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Kapitel 01

07:善良と魔物 05

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 イーダフェルトベース・トレーニングルーム。
 ビシュラが派遣期間を終えて隊から姿を消して数週間が経った頃、天尊ティエンゾンは或る〝噂〟を耳にした。トレーニングルームに足を運んだのは、その真偽を確かめるためだ。天尊のお目当ての人物は、暇さえあればトレーニングルームに入り浸っているはずだ。
 僻地の兵営と異なり、基地のトレーニングルームには機材が揃っており広さも何倍も広い。隊員たちも多く集まっており、天尊は室内を見回して人物を探した。
 ズダァンッ!
 視界の外で衝撃音。天尊はそちらを一瞥することもなくスッと横に避けた。

「いってぇ~!」

 案の定、男が吹き飛ばされてきて背中から壁に激突した。その男は片膝を突いた姿勢で背中を押さえ、天尊に非難がましい目線を向けた。

「何で避けるんだよ大隊長! 受け止めてくれたっていいだろッ」

「何故俺が男なんか受け止めなくちゃならん。気持ちが悪い」

「気持ちいい悪いの問題じゃねェだろ! 俺がケガすんの! それがかわいい部下に言う言葉かよッ」

「俺よりデカイヤツは可愛かない」

 天尊は喧しく文句を垂れる男から目を逸らし、男を吹き飛ばした人物のほうへ顔を向けた。天尊よりも大きな男を吹き飛ばせる人物、それは天尊が探している張本人に相違ない。

「珍しくイラついてるな、ヴァルトラム」

 ヴァルトラムは認めたくないのか何なのか、その言葉を聞き流した。
 ヴァルトラムこそが噂の主だった。天尊の耳に入ってきた噂は、このところヴァルトラムの不機嫌が続いて荒れており、力任せに設備や備品を破壊したり、実力差も考えず手当たり次第にトレーニングの相手をさせたり、怪我人が絶えず隊員たちが被害に遭っているというものだった。

「ズィルビー相手にストレス発散か」

「ンな相手にもなりゃしねェ、こんな弱っちいガキじゃあな」

 ズィルベルナー――――
 三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッター騎兵隊所属二位官。
 長い銀髪と尖った耳がトレードマーク。肌の色が比較的白く、ヴァルトラムにはよくひ弱扱いをされるが、袖から出た腕は筋肉が盛り上がり、がっしりした体格をしている。
 見掛けは成人男性だが、精神面はかなり幼く、年下のトラジロよりも少年っぽく感じられる。

 ズィルベルナーは急いで立ち上がり、不服そうにヴァルトラムをビシッと指差した。

「軽く流すだけだって言ったのに加減無しとかズリーだろ!」

「加減はしてやってンだろが」

「人吹っ飛ばしといて何言ってんだ!」

「あんくれぇで吹っ飛ぶテメエが弱ェ」

「アッタマきた💢 本気でぶっ飛ばす!」

 天尊はスッと一歩前に出てズィルベルナーにフラッと手を振った。それは長年躾けられた「静かにしろ」という合図。
 ズィルベルナーはヴァルトラムを睨んだままブスッと口を尖らせた。
 ズィルベルナーを黙らせた天尊は、スタスタと歩いて行ってヴァルトラムの前で足を止めた。

「俺もストレスは溜まる前に発散するほうだが、謹慎明けで張り切りすぎると折角くっついた傷が開くぞ」

「こんなモンでどうにかなる程ヤワじゃねェ。ストレスなんざ知ったこっちゃねェが、オメエが相手になってくれんならコイツよりはスッキリするだろうぜ、大隊長」

「生憎と俺は今ストレスは溜まっていない」

 挑発したところで天尊には躱されるだろうとは思っていた。ヴァルトラムはケッと言い捨てた。

「話がある。ズィルビーをイビるのはそこまでにして俺の部屋に来い」


 大隊長執務室。
 天尊が自分の部屋のデスクについて十数分後、ヴァルトラムが現れた。
 彼はこの部屋の主であり大隊長である天尊に対しても、今日も不機嫌そうにしているトラジロに対しても、何も言わずにどさっとソファに腰掛けた。

「まどろっこしいのはナシだ」と天尊は前置きもなしに切り出した。

「単刀直入に訊くぞ。ビシュラと何があった」

「…………」

「隠しても意味はないぞ。ビシュラがいなくなってから、お前が荒れているのは明らかだ」

「…………」

「じゃあ質問を変えてやる。何故ビシュラにこだわる? 世間知らずの文官娘などお前の趣味じゃないだろう」

「…………」

 ヴァルトラムは無表情のまま口を噤んでいた。天尊の追求を無視する不遜さには、トラジロのほうが苛立った。

「いつまでもだんまりが通用するとは思わないことです、ヴァルトラム。貴男がやったことはこちらはすべて知っています」

「だろうな。フェイのヤツが報告したんだろ」

 不遜どころかあまつさえ鼻で笑いおった。その厚顔さに呆れる。トラジロはしばし呆気に取られてしまった。

「別に懲罰が恐くてだんまり決めこんでるわけじゃねェ。何でこだわってるなんざ訊かれても答えが出てこねェだけだ」

「理由は、ないのか? お前みたいな男が理由も無く小娘ひとりにこだわっていると?」

 ――理由なあ…………。
 そんなモンがあるとしたら、アイツが生きて動くからだろ。
 たまにアイツの声がする。姿なんざねェクセに声だけが。それが最高に俺を苛つかせる。
 俺の知らねェところでアイツが好き勝手に動いてるのが気に入らねェ。俺の手が届かねェところなんざねェと思い知らせなきゃ気が済まねェ。


「俺ァアイツが欲しい。どうやったら手に入る」

 ヴァルトラムの言葉を聞いて、トラジロは顔色を変えた。

「アンタ莫迦ですか‼」

 トラジロが大声を張り上げ、天尊はやれやれと指で額を押さえた。

「ウルセエ。ヒステリーが」

 ヴァルトラムはうざったそうな表情をして首を回した。

「女が欲しければ歓楽街へでも馴染みの娼館へでも行きなさい。軽はずみに〝観測所〟の所員を欲しいなどと言うものではありません。ウチと〝観測所〟の関係をややこしくするつもりですか。しかもビシュラは〝観測所〟所長のイヴァン様が直々に御指名なさるほど覚えがいい優秀な所員。アンタが彼女にしたことがイヴァン様に知れたら何と申し開きしても許されるものではありません!」

「申し開き、なァ」

 ヴァルトラムは他人事のようにトラジロの言を反復した。その緊張感のなさにトラジロの肩がわなわなと震えた。

「真剣に聞きなさいヴァルトラム!」

「じゃあよォー……ビシュラがそのイヴァンってヤツの部下じゃなけりゃあ問題ねェんだな?」

「は?」

「正式に俺の部下にする。すでに入隊試験はパスしてんだ。これで問題ねェだろ」

 ブチッと、トラジロの中で何かが千切れたような音がした。

「アンタが莫迦だってことが最大の問題ですよ‼💢💢」

 トラジロの顔面は怒りで真っ赤だった。天尊のデスクから一冊のファイルを取り上げ、ヴァルトラムの前のテーブルにバァンッと強く叩きつけた。

「一番欲しいのはこれの説明です」

 ヴァルトラムは目だけを動かしてそれが何であるか確認した。

三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッター歩兵隊長の名前で〝観測所〟へ複数の書状を送りましたね。どれもビシュラのウチへの配属を要請するものです。独断でこのようなことをして、どういう了見ですか」

「フェイのヤツが、それが正規の手段だっつーもんだからよ」

緋姐フェイチェが、貴男に協力しているというのですか」

 トラジロは驚いて一瞬ポカンとしてしまった。ビシュラとの一件があったとき、誰よりもヴァルトラムへ激怒した緋が知恵を貸すなど、にわかには信じられなかった。

「確かにお前らしくない手だ。フェイが協力的とは、アイツも大隊に同性の仲間でも欲しくなったか」

 天尊はそう言って冗談のように鼻で笑った。

「これで質問は全部か」

 ヴァルトラムはソファから立ち上がった。
 それから、勝手に部屋の出口へと向かい、トラジロが「待ちなさい」と声をかける前にクルッと振り返った。

「テメエら、俺の邪魔はすんなよ。邪魔すんなら只じゃおかねェ」

 ニヤリと笑ってそう言い残し、バタンとドアを閉めた。
 部屋に残されたトラジロの肩が、怒りにブルブルと震えた。

「こッの大莫迦野郎~~~‼💢 アンタなんか《ウルザブルン》に訴えられて監獄行きになればいいんですよッ!」

(ヴァルトラムじゃないが、トラジロのこのヒスだけはどうにかならんものか……)

 天尊は眉間に皺を寄せ、はあ、と溜息を吐いた。


 ヴァルトラムは大隊長執務室をあとにしたその足で、自分の本拠地である歩兵隊第一詰所へと向かった。そこには思ったとおり緋がいた。

「どうだった」

「どうもこうもねェ。チビが喚き散らしただけだ」

「確かにトラジロの怒鳴り声が響いてたな。内容までは聞き取れなかったが」

 大隊長執務室と第一詰所は距離的には近いが、分厚い壁を越えて声が響くなど相当な怒声だ。しかし、トラジロが怒鳴り声を張り上げることは珍しくはないので、それ自体は然して気に留めなかった。

「マックス。俺のブーツは」

「普段用のは仕上がって来てます。歩兵長のデスクに」

 ヴァルトラムは早足で緋の背後を通り抜けて自分のデスクへ一直線。

「フェイ、付いてこい」

「どこへ?」

「〝観測所〟だ」

 それを聞いた緋は、少し笑った気がした。待っていましたとばかりにニヤリと笑った気がした。

「やっぱり回りくどいのは性に合わねェ。俺のやり方でやる」
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