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Kapitel 05
蒼髪の姫君 01
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緋とビシュラは、アキラの様子を確認するために天尊の部屋へと日参、その後それぞれの職務をこなすというスケジュールを数日繰り返した。
ビシュラたちとアキラは、自分たちの世界についてあまり真剣ではないお喋りを交わしたり、おやつや軽食で食べられるものを確認したりなどしながら、互いの為人を知っていった。
アキラはまったく自分のことができないというわけでもなければ、話の通じない子どもでもない。緋もビシュラもアキラに手を焼かされることはまったくなかった。ビシュラはアキラの許へ日参することを楽しんでさえいた。
ヴィンテリヒブルク城・訓練場。
此処には大隊がこの北の大地まで乗ってきた乗り物が停車してある。
ビシュラはふと、そのなかの一台に車輪の無い荷台を見つけた。前の車に牽引される荷台、反重力装置を作動させて地面から浮く仕組みだ。停車中に荷台が接地するのは何ら不思議なことではないが、訓練場の床に引き摺った跡が残っているのが気になった。
「あ。マクシミリアンさん」
ビシュラは、丁度通りかかったマクシミリアンを呼びとめた。
よお、とマクシミリアンは軽く手を上げてビシュラのほうへ近寄った。
「あの車、反重力装置の出力をもう少し上げたほうがよろしいのでは。故障ですか?」
「あれで出力全開だよ」
「えッ。あんなに沈むなんて、何を積んでいるのですか?」
「歩兵長の戦闘用ブーツだ」
「ブーツ⁉」
マクシミリアンはハハハッと笑った。大隊は男ばかりであり、ビシュラのように若い娘の驚いた反応は新鮮だった。
「歩兵長が常用してるブーツでも並の男じゃ持ち上げるのも一苦労な重さだが、戦闘用のブーツは特殊装甲の超重量だ。歩兵長以外には扱えたモンじゃない」
ビシュラは口を半開きにして唖然となった。
そもそも、反重力装置とは重量の大きなものを運搬するために利用される。その限界を超える荷重のものを人が扱うなど考えたこともない。それも一瞬が生死を分かつ戦闘でだ。
「何故そんなに重たいものをお使いになるんですか? 動きにくいのでは……」
「歩兵長に重さなんて関係ねェよ。手持ちの得物が無くなったときに代わりを探すより蹴り殺すほうが手っ取り早ェだろ」
マクシミリアンはなんてことはないように話したが、ビシュラは頭がクラクラした。
常識を越えている。此処ではそれが当たり前なのだ。ヴァルトラムは当たり前のように常識を超越した力を発揮する。
訓練場の中央辺りでは、ヴァルトラムと緋とが何かを話していた。
ヴァルトラムがピクッと何かを感じ取って顔を上げた。
「ビシュラのヤツァ、訓練なんかしねェクセにこんなところで何してやがる」
緋はヴァルトラムの目線の延長線上を辿り、マクシミリアンとビシュラを見つけた。この訓練場の広い空間で、男たちの汗や体臭も混じるなか、ビシュラのにおいを嗅ぎ取るなど、やはりヴァルトラムは恐るべき嗅覚の持ち主だ。
「歩兵隊のような訓練はなくとも忙しくやってるさ。トラジロとのつなぎ、騎士団との調整役、怪我したヤツの手当もやってくれてる。アキラも気に懸けなきゃならない。よく働いてるよ」
「ああ、大隊長の女か。ガキのお守りだろ。アイツもつまんねェことやらせやがる」
「アキラの世話をすることはビシュラにとってはいいことだと思う」
ヴァルトラムには緋の意見は理解できなかった。片方の目を大きくして「どういうことだ」と訊ねた。
「文官上がりが戦闘や訓練じゃ物の数に入らないことは当然だし、アタシたちも期待なんてしちゃいない。だが、ビシュラはそれにコンプレックスを感じている。みんなが当然のようにやることを自分ひとりだけができないんだ。そういうことに肩身を狭く感じるのさ、あの子は。大隊長の役に立てるのは、やり甲斐があるだろう」
「アイツの役に、なァ」
ヴァルトラムは独り言をひとつ零して黙った。
緋はヴァルトラムをジーッと観察した。何を考えているか分からないことが多い男だが、緋にはたったひとつ分かることがあった。
ビシュラが天尊に従順であればあるほど、天尊がビシュラに構えば構うほど、ヴァルトラムは機嫌が悪くなる。ビシュラが上官に従順であるのも、大隊長である天尊が経験の浅い女性隊員を気にかけてやるのも、至極当たり前のことではあるが。
「ビシュラじゃ実際にアンタの役に立つのは難しい。大隊長に張り合うぐらいだったら、一言必要だと言ってやれ。それが引っ張ってきた張本人の、最低限のフォローだ」
ヴァルトラムは緋のほうへ目線を向け、分からないという表情をした。
「張り合うって何だ」
「張り合っていないつもりか?」
「だから何のことだ?」
(無自覚か。おもしろ……いや、面倒臭いな)
「一言言うも何も、要らねェんだったらわざわざ引っ張ってくるわけねェだろうが」
ヴァルトラムはさも当然という風に放言した。
緋はその態度に少々イラッとし、ハッと鼻先で笑い飛ばした。せっかく、したくもないアドバイスをしてやったというのに、それがアドバイスだと気づきもしない鈍感だ。
「言わなきゃ分かるもんか。アンタの頭の中身なんか誰も分かっちゃくれないよ。自分のことをマトモだとでも勘違いしているのか」
緋はヴァルトラムをシッシッと手で払った。
兎にも角にもビシュラのほうへ行けという意味だ。この男に言葉で説明して理解させるのは早々に諦めた。
ヴァルトラムは緋の胸中などまったく以て理解しなかったが、億劫そうに足を動かした。
ビシュラ、と名前を呼ばれ、マクシミリアンと話していたビシュラは、声のほうを振り向いた。
マクシミリアンはヴァルトラムを見るなり、気を利かせてスッと気配を消してビシュラから離れた。空気の読めるデキる男である。こうでなくては長年、歩兵長を支えることはできない。
お疲れ様です歩兵長、とビシュラは頭を下げた。
「今日はガキのお守りは終わったのか」
「アキラさんのことですか? そのような言い方をなさると大隊長からお叱りを受けますよ」
「上等だ」
ビシュラは、はあ、と溜息を吐いた。
トラジロから聞いたとおり、ヴァルトラムは天尊が本気になればなるほど歓喜する奇特な人物だ。
「本日はこれから大隊長が訓練場にお越しになる予定です。アキラさんも御一緒なさるそうです。くれぐれも、大隊長の前ではお気をつけください」
「アイツァ今までガキにベッタリだったクセに急にどうした」
「フェイさんが、そろそろ大隊長にも訓練に参加していただなくては困ると。騎士団の皆様は大隊長に御指導いただくことを、首を長くして待っていらっしゃるそうですね」
「…………」
はたと、ビシュラはヴァルトラムの双眸が真っ直ぐに自分に向けられていることに気づいた。何か気に障るようなことを言っただろうか、何か間違えただろうか、と一巡してみても心当たりはなかった。そもそも、ヴァルトラムは無言で無表情であり、それはいつものこと。特段、怒っている様子はない。
ビシュラはヴァルトラムの顔を見上げてきょとんとする。
「……歩兵長? わたしが何か?」
「ビシュラ。オメエ……」
「お疲れ様です大隊長!」
ヴァルトラムが何かを言いかけた矢先、訓練場内に男たちの揃った声が響いた。
彼らの唯一無二の大隊長、天尊が訓練場に姿を現した。三本爪飛竜騎兵大隊の隊員ばかりでなく、グローセノルデンの騎士団たちもにわかに浮き足立った。
ヴァルトラムはスッとビシュラから視線を外した。ビシュラに何も告げず、天尊のほうへ歩いて行ってしまった。
ビシュラはヴァルトラムの後ろ姿を見ながら首を傾げた。
(歩兵長。いま、何か仰有りかけたような?)
訓練場の床には、赤いラインによって区切られた複数個の正方形が描かれている。正方形の一辺は5メートル程度。赤いライン上に垂直に牆壁が出現して外界と遮断されたリングとなる。
そのリング内のひとつでは、天尊とヴァルトラムが対戦していた。ふたりにとっては軽く身体を動かす程度だが、それを目で追える者は多くはない。訓練場でトレーニングに励んでいた者たちはみな、手を止めた。あっという間に、大隊とグローセノルデン騎士団とが入り乱れたギャラリーで人垣が出来上がった。
ビシュラと緋は、アキラの両脇に立って天尊とヴァルトラムのトレーニングを見守った。
「ティエンも真面目にトレーニングするんだ」
アキラの独り言を聞き、緋とビシュラは顔を見合わせた。それはふたりの予想外にものだった。
「大隊長はお忙しい方ですが、必要なトレーニングは欠かされませんよ?」
「ティエンが忙しい?? 人に仕事を押しつけたりとか、サボったりとか、ずる休みとか、してませんか?」
「め、滅相もない!」
アキラとビシュラの会話を横で聞いていた緋は、アッハハハと声を上げて笑った。
「大隊長はお前の前では随分と怠け者みたいだな」
「ティエンがお仕事してるってあんまりイメージできなくて。弟を迎えに行ったり遊び相手になってくれたりは、よくしてくれますけど」
「へぇ。まるでマトモな男みたいだな」
(こっちではマトモなことしてないって意味、かな)
「ビシュラ准尉」と騎士団のひとりから声をかけられ、ビシュラは振り向いた。ひとりに返事をしたが最後、次から次に騎士団に話しかけられて囲まれてしまった。
「ああ、見つけられてよかった。探してたんですよ」
「どうかなさいましたか」
「怪我の手当をお願いしてもいいですか」
「俺も是非とも聞いていただきたい話がありまして」
「ヴァルトラム大尉殿にご相談いただきたいことがあるのですが」
「はい、できるだけ早くに。勿論、のちほど伺います。歩兵長のお時間があるときにお伝えしておきますね」
「昨日ご相談いただいた飛竜の飼料についてですが、手配はこのようにすればよろしいでしょうか」
「はい。騎兵長から詳細を伺っております。それについては――」
騎士団たちは矢継ぎ早にさまざまな話題を切り出した。ビシュラは彼らと迅速かつ丁寧に遣り取りを交わす。
それを見たアキラは、背伸びして緋に小声で耳打ちする。
「ビシュラさんは忙しい人なんですね」
「あの子はうちでは珍しいタイプなんだ。だからああやって頼られる」
三本爪飛竜騎兵大隊にも騎士団にも女性は珍しい。特にビシュラのように若くて純真そうな娘など稀少だ。彼らが何かと用を見つけてはビシュラに構いたくなる気持ちは、緋も分からないでもない。
アキラは突然、手がスッと持ち上げられてビックリした。いつの間にか騎士団のひとりが、アキラの手に自分の手を添えていた。
「可愛らしいお嬢さん。フェイ中尉かビシュラ准尉の縁者の方ですか」
アキラは不意な出来事に半歩後退った。メタルメイルを身に着けた金髪青年など、映画か御伽話のなかでしか見たことがない。実際に目の前で動いて喋り、触れてくるなど完全に予想外だ。
「アタシたちじゃない。大隊長の縁者だ」
「ではニーズヘクルメギルの姫で在られる? これはお嬢さんなどと大変失礼を。よろしければご紹介いただけますか、フェイ中尉」
「この子は大隊長の――」
ズドン!
一発の銃弾が壁を穿った。
その場にいた全員がピタッと静まり返った。
銃弾を放ったのはヴァルトラム。天尊は横目でヴァルトラムを睨んだ。
「オイ。アキラにかすりでもしたら殺すぞ」
「当ててねェだろうが」
天尊とヴァルトラムは揃って、三人の女性を取り囲む男たちに睨みを利かせた。
緋は彼らの眼光を見てすぐさま事態を推察した。先ほどの銃弾は誤射などではない、威嚇射撃だ。
ヴァルトラムは長い銃身を肩に乗せて不敵にニタリと笑った。
「テメエら、こっちに来い。相手してやるァ」
続いて天尊も、アキラの手を取る金髪のメタルメイルを指差した。
「そこの金髪のお前。お前は俺が面倒を見てやる」
「ソイツの隣のテメエとテメエ。それとそこのテメエもだ。ウチのモンもいやがるな。莫迦が。全員逃げるなよ」
どさくさに紛れて粉をかけようとした大隊の隊員たちも蒼褪めた。隊員だからこそ大隊長と歩兵隊長の恐ろしさを、身を以て知っている。
緋はふたりの思惑に察しが付いたが停めることはしなかった。大方、アキラとビシュラが男たちに取り巻かれている様が、自分のものを横取りされたようで気に入らなかったのだろう。動機は何であれ、大隊の最大級戦力である大隊長と歩兵隊長が、揃い踏みで手ずから相手をしてくださるのだから、騎士団との訓練という目的も果たせる。当初の想定よりも少々荒っぽいことになるだろうけれど。
ビシュラたちとアキラは、自分たちの世界についてあまり真剣ではないお喋りを交わしたり、おやつや軽食で食べられるものを確認したりなどしながら、互いの為人を知っていった。
アキラはまったく自分のことができないというわけでもなければ、話の通じない子どもでもない。緋もビシュラもアキラに手を焼かされることはまったくなかった。ビシュラはアキラの許へ日参することを楽しんでさえいた。
ヴィンテリヒブルク城・訓練場。
此処には大隊がこの北の大地まで乗ってきた乗り物が停車してある。
ビシュラはふと、そのなかの一台に車輪の無い荷台を見つけた。前の車に牽引される荷台、反重力装置を作動させて地面から浮く仕組みだ。停車中に荷台が接地するのは何ら不思議なことではないが、訓練場の床に引き摺った跡が残っているのが気になった。
「あ。マクシミリアンさん」
ビシュラは、丁度通りかかったマクシミリアンを呼びとめた。
よお、とマクシミリアンは軽く手を上げてビシュラのほうへ近寄った。
「あの車、反重力装置の出力をもう少し上げたほうがよろしいのでは。故障ですか?」
「あれで出力全開だよ」
「えッ。あんなに沈むなんて、何を積んでいるのですか?」
「歩兵長の戦闘用ブーツだ」
「ブーツ⁉」
マクシミリアンはハハハッと笑った。大隊は男ばかりであり、ビシュラのように若い娘の驚いた反応は新鮮だった。
「歩兵長が常用してるブーツでも並の男じゃ持ち上げるのも一苦労な重さだが、戦闘用のブーツは特殊装甲の超重量だ。歩兵長以外には扱えたモンじゃない」
ビシュラは口を半開きにして唖然となった。
そもそも、反重力装置とは重量の大きなものを運搬するために利用される。その限界を超える荷重のものを人が扱うなど考えたこともない。それも一瞬が生死を分かつ戦闘でだ。
「何故そんなに重たいものをお使いになるんですか? 動きにくいのでは……」
「歩兵長に重さなんて関係ねェよ。手持ちの得物が無くなったときに代わりを探すより蹴り殺すほうが手っ取り早ェだろ」
マクシミリアンはなんてことはないように話したが、ビシュラは頭がクラクラした。
常識を越えている。此処ではそれが当たり前なのだ。ヴァルトラムは当たり前のように常識を超越した力を発揮する。
訓練場の中央辺りでは、ヴァルトラムと緋とが何かを話していた。
ヴァルトラムがピクッと何かを感じ取って顔を上げた。
「ビシュラのヤツァ、訓練なんかしねェクセにこんなところで何してやがる」
緋はヴァルトラムの目線の延長線上を辿り、マクシミリアンとビシュラを見つけた。この訓練場の広い空間で、男たちの汗や体臭も混じるなか、ビシュラのにおいを嗅ぎ取るなど、やはりヴァルトラムは恐るべき嗅覚の持ち主だ。
「歩兵隊のような訓練はなくとも忙しくやってるさ。トラジロとのつなぎ、騎士団との調整役、怪我したヤツの手当もやってくれてる。アキラも気に懸けなきゃならない。よく働いてるよ」
「ああ、大隊長の女か。ガキのお守りだろ。アイツもつまんねェことやらせやがる」
「アキラの世話をすることはビシュラにとってはいいことだと思う」
ヴァルトラムには緋の意見は理解できなかった。片方の目を大きくして「どういうことだ」と訊ねた。
「文官上がりが戦闘や訓練じゃ物の数に入らないことは当然だし、アタシたちも期待なんてしちゃいない。だが、ビシュラはそれにコンプレックスを感じている。みんなが当然のようにやることを自分ひとりだけができないんだ。そういうことに肩身を狭く感じるのさ、あの子は。大隊長の役に立てるのは、やり甲斐があるだろう」
「アイツの役に、なァ」
ヴァルトラムは独り言をひとつ零して黙った。
緋はヴァルトラムをジーッと観察した。何を考えているか分からないことが多い男だが、緋にはたったひとつ分かることがあった。
ビシュラが天尊に従順であればあるほど、天尊がビシュラに構えば構うほど、ヴァルトラムは機嫌が悪くなる。ビシュラが上官に従順であるのも、大隊長である天尊が経験の浅い女性隊員を気にかけてやるのも、至極当たり前のことではあるが。
「ビシュラじゃ実際にアンタの役に立つのは難しい。大隊長に張り合うぐらいだったら、一言必要だと言ってやれ。それが引っ張ってきた張本人の、最低限のフォローだ」
ヴァルトラムは緋のほうへ目線を向け、分からないという表情をした。
「張り合うって何だ」
「張り合っていないつもりか?」
「だから何のことだ?」
(無自覚か。おもしろ……いや、面倒臭いな)
「一言言うも何も、要らねェんだったらわざわざ引っ張ってくるわけねェだろうが」
ヴァルトラムはさも当然という風に放言した。
緋はその態度に少々イラッとし、ハッと鼻先で笑い飛ばした。せっかく、したくもないアドバイスをしてやったというのに、それがアドバイスだと気づきもしない鈍感だ。
「言わなきゃ分かるもんか。アンタの頭の中身なんか誰も分かっちゃくれないよ。自分のことをマトモだとでも勘違いしているのか」
緋はヴァルトラムをシッシッと手で払った。
兎にも角にもビシュラのほうへ行けという意味だ。この男に言葉で説明して理解させるのは早々に諦めた。
ヴァルトラムは緋の胸中などまったく以て理解しなかったが、億劫そうに足を動かした。
ビシュラ、と名前を呼ばれ、マクシミリアンと話していたビシュラは、声のほうを振り向いた。
マクシミリアンはヴァルトラムを見るなり、気を利かせてスッと気配を消してビシュラから離れた。空気の読めるデキる男である。こうでなくては長年、歩兵長を支えることはできない。
お疲れ様です歩兵長、とビシュラは頭を下げた。
「今日はガキのお守りは終わったのか」
「アキラさんのことですか? そのような言い方をなさると大隊長からお叱りを受けますよ」
「上等だ」
ビシュラは、はあ、と溜息を吐いた。
トラジロから聞いたとおり、ヴァルトラムは天尊が本気になればなるほど歓喜する奇特な人物だ。
「本日はこれから大隊長が訓練場にお越しになる予定です。アキラさんも御一緒なさるそうです。くれぐれも、大隊長の前ではお気をつけください」
「アイツァ今までガキにベッタリだったクセに急にどうした」
「フェイさんが、そろそろ大隊長にも訓練に参加していただなくては困ると。騎士団の皆様は大隊長に御指導いただくことを、首を長くして待っていらっしゃるそうですね」
「…………」
はたと、ビシュラはヴァルトラムの双眸が真っ直ぐに自分に向けられていることに気づいた。何か気に障るようなことを言っただろうか、何か間違えただろうか、と一巡してみても心当たりはなかった。そもそも、ヴァルトラムは無言で無表情であり、それはいつものこと。特段、怒っている様子はない。
ビシュラはヴァルトラムの顔を見上げてきょとんとする。
「……歩兵長? わたしが何か?」
「ビシュラ。オメエ……」
「お疲れ様です大隊長!」
ヴァルトラムが何かを言いかけた矢先、訓練場内に男たちの揃った声が響いた。
彼らの唯一無二の大隊長、天尊が訓練場に姿を現した。三本爪飛竜騎兵大隊の隊員ばかりでなく、グローセノルデンの騎士団たちもにわかに浮き足立った。
ヴァルトラムはスッとビシュラから視線を外した。ビシュラに何も告げず、天尊のほうへ歩いて行ってしまった。
ビシュラはヴァルトラムの後ろ姿を見ながら首を傾げた。
(歩兵長。いま、何か仰有りかけたような?)
訓練場の床には、赤いラインによって区切られた複数個の正方形が描かれている。正方形の一辺は5メートル程度。赤いライン上に垂直に牆壁が出現して外界と遮断されたリングとなる。
そのリング内のひとつでは、天尊とヴァルトラムが対戦していた。ふたりにとっては軽く身体を動かす程度だが、それを目で追える者は多くはない。訓練場でトレーニングに励んでいた者たちはみな、手を止めた。あっという間に、大隊とグローセノルデン騎士団とが入り乱れたギャラリーで人垣が出来上がった。
ビシュラと緋は、アキラの両脇に立って天尊とヴァルトラムのトレーニングを見守った。
「ティエンも真面目にトレーニングするんだ」
アキラの独り言を聞き、緋とビシュラは顔を見合わせた。それはふたりの予想外にものだった。
「大隊長はお忙しい方ですが、必要なトレーニングは欠かされませんよ?」
「ティエンが忙しい?? 人に仕事を押しつけたりとか、サボったりとか、ずる休みとか、してませんか?」
「め、滅相もない!」
アキラとビシュラの会話を横で聞いていた緋は、アッハハハと声を上げて笑った。
「大隊長はお前の前では随分と怠け者みたいだな」
「ティエンがお仕事してるってあんまりイメージできなくて。弟を迎えに行ったり遊び相手になってくれたりは、よくしてくれますけど」
「へぇ。まるでマトモな男みたいだな」
(こっちではマトモなことしてないって意味、かな)
「ビシュラ准尉」と騎士団のひとりから声をかけられ、ビシュラは振り向いた。ひとりに返事をしたが最後、次から次に騎士団に話しかけられて囲まれてしまった。
「ああ、見つけられてよかった。探してたんですよ」
「どうかなさいましたか」
「怪我の手当をお願いしてもいいですか」
「俺も是非とも聞いていただきたい話がありまして」
「ヴァルトラム大尉殿にご相談いただきたいことがあるのですが」
「はい、できるだけ早くに。勿論、のちほど伺います。歩兵長のお時間があるときにお伝えしておきますね」
「昨日ご相談いただいた飛竜の飼料についてですが、手配はこのようにすればよろしいでしょうか」
「はい。騎兵長から詳細を伺っております。それについては――」
騎士団たちは矢継ぎ早にさまざまな話題を切り出した。ビシュラは彼らと迅速かつ丁寧に遣り取りを交わす。
それを見たアキラは、背伸びして緋に小声で耳打ちする。
「ビシュラさんは忙しい人なんですね」
「あの子はうちでは珍しいタイプなんだ。だからああやって頼られる」
三本爪飛竜騎兵大隊にも騎士団にも女性は珍しい。特にビシュラのように若くて純真そうな娘など稀少だ。彼らが何かと用を見つけてはビシュラに構いたくなる気持ちは、緋も分からないでもない。
アキラは突然、手がスッと持ち上げられてビックリした。いつの間にか騎士団のひとりが、アキラの手に自分の手を添えていた。
「可愛らしいお嬢さん。フェイ中尉かビシュラ准尉の縁者の方ですか」
アキラは不意な出来事に半歩後退った。メタルメイルを身に着けた金髪青年など、映画か御伽話のなかでしか見たことがない。実際に目の前で動いて喋り、触れてくるなど完全に予想外だ。
「アタシたちじゃない。大隊長の縁者だ」
「ではニーズヘクルメギルの姫で在られる? これはお嬢さんなどと大変失礼を。よろしければご紹介いただけますか、フェイ中尉」
「この子は大隊長の――」
ズドン!
一発の銃弾が壁を穿った。
その場にいた全員がピタッと静まり返った。
銃弾を放ったのはヴァルトラム。天尊は横目でヴァルトラムを睨んだ。
「オイ。アキラにかすりでもしたら殺すぞ」
「当ててねェだろうが」
天尊とヴァルトラムは揃って、三人の女性を取り囲む男たちに睨みを利かせた。
緋は彼らの眼光を見てすぐさま事態を推察した。先ほどの銃弾は誤射などではない、威嚇射撃だ。
ヴァルトラムは長い銃身を肩に乗せて不敵にニタリと笑った。
「テメエら、こっちに来い。相手してやるァ」
続いて天尊も、アキラの手を取る金髪のメタルメイルを指差した。
「そこの金髪のお前。お前は俺が面倒を見てやる」
「ソイツの隣のテメエとテメエ。それとそこのテメエもだ。ウチのモンもいやがるな。莫迦が。全員逃げるなよ」
どさくさに紛れて粉をかけようとした大隊の隊員たちも蒼褪めた。隊員だからこそ大隊長と歩兵隊長の恐ろしさを、身を以て知っている。
緋はふたりの思惑に察しが付いたが停めることはしなかった。大方、アキラとビシュラが男たちに取り巻かれている様が、自分のものを横取りされたようで気に入らなかったのだろう。動機は何であれ、大隊の最大級戦力である大隊長と歩兵隊長が、揃い踏みで手ずから相手をしてくださるのだから、騎士団との訓練という目的も果たせる。当初の想定よりも少々荒っぽいことになるだろうけれど。
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