ゾルダーテン ――美女と野獣な上下関係ファンタジー物語

花閂

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Kapitel 05

獣の王子 05

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「外へ出てもよいと⁉」

 アキラがウルリヒに誘われて夜の散歩に出掛けた翌日。
 ビシュラは昼間から素っ頓狂な声を上げた。信じられないという表情でアキラに詰め寄った。

「ほ、本当に殿下がそう仰有ったのですか」

 アキラはコクンッと頷いた。

「外って言っても庭ですよ。しかも、ウルリヒくんも一緒がいいって。公務が済んだら部屋に来るってことですけど、何時頃になるのかは言ってませんでした。なるべく急ぐとは言ってましたけど」

 何があったらそのような寛大な許可を取りつけられるのか。ビシュラはやや茫然としてしまった。

「ビシュラさんはティエンみたいに空を飛べますか? 庭に出たらピューンと飛んで行けたりしませんか」

 ビシュラはぶんぶんぶんっと猛烈に首を左右に振った。

「飛行技術というのは、とても難易度が高いのです。大隊長には容易いことでしょうけれど、わたしの技術ではとても無理です。わたしにできるのは精々、浮遊程度です。お役に立てず申し訳ございません……」

 ビシュラはしゅんと肩を落として実に申し訳なさそうにする。
 アキラは何てことはないように両手をフラフラと振った。

「そんな、ちょっと思い付きで言ってみただけなので気にしないでください。わたしも飛べないし」

「しかし、外へ出られるのと出られないのとでは大違いです。建物の外へ出れば通信がつながる可能性があります」

 希望が生まれたのは嬉しい。しかし、一抹の不安があった。不安に気づくと晴れやかだったビシュラの顔は一瞬暗くなった。
 アキラはウルリヒからその譲歩を引き出すために対価を支払ったのではないか。本来アキラを守るべき自分は何もできずのうのうと五体満足でいるのに、自分よりも幼いアキラが何かを犠牲にしたのではないか。

「殿下は、何故急にそのようなことをお許しになったのですか」

 アキラは、うーん、と宙を眺めた。

「信用、してるんだと思います、わたしたちのこと」

「……昨夜、殿下と何かありましたか?」

「んー。いつも通りですよ」

「いつも通りとは?」

「可愛らしいとか、好きとか、欲しいものがあればくれる、とか。だからビシュラさんと庭に出てみたいって言ってみました」

 ビシュラにはアキラが嘘をついているか判断できなかった。もしも何かあったとしても穏やかに笑う、つらいことがあったとしてもそのような素振りは微塵も見せず平然と振る舞う、アキラはそのような人物であるとビシュラは思った。
 自分の無能さを思い知らされる。三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターという特殊な環境にいるからではない。自分より遙かに強い者に囲まれているからではない。どこにいても誰と比べても、自分は無力だ。このような自分が何かを守れることなど、あるのだろうか。


 正午を若干すぎ昼食を終えた頃。
 ウルリヒはタイミングを見計らったかのように部屋にやって来た。横にルディを伴っていたので、本当に彼にタイミングを見計らわれさせられたのかもしれない。ウルリヒの性格ならば公務が終わればすぐさま急いでやってくるだろうから。
 アキラとビシュラは、ウルリヒとルディに連れられて庭園に出た。この時、意外にもアキラとビシュラは王宮にやって来て初めて鎖から解放された。
 空は褪せた青色でよく晴れていた。やはり息は白くなるものの今日は比較的暖かく、庭園に出るには悪くない天候だ。
 ウルリヒはビシュラにも外套コートを与え、アキラには甲斐甲斐しくも御手ずから肩に外套コートをかけてやった。扱いの差こそあれ侍女だからといってぞんざいに扱うことをしない、その獣の風貌から想像するよりもずっと心優しい人物だ。アキラとビシュラは、この国に攫われてきてから乱暴をされるどころか賓客同然の丁重な扱いを受けている。
 ビシュラから見てもウルリヒの機嫌はとても良いように見えた。だから尚更、昨夜アキラと何かあったのではないかと不安になった。

「おねーちゃん!」

 弾むような明るい声が聞こえた。
 アキラとビシュラが振り向くと、部屋に遊びに来た獣人の子どもたちがいた。
 子どもたちはあっという間にアキラとビシュラを取り囲んだ。ふたりはしゃがんで目線を下げ、子どもたちの頭を撫でてやった。
 鎖と枷から解放されたのはだからか、と納得した。アキラとビシュラがそうだったように、つながれている理由を子どもたちに説明するのはウルリヒにも難しかったに違いない。元来、臣民に慕われる心優しい王子であるが故に。
 アキラが見上げると、ウルリヒは少し恥ずかしそうに指先で鼻の頭を掻いた。

「アキラが一緒に戯れたいかと思ってな、呼んでおいた」

「お菓子をあげるからおいでって王子が」

「コラ。それではまるで菓子に釣られたようではないか。お前たちはアキラと遊びたいから来たのだろう」

 ウルリヒに注意され、子どもたちはそうそうとケラケラと笑った。子どもたちの顔色を見る限り、ウルリヒに怯える様子はない。叱られた記憶がつらいものになっていなくてよかったと、アキラは安心した。

「ねーねー。何して遊ぶの?」

 ひとりの子どもに尋ねられ、アキラはビシュラと顔を見合わせた。

「せっかくだからお庭で遊ぼうか」

 アキラはスッと立ち上がってウルリヒの顔を見上げた。

「お庭、どうして迷路みたいになってるの?」

 庭園には、ウルリヒの身長と同程度、アキラやビシュラの身の丈ならばすっかり隠れてしまうくらいの、剪定された植木がある。それが壁となって通路が張り巡らされており、迷路のように入り組んでいた。

「ヒトにはそう見えるか。俺たちはこの程度では迷わん。面倒になれば飛び越えるのも難は無い」

「本当に迷わない?」

 ウルリヒは、当然だとでも言うように、うんと頭を上下に振った。

「じゃあ、かくれんぼしよ。オニはウルリヒくんね」

「俺がオニか」

 王族をこうも容易く子どもの遊びに駆り出そうとは。ルディがウルリヒの斜め後ろでクスッと笑った。

「かくれんぼって知ってる?」

 アキラが尋ねると、子どもたちは明るい顔で一斉に頷いた。
 かくれんぼは子どもたちのお気に召したようだ。ウルリヒの返答などお構いなしでアキラは駆け出した。

「目をつぶってゆっくり100数えてねー。ズルしちゃダメだよー、ウルリヒくん」

 キャーッと、子どもたちは楽しそうな笑い声を上げた。アキラとビシュラ、元気な獣人の子どもたちは、てんで散り散りバラバラ好き勝手な方向へと、あれよあれよという間に散らばっていった。
 半ば呆気に取られたウルリヒの隣で、ルディは肩を震わせて声を立てないように笑った。臣民に慕われているとはいえ一国の王子が、子どもたちとかくれんぼに興じる、これはなかなか稀有なことである。

「やがて国父になろうという御方が、子どもたちに遊ばれているようではいけませんね。是非とも速やかに全員捕まえてくださいませ、王子殿下」

「お前も手伝うのだぞ」

「私もかくれんぼを?」

「当然だ。お前はいつでも俺の味方だろう、ルディ」

「勿論ですとも、我が君。御所望とあらば」


 アキラとビシュラは数人の子どもたちと一緒に隠れていた。
 服が汚れるのも気にせずしゃがみこんで、できるだけ身を低くして植木の陰に姿を隠した。唇の前に人差し指を立て、子どもたちにシーッと静かにするように合図した。子どもたちは自分の口を押さえてクスクスと笑った。
 耳を澄ませたが周囲から物音は聞こえない。ウルリヒはまだ近くに迫っていないらしい。

「隠れたって王子にはすぐに分かっちゃうよ」

 ひとりの子どもがそう言った。

「どうして?」

「おねーちゃんたちのニオイは俺たちと違うもん」

(ニオイ――……。そっか。ウルリヒくん、感情までニオイで判るようなこと言ってた)

 アキラは素手のままの両手を、足許の雪のなかにズボッと突っこんだ。手を洗うように擦り合わせ、指の間や手首まで念入りに雪で洗ったあと、子どもに差し出してみた。

「どう? こうしたら少しはニオイ消えない?」

 子どもはアキラの手の平にマズルを寄せ、スンスンと匂いを嗅いでみた。

「うん。ニオイがうすくなった!」

「よかった。これで少しは時間が稼げるかも」

 アキラはビシュラのほうへ顔を向け、ビシュラはコクッと頷いた。

「ビシュラさんも雪でニオイを消してください。かなり冷たいですけど」

「ここからはバラバラに隠れましょう。わたしとアキラさんは離れたほうがニオイが弱まるかも」

「あとは――……」


「ここかッ!」

 ガサガサッ! ――ウルリヒは勢いよく植木を両手で掻き分けた。
 ルディは、手入れをしている庭師が見たら悲しむだろうなと胸中で惘れた。
 しかしながら、そこにお目当てのアキラの姿はなく、見覚えのある赤い外套コートだけが雪の上に残されていた。
 ウルリヒはそれを拾い上げた。意匠も残り香も相違ない。自分が与えたものだから見間違えようはずもない。確かにアキラのものだ。
 囮にまんまと引っかかったのだとすぐに気づいた。

「思いの外手こずらされておりますね、殿下」

 ルディがクスッと笑い、ウルリヒは若干悔しそうな顔をした。
 これまでにウルリヒが発見した子どもたちは、ルディの傍でキャハキャハと笑った。

「たまたまだッ」

 ウルリヒはグッとアキラの外套を握り締めた。

「これは明らかに殿下の鼻を誤魔化すためのレディの策でしょう。なかなか賢い」

「ぬう……。これは本当に植木を飛び越えてゆくしかないかもしれん」

「私としましては、あまり庭を荒らさないでいただきたいのですが」

「お前も協力するのではなかったのか。他人事の顔じゃないか」

「おやおや。然様でしたね」


 ひとりの子どもが植木の陰からそっと頭を出し、周囲の様子を窺い見た。観察したいのは言わずもがな主にウルリヒの動向だ。

「どう? ウルリヒくんこっちに来てる?」

「うーうん。おねーちゃんのマントのほうに行ったよ」

 アキラとビシュラは二手に分かれた。アキラにはひとりの男の子がついてきた。ほかの子どもたちは好き勝手に隠れた。

「そっか。まだマントのほうがニオイが強いのかな。あんまり保ちそうにないけど」

 雪でニオイを洗い流せるといっても一時的なものだ。首筋や腕を雪で洗う度に、それなりに寒い思いをしなくてはならない。繰り返して風邪をひくのも避けたい。
 アキラがこれからどうやり過ごそうかと思案していると、一緒についてきた男の子から「こっちこっち」と呼ばれた。そちらを振り返ると、男の子はアキラを手招きして或る一点を指差した。

「こっちから外に出られるんだよ」

「外?」

「庭の外」

 アキラはその言葉を聞いてドキッと胸が高鳴った。
 しかしながら、あからさまに喜ぶわけにはいかない。喜んでいることを悟られてはいけない。アキラは思わず上擦りそうな声を抑制し、表情を保ち、努めて平静を装う。

「お庭の外には、何があるの?」

「庭の外はもうお城の外だよ」

 アキラは人知れず生唾を嚥下した。何も知らないような顔をし、手招きされるままに近づいてゆく振りをする。

「お城の出入り口は遠いし、イチイチ大人に言わないと通れないからさ、オレたちは抜け道を通って、外に出て遊んだりおやつ買ったりしてるんだ」

 昨夜、アキラはウルリヒに昼間の庭園を見たいと願った。それはアキラでは夜目が利かず庭の全貌を見渡せなかったからだ。何もここまでの収穫を期待して願ったわけではない。
 これは予想以上の成果だ。想定外の朗報だ。突然差した希望の光。飛びつきたい衝動を我慢し、不確かな希望より確実なものにしなければならない。きっとこれから先もチャンスはそう多くはない。
 ウルリヒは親切で丁重にもてなしてくれるが、ウルリヒ自身もそれ以上にルディも、自分たちを解放するつもりはないことは分かりきっている。だから、与えられたチャンスを少しも無駄にせず最大限に活かす必要がある。

「王子にはナイショだぞ。大人に見つかると塞がれちゃうから」

「勿論。絶対ナイショにするよ」
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