マインハール ――屈強男×しっかり者JCの歳の差ファンタジー恋愛物語

花閂

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Kapitel 10:母親

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 数時間後。耀龍ヤオロンの部屋。
 相変わらず家具が何も無く生活感の無いリビングに、天尊ティエンゾンと耀龍、縁花ユェンファがひとりの人物を囲んでいた。
 リビングのフローリングに横たえられた、亜麻色の豊かな髪の年若い女性――――銀太ギンタの母親。彼女は意識がなく、脱力しきって瞼を閉じている。

「ギンタの母様を攫ってきてどうするつもり?」

 耀龍は険しい表情で天尊に尋ねた。
 当然だ。怒り心頭の天尊が人間を攫ってくるなど、とてもではないが笑える情況ではない。何をしでかすつもりなのか分かったものではない。

「この女の記憶を消去しろ」

 天尊は平静に命令した。

「はッ?」と耀龍は咄嗟に聞き返した。

「何でそんなこと」

「アキラがそう望んでる」

「アキラがそうしてくれって貴方に頼んだ? そんなはずないよね」

「アキラは優しい女だ。もし思っていたとしても頼むわけがない」

「アキラだって本当にそうなってほしくてああ言ったわけじゃない。そんなこと天哥々ティエンガコも分かってるでしょ。それに、どんなに酷い人物だってギンタの生みの親には違いない。この人はギンタの母様なんだよ」

「構わん」

 耀龍の説得は天尊にキッパリと否定された。

「この女はアキラとギンタの害にしかならん。二人を傷つけることしかしない。だから、二度と二人の前に現れないようにする」

「あッ……貴方はそうやって、アキラとギンタの害になるものをすべて排除していくつもり? 二人の知らないところで。それってとても身勝手で、残酷なことじゃないの」

 天尊が言い出したことは人間ではない彼らにとっても非道なことだ。幸い耀龍には当たり前の良識があり、これが親切などとは到底思えなかった。
 天尊が面倒そうにフーッと深い溜息を吐き、耀龍はゴクッと生唾を嚥下した。
 先ほどと同じだ。自分に非はないと頭では分かっていても、自分は正しいと信じていても、厭が応にも緊張してしまう。

「お前がどうしても嫌だと言うなら、俺が二度とツラを出せないようにするだけだ。そのほうが簡単で確実だ。お前を説得する手間も省ける」

 耀龍は目を瞠り、息を呑んだ。

天哥々ティエンガコはッ……ギンタの母様を手にかけられるのッ?」

 天尊は無表情だった。その上、耀龍から聞き返されたことに対して不思議そうに首を傾げた。

「生んだだけの〝腹〟が何だ。この女はただの肉の〝腹〟だろ。子を育てる能力も無ければ資格もない」

「それでもギンタの母様には違いない。ギンタから母様を永遠に奪うの」

「ギンタはアキラの愛情だけで充分だ。ギンタはアキラしか必要としていない。アキラさえいれば幸福に生きていける」

「それを天哥々ティエンガコが決めるの……ッ?」

 天尊は煩わしい表情をして、わざとのようにハァーッと大きな溜息を吐いた。

「やるのかやらないのか、さっさと決めろ」

 耀龍には、何故天尊がそんなにも揺るぎなくいられるのか、理解できなかった。とても乱暴で身勝手で独善的な決断なのに、何を突かれてもどう批難されても動揺しない絶対的な自信、それは耀龍が持たないものだ。正しい主張をしているはずなのに、天尊の前では子どもが駄々を捏ねているみたいだ。

「でも、記憶操作プログラムの無断使用には罰則がある。たとえ相手が人間エンブラでも、バレたらただでは済まないんじゃ……」

「構わん、俺が許す。もしバレたら俺に脅されたとでも言え」

 耀龍は目を伏せた。自分では何をしても兄を説き伏せることはできないと諦めた。

 ――アキラ。天哥々ティエンガコの中で、キミの存在は大きくなりすぎてしまった。
 キミの為に天哥々ティエンガコはまたひとつ罪を犯す。キミと共にいればいるほど、罪過を増やしてゆく。キミが望むと望まざるとに関わらず。

 耀龍は床に寝そべっている銀太の母親の頭部付近にしゃがみこんだ。
 人の親とは思えない幼い寝顔。今は化粧もしていないから余計にそう見えた。このような寝顔の人物が、義理とは言え自分の娘に手を掛けようとしたとは、頭の何処かで信じられずにいる。

「……モジュールが無いからプログラムを組むのに時間がかかるよ」

「朝までに終わらせろ」

 天尊は腕組みをして命令した。

「ブースター代わりに俺のネェベルを使え。いくら使っても構わん。だからキレエサッパリ、二度と思い出すことがないように完璧に消せ」

(完璧に、か……。取り返しを点かないことをしようとしているのに、この人には躊躇が一切無い……)

 天尊は一度実行すると決めてしまえば一切の情は持たない。銀太の実母であるという事実も加味しない。遂行までの最短距離を行く。非情なまでの合理主義。流石にそういうところは軍人然としている。
 耀龍は兄の性情を今一度思い知った。自分と兄とでは、性情も生き方も価値観も異なる。兄は根っからの軍人だ。これこそが自分がよく知る兄であり、同じ境遇にいない自分では出会う機会のない一面だ。

 うっ……、と銀太の母親から声が漏れた。彼女の瞼がピクッと痙攣して無意識に身動ぎした。徐々に目覚める彼女を、天尊も耀龍も黙って見ていた。
 彼女は目を覚ましてまず、自分を覗きこむ茶金の髪をした青年の存在にギョッとした。次に、その後ろに大柄な男たちの姿を見つけて「きゃあ!」と悲鳴を上げた。

「何なの、あなたたち! こッ、ここはどこ?」

 彼女は素早く上半身を起こし、警戒心を露わにして体を縮めた。
 しー、と耀龍は自分の唇の前に人差し指を立てた。

「静かにして。あの人に殺されたくないでしょ。機嫌が最悪のときのあの人は何するか分からないよ」

 殺すなどという物騒な単語を聞いた彼女は、サーッと顔を青くした。

「何言ってるのッ? 海外の貴族だとか言って、こんなことしてただで済むと思ってるの?」

 天尊は煩わしそうに表情を歪めて腕組みをした。

「耳障りだ。さっさとやれ、ロン

 天尊の機嫌の悪そうな声音。耀龍は少々弱ったように眉尻を下げて彼女に微笑んでみせた。

「恐がらないで、ギンタの母様」

「こ、こんなところに連れてきて、私に何をするつもり?」

「もう一度眠るだけだよ」

「イヤよ! 私を家に帰して! 帰してよーッ!」

 耀龍は彼女の目の前にゆっくりと手の平を翳した。
 視界の大部分を塞がれた彼女は、反射的にグッと押し黙った。

「大丈夫。目が覚めたら、つらいことや悲しいことは何も無くなってるから」

 耀龍は彼女に努めて優しくしてあげようと思った。耀龍は天尊ほどアキラを愛してはおらず、非情ではなく、良心と思い遣りを持っている。
 今日この時は、紛れもなく最後の時。己は彼女から母親という立場を剥奪する片棒にして、彼女が縋る母子の絆を断ち切る鋏。つまりは、然らぬ運命の訪い。
 耀龍がまばたきをすると、彼女の首がカクンと折れた。彼女は意識を失って全身が弛緩し、ぐらりと揺らいだ。縁花は素早く彼女の体を受け止め、柔らかくフローリングに横たえた。

「おやすみなさい……〝ママ〟」

 耀龍は彼女の少女のような寝顔に囁いた。
 ――貴女が「ママ」と呼ばれることは、二度と無い。


  § § § § §


 翌朝。
 白はいつもより遅い時間に目を覚ました。
 予期せぬ銀太の母親の来訪、事実の暴露、泣き疲れて睡りに就き、目覚ましのアラームをセットするのも忘れた。
 部屋から出て来ると、リビングに天尊がいた。家の中に天尊以外の気配を感じなかった。銀太の部屋から物音や声も聞こえないからいないようだ。

「銀太とロンは?」

 白は家内の静けさを不思議に思いつつ部屋のドアを閉じた。

「公園に行った」

 天尊は口を付けている最中だったカップをテーブルの上に置いて答えた。

「こんなに天気がいい休みの日に、家のなかに残っているのは俺たちだけだ」

「……うん」

 白の声音は少々ぎこちなかった。
 天尊は、昨日のことが引っかかっているのだろうと察した。

「そう気まずそうにするな」

「し、してないよ」

「アキラが気にすることじゃない」

「何のこと……?」

「昨日の、俺が言ったこと」

 白が明らかにギクッと表情を変えた。
 天尊は素直なヤツだと思ってハハハッと笑声を上げた。

「安心しろ。已めたから」

「それってどーゆー意味?」

 天尊は緩慢な動作で自分の太腿の上に肘を突き、その上に頬杖を突いた。白を見詰めて目を細めた。
 白は天尊から視線を注がれるのが非情に気まずかった。その目を見詰め返すことなどできない。正面から向き合うことすらも難しい。天尊のようにそつなく振る舞うことなどできなかった。

「愛しているからといって、同じように愛してくれと強請るのは已めた。アキラが俺を愛さなくても、俺のやることに変わりはない。お前たち姉弟の傍にいて、お前たちを守る」

 愛してくれるから愛しているのではない。愛してくれないなら愛せなくなるのではない。自分の内に燻っている一方的な愛の存在に気が付いてしまった時から、愛さずにはいられない。
 気が付かないほうが幸せだったのかもしれない。今まで通り損得勘定に従って生きていけば少なくとも食いっぱぐれや貧乏クジ、大損はせずに済む。頭では分かり切っているのにところが実際はどうだ。この少女に出逢ったしまった所為で、損や得など言っていられなくなってしまった。苦々しい想いをする日々が待ち受けていると分かり切っているのに。
 しかしながら愛している。毎日が、世界が、自分がどうなってしまっても構わない。愛されないまま世界が終わってしまっても、変わらず愛している。
 そもそもこの少女の前では始まりも終わりも関係ない。この少女を愛せなくなる日が〝終わり〟だ。

 ――俺は大莫迦だ。アキラが俺のような男を選ばないことは分かっていたはずなのに、何を勘違いしたんだか。
 分かっていたんだ、頭では。アキラが俺の欲しがるものを与え続けてくれるのは、たったひとり、俺を愛しているからじゃない。
 思い知った。アキラが俺を選ばなくても、俺はアキラを護りたい。愛されないまま世界最後の日を迎えても、俺は構いやしない。
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