような白い瞳と黒い瞳――――瞳のなかには互いしかいなかった。
 遠く遠く引き離されていた。何処で何をしているか分からないくらいに。生きているか死んでいるかも分からないくらいに。しかしながら、だからこそ、尚一層、今生一、世界に唯一だと思うくらい、今この瞬間に強い結び付きを感じている。
 軟禁されている間は努めて平静でいられたのに、天尊の姿を一目見てから急に胸に熱いものが込み上げてきた。熱いものが眼底を突いて溢れそうになったが、アキラはそれを懸命に堪えた。

「ティエン。会いたかっ――」

 鉄紺てつこん色の疾風が駆け抜けた。ようやく邂逅した愛しい姿は忽然と消えていた。何事が起こったのか、天尊の目にはハッキリと見えていた。
 バリィイインッ!
 天尊は窓ガラスを蹴破り、城内に飛び込んだ。顔を上げてジロッと睨むその先には、アキラとビシュラを腕に抱えた鉄紺色の毛並みをした獣人。一度ならず二度までも、しかも二度目は目の前でなど、忍耐できるものではない。

「俺の女に触るんじゃねェケダモノがァ……。アキラを返せッ!」
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