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Kapitel 13:雷鎚
復讐者 01
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或る日の夕方。下校中の通学路。
白はひとりで帰路を歩いていた。本日の銀太のお迎えは天尊が担った。
脳内は本日の夕飯の献立。食事は毎日のことだから、パターン化してしまいやすい。現在、疋堂家の食卓には、姉弟ふたりに加えて食べ盛りの男性が三人もいる。幸い、三人ともに食卓に何を出しても綺麗に平らげてくれるが、毎日繰り返すことだからこそ可能な限り献立のマンネリ化は避けたいところだ。
(ハンバーグは一昨日作ったし、カレーは先週作った。ティエンに食べたいものを訊いてもおにぎりだから参考にならない。ロンはボクが作ったことないものを言うからなー。……うう~ん、レパートリーをもっと増やしたい。冷蔵庫に玉子があったから、今日のところはオムレツにしようかな)
不意に鼻から吸いこんだ空気が冷たくてツーンと痛みが走った。
ハーッと強めに息を吐いてみると、わずかに白くなった。もうすっかり冬だ。昼間は風さえなければ過ごしやすい気温だが、日が暮れると急激に冷えこむ。
(寒くなってきたからお鍋もいいなー。材料の買い出しがちょっと大変なんだよね)
白は寒さが苦手だ。だから、その寒さを吹き飛ばしてくれる温かい食べ物や飲み物は好物だ。弟とふたりきりではなかなか鍋物をやろうとはならないが、五人もいれば鍋らしくなるというものだ。その分、必要な具材が多くなるから、今度天尊に買い出しを手伝ってもらおう。
考え事をしつつ帰路を歩んでいた白の視界に、ふと人影が伸びてきた。長い三つの影が、足下まで真っすぐに伸びてきた。
顔を上げると三つの人物が、白の進行方向を塞ぐようにして歩道の真ん中に立っていた。中央に女性がひとり、その両脇に男性がひとりずつ。
女性はボリューム豊かな髪を持ち、スラリと長身。片側の男性は、前髪が長く目許が確認できないが、女性と同じくらいの年頃に見えた。もう一方の男性は、縁花くらいの体格をした屈強な大男であり、ほかのふたりの男女よりも年嵩そうな相貌だ。
三人共に似たような装束を身に纏う。胸当てに手甲といった武装をし、帯刀までしている。通りがかりの一般人でないことは疑いようもない。以前、天尊が撃退した者たちとは趣が異なるが、同じく異界からやってきたのであろう。
そこまで分かっていても、白のほうから声はかけなかった。なるべくなら関わりたくない。このまま回れ右して、走ってこの場から離れたい気持ちだ。
「動くな」
白は行動に移す前に釘を刺されてギクッとした。
「白い男を知りおるか」
「白い男?」
無論、白は脳内に天尊が思い浮かんだが、鸚鵡返しした。彼らに気取られないよう慎重にジリッと一歩後退った。
「白髪の雷使い――……否、髪どころか肌も眼も白く、頭の天辺から足の先まで真白い男。《雷鎚》と呼ばれる悪魔だ」
「ミョルニル……」
白はまた鸚鵡返しをした。
その呼び名は耀龍も天尊自身も教えてくれなかったが、おそらく天尊を指す。以前それを口にしたのは、この世のものとは思えない化け物だった。
「知りおろう。エインヘリヤル三本爪飛竜騎兵大隊が大隊長――――ウーティエンゾン・ニーズヘクルメギルだ」
刹那、女性の目がギラッと煌めいて白はギクッと射竦められた。縦に細長い瞳孔、暗がりに光る金がかった双眸、まるで猛禽の目。
ダッ。――白は彼らに背を向けて駆け出した。
腕を振り足を上げて全力で、歩いてきた道を戻った。よく考えた末の行動ではない。とにかく彼らと対峙してはいけないと思った。
あれはダメだ。人間に近い形状をして言語を解してもやはりダメだ。あれは、彼らは、人間とは異なる生き物、異界の住人。彼らの正体など知らないが、彼らにとって白などは無力な獲物に過ぎない。異界の住人がいつも白に敢えて尋ねてみせるのは、歴然たる能力差を自覚した上での余裕だ。
バサンッ!
背後で鳥の羽搏きのような音が聞こえた。
否、鳥にしては大きすぎる。アスファルトと電線だらけの街中にこのように大きな鳥はいない。このような日暮れに飛ばない。
全力で駆ける白の上に大きな影が覆い被さった。左右に大きく翼を広げた怪鳥の影が、白の影をすっぽりと呑みこんだ。
「動くなと言ったはずだ」
ドスンッ! ――頭上から声が降って来た次の瞬間、白のうなじを衝撃が穿った。
白は卒倒してアスファルトに倒れこんだ。
§ § § § §
疋堂家・リビング。
銀太と耀龍は、いつも通りリビングのカーペットの上に座ってテレビゲームをしていた。
「遅い!」
天尊は腕組みをして仁王立ちの体勢で声を上げた。
耀龍はポチッとゲームコントローラーのポーズボタンを押して天尊を見上げた。
「遅いって、アキラが?」
「ほかに誰だ」
天尊は不機嫌そうに放言した。
耀龍は壁掛け時計に目を遣った。
「確かにいつもよりちょっと遅いけど。買い物に時間がかかってるんじゃない? もしくは、学校の用事とかさ。アキラは役職持ちで忙しいんでしょ。あ。友だちと遊んでてうっかりしてるとか」
「アキラは予定があるときは必ず連絡する」
「スマホ持ってないとこーゆーとき不便だね」
「スマホというのは、あの小さな通信機か。そういえばよく見かけるな」
「そう。人間はみんな持ってるよ。買ってあげなよ、天哥々」
「機械がないと連絡も取れん。人間の不便さをいま実感している」
「その面倒臭さが趣があっていいんじゃない」
「オレはらへった~」
銀太がゲームのコントローラを放り出してカーペットの上にゴロンと大の字に寝転がった。
耀龍は後方に手を突き顎の角度をやや上げ、縁花のほうへ顔を向けた。
「オレもお腹空いたな。縁花、何か作ってよ」
「畏まりました。では材料を買って参ります」
「今からか。家にあるモンでどうにかできんのか。アキラは冷蔵庫の中身を見てサッサッと作るぞ」
「私には姑娘と同等のスキルはございません」
銀太はカーペットからガバッと上半身を起こして縁花を見上げた。
「ユェンなにつくるんだ? オレもかいものついていってやってもいいぞ」
「先日姑娘から御指導いただきましたホットケーキを」
………………。――銀太は無言で縁花を見詰める。
縁花も無言で銀太と向き合った。
「ホットケーキはよるのゴハンじゃないぞ」と銀太。
「俺も晩飯に甘ったるいモンは食いたくない。ほかに何か作れんのか」
「ほかにと仰有いますと?」
「俺はオニギリがいい。オニギリを作れ」
「オニギリとはどのようなものでしょうか、大隊長」
「使えんッ」
天尊は縁花に向かって正面から断言した。
耀龍は顎に手を添え、うーん、と唸った。
「こういうときに困るからアキラに猛特訓してもらおっかなー」
「メシは死活問題だぞ。しっかり教育しろ、龍」
ザワッ。――天尊と縁花は、ほぼ同時に何かの気配を感じ取った。
ふたりともパッとベランダのほうに顔を向けた。
「縁花?」
「しばしお静かに。耀龍様」
天尊と縁花は、またほぼ同時にハッとして動いた。
天尊は銀太を抱え上げてベランダに背を向けて翼を広げた。縁花は素早く耀龍の眼前に立って背中に庇った。
バリィインッ! ――突如、ベランダのガラス戸が破裂した。
「うわぁあッ!」と驚いた銀太が声を上げた。
彼らは追撃に備えて身構えたが、それきり何事も起こらなかった。緊張して静まり返った室内に、破裂したガラス戸から風が吹きこんできた。
「気配が消えた」
天尊は先ほど出現した何者かの気配が感知できなくなり、ひとまず危険は去ったと判断して両翼を消失させた。
「耀龍様。御怪我はございませんか」
「オレは大丈夫」
縁花は耀龍の衣服に付着した小さなガラス片を手で払い落とした。大きな破片は天尊同様、翼によって防いだ。
それから、耀龍の無事を確認した縁花は、ベランダへと近づいた。
天尊は足元のガラスを足で払い除けてスペースを作り、銀太を床に下ろした。
「あまり動くなよ。ガラスで怪我するぞ」
銀太は、うん、と頷いて返事をした。
「大隊長」
ベランダから戻った縁花は、耀龍ではなく天尊の前で足を止めた。その手に持っているものを天尊に差し出した。
それは大きな羽根。羽毛は固く頑丈そうで、羽軸はまるで鋼のようだ。
天尊はこれを何かの拍子に偶然室内に紛れこんだものなどとは思わなかった。おそらく、このようなものはこの世界には存在しない。これは天尊たちの世界の代物だ。
「……〝獣の羽〟か」
「メッセージ付きです」
天尊は縁花の手から羽根を取った。
天尊が羽根に目を落とし沈黙して数秒後、その形相は見る見るうちに変化した。羽根を握り締める拳がブルブルと震えだした。
耀龍は自分の皮膚がざわざわと粟立つのを感じ、天尊を黙って見詰めた。天尊を不用意に刺激するのが恐ろしくて声をかけられなかった。
パリッ……パツンッパツンッパツンッ。
天尊の周囲の空間を電流が奔り、弾け、火花が散った。
縁花は天尊から数歩距離を取って耀龍と銀太を背中に庇った。
バチンッ! ――天尊の掌中で電流が弾け、握り締めていた鋼の羽根が砕け散った。
ドンッ!
床が爆発したような衝撃だった。天尊は猛烈な力で床を蹴り、弾頭のような速さでベランダから外へ飛び出していった。
「天哥々ーー⁉」
耀龍はすぐに天尊を追ってベランダに出た。
夜空を突っ切る流星のような直線が視界を掠めただけ。天尊の姿を目視することはできなかった。
耀龍は縁花のほうを振り返った。
「あのメッセージ、何? 縁花も読んだ?」
「いいえ。大隊長宛としか」
「天哥々を追える?」
「御命令とあらば」
「ロン! ユェン!」
ベランダから飛び立とうとした耀龍と縁花を、銀太が呼び止めた。
銀太は床に飛び散ったガラス片に一切注意せず耀龍に駆け寄った。
「動き回ると危ないよギンタ。ガラスだらけだ」
「ティエンどうしたんだ。どこいったんだ。アキラか? アキラがどうかしたのかッ? なあ!」
耀龍は察しがいいなあと感心した。
幼い彼にも天尊が血相を変えて飛び出してゆく理由をほかに思いつかなかったのか、それとも最初から白のことしか頭にないのか。
とにかく、天尊も銀太も冷静でないことは明白だ。耀龍は銀太を安心させようと、目の前にしゃがみこんでにっこりと微笑みかけた。
「天哥々がいるんだから大丈夫だよ。心配ない。オレはちょっと天哥々の様子を見てくるね」
「オレもいく! つれてけ!」
銀太は耀龍の衣服の袖をガッと掴んだ。
「ダメ。ギンタはここで待ってて」
「なんでだよッ」
銀太はかなり乱暴な物言いだが、耀龍は叱らなかった。銀太の頬を両手で優しく包み、自分の額を銀太の額にコツンとつけた。
「ギンタが大人になったらきっと分かるよ」
耀龍が小声で何かを呟いた途端、銀太は意識を失った。全身から脱力してカクンッと膝を折った。
耀龍は、くたりと撓垂れかかった銀太を腕に乗せて支えた。
「おやすみ、ギンタ。何も心配しないで眠ってて。目が覚めたら、大好きなアキラとオレたちみんなでゴハン食べよう」
白はひとりで帰路を歩いていた。本日の銀太のお迎えは天尊が担った。
脳内は本日の夕飯の献立。食事は毎日のことだから、パターン化してしまいやすい。現在、疋堂家の食卓には、姉弟ふたりに加えて食べ盛りの男性が三人もいる。幸い、三人ともに食卓に何を出しても綺麗に平らげてくれるが、毎日繰り返すことだからこそ可能な限り献立のマンネリ化は避けたいところだ。
(ハンバーグは一昨日作ったし、カレーは先週作った。ティエンに食べたいものを訊いてもおにぎりだから参考にならない。ロンはボクが作ったことないものを言うからなー。……うう~ん、レパートリーをもっと増やしたい。冷蔵庫に玉子があったから、今日のところはオムレツにしようかな)
不意に鼻から吸いこんだ空気が冷たくてツーンと痛みが走った。
ハーッと強めに息を吐いてみると、わずかに白くなった。もうすっかり冬だ。昼間は風さえなければ過ごしやすい気温だが、日が暮れると急激に冷えこむ。
(寒くなってきたからお鍋もいいなー。材料の買い出しがちょっと大変なんだよね)
白は寒さが苦手だ。だから、その寒さを吹き飛ばしてくれる温かい食べ物や飲み物は好物だ。弟とふたりきりではなかなか鍋物をやろうとはならないが、五人もいれば鍋らしくなるというものだ。その分、必要な具材が多くなるから、今度天尊に買い出しを手伝ってもらおう。
考え事をしつつ帰路を歩んでいた白の視界に、ふと人影が伸びてきた。長い三つの影が、足下まで真っすぐに伸びてきた。
顔を上げると三つの人物が、白の進行方向を塞ぐようにして歩道の真ん中に立っていた。中央に女性がひとり、その両脇に男性がひとりずつ。
女性はボリューム豊かな髪を持ち、スラリと長身。片側の男性は、前髪が長く目許が確認できないが、女性と同じくらいの年頃に見えた。もう一方の男性は、縁花くらいの体格をした屈強な大男であり、ほかのふたりの男女よりも年嵩そうな相貌だ。
三人共に似たような装束を身に纏う。胸当てに手甲といった武装をし、帯刀までしている。通りがかりの一般人でないことは疑いようもない。以前、天尊が撃退した者たちとは趣が異なるが、同じく異界からやってきたのであろう。
そこまで分かっていても、白のほうから声はかけなかった。なるべくなら関わりたくない。このまま回れ右して、走ってこの場から離れたい気持ちだ。
「動くな」
白は行動に移す前に釘を刺されてギクッとした。
「白い男を知りおるか」
「白い男?」
無論、白は脳内に天尊が思い浮かんだが、鸚鵡返しした。彼らに気取られないよう慎重にジリッと一歩後退った。
「白髪の雷使い――……否、髪どころか肌も眼も白く、頭の天辺から足の先まで真白い男。《雷鎚》と呼ばれる悪魔だ」
「ミョルニル……」
白はまた鸚鵡返しをした。
その呼び名は耀龍も天尊自身も教えてくれなかったが、おそらく天尊を指す。以前それを口にしたのは、この世のものとは思えない化け物だった。
「知りおろう。エインヘリヤル三本爪飛竜騎兵大隊が大隊長――――ウーティエンゾン・ニーズヘクルメギルだ」
刹那、女性の目がギラッと煌めいて白はギクッと射竦められた。縦に細長い瞳孔、暗がりに光る金がかった双眸、まるで猛禽の目。
ダッ。――白は彼らに背を向けて駆け出した。
腕を振り足を上げて全力で、歩いてきた道を戻った。よく考えた末の行動ではない。とにかく彼らと対峙してはいけないと思った。
あれはダメだ。人間に近い形状をして言語を解してもやはりダメだ。あれは、彼らは、人間とは異なる生き物、異界の住人。彼らの正体など知らないが、彼らにとって白などは無力な獲物に過ぎない。異界の住人がいつも白に敢えて尋ねてみせるのは、歴然たる能力差を自覚した上での余裕だ。
バサンッ!
背後で鳥の羽搏きのような音が聞こえた。
否、鳥にしては大きすぎる。アスファルトと電線だらけの街中にこのように大きな鳥はいない。このような日暮れに飛ばない。
全力で駆ける白の上に大きな影が覆い被さった。左右に大きく翼を広げた怪鳥の影が、白の影をすっぽりと呑みこんだ。
「動くなと言ったはずだ」
ドスンッ! ――頭上から声が降って来た次の瞬間、白のうなじを衝撃が穿った。
白は卒倒してアスファルトに倒れこんだ。
§ § § § §
疋堂家・リビング。
銀太と耀龍は、いつも通りリビングのカーペットの上に座ってテレビゲームをしていた。
「遅い!」
天尊は腕組みをして仁王立ちの体勢で声を上げた。
耀龍はポチッとゲームコントローラーのポーズボタンを押して天尊を見上げた。
「遅いって、アキラが?」
「ほかに誰だ」
天尊は不機嫌そうに放言した。
耀龍は壁掛け時計に目を遣った。
「確かにいつもよりちょっと遅いけど。買い物に時間がかかってるんじゃない? もしくは、学校の用事とかさ。アキラは役職持ちで忙しいんでしょ。あ。友だちと遊んでてうっかりしてるとか」
「アキラは予定があるときは必ず連絡する」
「スマホ持ってないとこーゆーとき不便だね」
「スマホというのは、あの小さな通信機か。そういえばよく見かけるな」
「そう。人間はみんな持ってるよ。買ってあげなよ、天哥々」
「機械がないと連絡も取れん。人間の不便さをいま実感している」
「その面倒臭さが趣があっていいんじゃない」
「オレはらへった~」
銀太がゲームのコントローラを放り出してカーペットの上にゴロンと大の字に寝転がった。
耀龍は後方に手を突き顎の角度をやや上げ、縁花のほうへ顔を向けた。
「オレもお腹空いたな。縁花、何か作ってよ」
「畏まりました。では材料を買って参ります」
「今からか。家にあるモンでどうにかできんのか。アキラは冷蔵庫の中身を見てサッサッと作るぞ」
「私には姑娘と同等のスキルはございません」
銀太はカーペットからガバッと上半身を起こして縁花を見上げた。
「ユェンなにつくるんだ? オレもかいものついていってやってもいいぞ」
「先日姑娘から御指導いただきましたホットケーキを」
………………。――銀太は無言で縁花を見詰める。
縁花も無言で銀太と向き合った。
「ホットケーキはよるのゴハンじゃないぞ」と銀太。
「俺も晩飯に甘ったるいモンは食いたくない。ほかに何か作れんのか」
「ほかにと仰有いますと?」
「俺はオニギリがいい。オニギリを作れ」
「オニギリとはどのようなものでしょうか、大隊長」
「使えんッ」
天尊は縁花に向かって正面から断言した。
耀龍は顎に手を添え、うーん、と唸った。
「こういうときに困るからアキラに猛特訓してもらおっかなー」
「メシは死活問題だぞ。しっかり教育しろ、龍」
ザワッ。――天尊と縁花は、ほぼ同時に何かの気配を感じ取った。
ふたりともパッとベランダのほうに顔を向けた。
「縁花?」
「しばしお静かに。耀龍様」
天尊と縁花は、またほぼ同時にハッとして動いた。
天尊は銀太を抱え上げてベランダに背を向けて翼を広げた。縁花は素早く耀龍の眼前に立って背中に庇った。
バリィインッ! ――突如、ベランダのガラス戸が破裂した。
「うわぁあッ!」と驚いた銀太が声を上げた。
彼らは追撃に備えて身構えたが、それきり何事も起こらなかった。緊張して静まり返った室内に、破裂したガラス戸から風が吹きこんできた。
「気配が消えた」
天尊は先ほど出現した何者かの気配が感知できなくなり、ひとまず危険は去ったと判断して両翼を消失させた。
「耀龍様。御怪我はございませんか」
「オレは大丈夫」
縁花は耀龍の衣服に付着した小さなガラス片を手で払い落とした。大きな破片は天尊同様、翼によって防いだ。
それから、耀龍の無事を確認した縁花は、ベランダへと近づいた。
天尊は足元のガラスを足で払い除けてスペースを作り、銀太を床に下ろした。
「あまり動くなよ。ガラスで怪我するぞ」
銀太は、うん、と頷いて返事をした。
「大隊長」
ベランダから戻った縁花は、耀龍ではなく天尊の前で足を止めた。その手に持っているものを天尊に差し出した。
それは大きな羽根。羽毛は固く頑丈そうで、羽軸はまるで鋼のようだ。
天尊はこれを何かの拍子に偶然室内に紛れこんだものなどとは思わなかった。おそらく、このようなものはこの世界には存在しない。これは天尊たちの世界の代物だ。
「……〝獣の羽〟か」
「メッセージ付きです」
天尊は縁花の手から羽根を取った。
天尊が羽根に目を落とし沈黙して数秒後、その形相は見る見るうちに変化した。羽根を握り締める拳がブルブルと震えだした。
耀龍は自分の皮膚がざわざわと粟立つのを感じ、天尊を黙って見詰めた。天尊を不用意に刺激するのが恐ろしくて声をかけられなかった。
パリッ……パツンッパツンッパツンッ。
天尊の周囲の空間を電流が奔り、弾け、火花が散った。
縁花は天尊から数歩距離を取って耀龍と銀太を背中に庇った。
バチンッ! ――天尊の掌中で電流が弾け、握り締めていた鋼の羽根が砕け散った。
ドンッ!
床が爆発したような衝撃だった。天尊は猛烈な力で床を蹴り、弾頭のような速さでベランダから外へ飛び出していった。
「天哥々ーー⁉」
耀龍はすぐに天尊を追ってベランダに出た。
夜空を突っ切る流星のような直線が視界を掠めただけ。天尊の姿を目視することはできなかった。
耀龍は縁花のほうを振り返った。
「あのメッセージ、何? 縁花も読んだ?」
「いいえ。大隊長宛としか」
「天哥々を追える?」
「御命令とあらば」
「ロン! ユェン!」
ベランダから飛び立とうとした耀龍と縁花を、銀太が呼び止めた。
銀太は床に飛び散ったガラス片に一切注意せず耀龍に駆け寄った。
「動き回ると危ないよギンタ。ガラスだらけだ」
「ティエンどうしたんだ。どこいったんだ。アキラか? アキラがどうかしたのかッ? なあ!」
耀龍は察しがいいなあと感心した。
幼い彼にも天尊が血相を変えて飛び出してゆく理由をほかに思いつかなかったのか、それとも最初から白のことしか頭にないのか。
とにかく、天尊も銀太も冷静でないことは明白だ。耀龍は銀太を安心させようと、目の前にしゃがみこんでにっこりと微笑みかけた。
「天哥々がいるんだから大丈夫だよ。心配ない。オレはちょっと天哥々の様子を見てくるね」
「オレもいく! つれてけ!」
銀太は耀龍の衣服の袖をガッと掴んだ。
「ダメ。ギンタはここで待ってて」
「なんでだよッ」
銀太はかなり乱暴な物言いだが、耀龍は叱らなかった。銀太の頬を両手で優しく包み、自分の額を銀太の額にコツンとつけた。
「ギンタが大人になったらきっと分かるよ」
耀龍が小声で何かを呟いた途端、銀太は意識を失った。全身から脱力してカクンッと膝を折った。
耀龍は、くたりと撓垂れかかった銀太を腕に乗せて支えた。
「おやすみ、ギンタ。何も心配しないで眠ってて。目が覚めたら、大好きなアキラとオレたちみんなでゴハン食べよう」
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