上 下
31 / 90
Kapitel 05

07:ヴィンテリヒブルクの姫君 01

しおりを挟む

 訓練場の床には、赤いラインによって区切られた複数個の正方形が描かれていた。正方形の一辺は5メートル程度である。赤いライン上に垂直に〝壁〟が出現して外界と遮断されたリングとなる。
 そのリング内の一つでは、天尊ティエンゾンとグローセノルデン騎士団が入り乱れたギャラリーで人垣が出来上がった。
 ビシュラとフェイはアキラの両脇に立って対戦を眺めていた。

「ティエンでも真面目にトレーニング、やるんですね」

 アキラから予想外の発言が出て、緋とビシュラは顔を見合わせた。

「大隊長はお忙しい方なのでなかなかお時間が取れませんが、必要なトレーニングは欠かされませんよ?」

「楽なトレーニングだけやってる、とかじゃないですか?」

「そのようなことはないと、思いますが……」

 アキラの言葉にビシュラは首を傾げた。緋はあっははと声を上げて笑った。

「お前が知ってる大隊長は随分と怠け者みたいだな」

「家にいるときは大体ソファに寝てるかタバコを吸ってるか弟と遊んでるかなので」

「へぇ。まるでマトモな男みたいだ」

(こっちではマトモなことしてないって意味なのかなあ)

 三人が会話をしている最中、ビシュラは騎士団員に声をかけられた。振り返って返事をしたが最後、次々と数人の騎士団員に話しかけられ囲まれてしまった。

「ビシュラ准尉、来てくれて良かった。今日は来ないのかと思っていました」

「どうかなさいましたか?」

「怪我の手当をお願いしてもいいですか」

「俺も是非とも聞いていただきたい話がありまして」

「ヴァルトラム大尉殿にお話ししていただきたいことがあるのですが」

「はい、なるべく早くに。勿論伺います。後でになるかと思いますが歩兵長のお時間があるときにお伝えしておきますね」

「ご相談いただいた飛竜の飼料についてですが手配はどのようにしましょう?」

「はい。騎兵長から詳細を伺っております。それについては――」

 矢継ぎ早に様々な話題を切り出す団員たち。ビシュラは彼等と迅速かつ丁寧に遣り取りを交わしている。
 アキラは背伸びして緋に小声で耳打ちする。

「ビシュラさんって忙しい人なんですね」

「ここに来てからは特にな」

 三本爪飛竜騎兵大隊にも騎士団にも女性は珍しい。特にビシュラのように若くて純真そうな娘など武官には少ない。彼等が何かと用を見付けてはビシュラに構いたくなる気持ちは分からないでもない。相手がビシュラでなくてもよい話、ビシュラでは返答できない話であってもビシュラに持ちかけたいのだ。
 緋と話していると、アキラの手がスッと持ち上げられた。騎士団の一人がアキラの手に自分の掌を添えていた。

「愛らしいお嬢さんフロイライン。フェイ中尉かビシュラ准尉の縁者の方ですか?」

 不意なことだったからアキラは半歩後退ってしまった。メタルメイルの金髪青年など映画か御伽話のなかでしか見たことがない。実際に目の前で動いて喋り、触れてくるなど想定外だ。

「アタシたちじゃない。大隊長の縁者だ」

「ではニーズヘクルメギルの姫で在られる? これはお嬢さんフロイラインなどと大変失礼を。ご紹介いただけますか、フェイ中尉」

「この子は大隊長の――」

 ズドン!
 一発の銃弾が壁を穿った。
 女性たち三人を取り巻いている男たちはピタッと静まり返った。銃弾を放ったのはヴァルトラム。天尊は横目でヴァルトラムを睨む。

「オイ。アキラにかすりでもしたら殺すぞ」

「当ててねェだろうが」

 天尊とヴァルトラムは対戦を中断していた。何故対戦形式トレーニングの真っ最中であるはずの二人ともが揃って足を止め、こちらを見ているのか騎士団の彼等には分からない。というか睨んでいますよね? 威嚇射撃ですよね、今の。
 ヴァルトラムは銃を肩に乗せ、ニイッと笑った。

「お前等こっちに来い、相手してやる」

 是非とも御指導御鞭撻賜りたいとは思っていたが、まさか直接相手していただけるとは想定外。想定外すぎて男たちはポカーンと口を半開きにしてしまった。
 続いて天尊もアキラの手を取っている男を指差した。

「そこの金髪のお前、お前は俺が面倒見てやる」

「ソイツの隣のお前とお前。それとお前もだ。ウチのモンもいやがるな。莫迦が。全員逃げるなよ」

 どさくさに紛れて粉をかけようとしていた三本爪飛竜騎兵大隊の隊員たちも青ざめた。隊員だからこそ大隊長と歩兵隊長の恐ろしさはよく知っている。
 二人の思惑は緋にはなんとなく察しが付いた。大方、アキラとビシュラが男たちに取り巻かれている様が、自分のものを横取りされたようにでも見えて気に入らなかったのであろう。この二人の場合は口で説明するより気が済むようにさせてやったほうが話が早い。何より三本爪飛竜騎兵大隊が誇る最大級戦力である大隊長と歩兵隊長が揃い踏みでお手ずから相手をしてくださるのだから騎士団に訓練をするという目的も一応は果たせる。だから緋は二人を停めることはしなかった。


 十数分後――――。

「ティエンやめて!」

 アキラは天尊たちを囲っている〝壁〟をドンドンッと叩いていた。目には見えない壁だがアキラには決して超えることができない堅固なものだ。
 アキラが剰りにも必死なものだから、天尊は身構えるのをやめて両手を挙げた。壁の内側に立っているのは天尊とヴァルトラムだけ。二人に呼び寄せられた男たちはみな地に突っ伏して呻き声を上げたり意識がなかったり。
 緋は〝壁〟を解除した。天尊とヴァルトラムを見ては溜息しか出てこない。実力差は明白なのだからもっと加減してやればよいものを。これでは目的は訓練ではないと自白しているようなものだ。

「手当てしてやれ、ビシュラ」

「大隊長も歩兵長もやりすぎですよ!」

 ビシュラは肩を怒らせてラインを割って入ってくる。先程までアキラが叩いてもビクともしなかった壁は消え去り、行く手を阻むものはもうない。
 天尊とヴァルトラムが素手だったのは不幸中の幸いだった。皆怪我の程度は似たようなものであり、特に緊急を要する者はいない。ビシュラは一番手近な被害者のところへ座り込んで手当を開始した。

「気は済んだか、大隊長」

 緋に尋ねられた天尊は眉間に皺を寄せてフーッと息を吐いた。

「やっぱ訓練になんて出てくるんじゃなかった。人前に出たってアキラに悪い虫が寄ってくるだけだ。俺のアキラはカワイイからな」

「もう何日もサボってるクセに何を言う。大隊長の仕事は女と部屋に引き籠もってることじゃないんだぞ。それに今回は大隊長も悪い」

 緋が溜息交じりに言い、天尊は「ん?」と聞き返した。

「アンタが仕事に引っ付けてくるほどのお気に入りだぞ。どこぞの有力貴族の娘かニーズヘクルメギルの秘蔵の姫かって気になって当たり前だ。ウチのモンだろうとグローセノルデン大公の騎士団だろうとな」

「まァ、俺のアキラはスゲーカワイイから気になるのは仕方がないが」

(あー……ダメだ。人の話聞いてないな、この色ボケ大隊長)

 実に上機嫌な天尊を見ていると注意する気にもならない。緋は取り敢えず天尊の足を爪先でコツンと蹴飛ばした。

「バカじゃないの!💢 むやみやたらと人にケガをさせるんじゃありません!」

 アキラは天尊の前に立つなり、赤い顔で天尊の体をぼすっぼすっと叩く。

「分かった分かった。次からはもっと加減するから」

「こらぁ! ちゃんと聞きなさいっ」

 天尊はアキラに後ろから腕を回して頭を撫でた。天尊にとってはじゃれ合っている程度なのだろう。このようなものは犬も食わないな、と思いつつ緋はアキラを見た。アキラは天尊の腕のなかでブスッとむくれていた。緋はアキラの頭に手を置いてポンポンと撫でてやった。

「そんなに怒るなアキラ。大隊長も次からは気を付けるさ」

「……ビックリしました」

「何に?」

「こっちの人はみんな、ティエンと同じくらい強いのかと思ってたので」

 アキラから見ればアスガルトの住人は誰も彼もが自分とは異なる。皆一様に不思議な力を持っている。しかしながら、天尊とヴァルトラムはそのなかでも傑出した存在なのだと直ぐに分かった。誰も二人に真面に触れることもできない、誰も二人と同じように振る舞うことができない、誰も二人と対等に対峙することができない。

「ア、アキラさん💦 大隊長は」

 ビシュラが慌てて説明しようとしたところ、ヴァルトラムの高らかな笑い声が遮った。余程可笑しかったようで豪快に肩を揺すって笑っている。

「クハハハハハッ! みんなコイツと同じくらい強ェのかだと。なかなか面白ェこと言う嬢ちゃんだ、カカカカッ」

 ヴァルトラムは天尊の顔を見てニヤリと笑った。そのような表情を向けられたら反射的にムッとしてしまう。

「テメエは後生大事に引っ付けちゃいるがそんなに大した男だと思われちゃいねェっつうことだな、エフェボフィル大隊長」

「煩ェ、レイパー野郎。大した男どころかテメエは犯罪者だろうが」

 ガッ!
 天尊とヴァルトラムは同時に互いの胸倉を掴み合った。
 ビシュラとアキラは慌ててあたふたとするが、緋はハーッと深い溜息を吐いた。

「だから、トラジロにやめろと言われただろ。ここは隊舎じゃないんだぞ。ガキみたいなケンカでここをぶっ飛ばす気かッ」

「傾注!」

 突然、訓練場に大きな声が轟いた。
 声のほうを振り返ると、かぶとを被った騎士たちが物々しく訓練場へ入ってきたところだった。

「ユリイーシャ姫の御前である。騎士団総員、傾注せよ」

 かぶとの騎士が一歩ずつ左右に動き、その間からスッと音もなく進み出てきた一人の貴人。海色のように深い蒼の巻き毛、それとは対照的な臙脂色のドレス、肩には総レースのストールを掛けており、上品で物静かそうな印象を受けた。
 ビシュラは立ち上がって蒼髪の貴人のほうを振り返った。

(あ。この方がユリイーシャ・グローセノルデンさまなのですね)

 蒼髪の貴人は小さな歩幅でゆっくりと天尊の前まで歩いてきた。天尊としっかりと目を合わせ、柔らかくにっこりと微笑んだ。

「お久し振りですわ、ティエンゾン様」

 姫は美しかった。髪の色、ドレスの色、肌の色が絵画のように見事に調和が取れており、顔は彫刻のように端正だった。絵画から抜けてできた妖精だと言われても信じたかも知れない。

「お姫様がこんなところに何しに来た、ユリイーシャ」

 優美な微笑みを向けてくるそうような妖精的な姫に対し、天尊は少々無愛想すぎるほどの無表情だった。

 ユリイーシャ・グローセノルデン――――
 ヘルヴィン・グローセノルデン大公の令嬢。歳を経ても屈強さに陰りを見せない父親には顔も風貌も似ても似つかないが、父親譲りの蒼い髪を見れば血縁であることは明白だ。
 此処は兵士たちが汗水流して鍛練を積む訓練場。確かに天尊が言う通り、お姫様が足を踏み入れるには相応しくない。


「ティエンゾン様が可愛らしい御嬢様をお連れになっていると御父様から伺いましたの。是非とも拝見したくって」

(ヘルヴィンのヤツ、余計なことを)

 天尊は心の中で舌打ち。

「今からお茶を御一緒しませんこと? ティエンゾン様。ティエンゾン様の可愛い方もお連れになってくださいませ」

「それは」

「私の日課のようなものですから、気が置けないティータイムですわ。どうぞそのままでいらして」

「俺は」

「ティエンゾン様のお好きな葉は何でしたかしら? 城に用意があるとよいのですけれど。冬の間は稀少なものは手に入りづらいのであまり珍しいものは仰有らないでくださいね」

 ユリイーシャはおっとりした口調でありながら天尊の返事も待たずポンポンと話を進める。これは交渉の上手い下手ではない。ただ単に自分の話したいことから話すタイプなのだ。話を聞かない相手に何を話しても効力が薄い。天尊はまた無表情でユリイーシャが喋り終えるのを待つことにした。
 一頻り話した後、ユリイーシャは顔を左右させてアキラとビシュラをチラッチラッと一度ずつ見た。

「それで、どちらがティエンゾン様の可愛い御嬢様なのです?」

 ヴァルトラムは不愉快そうに眉間を寄せた。そしてビシュラに腕を回してガバッと自分のほうに引き寄せた。

「オイ。コレは俺のだ。コイツのじゃねェ」

「ほ、歩兵長💦 ユリイーシャ姫さまに対して失礼ですよっ」

 ユリイーシャはヴァルトラムの荒っぽい物言いに気を悪くした様子はなかった。笑顔を湛えたままアキラのほうに視線を移動させた。

「ではこちらがティエンゾン様の」

 お姫さまという人種は皆こういうものなのだろうか。ユリイーシャは初対面にも関わらず警戒心を感じさせない人柄だった。アキラにとってはとても珍しい蒼い髪の毛の持ち主だというのに。
 それともユリイーシャというこのお姫さまが特別穏やかな人柄なのだろうか。

「お茶はお嫌いかしら?」

「いえ、飲みます」

 すぐさま答を返してきたアキラが可愛らしくて、ユリイーシャは口許に手を宛がってフフッと笑った。

「すぐに美味しいお茶とお菓子を用意させます。ティエンゾン様といらしてね」

「俺はいいとは言ってないぞ、ユリイーシャ」

「訓練の後ですもの。私は多少の汚れなんて気にしませんわ」

「誰もそんな話はしていない💢」

 天尊の苛立ちなど気付いてもいないのだろう、ユリイーシャはくるりと踵を返した。そのまま出て行くのかと思ったら緋の前で足を止めてまたにっこりと微笑んだ。

「フェイも一緒にお茶しましょう」

 このお姫様は根っからのお姫様なのだ。生まれ付いての姫であり、そうあるように育てられたのだから当然だ。父親や騎士に愛されて守られて育ち、人の悪意を知らず拒否されることも知らない。それが何なのか分からないのだから拒否をしても徒労。緋は「分かった」とだけ返した。
しおりを挟む

処理中です...