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Kapitel 14:帰
麗祥 02
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(早い!)
麗祥の視野からも天尊は忽然と消えていた。咄嗟に身構えてあちこちに視線を配って天尊の姿を探すが、見出すことはできなかった。
ズドンッ! ――麗祥の脇腹に短刀を突き立てられたような衝撃。
天尊の拳は細身の麗祥を身体ごと殴り飛ばした。
しかしながら、麗祥の反応は天尊が思ったほどでもなかった。麗祥は表情を歪めながらも腰に佩いた剣の柄を手に取った。
「《装甲》か。基本はできるようだ」
麗祥の身体を覆う不可視の皮膜の鎧。衝撃を吸収・緩和する。プログラムを扱える者にとっては初歩的かつ堅実な防御手段のひとつだ。兄から見れば実戦経験の乏しい弟とはいえ、生身で戦いに臨むほど無謀ではなかった。
ヒュンッ、と麗祥は鞘から長剣を一息で抜き放った。
天尊は上半身を仰け反らせて初撃を回避。
「はあッ!」
麗祥は天尊へ踏みこんで何度か立て続けに剣の刺突を繰り出した。
天尊はその刺突を完全に見切っており、身体を左右に振って躱した。
ガツッ。――麗祥の幾度目かの刺突が空を突き、剣を引き戻そうとした瞬間、天尊に刀身を捕まえられた。
天尊の腕力に抗って引き戻そうとしてもビクともしない。いくら《装甲》を纏っているとはいえ素手で刃を握り締めるなど麗祥の想定外だ。
基本的な防御手段とはいえ《装甲》の強度は発動者の能力に大きく左右される。もしも気を緩めたり、《装甲》の強度が刃のそれに一時でも競り負けたりすれば、指が飛ぶというのに天尊はまったく怖れていなかった。
ビキッ。――天尊によって握られた刀身から異様な音がした。
麗祥はギクッとして自分の剣に目を落とした。刀身には、天尊から握り潰されて亀裂が走っていた。
麗祥が剣を捨てて退こうとした瞬間、天尊から胸倉を掴まれた。
ドボォッ! ――麗祥の腹部に拳がめりこんだ。
的確に鳩尾に先ほどよりも強烈な一撃。天尊が胸倉から手を離してやると、麗祥は腹部を押さえてその場に両膝を突いた。
「お前の母上が悲しまれるだろうから顔は勘弁してやる」
(《装甲》の上からでこの衝撃ッ……!)
内臓の奥のほうから込み上げてくる酸味。麗祥は歯を食い縛ってそれを堪える。
「〝起動予約〟は厄介だが、やりようはある。最初のトリガーを引かせない、とかな」
(ダメだ! やはり接近戦ではダメだ! 私と天哥々とでは比べるべくもない。経験が違いすぎる!)
天尊の声には随分と余裕が感じられた。
麗祥は口惜しさで天尊の爪先を睨んだ。侮られている、弟として、若人として、未熟者として。彼自身が侮る耀龍と大差なく扱われている。
麗祥が握り締める拳は、フルフルと震えた。自負と成長を一瞬で打ち砕かれた。戦士として優秀すぎる兄に、いつになれば手が届く。どれほど努力すれば兄の足下を見ずに済む。顔を上げて肩を並べられる。
「麗」と天尊が呼びかけ、麗祥はジロリと天尊を睨み上げた。
「顔色が良くないぞ、麗」
「何をッ……」
「《徹砲》を同時に三発とは随分景気がいいな。……で、どれだけの時間〝起動予約〟を使っていられる。実戦で運用したことはあるのか。痩せ我慢してまで使う道具は命を縮めるぞ」
「貴男に案じられることではありませんッ」
麗祥は声を荒げて、勢いよく立ち上がった。まだ身体に残る苦痛に耐えて胸を張り、天尊を真正面から指差した。
「私はここに役目を負って参りました。私には、役目を果たす責任と義務がある。そのためには貴男と敵対し、実力行使も辞さない覚悟で。最早、貴男に案じられるような若輩ではない」
もう貴男がご存知の私ではないのです、麗祥は天尊にそう突きつけた。
それをわざわざ声高に宣言せねばならないなんて、この弟はなんと稚拙であり直情であり滑稽であり、健気なのだろう。
任務のために私情を押し殺すことなど、敵味方がひっくり返ることなど、そこまで思い詰めるようなことではない。命令ひとつで何でもやる使いっ走りには日常茶飯事だ。
「…………。そうか」
天尊から返ってきたのは短い返事だけだった。
麗祥も覚悟していた。子どものようにあやしてもらいたいわけでも、我が儘を聞き入れてもらいたいわけでもない。ひとりの男として、秀逸な戦士である天尊との真剣勝負に臨む。
嗚呼、こんなにも呆気ない一言で、彼らは命の剥り合いを開始する。
バヂンッ! バチバチバチィッ!
天尊が自分の拳同士を合わせ、そこから電流が両肩まで一気に迸った。肩で弾けて溢れた電流が地に落ちた。
力が充足してその身から溢れるほどだ。まさにその証左であった。
天尊がブンッと腕を大きく振った。その動きに合わせ、電撃が地面を這って麗祥に向かった。
ズドンッ! ――電撃の侵攻は麗祥が張った牆壁に阻まれた。
麗祥の意識が電撃に逸れた隙に天尊は姿を消した。次に気配を感じたのはすぐ背後。麗祥は振り返ると同時にプログラムを起動させた。
――《灼矢襲》
麗祥から炎が立ち上がり、いくつもの矢の形状となって天尊に襲いかかった。天尊は即座に宙に飛び上がり、燃える矢は地面に突き刺さった。
――《灼矢襲》
麗祥は再度、天尊に矢を射掛けた。
燃え盛りながら寸前に迫る真っ赤な矢。滞空中に射掛けられた天尊は、チッと舌打ちをした。拳を握り、大きく振りかぶった。
ゴアッ、ボフゥッ! ――天尊は迫り来る矢を拳で打ち抜き、払った。
――《変則跳弾》
麗祥は次なるプログラムを発動させた。バスケットボールほどの大きさに膨らんだ光の弾が、空中を縦横無尽に飛び回る。不規則に折れ曲がりながら的を目指す軌道は、発動者すらも意図しない完全なランダム。ましてや天尊には読み切ることはできない。
天尊は炎の矢のように狙い打つことを早々に諦めた。身体の前で両腕を十字に交差させた。
ズドドドーンッ! ――複数の発光する弾丸が天尊に激突した。
天尊は麗祥よりも鞏固な《装甲》を纏っている。しかし、《装甲》を通して少なからず伝わる衝撃を、歯を食い縛って耐えた。
「カッハア……ッ」
天尊は歯を剥き出しにして歯列の隙間から深く息を吐き出した。その表情にはまだ余裕の笑みが浮かんでいた。
反対に、麗祥の表情には苦々しさが滲んだ。《変則跳弾》の全弾直撃を受けて持ち堪えるとは、天尊の《装甲》の強度は麗祥の予想を遥かに上回る。やはり並々ならぬ強敵であると認めざるを得ない。
宙で停止していた天尊が、突然爆発的に発進した。麗祥に向かって高速で一直線に突き進む。
麗祥はその場から一歩も動かずに待ち構えた。天尊の手が届きそうになった瞬間、ボコッと地面が盛り上がった。
「!」
地面の異変に気づき、天尊はハッとして宙で身を捩った。
――《茨荊塀》
ザリィッ! ブチッ、ブシュウッ! ――地表が鋭利な槍へと変化して迫り上がり、天尊の身体を切り裂いた。
天尊は血飛沫を巻き上げ、地表や麗祥の衣にぶつかって弾けた。
手の甲に張りついた血液が生温く、そしてすぐに熱を失って赤い穢れと化す。これが、身を削り合い、痛みを喰らい合い、命を奪い合うということの現実。血を分けた兄弟であろうとも敵として対峙するということの苛烈。
天尊は槍に人体の急所を突かれることはすんでのところで回避した。地面に俯せに貼りついていた体勢からガバッと起き上がった。麗祥を視界に捉え、眼前にあったのは、砲口。
エネルギーを収斂する光。視界は真っ白に呑まれた。天尊は一瞬停止した。
――《徹砲》
ドゥンッ!
天尊は砲口がエネルギー弾を発射するより一瞬早く、横方向へ跳んだ。思考よりも反射神経が肉体を動かした。
麗祥は天尊の行き先を追って砲口の角度を変えた。
ドゥンッ! ドゥンッ!
天尊の移動は早い。跳んだり跳ねたりしながら円上に移動されては麗祥の知覚では追い切れるのは困難だ。
砲弾を三度発射したところで攻撃は止まった。天尊は麗祥から少し離れた地点で足を停めた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
麗祥は肩を大きく上下させながら天尊を睨んだ。
「また三連発か。景気いいじゃないか、麗ィ」と天尊はカカッと笑った。
「だが最悪の顔色だな。そろそろ息切れしてきたか」
何を馬鹿なことを、と麗祥は笑い飛ばしたかった。しかし、呼吸が乱れて威勢のよい反論を繰り出せなかった。黙して天尊を睨むのが、精いっぱいの強がりだ。
「プログラムは習えば上手くなる、道具は使えば馴れる。だが、ネェベルの総量や〝回路〟の回転数はちょっとやそっと努力した程度で変わるものじゃない。高出力のプログラムばかりこんな無茶苦茶な連発をかませば、そろそろネェベルが足りなくなってきたんじゃないか。プログラム無しじゃあ、俺の相手にお前では話にならん。だからこその〝起動予約〟だったはずだ。降参しておとなしくアスガルトへ帰れ、麗」
――兄は強い人だ。いつも私よりも先へ行く。
兄は満身創痍だ。衣服はボロボロに破れ、足を切り裂かれ、全身に攻撃を受け、それにも拘わらず泰然とした態度を崩さず圧倒しようとする。ならば、麗祥も弱味など見せるわけにはいかない。敵対すると覚悟を決めたときに、情や甘えを捨てた。譬え、実力が遠く及ばないと分かっていても、断じて退くことなどあってはならない。
麗祥は呼吸を整えて背筋をピンと伸ばした。身体の正面を天尊のほうへと向き直って真っ直ぐに見据えた。
きっと、兄にはこの行為もすべて強がりだと見透かされたことだろう。構いやしない。強がりすらできなくなってしまえば矜恃を損なう。
「私の任務は貴男と、貴男の《オプファル》を連れ帰ること。私ひとりで帰還するなど何の意味も無い。貴男もよくお分かりのはずです」
「何を必死になっている。お前は命令ひとつで切羽詰まるような身分じゃない」
「私は貴男の真似をしているだけですよ」
麗祥の言葉は意外だった。天尊は片方の眉を引き上げた。
「貴男は、任務を果たせず帰還したことなどない。どのように危険な戦地であっても生き抜き、どのように困難な任務であっても必ず完遂する優秀な軍人です。そして、何に替えても軍務を優先する方です。我ら弟よりも……。そんな貴男を何よりも誇らしく思い、立派な兄である貴男を心から敬愛しております」
天尊も耀龍も、麗祥の言葉に嘘はないと思った。
耀龍に至っては、麗祥が兄である天尊と敵対するこの現状のほうが余程嘘っぽいと思った。幼い頃から競うようにして共に天尊の後ろをついて回った、どちらがより傍にいられるか取り合った。同じ兄弟であるからこそ。
「そんな貴男が、命令を無視してまで、隊を放ってまで、ミズガルズに留まるのは何故ですか、天哥々!」
麗祥の胸にあったのは、最も信頼するものに裏切られた絶望だ。かつて耀龍も似たものを感じたように。自分の知る兄でなくなること、それは兄に憧れて後を追う弟たちにとっては裏切りに等しい。愛していればいるほど、信頼していればいるほど、裏切られたときの落胆や絶望は大きくなる。
「ここにはアキラがいる。俺はアキラから離れるつもりはない」
「たかが人間ではありませんか。何をこだわっておられるのですか」
「俺にとってはただの人間じゃない」
「確かにただの人間ではない。唯ひとりの貴男の《オプファル》。しかし《オプファル》であるからこそアスガルトへ連れ帰らねば意味はありません。かつて一度、龍も貴男を連れ戻す任を負いました。弟である私や龍がお戻りくださいと申し上げても、聞き入れてはくださらないのですか。我ら兄弟よりもその人間の娘ひとりを選ぶと、そう仰有るのですか……ッ」
天尊からの返答は無かった。
否定してほしかったのに、否定してくれることをわずかに期待していたのに、望みはひとつも叶いはしない。裏切られた心が麗祥を苛んだ。
「貴男にとって私は何です? 人間にも劣る存在ですか! 貴男にとって弟とは……そうも簡単に無視してしまえる取るに足らない存在ですか!」
叫んだのは麗祥だったが、耀龍はギュッと自分の胸元を握り締めた。
麗祥の言葉は悲鳴のように耀龍の胸に刺さる。麗祥は耀龍が押しこめている感情とほとんど同じものを、馬鹿正直に言葉にして天尊にぶつけるから。
いいや、違うと、一番大切なものはお前たち弟だと、そう言ってほしい。今さらながら未練がましく心の何処かで願っている。
「俺はアキラを愛している。それ以上の理由はない。だからここから離れん」
――天哥々……! 嗚呼、貴男はやはりそうなってしまった……ッ!
耀龍の心臓は大きく鼓動した。
そうだ、兄は自分よりも愛する者を選び取ったのだ。男が女を愛し、愛する女を守り、粉骨砕身する。当然じゃあないか。だからこの心臓よ、裏切られたなどと何度も何度も絶望してくれるな。
麗祥の視野からも天尊は忽然と消えていた。咄嗟に身構えてあちこちに視線を配って天尊の姿を探すが、見出すことはできなかった。
ズドンッ! ――麗祥の脇腹に短刀を突き立てられたような衝撃。
天尊の拳は細身の麗祥を身体ごと殴り飛ばした。
しかしながら、麗祥の反応は天尊が思ったほどでもなかった。麗祥は表情を歪めながらも腰に佩いた剣の柄を手に取った。
「《装甲》か。基本はできるようだ」
麗祥の身体を覆う不可視の皮膜の鎧。衝撃を吸収・緩和する。プログラムを扱える者にとっては初歩的かつ堅実な防御手段のひとつだ。兄から見れば実戦経験の乏しい弟とはいえ、生身で戦いに臨むほど無謀ではなかった。
ヒュンッ、と麗祥は鞘から長剣を一息で抜き放った。
天尊は上半身を仰け反らせて初撃を回避。
「はあッ!」
麗祥は天尊へ踏みこんで何度か立て続けに剣の刺突を繰り出した。
天尊はその刺突を完全に見切っており、身体を左右に振って躱した。
ガツッ。――麗祥の幾度目かの刺突が空を突き、剣を引き戻そうとした瞬間、天尊に刀身を捕まえられた。
天尊の腕力に抗って引き戻そうとしてもビクともしない。いくら《装甲》を纏っているとはいえ素手で刃を握り締めるなど麗祥の想定外だ。
基本的な防御手段とはいえ《装甲》の強度は発動者の能力に大きく左右される。もしも気を緩めたり、《装甲》の強度が刃のそれに一時でも競り負けたりすれば、指が飛ぶというのに天尊はまったく怖れていなかった。
ビキッ。――天尊によって握られた刀身から異様な音がした。
麗祥はギクッとして自分の剣に目を落とした。刀身には、天尊から握り潰されて亀裂が走っていた。
麗祥が剣を捨てて退こうとした瞬間、天尊から胸倉を掴まれた。
ドボォッ! ――麗祥の腹部に拳がめりこんだ。
的確に鳩尾に先ほどよりも強烈な一撃。天尊が胸倉から手を離してやると、麗祥は腹部を押さえてその場に両膝を突いた。
「お前の母上が悲しまれるだろうから顔は勘弁してやる」
(《装甲》の上からでこの衝撃ッ……!)
内臓の奥のほうから込み上げてくる酸味。麗祥は歯を食い縛ってそれを堪える。
「〝起動予約〟は厄介だが、やりようはある。最初のトリガーを引かせない、とかな」
(ダメだ! やはり接近戦ではダメだ! 私と天哥々とでは比べるべくもない。経験が違いすぎる!)
天尊の声には随分と余裕が感じられた。
麗祥は口惜しさで天尊の爪先を睨んだ。侮られている、弟として、若人として、未熟者として。彼自身が侮る耀龍と大差なく扱われている。
麗祥が握り締める拳は、フルフルと震えた。自負と成長を一瞬で打ち砕かれた。戦士として優秀すぎる兄に、いつになれば手が届く。どれほど努力すれば兄の足下を見ずに済む。顔を上げて肩を並べられる。
「麗」と天尊が呼びかけ、麗祥はジロリと天尊を睨み上げた。
「顔色が良くないぞ、麗」
「何をッ……」
「《徹砲》を同時に三発とは随分景気がいいな。……で、どれだけの時間〝起動予約〟を使っていられる。実戦で運用したことはあるのか。痩せ我慢してまで使う道具は命を縮めるぞ」
「貴男に案じられることではありませんッ」
麗祥は声を荒げて、勢いよく立ち上がった。まだ身体に残る苦痛に耐えて胸を張り、天尊を真正面から指差した。
「私はここに役目を負って参りました。私には、役目を果たす責任と義務がある。そのためには貴男と敵対し、実力行使も辞さない覚悟で。最早、貴男に案じられるような若輩ではない」
もう貴男がご存知の私ではないのです、麗祥は天尊にそう突きつけた。
それをわざわざ声高に宣言せねばならないなんて、この弟はなんと稚拙であり直情であり滑稽であり、健気なのだろう。
任務のために私情を押し殺すことなど、敵味方がひっくり返ることなど、そこまで思い詰めるようなことではない。命令ひとつで何でもやる使いっ走りには日常茶飯事だ。
「…………。そうか」
天尊から返ってきたのは短い返事だけだった。
麗祥も覚悟していた。子どものようにあやしてもらいたいわけでも、我が儘を聞き入れてもらいたいわけでもない。ひとりの男として、秀逸な戦士である天尊との真剣勝負に臨む。
嗚呼、こんなにも呆気ない一言で、彼らは命の剥り合いを開始する。
バヂンッ! バチバチバチィッ!
天尊が自分の拳同士を合わせ、そこから電流が両肩まで一気に迸った。肩で弾けて溢れた電流が地に落ちた。
力が充足してその身から溢れるほどだ。まさにその証左であった。
天尊がブンッと腕を大きく振った。その動きに合わせ、電撃が地面を這って麗祥に向かった。
ズドンッ! ――電撃の侵攻は麗祥が張った牆壁に阻まれた。
麗祥の意識が電撃に逸れた隙に天尊は姿を消した。次に気配を感じたのはすぐ背後。麗祥は振り返ると同時にプログラムを起動させた。
――《灼矢襲》
麗祥から炎が立ち上がり、いくつもの矢の形状となって天尊に襲いかかった。天尊は即座に宙に飛び上がり、燃える矢は地面に突き刺さった。
――《灼矢襲》
麗祥は再度、天尊に矢を射掛けた。
燃え盛りながら寸前に迫る真っ赤な矢。滞空中に射掛けられた天尊は、チッと舌打ちをした。拳を握り、大きく振りかぶった。
ゴアッ、ボフゥッ! ――天尊は迫り来る矢を拳で打ち抜き、払った。
――《変則跳弾》
麗祥は次なるプログラムを発動させた。バスケットボールほどの大きさに膨らんだ光の弾が、空中を縦横無尽に飛び回る。不規則に折れ曲がりながら的を目指す軌道は、発動者すらも意図しない完全なランダム。ましてや天尊には読み切ることはできない。
天尊は炎の矢のように狙い打つことを早々に諦めた。身体の前で両腕を十字に交差させた。
ズドドドーンッ! ――複数の発光する弾丸が天尊に激突した。
天尊は麗祥よりも鞏固な《装甲》を纏っている。しかし、《装甲》を通して少なからず伝わる衝撃を、歯を食い縛って耐えた。
「カッハア……ッ」
天尊は歯を剥き出しにして歯列の隙間から深く息を吐き出した。その表情にはまだ余裕の笑みが浮かんでいた。
反対に、麗祥の表情には苦々しさが滲んだ。《変則跳弾》の全弾直撃を受けて持ち堪えるとは、天尊の《装甲》の強度は麗祥の予想を遥かに上回る。やはり並々ならぬ強敵であると認めざるを得ない。
宙で停止していた天尊が、突然爆発的に発進した。麗祥に向かって高速で一直線に突き進む。
麗祥はその場から一歩も動かずに待ち構えた。天尊の手が届きそうになった瞬間、ボコッと地面が盛り上がった。
「!」
地面の異変に気づき、天尊はハッとして宙で身を捩った。
――《茨荊塀》
ザリィッ! ブチッ、ブシュウッ! ――地表が鋭利な槍へと変化して迫り上がり、天尊の身体を切り裂いた。
天尊は血飛沫を巻き上げ、地表や麗祥の衣にぶつかって弾けた。
手の甲に張りついた血液が生温く、そしてすぐに熱を失って赤い穢れと化す。これが、身を削り合い、痛みを喰らい合い、命を奪い合うということの現実。血を分けた兄弟であろうとも敵として対峙するということの苛烈。
天尊は槍に人体の急所を突かれることはすんでのところで回避した。地面に俯せに貼りついていた体勢からガバッと起き上がった。麗祥を視界に捉え、眼前にあったのは、砲口。
エネルギーを収斂する光。視界は真っ白に呑まれた。天尊は一瞬停止した。
――《徹砲》
ドゥンッ!
天尊は砲口がエネルギー弾を発射するより一瞬早く、横方向へ跳んだ。思考よりも反射神経が肉体を動かした。
麗祥は天尊の行き先を追って砲口の角度を変えた。
ドゥンッ! ドゥンッ!
天尊の移動は早い。跳んだり跳ねたりしながら円上に移動されては麗祥の知覚では追い切れるのは困難だ。
砲弾を三度発射したところで攻撃は止まった。天尊は麗祥から少し離れた地点で足を停めた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
麗祥は肩を大きく上下させながら天尊を睨んだ。
「また三連発か。景気いいじゃないか、麗ィ」と天尊はカカッと笑った。
「だが最悪の顔色だな。そろそろ息切れしてきたか」
何を馬鹿なことを、と麗祥は笑い飛ばしたかった。しかし、呼吸が乱れて威勢のよい反論を繰り出せなかった。黙して天尊を睨むのが、精いっぱいの強がりだ。
「プログラムは習えば上手くなる、道具は使えば馴れる。だが、ネェベルの総量や〝回路〟の回転数はちょっとやそっと努力した程度で変わるものじゃない。高出力のプログラムばかりこんな無茶苦茶な連発をかませば、そろそろネェベルが足りなくなってきたんじゃないか。プログラム無しじゃあ、俺の相手にお前では話にならん。だからこその〝起動予約〟だったはずだ。降参しておとなしくアスガルトへ帰れ、麗」
――兄は強い人だ。いつも私よりも先へ行く。
兄は満身創痍だ。衣服はボロボロに破れ、足を切り裂かれ、全身に攻撃を受け、それにも拘わらず泰然とした態度を崩さず圧倒しようとする。ならば、麗祥も弱味など見せるわけにはいかない。敵対すると覚悟を決めたときに、情や甘えを捨てた。譬え、実力が遠く及ばないと分かっていても、断じて退くことなどあってはならない。
麗祥は呼吸を整えて背筋をピンと伸ばした。身体の正面を天尊のほうへと向き直って真っ直ぐに見据えた。
きっと、兄にはこの行為もすべて強がりだと見透かされたことだろう。構いやしない。強がりすらできなくなってしまえば矜恃を損なう。
「私の任務は貴男と、貴男の《オプファル》を連れ帰ること。私ひとりで帰還するなど何の意味も無い。貴男もよくお分かりのはずです」
「何を必死になっている。お前は命令ひとつで切羽詰まるような身分じゃない」
「私は貴男の真似をしているだけですよ」
麗祥の言葉は意外だった。天尊は片方の眉を引き上げた。
「貴男は、任務を果たせず帰還したことなどない。どのように危険な戦地であっても生き抜き、どのように困難な任務であっても必ず完遂する優秀な軍人です。そして、何に替えても軍務を優先する方です。我ら弟よりも……。そんな貴男を何よりも誇らしく思い、立派な兄である貴男を心から敬愛しております」
天尊も耀龍も、麗祥の言葉に嘘はないと思った。
耀龍に至っては、麗祥が兄である天尊と敵対するこの現状のほうが余程嘘っぽいと思った。幼い頃から競うようにして共に天尊の後ろをついて回った、どちらがより傍にいられるか取り合った。同じ兄弟であるからこそ。
「そんな貴男が、命令を無視してまで、隊を放ってまで、ミズガルズに留まるのは何故ですか、天哥々!」
麗祥の胸にあったのは、最も信頼するものに裏切られた絶望だ。かつて耀龍も似たものを感じたように。自分の知る兄でなくなること、それは兄に憧れて後を追う弟たちにとっては裏切りに等しい。愛していればいるほど、信頼していればいるほど、裏切られたときの落胆や絶望は大きくなる。
「ここにはアキラがいる。俺はアキラから離れるつもりはない」
「たかが人間ではありませんか。何をこだわっておられるのですか」
「俺にとってはただの人間じゃない」
「確かにただの人間ではない。唯ひとりの貴男の《オプファル》。しかし《オプファル》であるからこそアスガルトへ連れ帰らねば意味はありません。かつて一度、龍も貴男を連れ戻す任を負いました。弟である私や龍がお戻りくださいと申し上げても、聞き入れてはくださらないのですか。我ら兄弟よりもその人間の娘ひとりを選ぶと、そう仰有るのですか……ッ」
天尊からの返答は無かった。
否定してほしかったのに、否定してくれることをわずかに期待していたのに、望みはひとつも叶いはしない。裏切られた心が麗祥を苛んだ。
「貴男にとって私は何です? 人間にも劣る存在ですか! 貴男にとって弟とは……そうも簡単に無視してしまえる取るに足らない存在ですか!」
叫んだのは麗祥だったが、耀龍はギュッと自分の胸元を握り締めた。
麗祥の言葉は悲鳴のように耀龍の胸に刺さる。麗祥は耀龍が押しこめている感情とほとんど同じものを、馬鹿正直に言葉にして天尊にぶつけるから。
いいや、違うと、一番大切なものはお前たち弟だと、そう言ってほしい。今さらながら未練がましく心の何処かで願っている。
「俺はアキラを愛している。それ以上の理由はない。だからここから離れん」
――天哥々……! 嗚呼、貴男はやはりそうなってしまった……ッ!
耀龍の心臓は大きく鼓動した。
そうだ、兄は自分よりも愛する者を選び取ったのだ。男が女を愛し、愛する女を守り、粉骨砕身する。当然じゃあないか。だからこの心臓よ、裏切られたなどと何度も何度も絶望してくれるな。
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でも、そんな彼のそばには、優しく寄り添ってくれる猫のショパン、明るく前向きな幼なじみのアオイ、そして密かに想いを寄せてくれるクラスメイトの真澄がいます。
この物語は、音楽の才能を問う話ではありません。「自分って、いったい何だろう」「本当にこのままでいいの?」と迷うあなたのための物語です。
涼の奏でる音には、喜びや悲しみ、焦りや希望――そんな揺れる気持ちがそのまま込められています。とても静かで、だけど胸の奥に深く届く音です。
読んでいると、あなたの中にもある「ちょっとだけ信じたい自分の何か」が、そっと息を吹き返してくれるかもしれません。
誰かに認められるためじゃなく、誰かを驚かせるためでもなく、「自分が自分のままでもいいんだ」と思える――そんな瞬間が、この物語のどこかできっと、あなたを待っています。
ひとつの旋律のように、やさしく、切なく、でも温かい時間を、どうかあなたもこの物語の中で過ごしてみてください。
あなたの心にも、きっと「あなただけの音」があるはずです。
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