ゾルダーテン ――美女と野獣な上下関係ファンタジー物語

花閂

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Kapitel 05

清閑たる日々 01

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 非番の日。
 ビシュラとヴァルトラムは、訓練場に停車したヴァルトラムの車輌で待ち合わせた。
 本日のふたりの服装は、普段とは少々趣が異なる。端的に言えば余所行きの装いだった。とは言っても目的は近郊の街への観光。普段の仕事着よりも幾分か小綺麗という程度で、そこまでめかしこんだ服装ではなかった。
 フェイとマクシミリアンが、出発するビシュラとヴァルトラムを車輌まで見送ってくれた。

「歩兵長が車を出してくれて良かったな、ビシュラ」

「フェイさんにもお土産を買ってきますね」

「アタシのことは気にするな。楽しんでこい。観光に来たと思って一日二日ゆっくりしてこい」

「とんでもない。夜には戻ります」

 真面目なビシュラはフルフルと首を左右に振り、緋は笑顔でビシュラの肩をポンポンと叩いた。

「ビシュラ」とヴァルトラムが車輌の傍から呼び、こっちへ来いと手招きした。

「はい。ヴァリイさま」

 ビシュラは返事をして小走りに駆け寄った。

(ヴァリイさま??)

 耳慣れない言葉を聞いて緋とマクシミリアンは顔を見合わせた。
 未だかつてヴァルトラムをそう呼ぶことを許された者がいただろうか。否、いるはずがない。あのような恐ろしい生き物を愛称で呼ぼうなどと思う者はいなかった。

「晴れても外は寒ィぞ。イーダフェルトとは違う。覚悟しとけ」

「ヴァリイさまのコートがあるので平気ですよ」

「それがありゃあ大丈夫だろうが、オメエは弱ェからな」

「ヴァリイさまが異様に寒さにお強いのです。こちらへおいでになってからもどなたよりも薄着でいらっしゃるではないですか」

 ヴァルトラムが車輌に乗りこむと車体が沈んだ。続いてビシュラが乗りこもうとステップに足を掛けたところで、肩にポンと手が置かれて引き留められた。
 ビシュラは後ろを振り向いた。

「呼び方、変えたのか?」と緋。

「ええ。歩兵長が、街では歩兵長と呼ばないほうがよいと。軍人だとバレてしまうから」

「へぇー……歩兵長が」

 それを聞いた緋とマクシミリアンは、何か言いたげな表情になった。
 車内のヴァルトラムから「早く来い」と急かされ、ビシュラはふたりにペコッと頭を下げた。トントントン、と軽やかにステップを登った。その足取りから余程楽しみなのだろうなと想像できる。

(ほかの隊員にはそんなこと言ったことないクセに。軍人だとバレようと気にするタマか)

(あの歩兵長がそんなこと言うとは。こんな純朴娘、今まで扱ったことねェから、いろいろと構うのが楽しいんだろな~)

 緋もマクシミリアンもそれ以上は何も言わず、ビシュラとヴァルトラムを送り出した。


 領主の城のひとつ・ヴィンテリヒブルクから最も近い都市は、この近辺では最も規模が大きく栄えている。イーダフェルトほど高層の建造物は多くないが、街中を車輌が多く走り、マーケットは人でごった返し、中央都市に劣らない賑わいを見せる。この北の大地では、束の間の晴れ間に人出が集中するから余計に人通りが多いのかもしれない。
 ヴァルトラムの車輌は、街の中心部近くの駐車場に停車した。一般車両ばかりの街中の車道を通るには彼の車は大きすぎる。
 ヴァルトラムとビシュラは駐車場から表通りに出てきた。ビシュラはキョロッと周辺を見回した。通りにはいくつもの露天商が出ており、食べ物のみならず服飾や靴、古本や雑貨などさまざまなものが並ぶ。
 初めてこの地を訪れるビシュラには、すべてが目新しく新鮮。ひとつひとつを物珍しそうに眺めては足を止める。大抵の露天商の店主は愛想が良いものだから、会話が弾むと、そこでしばし足止めされてしまう。

「あ。名物の碧包子です✨」

 ビシュラは湯気が立ち上る一軒の露天商を指差した。確かに店の傍に立つのぼりに「碧包子」と書いてある。
 ビシュラはヴァルトラムに先んじて露天商にタタタッと小走りで寄っていった。
 ヴァルトラムはゆったりした歩みでビシュラに追いついた。ビシュラの頭上から露天商を覗きこんだ。
 蒸籠の上に並んだ碧色の包子。白い湯気が上がり、吐き出す息さえ白い寒空では、殊更に美味しそうに見えるものだ。それにまんまと誘われたのがビシュラだ。
 ビシュラは露天商の店主と愛想良く言葉を交わし、金銭と包子を交換した。それから、ウキウキした顔でヴァルトラムを見上げた。

「ヴァリイさまの分も買いましょうか?」

「俺ァこれでいい」

 ヴァルトラムは、包子を持つビシュラの手首を掴まえた。自分の口へと持って行き、湯気が立ち上る丸い包子にかぶりついた。

(半分くらいは食べられてしまいました💧)

 ヴァルトラムの一口は大きい。分け前が大いに減ってしまった。ビシュラは内心ガッカリしつつも、だからもう一つ買おうかと言ったのに、とは口に出さなかった。

「いかがです?」

「普通だ」

 ヴァルトラムが御世辞や時と場合など考慮してくれるはずがない。店先で訊くものではなかったと、ビシュラは苦笑しながら自分も包子に食いついた。
 お味の感想はヴァルトラムの言うとおり、至って普通だった。しかし、見た目は綺麗だし旅先の名物なので及第点をあげよう。

「オメエは名物だったり菓子だったり、食いモンに弱ェな」

「人を食いしん坊のように仰有らないでください」

 ビシュラは頬を膨らましてプイッとそっぽを向いた。
 実に子どもっぽい仕草。それを見てヴァルトラムはクックッと肩を揺すって笑った。

「で、次はどこへ行きてぇ? オメエは何が欲しいんだ?」

「フェイさんへのお土産を買いたいです。アキラさんにも何か買いたいですが、食べ物は気をつけなくてはいけませんし、そもそも大隊長の奥方さまになられる方に一体何を差し上げたらよいのでしょうか」

「ンなモンはあとだ。オメエが行きてぇところはねェのか。街に来たかったんだろ」

「初めて来るところなので、どこでも楽しいです」

 ビシュラはヴァルトラムを見上げてニッコリと微笑んだ。遠慮ではなく本気で言っている目だと、ヴァルトラムには分かった。なんと楽しませ甲斐の無い。

「ヴァリイさまはいらっしゃりたい場所はおありではないのですか? ヴィンテリヒブルク城へは過去に何度かお邪魔しているのでしたね。この街へお越しになるのも初めてではないのでしょうか」

「俺の行きてぇトコなあ」

「どこへでもお供いたしますよ」

 おそらくビシュラは浮かれているのだろうなと、ヴァルトラムは思った。普段なら用事を作るか物で釣るかしないと近寄ってこない癖に、今日はやたらと友好的だ。もしかしたら、歩兵長ではなく愛称で呼ばせていることが功を奏しているのかもしれない。悪くないな、とヴァルトラムは思った。


 ヴァルトラムはビシュラに先んじて歩いた。ビシュラはその速度に置いていかれないように早足で付いてゆく。
 すれ違う人々が皆、ヴァルトラムをジロジロと見ていることにビシュラは気づいた。2メートル超の巨体は人並みから頭が飛び出ていて只でさえ目立つ。よく見ると上等の服を着ているものだから、一体何者だろうと厭が応にも注目を集めた。ヴァルトラムは服装に拘る男ではない。服が上等なのは、背丈がある上に筋肉質だから既製品では合うサイズを見つけるのが難しく、オーダーメイドが多くなってしまうというのが理由だ。

(こんなに人が多い街中でもヴァリイさまは目立ちますね。観測所やエインヘリヤルでは有名人なので不思議ではなかったですが、歩兵長のことをご存知ない方々からも注目を集めてしまうようです)

 ビシュラがハッと気づくと、ヴァルトラムとは数メートルの距離が空いていた。のんびりと考え事をしている場合ではない。ヴァルトラムは歩くのが速い。インターバルの差が大きいから、ビシュラは常に早歩きをしないと置いていかれてしまう。

 ヴァルトラムはビシュラに何を告げることもなく、とある建物へと入った。その足取りに迷いはまったくなかった。最初から此処を目指していたと思われる。
 ビシュラは屋内に入ってやっとこの建物が何なのか分かった。此処は百貨店だ。高級そうな品々が隅々まで整頓してディスプレイされ、高い天井から大きなシャンデリアが吊り下がり、建物内は実に煌びやかだ。
 礼儀正しい販売員たちは微笑みを湛え、こんにちは、いらっしゃいませ、と頭を下げた。

「ヴァリイさま。どうしてここへ?」

「オメエに要るものを買いに来た。まずはコートだな」

「わたしの?」

 ヴァルトラムが足を止め、ビシュラはようやく隣に追いついた。
 ヴァルトラムはビシュラの鎖骨の上辺りを指でトントンと叩いた。

「いつまでも俺のブカブカのコートを着とくわけにゃいかねェだろうが。買ってやるから好きなのを選べ」

 ビシュラは首をブンブンッと猛烈に左右に振った。

「結構です結構です! 自分で買いますッ」

「ここにゃオメエに買えるモンなんざねェ、安月給」

「安月ッ……」

 ガーンッ! ――ビシュラはショックを受けた。
 確かに大隊で二番目に偉い歩兵隊長殿の給金と比べれば、しがない一隊員のそれなど雀の涙。周知の事実だが、面と向かって言われるとは思わなかった。

 ヴァルトラムは吝嗇家ではない。最初は女性物のコートが見たいと百貨店の販売員に告げた。それだけだったはずなのに、ヴァルトラムは出てきた物見せられた物は何でも買うと言う。風体はやや粗野だが、販売員にとっては非常に気前の良い上客だった。
 お陰でヴァルトラムとビシュラの周りには、販売員お勧めの品がズラリと並べられてしまった。最初に見繕われたコートもビシュラの給金丸々一月分はする高価な物だというのに、さらにコートに合わせたブーツやストール、ハンドバッグを携えた販売員に、ビシュラは取り囲まれた。

「こちらのなめし革の品質は最高級でございます」

「ご覧ください、この見事な金刺繍。城にも献上するほどの逸品でして」

「もう結構です! もう結構です~ッ」

 ビシュラは首と両手をブンブンッと左右に振って販売員たちの勧めを必死に断る。

「いいじゃねェか。そのストール見せろ」

「ヴァリイさま!」とビシュラは眉をやや吊り上げた。

「ヴァリイさまは金銭感覚に難のある御方だとフェイさんから伺っております。散財は控えられたほうがよろしいかと」

「自分のオンナにモノ買ってやって何が悪ィ。女にゃ色んなモンが要ンだろ」

「こういうものは贅沢品です。必ず要るものではありません」

「? 洋服や宝石なんかは、女は好きじゃねェか」

「好き嫌いの話ではなく、必ずしも買う必要のないものだと申し上げているのです。確かにそういうものを欲しがる女性はいるでしょうけれど、わたしには必要のないものです」

 ヴァルトラムには、ビシュラが眉を吊り上げて自分を叱る理由が分からなかった。ヴァルトラムの知っている女はみな、欲しいものを買ってやれば例外なく喜んだ。高価であればあるほど飛び上がって喜んだ。礼を言われたことはあっても叱られたことなど、これまでに一度もなかった。

「じゃあオメエの欲しいものは何だ? オメエの欲しいものを買ってやる」

「どうしてすぐ買い与えようとなさるのですか。わたしは別に欲しいものなど」

 はあ~、とビシュラは眉を八の字に引き下げて溜息を吐いた。
 そこへ黒いスーツにタイを締めた老紳士が現れた。ピンと真っ直ぐに伸びた背筋は見栄え良く、その手にはジュエリートレイを構える。トレイの上には、豪奢な宝石が乗ったリングやネックレス、黄金のブレスレットが並ぶ。

「こちらのジュエリーなど御嬢様によくお似合いかと存じます」

「も、もう持ってこないでください💦」

 ビシュラは反射的に勧めを断った。
 しかしながら、老紳士販売員が手に持つトレイに目を留めた。そのまま惹きつけられるように一点をジーッと見詰めた。

「欲しいのか?」

「ま、まさか。宝石ですよ」

「そんなに熱心に見るっつーことは欲しいんじゃねェのか」

「いえ、そうではなくて。この石、ヴァリイさまの瞳と同じ色だなと思いまして」

 これには珍しくヴァルトラムのほうが虚を突かれた。
 ビシュラはヴァルトラムの瞳を覗きこんでニコッと微笑んだ。

「ヴァリイさまのスマラークトの瞳、とてもキレイだと思います」

 ビシュラはくるりとヴァルトラムに背を向けた。
 先ほどのストールやハンドバッグを勧めてくれた販売員たちに、丁重に断りを入れた。それが仕事とはいえ似合うと言って勧めてくれるのはありがたいが、どれもこれもビシュラが気が引けてしまうほどに高価すぎる。

「如何でしょう、お客様」

 老紳士販売員から改めて声をかけられ、ヴァルトラムは差し出されたベルベッドのジュエリートレイに目を落とした。ビシュラが「同じ色」と言った宝石は、すぐに分かった。大粒の翠玉のピアスだ。台座に飾りが少なく、石そのものの存在感を際立たせている。
 そういうものかと思って眺めてみても実感が湧かなかった。毎朝鏡で自分の顔を見るが、ヴァルトラムにとっては瞳の色など髭の伸び具合よりもどうでもよいことだ。

「とても色が深く一筋の瑕も無い最高クオリティの石です。これほどの品はイーダフェルトにもなかなかございませんよ。こちらの翠玉スマラークトは、お連れ様の黒髪にはさぞかし見事に映えるかと」

 ヴァルトラムはクッと笑った。

「ジジイ。商売上手だな」


  § § § § §


 ビシュラとヴァルトラムは、やり手の販売員から代わる代わる品物を勧められ、結局、当初の目的のコート以外にもさまざまなものを購入することとなった。
 いよいよ支払いをする段となり、販売員はヴァルトラムに伝票を差し出した。ヴァルトラムは額面を見て少々の躊躇も無く懐から財布を取り出した。対照的に、ビシュラは不安げな表情でヴァルトラムを見た。

「一体いかほどに……?」

「なに蒼褪めてやがんだ。オメエに払えなんざ言わねェぞ」

「コートの弁償もしていないのに、このようにたくさんのものを買っていただくわけには」

「弁償なんざ要らねェっつってんだろうが」

「そういうわけには――」

「全員その場から動くんじゃねェ!」

 突如、フロアに男の大声が響いた。
 ビシュラは一体何事かと声のほうを振り向いた。
 数人の男たちがフロアの入り口から走りこんできた。全員覆面で顔を隠し、手には拳銃。
 ――拳銃⁉
 ビシュラがその危険物に気づいた頃には、すでにヴァルトラムに抱え上げられていた。ヴァルトラムはディスプレイケースの陰に飛びこんだ。ビシュラを腕のなかに囲んで庇い、その頭を押さえこんで姿勢を低くさせた。
 ズババババババッ!
 けたたましい銃声がフロアに鳴り響いた。
 天井のシャンデリアが被弾し、硝子の欠片が粉々に飛び散って降り注いだ。主たる照明が消えて薄暗くなったフロアを男女入り交じった悲鳴がした。

「オラァッ! 金と宝石をこのなかに詰めろッ」

「うるせえ! 泣いてるヒマがあったら手を動かせ! 妙な真似したら撃ち殺すぞッ」

 ――これは、この情況は、もしかしなくとも……!
 武装にしても要求にしても、考え至る結論はたったひとつ。ビシュラは蒼褪めた顔面でヴァルトラムの衣服を握り締めた。

「ど、どうしましょう、強盗です!」

「どうもこうもねェ。強盗なら欲しいモンが手に入りゃ勝手に出て行くだろ」

 この情況下でもヴァルトラムはヴァルトラムであった。武装した強盗団と遭遇しても動揺は一切なく、落ち着き払っていた。運悪く厄介事に巻きこまれたなと嘆息を漏らす程度。

「このまま隠れているのですか?」

「強盗の相手なんざ警察隊に任しとけ。それがヤツらの仕事だ。俺の仕事は強盗を捕まえることじゃねェ。仕事でもねェのにンなことしてやる義理はねェ」

 ですが……、と言いかけてビシュラは呑みこんだ。
 ヴァルトラムの言っていることは一理ある。兵士とは言え休暇中、ほぼ丸腰で武装強盗団に立ち向かうのは良策とは言えない。無闇に交戦すれば返り討ちに遭うことも想定できる。一般人に被害を出してしまうリスクもある。そう考えると、警察隊の到着を待ったほうがよいように思えた。
 しかしながら、義理はないから、任務ではないから、という理由で眼前の悪行を看過するのは、本当に正しい意思決定といえるだろうか。ビシュラは答えを出しかねた。此処で自分が信じられる決定を下すには、経験も度胸も圧倒的に不足していた。

「ケガはねェか」

 う~ん、とビシュラが考え倦ねているところにヴァルトラムから尋ねられた。はい、と答えた矢先、頬や顎にチクリと鋭い痛み。

「あ。切れてる」

 ビシュラが自分で箇所に触れてみると血が出ていた。シャンデリアの欠片が頭上で飛び散った際に、小さな欠片を浴びたのかもしれない。
 白い肌に赤い雫が浮いたのを見た途端、ヴァルトラムの表情がにわかに険しくなった。いきなりスッと立ち上がった。
 ガラスの雨から身を守るため、もしくは強盗団の視界から隠れるために、ディスプレイケースの裏に潜んでいたのではないのか。

「ぶち殺してくる」

 なんですって、とビシュラが聞き返す前に、ヴァルトラムはスタスタと歩き出した。武装強盗団目指して驀地まっしぐら
 ビシュラは驚いてディスプレイケースの上にヒョコッと顔を出した。

「えッえッ? えええ~⁉ 危険ですヴァリイさまッ」
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