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Kapitel 05
03:眠り姫 03
しおりを挟む三本爪飛竜騎兵大隊の前にエンブラの少女が現れたのは青天の霹靂だった。
天尊は任務の為に隊を離れ単身ミズガルズに赴いていた。その期間は一年以上に及んだにも関わらずその間連絡は一切無し。ミズガルズでの事象すべてを観測しているはずの観測所に問い合わせるも情報はなしのつぶて。生きているのか死んだのかすら分からなかった。しかしながら隊員たちは、腕がもげようと足が千切れようといつか彼等の大隊長が必ず生きて還ってくることを信じて疑いはしなかった。
そして、まるで予想していなかったときに、しかしながら予想通りに、或る日突然還ってきた。大仰な出迎えも要求せず熱り立つ歓喜もせず。
その時にひっそりと連れ帰ったのがエンブラの少女だった。さながらスリーピングビューティ。天尊は幼い眠り姫を愛おしそうにその腕に抱いていた。
「俺の嫁だ」
帰還した天尊の第一声を聞いて、心臓が止まるかと思った。頭が真っ白になり生理現象として瞳孔が大きくなり瞼が引き上げられる。鼓動を取り戻したとき、驚愕の絶叫が口を突いて飛び出した。
「ええええええっ!?」
その場にいたヴァルトラム以外の全員が、大隊長執務室の壁が震えるほどの大声を張り上げた。
「静かにしろ、アキラが起きるだろ」
天尊は間違いなく衝撃の事実を告げた。三本爪飛竜騎兵大隊で主力を担うほどの胆力のある彼等の度肝を抜くショッキングな事実だ。
それでもヴァルトラムだけは興味を見せなかった。テーブルに足を乗せてソファに深く沈み込んだままナイフを研いでいる。
「嫁……? 嫁だと……? 今度という今度は大隊長が何をお考えになっているのか分からない……」
理解の範疇を超えたか、冷静を装っているがトラジロの体はブルブルと震えている。頭痛と立ち眩みがするのは気の所為だろうか。
「緋姐ぇ、ミズガルズの生き物を嫁にするとか、本当にできんの?」
「知らん」
ズィルベルナーは緋に耳打ち。緋は項垂れて深い溜息を床に落とした。今まで自ら結婚の話などしたことのなかった仕事第一主義者が何の前触れもなく伴侶を決めたことに驚けばいいのか、世にも珍しいエンブラを連れ帰って嫁だと言い放っていることに驚けばいいのか、散々浮き名を流した末路に選んだ者が少女だということに驚けばいいのか、短兵急すぎて緋といえども思考をまとめるのは容易ではない。
シャーッ、シャーッ、シャーッ。
静まり返った部屋に、ナイフを研ぐ音だけが妙に耳につく。全員が自然とヴァルトラムのほうへと視線を向けていた。ヴァルトラムはナイフの角度を変え、刃の鋭利さを確認しながらゆっくりと口を開いた。
「オメエ、俺のことを陰で少女嗜好だと宣ってたろ」
ここぞとばかりにその話を引っ張り出すのか。天尊はクッと笑みを漏らした。
「言ったな」
「その辺の玄人女に飽きて素人娘に趣旨替えしたとも吹いてたらしいな」
「言った」
「テメエの女は何だ。ビシュラよりガキじゃねェか。見たとこ成人もしてねェ」
「してない」
自分がさんざ吹聴した陰口をまさかヴァルトラム本人から打ち返される機会が来ようとは。悪意があってやったことではないが面白がって話のネタにしていたのは事実だ。
さぞかし苦々しい顔をするだろうと思ってトラジロが天尊を見ると、笑っていた。腕のなかの眠り姫に目を落とし、仕方がなさそうに穏やかに笑っていたのだ。
「だから待っている」
この男は伊達や酔狂、暇潰しの類いではなく、少女が大人になる時を待っているのだ。どのような経緯があってエンブラの少女などを伴侶に決めたのか推し量ることさえもできないが、本気であることだけは分かった。天尊は底意地の悪いところがあり冗談も多い男だが、とんでもなく本気のときは彼等にはその気持ちを汲み取ることができる。
「そのエンブラのお嬢さんを何故ここへお連れになったのですか、大隊長。我々はこれからグローセノルデン大公の要請に応じて北方へ赴かなければならないというのに」
トラジロの言い方は、最早天尊が告げた事実を呑み込んだものだった。天尊がそうだと断言してしまえば、一度心を決定してしまえば、彼等は異論を述べるどころか胸中で否定する手段すら一切持たないのだ。
「ちょっと事情があってな、アキラは俺の所為で命を狙われている」
これはこれは穏やかではない。天尊はいつも通り冗談のように言ったがとんでもない厄介事の予感がする。トラジロは深い溜息を吐いた。
「目を離した隙に何をされるか分かったもんじゃない。だから連れてきた」
「つまり、北方へも伴って行かれる、と」
「そうだ」
ヴァルトラムは「ハッ」と鼻先で笑い飛ばした。
「敵が多くて楽しそうじゃねェか、エフェボフィル野郎」
「!」
ヴァルトラムの言葉を聞いてトラジロとズィルベルナーはギクッと顔色を変えた。バッと天尊を見ると案の定。表情そのものはポーカーフェイスを保っているが額には青筋が浮いていた。
天尊の顔を見てヴァルトラムはニィッと笑った。
「後でトレーニングルームに来い。ヴァルトラム」
「上等だ」
§§§§§
天尊とヘルヴィンが共に城内へと入っていき、騎士団はその場に残された。寝泊まりする宿舎や食事や訓練について三本爪飛竜騎兵大隊を迎え入れる準備や相談などがあるからだ。
「おお、三本爪飛竜騎兵大隊のヴァルトラム大尉殿」
声をかけられビシュラはハッとした。咄嗟に一歩後退ってヴァルトラムから離れた。僅かな隙でビシュラを逃してしまい、ヴァルトラムはチッと舌打ち。
呼ばれたほうを振り返ると、兜を脱いだ紳士が立っていた。皺の刻まれた顔、鼻の下に蓄えた髭、年の頃はヘルヴィンと同年代くらいであろう。
「益々の御隆盛、お慶び申し上げます。この北の地においても貴殿の武勲は届いておりますぞ。この機会に是非とも我が騎士団への御指導を乞いたく――」
「ンなモンどうでもいい。取り敢えずメシと酒だ」
「失礼ですよ歩兵長っ」
ヴァルトラムはオブラートというものを知らないらしい。長い旅程で疲れているのは分かるし時刻的に空腹なのも分かるが、隊の者以外に対してまでもいつも通り勝手なのは如何なものか。しかもグローセノルデン大公の騎士団と言えば御本人と同じく誉れ高い。ビシュラは騎士に恭しく頭を下げた。
「申し訳御座いません。数日かけた行軍でしたので歩兵長は大変疲れておいででして、些か礼を欠いた発言でございましたがご容赦ください」
ヴァルトラムの非礼をフォローするのはこれまで緋やマクシミリアンの仕事であったが、今やビシュラが二人以上に配慮してくれるのですっかり肩の荷が下りた気分だ。二人だって礼儀を重んじない上官の所為で常時気を遣っていたくはない。
ヘルヴィンと同世代と思われる初老の騎士は穏やかに「いえいえ」と返してくれた。
「これはこちらの配慮が足りませんでした。ヴァルトラム大尉殿に相見えたことが剰りにも喜ばしかったものですから。ここはイーダフェルトから遠く離れた土地、慣れぬ雪道での長旅でお疲れなのは当然です。まずはごゆるりと休息をとられるべきでしたな」
グローセノルデン大公ヘルヴィンと大隊長天尊が懇意であり、三本爪飛竜騎兵大隊がこの地を訪れるのは幾度目かになる。だからこの初老の騎士が穏やかな気質であり、ヴァルトラムの言動程度では決して激怒したりなどしないことをビシュラ以外は既に知っていた。
「騎士団長」
緋はビシュラの肩に手を置いて初老の騎士に声をかけた。
「今後、歩兵長への言伝はこの子にお願いしたい。恙無く伝えてくれるはずだ」
「フェイさん?」
「長距離移動でアタシも疲れた。今は歩兵長の相手なんかしたくない」
それは有り体に言えば面倒事をビシュラに押し付けるということですね。三本爪飛竜騎兵大隊は戦闘や訓練以外の業務にはかかずらいたくない者ばかりだ。そこへビシュラは戦闘や訓練はからきしと来ている。自ずとスケジュール調整や雑務はビシュラの仕事となるが、することがないよりはマシだ。
「では訓練の話は後程」
「ハ、ハイ! 宜敷お願い致します」
「まずはお部屋で寛がれてくだされ。御滞在になる宿舎の部屋割りはこちらになり……」
ヴァルトラムは騎士団長と話をしているビシュラに腕を回した。グイッと引き寄せられたビシュラは背中を硬い胸板につけ、ヴァルトラムを見上げる。
「ビシュラは俺の部屋だ」
「わたしはフェイさんと相部屋が……」
「俺が決めた。逆らうつもりかオメエ」
「逆らうのではなく、常識的に考えて歩兵長と同じ部屋なんて有り得ません」
ヴァルトラムはチッと舌打ちしてビシュラをヒョイと肩の上に抱え上げた。
ビシュラは「きゃあああっ」と悲鳴を上げた。手足をばたつかせたがヴァルトラムはビシュラを取り落とさなかった。
「降ろしてください歩兵長!」
「俺の言うこと聞くっつったろうが」
「それとこれとは話が別です!」
騒がしい二人を眺めてズィルベルナーは首を傾げた。
「急にスイッチ入ってどうしたんだ? 歩兵長」
「溜まってんだろ」
「大尉殿はまだまだお元気で何よりですな」
緋は明け透けにサラッと答え、騎士団長は穏やかに微笑んでいる。緋は騎士団長が掌の上に展開する宿舎の見取り図を覗き込んだ。さっさと荷物を運び込んで腰を落ち着けたいので二人に関わる気は全く無い。
「歩兵長にしてみたらここに到着するまでの道程はビシュラを自分の車に引っ張り込んでヤリまくりツアーぐらいのつもりだったんだろうが、ビシュラは夜はずっとアタシと同じテントにいたからな」
マクシミリアンは顎を左右に揺すって苦笑を漏らした。
「分かってて邪魔してたのか? フェイ」
「本当にそんなことになってみろ、ずっと歩兵長の相手をするなんてビシュラじゃ保たないよ」
「確かに」
「だがもう我慢も限界ってところだな。さっきもビシュラに手を付けなかったみたいだし、あの節操なしがよく我慢したほうさ」
「我慢してもらってもその後が問題、か。ビシュラのヤツも大変だな」
マクシミリアンはズィルベルナーの肩をトンッと叩いた。
「今夜は歩兵長の部屋をいきなり訪ねたりするなよ、ズィルビー」
「え。何で?」
「バカか。最中を邪魔したりしたらブッ殺されるぞ」
「そんなことも分からないバカはいっそ殺されてこい」
きゃぁああああ!
ズィルベルナーに呆れた緋が溜息を吐いた頃、若い女の悲鳴が広間に響き渡った。声の主は勿論ビシュラだ。
「助けてくださいフェイさん! フェイさーん!」
ヴァルトラムの肩の上から必死で手を伸ばすが、緋は無情にもヒラヒラと手を振って断ち切った。
「邪魔すんなよ、フェイ」
「しないからさっさと行け」
そのようなことをするつもりは毛頭無い。緋はヴァルトラムに向かってシッシッと手を払う。
「歩兵長、明日はちゃんと出てこいよ。会議があるからな。……あと、程々にしとけよ」
オウ、とヴァルトラムは返事をし、緋たちに背中を向けた。ビシュラを担いだまま出て行った。
ヴァルトラムが城内へ入りビシュラの非難がましい悲鳴が遠離ってゆき、彼等はふうと息を吐いた。
「意外とすんなりとビシュラを見捨てたな、フェイ」
「ま、死にはしないだろう。あれで歩兵長が機嫌良く会議に参加してくれるなら安いもんだ」
緋の言を聞いたマクシミリアンは「確かに」と零した。
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