ゾルダーテン ――美女と野獣な上下関係ファンタジー物語

花閂

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Kapitel 05

獣の王子 06

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 アキラとは異なり、ビシュラはひとりで隠れていた。
 外部に助けを求めようとしているところを、子どもといえども誰かに見られるわけにはいかない。
 ビシュラは雪の上に座りこんで両手を突き、難しい顔をしていた。閉鎖された建物から外へ出られると聞いて一縷の希望を持ったが、期待どおりの展開にはならなさそうだ。

(何度発信しても応答がありません……。ここもダメです)

 ビシュラは空を見上げてみた。目を凝らしてみても何も見えないが、そこに通信をジャミングする〝壁〟が張り巡らされていることは、想像に難くない。

(完全に王城の敷地外に出ないと通信できそうにないですね)

 力も体も弱い、空も飛べない、助けも呼べない。総じて無力で何もできない。もしアキラと共に攫われたのが自分以外の誰かであったなら、もっと役に立ちアキラを助けられただろうに。

「今度こそ当たりか」

 ビシュラはビクッとして背後を振り返った。
 そこにはルディが立っていた。ビシュラを見つけて満足そうに小さく頷いた。

「何をしていた?」

「どういう意味でしょう」

「イーダフェルトに比べれば、我が国にはプログラムに長けた者は多くはないが、皆無というわけではない。私とてその知識がまったくないというわけではない」

 雪の上に突いたビシュラの両手に自然とギュッと力が入った。
 ルディは片膝を突き、ビシュラに顔を近づけた。その切っ先が如きマズルをビシュラに突きつけた。これは感情を嗅ぎ取るための行為か、それとも威嚇やプレッシャーなのか。

「ニーズヘクルメギルへ輿入れするレディの侍女、ともなればそれなりの家柄の出なのだろう。だが、プログラムを扱うとまでなると、侍女としては過ぎたる素養だな」

「何のことでしょう。わたしはかくれんぼをしていただけですよ」

 ビシュラは自分にしてはとても上手く答えられたと思った。自覚できる範囲では表情も変わらず声も震えていなかった。

「…………。レディ・アキラはいずこか」

 ルディはマズルをビシュラの首筋に触れそうなほど近づけて尋ねた。
 ビシュラは生暖かい温度を近くに感じつつ、平静を保った。

「さあ。どこかに隠れていらっしゃるでしょう。わたしのように」

「侍女なのにレディから離れたのか?」

「これはかくれんぼでございますよ。当然でしょう」

 クッと、笑い声のようなものがルディから微かに聞こえた気がした。

「思ったよりも手強いな。そろそろ手加減してもらわねば殿下が負けそうだ」


 アキラは獣人の子どもに手を引かれて進んだ。
 先端が針のように尖った葉で成る茂みを抜けると壁にぶち当たった。これは王城の敷地を囲っている塀だろうか。こっちだよ、とさらに手招きされ、壁の亀裂へと案内された。よくもまあこのようなものを見つけるものだと、子どもの冒険心と好奇心には感心する。
 子どもが身を屈めてようやく通れるくらいの大きさの穴は、アキラにはかなり窮屈だった。埃まみれになりながらどうにか通過した。
 そこは市場のようだった。王城を出てすぐに広がる市場、獣の国の城下町といったところだろう。青果物や雑貨、日用品など商品らしき品物を路面いっぱいに並べた露天商も、やや高級そうな品物をショーウィンドウに飾った店舗も、そこかしこに軒を連ねる。店主と客が交わす賑やかな会話があちらこちらから聞こえてくる。視界を端から端へ、大きな荷物を持ったり荷台を押したりした、色とりどりのたくさんの獣人が行き交う雑踏も大きい。

「これが、お城の外」

「うーまそー」

 半ば呆然としていたアキラの傍から獣人の男の子は駆け出した。
 何度も抜け出しているだけあり、この市場の何処に何の店があって、自分の欲しいものはどこにあるのか把握しているのであろう。
 アキラがすぐに男の子の後を追うと、男の子はとある露天商を覗きこんでいた。店先には、カラフルなフルーツに砂糖をまぶしたらしきものが何種類も並ぶ。瑞々しい色からして鮮度の良いドライフルーツのようなものだろう。
 男の子はキラキラした目でそのカラフルなフルーツを眺めた。

「ごめんね。わたしお金持ってなくて」

 アキラが申し訳なさそうに言うと、男の子はキョトンとした顔で振り返った。

「あ、そっか。身分の高い人はお金を持ち歩かないって母さんが言ってた」

 男の子は歯を剥き出して得意気にニッと笑った。

「今日はオレがおごってやるから、次はおねーちゃんがおやつくれよ」

「うん。全部キミにあげるよ」

 これほど素敵な抜け道教えてくれたお礼がお菓子ぐらいでよいなら、いくらでもあげたい。アキラが内心どれほど感謝しているか、彼は知る由もない。
 彼の無邪気な笑顔を見るとアキラの胸はややズキッと痛んだ。彼は自分が何をしたか分かっていない。彼が純粋な好意でもってアキラを手助けすること、それがウルリヒにとってどういうことになるのか。

(こんな小さな子を騙すのは罪悪感あるけど……背に腹は替えられない)

 幼い子相手に嘘はつきたくないし悲しませたくもないが、譲れないもののためには致し方あるまい。少々恨まれるくらいの覚悟は決めなければならない。

(ここに抜け道があるのは分かった。ウルリヒくんに気づかれずビシュラさんとふたりでここに来るのも、タイミング見てまたかくれんぼしようって言えば、できなくもない。問題は……)

 アキラは、並んだおやつに夢中の男の子に、ねえ、と話しかけた。

「ここって市場だよね。ここもお城みたいに門があってそこからしか外に出られないの?」

「うん。門があるよ。街の外はずーっと森と原っぱ」

(これだけ大きな街なら人の出入りは多いはず。どうにか紛れこんだり誤魔化したりして門を抜けれないかな。問題は外に出てから。ここに連れてこられるまで意識がなかったから、どれくらいの距離を移動したのか分からない。わたしとビシュラさんの足で行ける距離なのか調べなくちゃ)

 ビュウッ、と冷たい風が吹き抜け、アキラは自分の腕を摩った。天気が良く雪が降っていない日でも、この国の気候はアキラには厳しいものだ。

「さむ……」

「おねーちゃんマント置いて来ちゃったもんね。ヒトはオレたちよりもずっと寒さに弱いんだろ?」

「みたいだね。キミは寒くないの?」

「んー。全然平気」

「すごいなあ」

 男の子はポケットに隠せる程度のおやつを買った。アキラと男の子は王城の敷地内へと戻ることにした。ウルリヒからお菓子をもらえる約束のはずだが、それでも目先のおやつも欲しがるところが、実に子どもらしくて可愛いとアキラは思った。

「これはヒトじゃないか、珍しい」

 おやつを買った店先を離れてすぐに声をかけられた。
 アキラたちが振り返ると、大人の獣人。ウルリヒやルディよりは小柄だが、アキラよりは遙かに大きい。
 無論、アキラは獣人には詳しくないが、この大人の目付きには少々嫌な感じを覚えた。ウルリヒや子どもたちもそうだった物珍しさは致し方ないとしても、ジロジロと値踏みするような意図を感じた。

「ガキ。お前のか?」

「オレのじゃない」

「じゃあ捨てられたか。ヒトがひとりでフローズヴィトニルソンの城下に入るはずもないしな。捨てられたなら俺が拾っても文句は無いな」

「おねーちゃんは王子のだぞッ」

「王子のォ? 嘘を吐け。王子がヒトを飼ってるなんて話は聞いたことがない」

 獣人は鼻先をヒクヒクさせて小馬鹿にするように笑った。

「王子をダシに嘘を吐こうなんざ悪いガキだ」

 男の子は、獣人の腕がぬっと動き出したのを察知し、アキラの前に躍り出た。
 目の前に立ちはだかっても視界を覆うこともない小さな背中。これほどまでに頼りないのに自分を守ろうとする背中。嫌な予感がアキラの脳裏を掠めた。
 ――銀太ギンタもこうやって、わたしを守ろうとする。

「とにかくそのヒトは俺がもらう」

「オレはウソなんかついてないッ」

 男の子は、大人の獣人の腕を弾き返すように爪で引っ掻いた。

「痛ぇなこのガキッ」

「ダメ‼」

 獣人が腕を振り上げた瞬間、アキラはハッとした。
 男の子を抱き上げてその場から飛び退いた。すんでの所で躱しきり、獣人の腕は空を切った。

「子どもに手を上げるってこの国では当たり前のことなの、もう……ッ」

 アキラは男の子を地面に下ろし、一緒に抜け道に向かって走り出した。子どもといえどアキラよりも獣人のほうが格段に俊足だ。男の子は一息でビュンッとアキラよりも前に出た。

「逃がさねェぞ!」と獣人はアキラの腕を捕また。

「走って!」

 アキラは獣人のほうを振り返らず声を張り上げた。
 捕まってしまうことは予想できた。自分と獣人との運動能力の差を考えれば当然の結果だ。アキラの目的は自衛ではなく、男の子を逃れさせること。
 獣人はアキラの腕を引き寄せ、まじまじと観察した。

「まさかこんなところでヒトを手に入れられるとはな。なかなか目にする機会も無いのにツイてるぜ。今日からうちで可愛がってやる」

「わたしは子どもに乱暴する人は、好きじゃない」

 アキラは毅然とした態度で言い放った。

「わたしが王子のところにいるというのは本当。あまり無理矢理なことはしないほうがいい」

「お前もあのガキと同じウソか。どこかでそう言えとでも教えられたのか?」

「嘘なんかついてない……ッ」

 アキラは腕を全力で自分のほうへ引いてみるがビクともしなかった。自力でこの男を振り払うのはやはり難しそうだ。男が軽く引っ張っただけで踏み留まれず、前方へ蹌踉けてしまった。
 ガリィッ!
 獣人は手の甲に鋭い痛みが走り、咄嗟にアキラから手を離した。
 逃げ果せたはずの男の子が、大人の獣人に飛びかかっていた。爪で引っ掻いたあと、シュタッとアキラの眼前に着地した。
 アキラは男の子の肩を掴んで自分のほうへ振り向かせた。

「逃げなさい!」

「おねーちゃん置いて逃げられないよ!」

「このガキ何度も何度もッ」

 小さな勇敢さが恐ろしい。振り上げられた爪が大きく鋭いと知っていても、その身を翻しはしない勇気が。

「ダメェッ!」

 アキラは男の子を抱き締め、獣人に背中を向けて身を屈めた。瞼を閉じて力いっぱいギュッと抱き締めた。
 ガキィンッ!
 硬いものと硬いものがぶつかった音。
 しかしながら、アキラの身体には何の衝撃も無かった。

「そこまでにしておけ」

「王子!」

 男の子はアキラの胸から顔を出し、嬉しそうな声を上げた。
 アキラがゆっくりと振り返ってみると、此方に背を向けて仁王立ちになったウルリヒがそこにいた。
 ウルリヒが構えた剣の鞘が獣人の爪を防いでいた。
 獣人は王子を見てハッとして爪を引っこめた。本当に王子であるか見定めるよう、視線を上下させてジロジロと観察する。

「まさか、コイツ本当に王子の……?」

「だから言っただろ、ウソなんかついてないって!」

 男の子は獣人に向かって得意気に号した。

「俺のものを傷つけるなら、如何に我が民といえど許さんぞ」

 ウルリヒは鉄紺てつこん色の毛並みを逆立たせ、男を威嚇した。
 威圧的な獣の唸り、目線と目線とをかち合わせた独特の緊張感、堪らず男は数歩後退った。しかし、本能なのか何なのか、臨戦態勢が解けずウルリヒと対峙した。

「不埒者めが!」

 ルディが王子の斜め後ろから声を張った。
 獣人の緊張がパチンッと弾け、条件反射のように頭を下げた。

「疾く去れ! フローズヴィトニルソン王太子殿下の爪牙を恐れ敬うならば!」

 ルディに命じられ、獣人は即座に踵を返して走り出した。
 獣人の姿が見えなくなったあと、ルディがスッとウルリヒの隣に立った。

「剣をお納めください、殿下」

「すまんな、ルディ。少し熱くなってしまった」

 ウルリヒはフーッとやや長めに息を吐きつつ、鞘ごと引き抜いていた剣を腰元に差し直した。一度対峙すれば明らかに格下の相手にでも自制が弱くなるのは、種の本能であり彼の性情でもあった。
 ウルリヒはルディの手から真紅の外套コートを取った。ふぁさっと拡げてアキラを包みこんだ。しゃがみこんでアキラの顔を覗きこんだ。

「無事か? 傷は無いか?」

「うん。何とも――」

 ウルリヒは返事を聞くのも待ちきれず、アキラを抱え上げた。アキラを外套コートごとぎゅーっと抱き締めた。

「あまり、心配させてくれるな」

「……うん。ごめんね」
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