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Kapitel 04

04:初任務 04

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 日が暮れ、星が遠くに瞬き始める頃合い。
 ヴァルトラム、フェイ、ビシュラは身分を隠して街の中心部近くのホテルに宿泊していた。年季の入ったこぢんまりとしたホテル、その一部屋に集まり、三人きりの成果報告会。とはいえ三人しかいないので畏まったものではなく、小さな丸テーブルを囲んで座談会のような体だ。ヴァルトラムに至っては、開け放った出窓に腰掛けて外を眺めている。報告や共有は緋の業務とはいえ、そもそも参加する気さえないのではないかと疑ってしまう。
 近所に酒場でもあるのか、窓を開けている所為で、夜風に乗って楽しげな笑い声が聞こえてくる。まだ宵の口だというのにこれほど賑やかなのは南の街の陽気さ故だろうか。

「で、何か気付いたことはあったか? ビシュラ」

 ヴァルトラムの態度には慣れっこの緋は、気にせずビシュラと話を進める。ビシュラはふるふるっと首を左右に振った。

「特に注視すべきところは見付かりませんでした。と、報告するしか御座いません」

「こっちも似たようなものだ」

 緋は肩を竦めて見せた。

「立て続けに若い女が消えるなんて誘拐団か何かだろうと思ったが、今日当たったホテルにも短期アパルトマンにもそれらしい連中が潜伏しているような形跡はなし」

 そう、最近この街では妙齢の娘が忽然と姿を消す事件が続いているのだ。
 小さな街ではないから行方不明者や駆け落ち話の一つや二つは珍しくはない。だが一定の期間を挟んで連続する、しかもが跡形もなく消えてしまうというのは少々妙な話だ。恋人がいる者もいればいない者もおり、既婚者もいれば独身者もおり、親兄弟円満健在の者もいれば天涯孤独の者もおり、借金や良くない噂がある者もいれば無い者もおり、貧しい者もいれば富める者もおり、器量好しもいれば性悪もおり、美人もいれば不美人もいる。兎にも角にも多種多様な、或る意味節操のない人選だが、共通しているのは妙齢の娘ということ。このように不可解な点が多い事件が続いている為、実のところ何が起こっているのか調査してほしい、というのがマコック少佐の旧知にして先祖代々親交のあるフレーゲル領主からの依頼だ。

「今日のところは特にめぼしい情報は無しか。初日から進展があるとヤル気も出るんだがな」

「お役に立てず申し訳ございません」

「気にするな。今日の成果はそこまで期待していない。領主への挨拶の前に本格的に動くわけにもいかないしな」

 しゅん、と肩を落とすビシュラの背を緋はパンパンと叩いた。

「ビシュラは充分役に立っている。お前の見目は相手を警戒させない。普通の若い娘として街に溶け込める」

「それはわたしが全然兵士らしくないからで……」

「アタシじゃそうはいかない」

「フェイさんはとても美人だと、思うのですが?」

 緋に「ハハッ」と笑って流され、ビシュラはやや首を傾げる。

(御世辞や冗談じゃないのに)

 緋は兵士であることを差し引いてもあまりある美人だと、ビシュラは初対面の時から思っている。妖しく切れ長の目、凛として端正な顔立ち。見栄えのする長身で手足はすらりと伸び、豊満なバストにくびれた腰、引き締まったヒップも男の目を引かないわけが無い。男所帯の三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターで紅一点の艶花であるはずなのに、当の本人はそのようなことは気にもしていないという様子だ。更にビシュラが見る限り、ヴァルトラムも緋を女性という視線で見ていない。

「領主に会わねェと仕事は進みそうにねェってことか。いつ会いに行くんだ?」

「明日の夜だ。歓待を兼ねてディナーを御一緒に、というお誘いだ」

「面倒臭ェ」

 ヴァルトラムは天井を仰いで息を吐いた。ヴァルトラムの言葉を聞いてビシュラは「えーっ!」と声を上げた。

「領主さまのディナーですよ? どうして嫌なのですか? あんなに大きな御屋敷なのですからきっと室内も煌びやかで豪華ですよ。そこでディナーをいただけるなんて素敵です✨」

 ヴァルトラムは無言でじっとビシュラを見て、緋はプッと笑った。

「ミーハーだな、ビシュラ」

「そっ、そのようなことは!」

「メシなんざどこで食ったって同じだろうが」

「女心が分からない歩兵長は黙っててくれ」

 緋は「さて」と言って椅子から立ち上がった。

「歩兵長はいつまでここにいるつもりなんだ? もう用は無いなら自分の部屋に行ってくれ。アタシたちは早く休みたいんだが」

「俺もこの部屋を使う」

「断る」

 緋の返答は早かった。眉間に皺を寄せて心から嫌そうな表情をしている。ビシュラはその返答に一瞬遅れて、だが可能な限り素早く緋の背後に隠れた。

「経費は下りるっていうのに何が楽しくて上官と同じ部屋で寝泊まりしなきゃいけないんだ」

「なら俺の部屋にビシュラを寄越せ」

「巫山戯ろ。任務中だぞ。盛ってんじゃねえ」

 緋ほどの実力となると腕尽くでねじ伏せることも難しく、しかしながらヴァルトラムの話力で説得することなど到底不可能。ヴァルトラムは隣の自室へと引っ込むしかなかった。


 翌日。
 ビシュラは昨日と同じように街を見て歩く。昨日は主に市場内を見て回ったが今日は市場の外縁エリアを巡ることにした。酒場やバー、レストランの看板が多いからこの通りはどちらかと言うと夜のほうが殊更に賑わうのだろうと推察される。しかし日中でも開店している小さな商店がポツポツと点在しており、市場ほど犇めき合うわけではないけれど人通りは多い。

(あ。フルーツ屋さん。やっぱり暖かい地域のほうがフルーツ美味しそうです)

 ビシュラは青果店の前で足を停めた。店先に並ぶ瑞々しいフルーツを覗き込む。陽光を受けて表面がキラキラと光っており、手に取らずとも芳醇な香りが漂ってくる。
 当然のことながら店主らしきお婆さんに「いらっしゃい」と声をかけられた。買うつもりがあったわけでは無いけれど無視をするのも感じが悪いから、ビシュラは笑顔を返した。するとお婆さんは気さくに話しかけてきた。

「お嬢ちゃん、見ない顔だね。最近越してきたのかい? それとも旅の人かい?」

「はい。観光です」

「観光? こんな何も無い街に? 余所の人から見て何か面白いものがあるかね」

「色々ありますよ。市場は賑やかでしたし、街も綺麗で素敵ですね。この辺りはお休み以外の日もこのように人が多いのですか?」

「そうだね、大体こんなもんだよ。まあ、飲み屋街だから多いのは飲んだくれさ」

 そう言ってお婆さんは「あっはっは」と盛大に笑った。やはり南の地方は比較的陽気な人が多いように思う。
 そのような明るいお婆さんが急に少々真剣そうな面持ちに変化した。

「ああ、でも最近は物騒だからあまり夜に出歩いたりするもんじゃないよ」

「え?」

「旅行者なら知らないだろうが最近はよく人攫いが出るんだ。お嬢ちゃんみたいな若い女の子ばかり攫われるんだよ。可哀想に」

「人攫いですか……。それは酷い話ですね」

 それが恐らく、領主からの依頼の事件。一般人にも噂になる程度には不安を与えているらしい。

(領主さまがエインヘリヤルのツテを頼むほどの事件ですから、一般の方が詳しく知っているとは思えません。ですがわたしの仕事は情報収集ですし、一応伺ってみたほうがよいでしょうか)

 ビシュラは素知らぬ顔を作り、フルーツを手に取ってみた。何も知らない観光客が待っていましたとばかりに話題に飛び付くわけにはいかないしどうしたものか。

「それは熟れてて食べ頃だよ。観光っていうと、お嬢ちゃんはどこから来たんだい?」

「わたしはイーダフェルトの……」

「へえ、姉ちゃんそんな都会から来たのか」

 自分に声をかけられているのか定かではなかったが、ビシュラはつい振り返ってしまった。知らない男が二人……ばっちり目が合ったので話しかけている相手は自分で合っているらしい。ビシュラはきょとんとしてやや首を傾げた。

「道理でこの辺で見ねェ垢抜けてる姉ちゃんだと思ったぜ」

「俺たちこの街には詳しいからよ、面白ェところ案内してやるよ」

 ビシュラは深々と頭を下げた。

「御親切にありがとうございます。ですが、わたしはもう少々散策してみたいので折角ですが遠慮させていただきます」

「そんなつれないこと言うなよ。旅先での親切は受けとくもんだ」

「しかし一人で色々と見てみたいものもありますし」

 男はビシュラの腕を捕まえた。反射的に引き戻そうとしたが一般人相手とは言え、ビシュラの腕力では敵わない。

「手を、離していただけますか?」

「強引なのはおよしよ。お嬢ちゃんは断ってるじゃないか」

「うるせえババアッ」

「おばあさんに失礼ですよ。乱暴な言葉はいけません」

 ビシュラは少々ムッとして男を叱るような目付きで見た。

「そんなカリカリすんなよ。楽しいとこ連れてってやるからよ」

「離してください。わたしは忙しいのです」

「忙しいって観光だろ?」

「観光なら俺たちが付き合ってやるからさー」

 力尽くでグイッと手を引かれ、ビシュラは踏み留まることができず足が二、三歩続いてしまう。

「アンタたちいい加減におし! 人を呼ぶよ!」

「うっせえな! ババアは店番してなッ」

 男はお婆さんをドンッと突き飛ばした。お婆さんはその場に尻餅をついて転げてしまった。

「あなたたち、やめっ……!」

 パシュッ。
 男の手が何者かに叩き落とされ、ビシュラの腕から離れた。
 割って入ったのは緋。いつの間にか緋とヴァルトラムの二人がすぐ近くに立っていた。一般人がこの二人に敵うはずがない。絶対的な安堵から、ビシュラはつい微かな笑みを漏らしてしまった。

「モテなくて必死になってる男は見ていられないな。見苦しい」

 緋は男たちの顔を横目にフッと嘲弄した。

「あ? テメエ何すッ……!」

 ヴァルトラムは緋に詰め寄ろうとした男の胸倉を掴んで片手で高々と持ち上げ、言葉を遮った。首が絞まり、男は足をバタバタと動かしている。眼前で大の男が赤子のように持ち上げられてしまい、ぽかんとするビシュラ。ビシュラとはたと目が合った瞬間、ヴァルトラムは口を開いた。

「オメエ、バカじゃ――」

 どすっ!
 ビシュラに何かを言いかけたヴァルトラムの脇腹に緋の肘打ちが入った。無関係を装う為に何も言うなという意味であろう。
 緋はヴァルトラムのほうを振り返りもせず、お婆さんを助け起こした。

「怪我はありませんか、フラウ」

「あ、ありがとうよ」

 ヴァルトラムが突然手を離し、男はドサッと地面に落ちた。直ぐさま体勢を立て直し、拳を握る。

「なっ、何なんだ、テメー等!」

「あァ?」

「やめとけ歩兵長。相手は一般人だぞ。暇潰しにもならないだろ」

「イヤ、暇潰しくらいにはなるかも知んねェぞ」

 男はポケットからナイフを取り出し、フーッフーッと逆上した猫のような息をしながら血走った目でヴァルトラムを見る。刃物をちらつかせられて身構えるどころか、ヴァルトラムと緋は狼狽もしなかった。
 緋が「はーっ」と大きな溜息を吐いた瞬間、男はヴァルトラムに向かって踏み込んできた。
 パキィンッ。
 男が突き出したナイフの刀身をヴァルトラムが小突くと、見事に真っ二つに折れて飛び散った。常人離れした動体視力に鋼鉄の肉体を持つヴァルトラムにとっては造作も無いことだ。

「ひっ……ひぃい!」

 男たちは手に残されたナイフの柄部分もその場に放り投げ、人目も憚らず悲鳴を上げて走り去ってしまった。

「やっぱつまんねェな」

「期待するだけ無駄だろう」

 一段落した次の瞬間、ザザッと足音が聞こえた。ビシュラに駆け寄る気配。ヴァルトラムがその人物に掴み掛かろうとする寸前に緋はその人物を見定めた。そして瞬時にヴァルトラムの服を捕まえて制止した。

「御怪我はありませんか、お嬢さんフロイライン

 ハニーブロンドに色白碧眼の紳士然とした青年がビシュラに心配そうに声をかけた。
 一目で分かる上等の仕立てのスーツに身を包み、顔立ちも身形もかなり良い。年頃の娘ならば心配そうに覗き込まれただけで頬を染めてしまうだろう。緋はこの人物に見覚えがあった。直接の面識はなく紙の上のみだけれども。

「怪我はわたしはどこも」

「それはよかった」

 青年はホッとして人心地ついた様子で表情を緩めた。

「あなたは旅の方ですか?」

「あ、はい」

「恐い思いをさせてしまって大変申し訳ない」

 見ず知らずの男が狼藉を働いたことでなぜこの人が詫びるのだろう、とビシュラはやや首を傾げる。

「私の父は領主をしています。街のパトロールを強化するように伝えておきます」

(あ! あああ~~っ!)

 ビシュラは脳内で絶叫した。ビシュラも今回の任務に就くに当たり書面上で顔と名前は見知っていたはずなのに気が動転していたか、事前情報などインプットしたつもりで抜け落ちていたか、完全に失念していた。明らかに上流階級という出で立ちのこの青年の人相は領主の一人息子その人だ。
 青年はくるっと緋とヴァルトラムのほうに体を向けた。

「旅の方の危ないところを助けていただきありがとうございます」

「あなたは領主の御子息リュメル氏か」

 緋に名前まで言い当てられ、青年は少々不思議そうな表情を見せた。

「そうですが、あなた方は……?」

 緋はスッと会釈程度に頭を下げた。

「御父上がマコック少佐を介して招喚した者、と言えばお分かりですか。今夜、正式な御挨拶に伺う予定です。自己紹介はまたそのときに」

「ああ、あなた方が……。ええ、父から聞いています。軍装ではいらっしゃらないので気がつきませんでした。これは失礼を」

「軍服では街中で目立ってしまいますので。こちらこそ騒ぎを起こして申し訳ない」

 青年はビシュラのほうに向き直り、懐から名刺入れを取り出した。そして名刺を一枚差し出した。

お嬢さんフロイライン、何かあればすぐに警察隊へいらっしゃい。相談に来た者を無碍にしたりなどしないと思いますが、何か困ったらこれを見せるといい」

「ありがとうございます」

 それではお気を付けて、と甘い笑顔で言い残し、青年は颯爽と去って行ってしまった。
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