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Kapitel 05

29:獣の王子 05

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「外へ出てもよいと⁉」

 夜の散歩に出掛けた翌日、ビシュラは昼間から素っ頓狂な声を上げた。そして信じられないという表情でアキラに詰め寄った。

「ほ、本当に王子がそう仰有ったのですか? アキラさんっ」

「うん。鎖は付いたままですけどね」

 アキラはコクンと小さく頷いた。

「それに、外って言っても庭ですよ。しかもウルリヒくんも一緒がいいんだって。公務が済んだら部屋に来るって言ってました。何時頃になるのかは、言ってませんでした。なるべく急ぐとは言ってましたけど」

 アキラはビシュラの顔を横からじっと見詰める。

「ビシュラさんは空飛べます? 庭に出たらピューンと飛んで行けたりしませんか」

 ビシュラはぶんぶんぶんっと猛烈に首を左右に振った。

「飛行技術というのはとても難易度が高いのですよ。大隊長には容易いことでしょうけれど、わたしなどではとても無理です。わたしにできるのは精々浮遊程度です。学院ギムナジウムで武科コースを選択した者ならマスターしている者も多いと聞きますが、わたしは文科コース出身なので……。お役に立てず申し訳御座いません……」

 ビシュラが実に申し訳なさそうな顔をするので、アキラは何てことはないように手をふらふらと振った。

「そんな、気にしないでください。わたしも飛べないし」

「しかし外へ出られるのと出られないのとでは大違いです。もしかしたら建物の外へ出れば通信がつながるかも」

 希望が生まれたのは嬉しい。しかしながら一抹の不安がある。不安に気付くと晴れやかだったビシュラの顔は一瞬暗くなった。アキラはウルリヒからその譲歩を引き出す為に何かを支払ったのではないか。本来アキラを守るべき立場にいる自分は何もできず囚われたまま、のうのうと五体満足でいるのに自分よりも幼いアキラが何かを犠牲にしたのではないか。

「王子は……何故急にそのようなことをお許しになったのです?」

 ビシュラが尋ねてみるとアキラは深刻な表情は一切見せずただ微笑んだ。

「信用、してるんだと思いますよ、わたしたちのこと」

「……昨夜、王子と何かありましたか?」

「んー。いつも通りですよ」

 アキラが嘘をついているかどうかなどビシュラには分からない。もしも何かあったとしても穏やかに笑う、つらいことがあったとしてもそのような素振りは微塵も見せず平然と振る舞う、アキラはそのような人物であるとビシュラは思った。
 そして己の無能さを思い知らされる。三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターという特殊な環境にいるからではない、自分より遙かに強い者に囲まれているからではない、どこにいても誰と比べても、わたしは無力だ。自分の身どころかアキラすら満足に守れない。このようなわたしが何かを守れることなど本当にあるのだろうか。


 正午を若干すぎ昼食を終えた頃、タイミングを見計らったかのようにウルリヒが部屋にやって来た。横にルディを伴っていたので本当にタイミングを見計らわれさせられたのかもしれない。ウルリヒの性格ならば公務が終わればすぐさま急いでやってくるだろうから。
 ウルリヒとルディに連れられて外に出ると、空は褪せた青色でよく晴れていた。やはり息は白くなるものの今日は比較的暖かく、庭に出るには悪くない気候だ。この時、意外にもアキラとビシュラは王宮にやって来て初めて鎖から解放された。
 ウルリヒはビシュラにも外套マントを与え、アキラには甲斐甲斐しくもおてずから肩に外套マントをかけた。扱いの差こそあれ侍女だからといってぞんざいに扱うことをしない、恐らくはその獣の風貌から想像するよりもずっと心優しい人物なのだろう。ここに攫われてきてから二人は乱暴をされるどころかまるで客人のように丁重な扱いを受けている。
 ビシュラから見てもウルリヒの機嫌はとても良いように見えた。だから尚更昨夜アキラと何かあったのではないかと不安になる。

「おねーちゃん!」

 弾むような明るい声に呼ばれて振り返ると、部屋で遊んでウルリヒに吠えられた子どもたちがいた。

「あ。あのときの」

 子どもたちはあっという間にアキラとビシュラを取り囲んだ。二人はしゃがんで目線を下げ、子どもたちの頭を撫でてやった。
 鎖と枷から解放されたのはだからか、と納得した。アキラとビシュラがそうだったように、つながれている理由を子どもに理解しやすく説明するのはウルリヒにも難しいのだろう。元来、臣民に慕われる心優しい王子であるが故に。
 アキラが見上げると、ウルリヒは少し恥ずかしそうに指先で鼻の頭を掻いた。

「アキラが一緒に戯れたいかと思ってな、呼んでおいた」

「お菓子をあげるからおいでって王子が」

「コラ。それではまるで菓子に釣られたようではないか。お前たちはアキラと遊びたいから来たのだろう」

 ウルリヒに注意され、子どもたちはそうそうと笑顔を振りまく。子どもたちの顔色を見る限り、ウルリヒに怯えている感じはない。叱られた記憶が辛いものになっていなくてよかったと、アキラは安心した。

「何をして遊ぶの?」

 一人の子どもに尋ねられアキラはビシュラと顔を見合わせた。

「折角だからお庭で遊ぼうか」

 アキラはスッと立ち上がりウルリヒの顔を見上げた。

「庭、どうして迷路みたいになってるの?」

 庭には、ウルリヒの身長と同程度、アキラやビシュラの身の丈ならばすっかり隠れてしまうくらいの高さのある剪定された植木が壁となり、通路が張り巡らされている。それは迷路のように入り組んでいた。

「ヒトにとってはそうかも知れんな。だが俺たちはこの程度では迷わん。面倒になれば飛び越えるのも難は無い」

「本当に迷わない?」

 ウルリヒは当然だとでも言うように小さく頭を振った。

「じゃあかくれんぼしようよ。オニはウルリヒくんね」

「俺がオニか」

 ウルリヒの斜め後ろでルディがクスッと笑った。

「かくれんぼって知ってる?」

 アキラが尋ねると子どもたちは明るい顔で一斉に頷いた。かくれんぼは子どもたちのお気に召したようだ。ウルリヒの返答などお構いなしでアキラは駆け出した。

「目をつぶってゆっくり30数えてねー、ウルリヒくん。ずるしちゃダメだよー」

 きゃーっという子どもたちの楽しそうな甲高い笑い声。アキラとビシュラ、そして元気な獣の子どもたちはてんで散り散りバラバラ好き勝手な方向へとあれよあれよという間に散らばっていった。
 半ば呆気に取られたウルリヒの隣で、ルディは肩を震わせて声を立てないように笑った。臣民に慕われているとはいえ一国の王子が子どもたちとかくれんぼに興じる、これはなかなか稀有なことである。

「やがて国父になろうという御方が子どもたちに遊ばれているようではいけませんね。是非とも速やかに全員捕まえてください、王子」

「お前も手伝うのだぞ」

「私もかくれんぼを?」

「当然だ。お前はいつでも俺の味方だろう、ルディ」

「勿論ですとも、我が君。御所望とあらば」



 アキラとビシュラは数人の子どもたちと一緒に隠れていた。服が汚れるのも気にせずしゃがみ込んでできるだけ身を低くして植木の陰に姿を隠す。唇の前に人差し指を立て、子どもたちにしーっと静かにするように合図した。耳を澄ませてみても周囲から物音が聞こえない。ウルリヒはまだ近くに迫っていないらしい。

「隠れたって王子にはすぐに分かっちゃうよ」

 一人の子どもがそう言った。

「どうして?」

「おねーちゃんたちのニオイは俺たちと違うもん」

 アキラは両手を雪のなかに素手のまま突っ込み、手を洗うように擦り合わせた。指の間や手首まで念入りに雪で洗った後、子どもに差し出してみた。

「どう? こうしたら少しはマシ?」

 子どもはアキラの掌にマズルを寄せ、スンスンと匂いを嗅いでみた。

「うん。ニオイがうすくなった!」

「よかった。これで少しは時間が稼げるね」

 アキラが顔を見ると、ビシュラはコクッと頷いた。

「ビシュラさんも雪でニオイを消してください。かなり冷たいですけど」

「ここからはバラバラに隠れましょう。わたしとアキラさんは離れたほうがニオイが弱まるかも」

「あとは――……」




「ここかッ!」

 ガサガサッ!
 お目当てのものはそこにあると確信があったウルリヒは、勢いよく植木を両手で掻き分けた。手入れをしている庭師が見たら悲しむだろうなとルディは心のなかでは呆れていた。
 しかしながらそこにアキラの姿はなく、見覚えのある赤い外套マントだけが雪の上に脱ぎ捨ててあった。ウルリヒはそれを拾い上げた。意匠も残り香も相違ない。自分が与えたものだから見間違えようはずもない。確かにアキラのものだ。

「思いの外手こずらされておりますね、王子。アキラはなかなか賢い」

 ルディがクスッと笑い、ウルリヒは若干悔しそうな顔をした。

「たまたまだッ」

「王子の鼻は偶然誤魔化せるものではありません。これは明らかにアキラの策でしょう」

「この鼻が騙されるとはな。これは本当に植木を飛び越えていくしかないかも知れん」

「私としましては、あまり庭を荒らさないでいただきたいのですが」

「お前も協力するのではなかったのか。他人事の顔じゃないか」

「おや。もう音を上げられますか?」

「お前なあ~……」



 一人の子どもが植木の陰からそっと頭を出し、周囲の様子を窺い見た。観察したいのは言わずもがな主にウルリヒの動向だ。

「どう? ウルリヒくんこっちに来てる?」

「うーうん。おねーちゃんのマントのほうに行ったよ」

 アキラとビシュラは二手に分かれ、アキラには一人の男の子がついてきていた。

「そっか。まだマントのほうがニオイが強いのかな。あんまり保ちそうにないけど」

 雪でニオイを洗い流せるといっても一時的なものだ。首筋や腕を雪で洗う度に当然それなりに寒い思いをしなくてはならない。繰り返して風邪をひくのも避けたい。
 これからどうやり過ごそうかとアキラが考えていると、一緒についてきた男の子から「こっちこっち」と呼ばれた。そちらを振り返ると、男の子はある一点を指差してアキラを手招きしていた。

「こっちから外に出れるんだよ」

「外?」

「庭の外」

 その言葉を聞いてドキッと胸が高鳴った。しかしながらあからさまに喜ぶわけにはいかない。喜んでいることを悟られてはいけない。アキラは思わず上擦りそうな声を抑制し、表情を保ち、努めて平静を装う。

「庭の外には何があるの?」

「庭の外はもうお城の外だよ」

 王城の外だと聞いてアキラは人知れず生唾を嚥下した。何も知らないような顔をして手招きされるままに近付いていく振りをする。

「王宮の出入り口は遠いしイチイチ大人に言わないと通れないからさ、オレたちは抜け道を通って外に出て遊んだりおやつ買ったりしてるんだ」

 昨夜ウルリヒと夜の散歩に出た際に昼間の庭も見てみたいと言ったが、それはアキラでは夜目が利かず庭の全貌を見渡せなかったからであり、何もここまでの収穫を期待してウルリヒに願ったわけではない。これは予想以上の成果だ。想定外の朗報だ。突然差した希望の光、飛び付きたい衝動を我慢して希望より確実なものにしなければならない。きっとこれから先もチャンスはそう多くはない。ウルリヒは親切で丁重にもてなしてくれるが、ウルリヒ自身もそれ以上にルディも、自分たちを解放する気はさらさらないということは分かりきっている。だから与えられたチャンスを少しも無駄にせず最大限に活かす必要がある。

「あ、王子にはナイショな。大人に見付かると塞がれちゃうから」

「勿論、ナイショにするよ」
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