ゾルダーテン ――美女と野獣な上下関係ファンタジー物語

花閂

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Kapitel 01

02:双剣の女 02

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 エントランスベース内トレーニングルーム。
 隊員たちの日常的なトレーニングを目的としてベース内に用意された施設。施設といっても内部にはものはほとんどない。四方を頑丈な壁に囲まれただけの簡素な造りだ。
 普段は常に隊員たちの誰かしらがトレーニングをしているが、現在は伽藍堂。ヴァルトラムが邪魔だと追い出した。これから、兵士でもない若い娘の試験に立ち会う当事者しかいなかった。
 ヴァルトラムと桃色髪の女性隊員は、壁に寄りかかって大隊長・天尊ティエンゾンの到着を待った。
 女性隊員は、自分たちから距離を取って縮こまっている観測所の新人・ビシュラを見遣った。ガチガチに緊張してオドオドして、まるで狩られる前のウサギだ。

「歩兵長。何だって自分から入隊試験をやるなんて言い出した? いつもは面倒臭がって人に丸投げするくせに」

 緋〔フェイ〕――――
 三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッター歩兵隊所属二位官。
 桃色髪を短くした切れ長の目が凜とした美女。ビシュラよりも随分と長身で、手足はスラリと伸びる。豊かな胸にくびれた腰、豊満な肉体は魅力的だ。
 恐ろしい歩兵隊長にも怯える様子は一切なく、軍人らしく立ち居振る舞いが堂々としている。


「まさか、あの子から喰らわされたことを根に持ってるんじゃないだろう。アンタに小娘のパンチが効くわけがない」

「パンチ? ああ、ンなこた忘れてた。ちィっとばかし気になることがあるだけだ」

「気になること?」

「俺ァ別に、さっきあの女を助けようなんざしてねェ。間抜けを助けなきゃいけねェ理由はねェからな」

「?」

「だが、あの女は蜘蛛のど真ん前にいて生きていた。ボーッと得物をただ握り締めてやがっただけなのに生き延びた。あの時、あの女は何かしたはずだ」


 程なくして、天尊とトラジロがトレーニングルームに姿を現した。

「あ、あのッ、ニーズヘクルメギル大隊長さまッ」

 ビシュラは天尊が部屋に入ってくるなり、急いで駆け寄ってきた。その不安げな表情たるや、明らかなに助けを乞う子羊。

「失礼を承知で申し上げます。わたしで力不足でしたらそう仰有ってください。所長にもそのように報告して別の者を差し向けてくださるよう御手配いたします」

「そんなことは言っていない」

「どうしても試験を受ける必要があるのであれば謹んで受けさせていただきます。し、しかし、わたしのような者が〝あのヴァルトラム歩兵隊長さま〟とお手合わせ願うというのは、あまりにも……その……」

 トラジロが言うとおり、彼女は文官だ。実戦経験などないと一目見て分かる。街を歩く年若い娘たちと変わらない。そのような彼女がヴァルトラムに恐怖を感じるのは当然だ。
 三本爪飛竜騎兵大隊が歩兵隊長・ヴァルトラムは、戦場を駆る魔物か鬼神――――。その圧倒的な戦闘能力と時として異常なまでの残虐性、反抗的気質から、畏怖の対象だ。

「ビシュラ」

 名前を呼ばれ、ビシュラはそうっと白髪の大隊長の顔色を窺った。ニッと微笑まれ、ほんの少し緊張が和らいだ。

「お前が不足かどうかを見極めるのがこの試験だ。そんなに気負うな。お前は自分にできることをやればいい」

 トラジロは天尊を横目に見た。

(笑顔で誤魔化そうとしていらっしゃる、大隊長)

「わたしにできることなど、あるでしょうか……」

「お前はそのために寄越されたはずだ」

 ビシュラは目の前にいる天尊でも聞き逃してしまいそうなほど小さな声で、はい、と零して項垂れた。

「そろそろ始めるとしようぜ」

 ヴァルトラムが凭りかかっていた壁から離れた。

「あの娘が〝観測所〟のモンだってことを忘れるな。ちゃんと手加減しろよ、歩兵長」

 緋は腕組みをした体勢のまま、ヴァルトラムの背中に直言した。ヴァルトラムは振り向きもせず「あー?」と生返事しかしなかった。

「殺すなよ」

 緋はチッと舌打ちし、そう付言した。
 ヴァルトラムは口の端を引き上げてニヤリと笑っただけだった。

 ヴァルトラムがトレーニングルームの中央へと移動を始た。ビシュラもそれに気づいて振り向き、ふと桃色髪の女性と目が合った。彼女は親指でクイックイッとヴァルトラムのほうを指した。お前も行け、という意味だと理解したビシュラは小走りに移動した。
 ビシュラとヴァルトラムは、トレーニングルームの中央に対面して立った。ふたりの距離は3メートル程度。

「ヴァルトラム歩兵隊長さま」

「何だ」

「あのぉ……失礼ながら、最初に一言申し上げておきたく……。入隊試験が模擬試合ならばわたしは不合格です」

 ビシュラの声はボリュームが小さく、震えていた。
 当たり前の男なら憐れに感じるものだが、ヴァルトラムはその心細そうな声を聞き、ビクビクと不安げな態度を見て、なおも無表情だった。

学院ギムナジウムを卒業したといってもお恥ずかしながら、わたしは文科コースでも実技の成績はあまり芳しくなく……。実戦部隊の、しかも高名な三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターの試験に合格できるとは到底思えません。しかもヴァルトラム歩兵隊長さま自らお相手くださるなんて身に余る――」

 ヒュッ。――ヴァルトラムの手が動いた。
 しかし、ビシュラは彼が何をしたか分からなかった。すぐ近くを何かが高速で通過したのは感じた。
 ドゴォオンッ!
 ヴァルトラムの手が動いたと思った次の瞬間、ビシュラの後方の壁が爆発した。

「なッ……!」

 ビシュラは顔色を変えて振り返った。
 一本のナイフが、壁に対してほぼ垂直に深々と突き刺さっていた。それが壁を割り、大きな亀裂を作っていた。まさかあれはヴァルトラムが放ったナイフか。ナイフ一本で何という破壊力。あのようなもの、ビシュラの細腕では受け止められない。
 しかしながら、驚愕したのはビシュラだけだった。大隊隊員たちはまったく動じていなかった。
 あまつさえ、天尊とトラジロは落ち着き払って溜息を吐いた。

「設備をなるべく壊すな、ヴァルトラム」

「今のヴァルトラムに何を仰有っても無駄です、大隊長」

 ビシュラは肩を竦めてガタガタと震えた。

「あっあぁ……あの」

 今一度免除を求めようとしたが上手く言葉が出てこない。
 恐い。生まれて初めて見た大蜘蛛に追いかけられたときと同様の、否、それ以上の不気味さと恐怖。それらに頭が混乱して言葉にならない。
三本爪飛竜騎兵大隊の歩兵隊長ヴァルトラムは、鬼人か魔物。噂は嘘などではなかった。

「ゴチャゴチャウルセエ。喋ってる暇あったら得物抜け。じゃなきゃオメエは死ぬ」

 ヴァルトラムはビシュラの顔面蒼白に向かって無慈悲に言い放った。
 ビシュラは腰の左右に携えた剣の柄をキュッと握った。天尊たち観戦者にも分かるくらい手許が震え、あの手付きでは固定したものでも上手く切ることはできまい。
 ビシュラが抜き放った双剣――――薄く軽く流麗な、刃毀れひとつ無い真っ新な刀身。照明を照り返して輝き出しそうな一対。

「オメエ、使ったことあんのかソレ」

 ヴァルトラムの声が近くで聞こえ、ビシュラはハッとした。
 何故目の前に立っている。先刻まで充分な間合いがあったのに。いつ動いたのか、動作が一切目で追えなかった。
 気づいたときには大きな拳が迫った。ビシュラは咄嗟に双剣を十字に構えた。
 ガチィンッ! ――ビシュラの双剣に大きな拳が衝突した。

「ッあ!」

 ビシュラにヴァルトラムの拳を受け止められるわけがなかった。ぶわりっと足が床から離れて吹き飛ばされた。床に背中から落ち、ゴロゴロと転がって壁に激突した。

「あの莫迦。加減しろと言ったのに」

 緋はチッと舌打ちした。

「オイ、オッサン! そんな小娘相手に何をやっている。歩兵長のクセに力加減もできないのかッ」

「これでめいいっぱいだ。これ以上はできねェ」

「このポンコツがッ」

 ううう……、とビシュラからか細い呻き声。
 ビシュラは涙をうっすらと浮かべ、双剣を両手に握って弱々しく立ち上がった。

(これでめいいっぱい加減なさっているって、本気でやらないと本当に殺されてしまう……ッ)

 周囲の者に助けを求めることを片隅に追いやってしまうほど、ビシュラの脳内は生存本能で占められていた。周囲の者の存在を掻き消してしまうほどにヴァルトラムが恐ろしい。目を逸らしたら一足飛びに喉元を掻き切られる、四肢を八つ裂きにされる。禍々しいまでに強大な力と冷酷さを持つヴァルトラムには容易いことだ。
 ヴァルトラムの大きな手が近づいてくる。視界を覆うほどに速く大きなこの手に捕らえられてしまったら、きっと命を握り潰されてしまう。
 目だ。ヴァルトラムの目には慈悲がない。生き物の気色がしない。この世のものとは思えない。人々を地獄に引き摺りこむ魔物の眸だ。
 ビシュラは震える唇の隙間からヒュッと息を吸いこんだ。
 このように恐ろしいものに立ち向かうとき、ビシュラには〝歌〟を歌うことしかできない。
 ビシュラは歌う。自身の内なるもの外から来るもの有象無象をひとつに束ねる短い歌を。
 歌が終わり、小さき世界は廻転を止める。

 ――《無間地獄コムエーヴィゲヘレ

 ビシュラは魔法のような不思議な力――――プログラムを発動させた。
 迫り来る褐色の魔の手がピタリと停止した。もう少しでビシュラの首に手がかかるという宙で停止し、指一本動かなくなった。その様はまるで、城に飾られた、邪悪で屈強なガーゴイル。

「ま……間に、合った……」

 ビシュラは一息吐いて脱力し、壁に寄りかかってずるずると座りこんだ。
 ヴァルトラムは自身に何が起こったのかまったく分からなかった。ビシュラが何かしらプログラムを使用したことは分かるが、それが自分にどう作用したのか皆目見当が付かなかった。凡人が使用する汎用性の高いものではなく、初めて目にするプログラムだ。

(ああン? ンだこりゃあ。体が動かねェ。どこもかしこもピクリともしねェ)

 ビシュラは座りこんだ状態からそろりとヴァルトラムを見上げた。強烈な三白眼と目が合ってビクッと肩を跳ね上げた。ヴァルトラムは非常に不愉快そうな鬼の形相でビシュラを睨んでいた。

「テメエ、何だこりゃ。何しやがった」

(出力全開なのに喋れるなんてッ)

 ビシュラは双剣を握り締めたままガタガタと震えた。
 このように悪辣な眼光は見たことがなかった。身動きできなくとも眼力だけでビシュラの鼓動くらい止められるのではないだろうか。

「お見事です、ビシュラ」

 トラジロに声をかけられ、ビシュラはハッとした。
 いつの間にかトラジロがすぐ傍に立っており、スッと手が差し出された。ビシュラはその手を取り、引き上げてもらった。

「……大したものだ。ここまで見事にヴァルトラムを行動停止にできるとはな」

「面白半分に何の警戒も無く飛びこんだりするからですよ。これが我が大隊の部隊長の一角とは、情けない」

 天尊とトラジロは、動けなくなったヴァルトラムに同情などしなかった。天尊は愉快そうにクックッと口許を歪め、トラジロに至っては馬鹿にしている様子だ。

「この娘は、大猿の金の輪っかというところだ」

「あァ? 何つったァコラ」

 ヴァルトラムは自由になる目だけを動かして天尊を見た。
 天尊は白い歯を剥き出しにしてニヤッと笑った。

「こっちはこんな湿っぽいところにはとっくに飽き飽きなんだ、このクソ戦闘馬鹿」

「この地域での作戦は終了したというのに、あなたがここを動こうとしないから〝観測所〟から人を寄越してもらう羽目になどなるのです。その無様は自業自得です、ヴァルトラム」

「テメエら……」

 天尊は動けないヴァルトラムの背中をパンッと叩いた。それから、クルッと背中を向けて出口へ向かって歩き出した。

「さあ、ようやくイーダフェルトへ帰還だ」
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