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Kapitel 05:門番
門番 04
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午後の試合は瑠璃瑛商店街チームの勝利。午前の試合を合わせて一勝一敗。総じて、からくも引き分けという結果で幕を閉じた。
午後の試合で勝利を収めることが叶った決定打は、天尊の逆転ホームラン。天尊に助っ人を依頼した店主たちや頌栄、戴星は、その活躍を大いに褒め称えた。銀太は期待通りホームランを見られたので大変御満悦であり、白もお疲れ様と労った。
白はふと、此方に向けられる視線に気づいた。正確には天尊に注がれる熱視線だ。その正体はパーラー・ピーチの従業員である若い女性たちだ。彼女たちの意を察した白は、銀太とともにソッと天尊から数歩離れた。
彼女たちの恋路を支援する義理はないが、気づいたのに敢えて無視をする理由もない。
すると、彼女たちは待っていましたとばかりに天尊を取り囲んだ。天尊を目当てにやって来た彼女たちにとって、試合終了後の今は接近できる絶好のチャンスだ。
「最後のホームラン、カッコかったです~。野球、どのくらいやってるんですか」
「先週。試合は今日が初めてだ」
「ええー⁉ 初めてでホームラン打てるなんてすごーい」
「スポーツ得意なんですねー。背が高いしスタイルいいし、なんでもできるんだろうな~」
白は、天尊が女性たちと普通に言葉を交わすことが少々意外だった。クラスメイトの女子たちも黄色い声を上げていたし、天尊がモテることに異論はない。しかし、人間の真似は下手だと言っていたのに、違和感なく会話が成立することに内心感心した。
「ねえ。ID、交換しませんか?」
先ほど天尊をランチに誘った女性が、そのようなことを言い出した。
「ID?」と天尊は首を捻った。
「メッセのID。スマホの番号でもいいですよ」
「スマホ? ああ、通信機器か。持っていない」
(通信機器⁉)
女性たちは一瞬驚いたものの、すぐに気を取り直して笑顔に戻った。
「ウソだー。今時スマホ持ってないとか有り得ない」
「必要がないから持たん」
「え~。じゃあ、いま言っちゃおうかな~」
ランチの女性は天尊の腕に自分の腕を絡ませた。長身の天尊の耳は高い位置にある。背伸びをして天尊の耳許に口を近づけた。
その姿勢になると身体が触れ合う部分もあるが、気にする素振りもない。やはり積極性がある。天尊に気がある女性たちのなかでも最たるものだ。
「今度どっか遊びに行きません? 二人で」
遊びにねえ……、と天尊は独り言のように小さく復唱した。
この世界の常識に疎いとはいえ、言葉の意味合いを理解している。しかし、天尊は彼女の誘いに乗る気はなかった。世話になっている間は女遊びをしないと家主に宣言した手前というのもあるが、彼女は特に天尊の嗜好に合うというわけでもなかった。
とはいえ、振り払うわけにも無碍にするわけにもいかない。どうやんわりと断ったものか。天尊がそのようなことを思案していると、銀太がとことこと目の前にやって来た。
銀太はジロッと天尊を睨みつけた。
何故そのような目で見られるのか。天尊は銀太の胸中が読み取れず頭上に「?」を浮かべた。
どかっ! ――銀太は天尊の向こう臑を思いっきり蹴り飛ばした。
天尊は片眉を吊り上げて変な表情をした。痛かったからではなく、このような真似をされる理由が思い当たらなかったからだ。
「何をする」
「コラ銀太! いきなり何するの」
白はすぐさま注意した。
銀太はフイッと顔を背けた。捕まえようとする白の手を擦り抜けて駆け出した。
「待ちなさい! どこ行くの。こらーーっ」
「銀太くんは僕が追いかけます」
頌栄は言うが早いか白の返事を待たずに走り出した。
「おー、頼んだぞ」と天尊は気軽に頌栄を送り出した。
この隙に女性の腕から自分の腕を引き抜き、白の隣に立った。
「ギンタがアキラを無視するとは相当なゴキゲンナナメだな」
「ティエン。銀太が怒るようなこと、何かした?」
「何かしたように見えたか?」
「全然」
「ギンタだって癇癪を起こすときくらいあるだろう。センセエが追いかけた。上手いこと宥めて連れて帰ってくるだろう。その道のプロだ」
「ごめんね」
(またゴメンねか)
白は、はあ~~、と溜息を吐いた。
天尊は銀太の為に草野球の助っ人を引き受け、銀太が強請ったからホームランを実現してくれた。感謝されることはあっても足蹴にされる理由はない。弟の癇癪の標的になってしまったことが申し訳なかった。
「弁当」
唐突に、天尊は白の手からバスケットを掬い上げた。
「え」
「まだ残りあっただろ」
「あるけど。食べるの?」
「ギンタが戻ってくるまですることもない。せっかくの弁当を余らせて捨てるのも勿体ないから食う」
「あ~っ、ダメダメ。今日は涼しかったけど、もう傷んでるかもしれないから」
白はバスケットを取り返そうと手を伸ばしたが、天尊は高く掲げて阻止した。
ランチの女性はハッと我に返った。同時に鋼の積極性も息を吹き返した。
「ティエンゾンさん、もうちょっとここにいるんですかー。じゃーわたしも一緒していいですかー」
パーラーピーチの社長・ノブさんの妻にして清汰の母親は、その場に居合わせていた。従業員の若い女性たちに、もうお開きよ、とヒラヒラと手を振った。
「なに言ってんの。家庭の問題に首突っ込まないの。どーせ、ティエンゾンさんは明日も明後日も店に来るんだから会えるでしょ。ホラ、今日のところは帰った帰った」
社長夫人の声は鶴の一声。女性たちは渋々、は~い、と返事をしてゾロゾロと引き揚げていった。
白はバスケットから天尊の顔へと目線を引き上げた。
「ティエン。そんなにしょっちゅうパチンコに行ってるの?」
「あれはオーバーに言ったんだ、真に受けるな」
§ § § § §
銀太は全速力で走った。しかし、速度的にも体力的にも、大人の男の足で追いつくのは難しくはない。頌栄は銀太を無理に捕まえることをせず、しばらく付かず離れずの距離で銀太の背中を追った。
銀太が自ら足を止め、頌栄も速度を緩め、ゆっくりとその小さな背中にタッチした。
「つかまえた。いっぱい走りましたね、銀太くん」
振り向いた銀太の息は弾み、額には玉のような汗。我を忘れて夕方の冷めた風とぶつかりながら、この緑の草地を駆け抜けたのだろう。
「何かに怒っていますか?」
銀太は項垂れてコクンと頷いた。
「どうして怒っていますか?」
「わかんねーよ! わかんねーけど……スゲームカつく」
「じゃあ僕とお話ししましょう、銀太くん」
銀太は地面に向かって怒鳴った。
頌栄は銀太の癇癪を咎めなかった。「疲れたね」と言って草地の上に座りこんだ。銀太に自分の横へ座るように促した。
頌栄は両膝を抱えて体育座り、銀太は胡座を掻いて座った。
「お兄ちゃんを蹴っちゃいましたね。お兄ちゃんに怒っていますか?」
「そうだよ。ティエンがムッカつく!」
「お兄ちゃんが銀太くんに何か嫌なことをしましたか?」
「した」
「銀太くんはお兄ちゃんの何が嫌でしたか?」
「おんなのひととなかよくした」
「銀太くんは、それが嫌でしたか」
「なんか、ティエンがおんなのひととくっついてるの、ヤダッ」
頌栄も天尊が若い女性たちに取り囲まれている光景は見た。あれは天尊が集めたのでもくっつけているのでもなく、女性主体だった。
「銀太くんはお兄ちゃんが大好きですね。お兄ちゃんを取られちゃうと思いましたか?」
「スキじゃねーよ!」と銀太は真っ赤な顔で頌栄に怒鳴った。
「ティエンなんかさいしょからキライだよ! たいどデケーし、オレのことガキとかチビとかゆうし、みおろすし! でもっ……でも、あーゆーティエンはもっとキライだ! いままででいちばんキライだ! あのねーちゃんはアキラにイヤなことゆったのに、なかよくするなんてウラギリだッ」
(あー。そこもおおきなポイントなのですね)
頌栄はひとりでふむふむと頷いた。
銀太は自分でも知らず知らずの内に、天尊に抱いているイメージがある。素直にはなれないけれど憧れている。強くて大きくて逞しくて、世俗の人間のような真似はしない。そうでなくては嫌だ。そうでなくては納得がゆかない。自分本位な理想像を、幼いが故に身勝手に押しつける。自分の思い描いた通りにならなくて、失望させられたと腹を立てた。
しかしながら、頌栄は銀太の自分勝手な我が儘を責めなかった。
「僕は、お兄ちゃんはさっきのお姉さんたちよりも、銀太くんとアキラちゃんのほうをずっとずっと大好きだと思うけどなあ。今日の試合に出てくれたのも、銀太くんが見たいって言ったからですよ。お兄ちゃんは銀太くんのお願いをきいてくれるでしょ。銀太くんのことが好きだからですよ」
「オレはティエンのことキライだけど」
銀太はツーンと言い放った。
「お兄ちゃんは銀太くんのことが好きなのに、銀太くんがお兄ちゃんキライなんて言ったら可哀想ですよ」
「べつにティエンなんかカワイソーなんかじゃない」
(強情だなあ)
頌栄は困ったように眉を引き下げて笑った。
「銀太くんとお兄ちゃんの仲が悪くなったら、アキラちゃんも悲しみますよ」
「アキラが? なんで?」
「きっとアキラちゃんは銀太くんとお兄ちゃんに仲良くしてほしいですよ。二人のことが大好きだから」
「アキラが、ティエンのことスキ……?」
銀太はにわかに顔色を変えた。見る見る間に眉間に皺が寄って険しい表情になった。
「そんなの、ダメだ!」
銀太は反射的に立ち上がった。そうした理由は自分にも分からない。胸がざわついて居ても立ってもいられなかった。
「どうしてダメですか? 三人で仲良くできたら素敵ですよ」
「だって!」
「だって?」
「だってッ……アキラとティエンがなかよくなって、ティエンがイチバンになったりしたらッ……」
一番になったらどうなる。白と天尊が強く結びつき、残された銀太はどうなる。銀太自身が想像する〝その先〟は、とても残酷なものだ。愛情を天秤に掛けて少しでも傾いたりしたら少しでも重たかったりしたら、まるで要らないもののように捨てられる。
白がいない世界。たったひとりだけの世界。――――想像しただけで、絶望した。
心臓がドコドコと早鐘を打って皮膚の表面がザワザワとさざめき立つ。全身が総毛立つような強烈な寒気の原因は、恐怖。それを頭脳で明確には理解しないくらいに幼いのに、それが自身にとって致命的なことであると本能的に悟っている。
「アキラがだれかをスキになるなんてッ……イヤだ……ッ」
銀太は泣き出しそうな声を絞り出した。
頌栄は銀太の肩に手を置いて再び草地の上に座らせた。隣にピタッと寄り添い、肩を抱いて摩ってやった。銀太の身体はギチギチに強張っていた。体を小さく硬くして恐怖に耐えていた。まるで、殻の中に閉じ籠もるように。
これが、この子の生きる術なのだと、哀れに思えた。大好きな姉と共に生きることだけがこの子の幸せであり、この子のすべてだ。二人だけの小さな世界が壊れてしまわないようにと願いながら、ただひたすらに恐怖に耐える。恐怖を恐怖とも知らない内から、それに耐えるしか術を知らない、哀れな哀れな小さきもの。
「大丈夫、大丈夫」と頌栄は銀太に寄り添って何度も繰り返した。
「大丈夫ですよ……。アキラちゃんは何があっても銀太くんの味方です。お兄ちゃんも、僕も、みんなみんな、銀太くんの味方ですから」
銀太は無知であどけない子どものように「うん」と答えることはしなかった。
神様なんていないこの世界で、絶対を約束できる人間なんていない。
――アキラ。どこにもいかないでアキラ。こっちをむいてアキラ。オレをみてアキラ。オレをすてないで。
イチバン大スキだから。だれよりもスキだから。アキラいがいなにもいらないから。アキラいがいをほしがったりしないから。アキラといっしょにいさせてくださいかみさま。
オレはよるねむるまえも、あさおきたときも、なんかいもなんかいもおねがいしたけど、かみさまがへんじをくれたことは、いちどもない。
午後の試合で勝利を収めることが叶った決定打は、天尊の逆転ホームラン。天尊に助っ人を依頼した店主たちや頌栄、戴星は、その活躍を大いに褒め称えた。銀太は期待通りホームランを見られたので大変御満悦であり、白もお疲れ様と労った。
白はふと、此方に向けられる視線に気づいた。正確には天尊に注がれる熱視線だ。その正体はパーラー・ピーチの従業員である若い女性たちだ。彼女たちの意を察した白は、銀太とともにソッと天尊から数歩離れた。
彼女たちの恋路を支援する義理はないが、気づいたのに敢えて無視をする理由もない。
すると、彼女たちは待っていましたとばかりに天尊を取り囲んだ。天尊を目当てにやって来た彼女たちにとって、試合終了後の今は接近できる絶好のチャンスだ。
「最後のホームラン、カッコかったです~。野球、どのくらいやってるんですか」
「先週。試合は今日が初めてだ」
「ええー⁉ 初めてでホームラン打てるなんてすごーい」
「スポーツ得意なんですねー。背が高いしスタイルいいし、なんでもできるんだろうな~」
白は、天尊が女性たちと普通に言葉を交わすことが少々意外だった。クラスメイトの女子たちも黄色い声を上げていたし、天尊がモテることに異論はない。しかし、人間の真似は下手だと言っていたのに、違和感なく会話が成立することに内心感心した。
「ねえ。ID、交換しませんか?」
先ほど天尊をランチに誘った女性が、そのようなことを言い出した。
「ID?」と天尊は首を捻った。
「メッセのID。スマホの番号でもいいですよ」
「スマホ? ああ、通信機器か。持っていない」
(通信機器⁉)
女性たちは一瞬驚いたものの、すぐに気を取り直して笑顔に戻った。
「ウソだー。今時スマホ持ってないとか有り得ない」
「必要がないから持たん」
「え~。じゃあ、いま言っちゃおうかな~」
ランチの女性は天尊の腕に自分の腕を絡ませた。長身の天尊の耳は高い位置にある。背伸びをして天尊の耳許に口を近づけた。
その姿勢になると身体が触れ合う部分もあるが、気にする素振りもない。やはり積極性がある。天尊に気がある女性たちのなかでも最たるものだ。
「今度どっか遊びに行きません? 二人で」
遊びにねえ……、と天尊は独り言のように小さく復唱した。
この世界の常識に疎いとはいえ、言葉の意味合いを理解している。しかし、天尊は彼女の誘いに乗る気はなかった。世話になっている間は女遊びをしないと家主に宣言した手前というのもあるが、彼女は特に天尊の嗜好に合うというわけでもなかった。
とはいえ、振り払うわけにも無碍にするわけにもいかない。どうやんわりと断ったものか。天尊がそのようなことを思案していると、銀太がとことこと目の前にやって来た。
銀太はジロッと天尊を睨みつけた。
何故そのような目で見られるのか。天尊は銀太の胸中が読み取れず頭上に「?」を浮かべた。
どかっ! ――銀太は天尊の向こう臑を思いっきり蹴り飛ばした。
天尊は片眉を吊り上げて変な表情をした。痛かったからではなく、このような真似をされる理由が思い当たらなかったからだ。
「何をする」
「コラ銀太! いきなり何するの」
白はすぐさま注意した。
銀太はフイッと顔を背けた。捕まえようとする白の手を擦り抜けて駆け出した。
「待ちなさい! どこ行くの。こらーーっ」
「銀太くんは僕が追いかけます」
頌栄は言うが早いか白の返事を待たずに走り出した。
「おー、頼んだぞ」と天尊は気軽に頌栄を送り出した。
この隙に女性の腕から自分の腕を引き抜き、白の隣に立った。
「ギンタがアキラを無視するとは相当なゴキゲンナナメだな」
「ティエン。銀太が怒るようなこと、何かした?」
「何かしたように見えたか?」
「全然」
「ギンタだって癇癪を起こすときくらいあるだろう。センセエが追いかけた。上手いこと宥めて連れて帰ってくるだろう。その道のプロだ」
「ごめんね」
(またゴメンねか)
白は、はあ~~、と溜息を吐いた。
天尊は銀太の為に草野球の助っ人を引き受け、銀太が強請ったからホームランを実現してくれた。感謝されることはあっても足蹴にされる理由はない。弟の癇癪の標的になってしまったことが申し訳なかった。
「弁当」
唐突に、天尊は白の手からバスケットを掬い上げた。
「え」
「まだ残りあっただろ」
「あるけど。食べるの?」
「ギンタが戻ってくるまですることもない。せっかくの弁当を余らせて捨てるのも勿体ないから食う」
「あ~っ、ダメダメ。今日は涼しかったけど、もう傷んでるかもしれないから」
白はバスケットを取り返そうと手を伸ばしたが、天尊は高く掲げて阻止した。
ランチの女性はハッと我に返った。同時に鋼の積極性も息を吹き返した。
「ティエンゾンさん、もうちょっとここにいるんですかー。じゃーわたしも一緒していいですかー」
パーラーピーチの社長・ノブさんの妻にして清汰の母親は、その場に居合わせていた。従業員の若い女性たちに、もうお開きよ、とヒラヒラと手を振った。
「なに言ってんの。家庭の問題に首突っ込まないの。どーせ、ティエンゾンさんは明日も明後日も店に来るんだから会えるでしょ。ホラ、今日のところは帰った帰った」
社長夫人の声は鶴の一声。女性たちは渋々、は~い、と返事をしてゾロゾロと引き揚げていった。
白はバスケットから天尊の顔へと目線を引き上げた。
「ティエン。そんなにしょっちゅうパチンコに行ってるの?」
「あれはオーバーに言ったんだ、真に受けるな」
§ § § § §
銀太は全速力で走った。しかし、速度的にも体力的にも、大人の男の足で追いつくのは難しくはない。頌栄は銀太を無理に捕まえることをせず、しばらく付かず離れずの距離で銀太の背中を追った。
銀太が自ら足を止め、頌栄も速度を緩め、ゆっくりとその小さな背中にタッチした。
「つかまえた。いっぱい走りましたね、銀太くん」
振り向いた銀太の息は弾み、額には玉のような汗。我を忘れて夕方の冷めた風とぶつかりながら、この緑の草地を駆け抜けたのだろう。
「何かに怒っていますか?」
銀太は項垂れてコクンと頷いた。
「どうして怒っていますか?」
「わかんねーよ! わかんねーけど……スゲームカつく」
「じゃあ僕とお話ししましょう、銀太くん」
銀太は地面に向かって怒鳴った。
頌栄は銀太の癇癪を咎めなかった。「疲れたね」と言って草地の上に座りこんだ。銀太に自分の横へ座るように促した。
頌栄は両膝を抱えて体育座り、銀太は胡座を掻いて座った。
「お兄ちゃんを蹴っちゃいましたね。お兄ちゃんに怒っていますか?」
「そうだよ。ティエンがムッカつく!」
「お兄ちゃんが銀太くんに何か嫌なことをしましたか?」
「した」
「銀太くんはお兄ちゃんの何が嫌でしたか?」
「おんなのひととなかよくした」
「銀太くんは、それが嫌でしたか」
「なんか、ティエンがおんなのひととくっついてるの、ヤダッ」
頌栄も天尊が若い女性たちに取り囲まれている光景は見た。あれは天尊が集めたのでもくっつけているのでもなく、女性主体だった。
「銀太くんはお兄ちゃんが大好きですね。お兄ちゃんを取られちゃうと思いましたか?」
「スキじゃねーよ!」と銀太は真っ赤な顔で頌栄に怒鳴った。
「ティエンなんかさいしょからキライだよ! たいどデケーし、オレのことガキとかチビとかゆうし、みおろすし! でもっ……でも、あーゆーティエンはもっとキライだ! いままででいちばんキライだ! あのねーちゃんはアキラにイヤなことゆったのに、なかよくするなんてウラギリだッ」
(あー。そこもおおきなポイントなのですね)
頌栄はひとりでふむふむと頷いた。
銀太は自分でも知らず知らずの内に、天尊に抱いているイメージがある。素直にはなれないけれど憧れている。強くて大きくて逞しくて、世俗の人間のような真似はしない。そうでなくては嫌だ。そうでなくては納得がゆかない。自分本位な理想像を、幼いが故に身勝手に押しつける。自分の思い描いた通りにならなくて、失望させられたと腹を立てた。
しかしながら、頌栄は銀太の自分勝手な我が儘を責めなかった。
「僕は、お兄ちゃんはさっきのお姉さんたちよりも、銀太くんとアキラちゃんのほうをずっとずっと大好きだと思うけどなあ。今日の試合に出てくれたのも、銀太くんが見たいって言ったからですよ。お兄ちゃんは銀太くんのお願いをきいてくれるでしょ。銀太くんのことが好きだからですよ」
「オレはティエンのことキライだけど」
銀太はツーンと言い放った。
「お兄ちゃんは銀太くんのことが好きなのに、銀太くんがお兄ちゃんキライなんて言ったら可哀想ですよ」
「べつにティエンなんかカワイソーなんかじゃない」
(強情だなあ)
頌栄は困ったように眉を引き下げて笑った。
「銀太くんとお兄ちゃんの仲が悪くなったら、アキラちゃんも悲しみますよ」
「アキラが? なんで?」
「きっとアキラちゃんは銀太くんとお兄ちゃんに仲良くしてほしいですよ。二人のことが大好きだから」
「アキラが、ティエンのことスキ……?」
銀太はにわかに顔色を変えた。見る見る間に眉間に皺が寄って険しい表情になった。
「そんなの、ダメだ!」
銀太は反射的に立ち上がった。そうした理由は自分にも分からない。胸がざわついて居ても立ってもいられなかった。
「どうしてダメですか? 三人で仲良くできたら素敵ですよ」
「だって!」
「だって?」
「だってッ……アキラとティエンがなかよくなって、ティエンがイチバンになったりしたらッ……」
一番になったらどうなる。白と天尊が強く結びつき、残された銀太はどうなる。銀太自身が想像する〝その先〟は、とても残酷なものだ。愛情を天秤に掛けて少しでも傾いたりしたら少しでも重たかったりしたら、まるで要らないもののように捨てられる。
白がいない世界。たったひとりだけの世界。――――想像しただけで、絶望した。
心臓がドコドコと早鐘を打って皮膚の表面がザワザワとさざめき立つ。全身が総毛立つような強烈な寒気の原因は、恐怖。それを頭脳で明確には理解しないくらいに幼いのに、それが自身にとって致命的なことであると本能的に悟っている。
「アキラがだれかをスキになるなんてッ……イヤだ……ッ」
銀太は泣き出しそうな声を絞り出した。
頌栄は銀太の肩に手を置いて再び草地の上に座らせた。隣にピタッと寄り添い、肩を抱いて摩ってやった。銀太の身体はギチギチに強張っていた。体を小さく硬くして恐怖に耐えていた。まるで、殻の中に閉じ籠もるように。
これが、この子の生きる術なのだと、哀れに思えた。大好きな姉と共に生きることだけがこの子の幸せであり、この子のすべてだ。二人だけの小さな世界が壊れてしまわないようにと願いながら、ただひたすらに恐怖に耐える。恐怖を恐怖とも知らない内から、それに耐えるしか術を知らない、哀れな哀れな小さきもの。
「大丈夫、大丈夫」と頌栄は銀太に寄り添って何度も繰り返した。
「大丈夫ですよ……。アキラちゃんは何があっても銀太くんの味方です。お兄ちゃんも、僕も、みんなみんな、銀太くんの味方ですから」
銀太は無知であどけない子どものように「うん」と答えることはしなかった。
神様なんていないこの世界で、絶対を約束できる人間なんていない。
――アキラ。どこにもいかないでアキラ。こっちをむいてアキラ。オレをみてアキラ。オレをすてないで。
イチバン大スキだから。だれよりもスキだから。アキラいがいなにもいらないから。アキラいがいをほしがったりしないから。アキラといっしょにいさせてくださいかみさま。
オレはよるねむるまえも、あさおきたときも、なんかいもなんかいもおねがいしたけど、かみさまがへんじをくれたことは、いちどもない。
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