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Kapitel 05:門番
門番 03
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昼の休憩時間。
本日の草野球の試合は、午前と午後に一試合ずつの計2戦。1戦目は、瑠璃瑛商店街チームの敗北。午後からの2戦目に備え、各自休憩を兼ねたランチタイムを摂る。家族が応援に来たメンバーは各自、家族の元へと移動する。それ以外のチームメンバーは集まって軽食を摂るようだ。
天尊の昼食は白が弁当を作ってくれることになっている。白と銀太がベンチに天尊を迎えに来た。二人はお弁当や水筒、レジャーシートを詰め込んだバスケットを抱えて、ピクニック気分。天尊にしても、助っ人を頼まれはしたが負けて何かを失うわけでもない試合であり、気楽なものだった。晴れた日に軽く体を動かし、緑の上で食事をする、穏やかな休日の過ごし方として悪くない。
白と銀太が天尊を迎えに来たのとほぼ同時に、パーラーピーチの従業員である若い女性に声をかけられた。
年の頃は二十代前半。やり過ぎ感の無い丁度良いメイク、街中でよく見かける髪型やファッション、白から見れば流行に敏感なオシャレなお姉さん。社交的で物怖じしない積極的なタイプのようだ。
だから、先ほど天尊を取り巻いていた女性たちの中でも殊更熱を上げているほうなのだということは、色恋の経験が不足している白にもすぐに分かった。
「ティエンゾンさん。ランチ、みんなと食べませんか? デパ地下に有名なお店が出店しててー、ティエンゾンさんの分も買ってきたんですよー」
「いや、結構だ。弁当がある」
「えー。期間限定ショップだしー、レア度高いですよー。みんなで食べたほうが楽しいしー」
それにー、と女性は白が手に持つバスケットをチラリと瞥見した。
「手作りより買ってきたヤツのほうが見た目キレイだし衛生的じゃないですかー。午後も試合あるのにお腹壊しちゃったりしたら大変ですよ」
むかっ。――大好きな姉の手料理を貶されたのは銀太には聞き捨てならなかった。
(そう言われればそーか。一応、保冷剤いっぱい入れてきたけどね)
「アキラのゴハンでおなかこわさッ……!」
白は、女性に食ってかかろうとした銀太の口を、しゃがみこんでササッと覆った。
こらこら、とノブさんが会話に割って入った。
「家族団欒の邪魔しちゃいけないよ。断られたならあっちで女の子たちで食べなさいよ」
「え~~。まだお誘い中なのに~~」
雇い主に諭されたのでは完全無視はできない。女性はかなり渋々という態度で引き下がった。
ノブさんと一緒に天尊たちから離れる最中も、何度も天尊のほうを振り返って手を振った。
グラウンドの周りは芝生になっている。
白と銀太、天尊の三人は、芝生の上にレジャーシートを敷いて陣取った。日差しを遮るものはないが、今日は晴天の割には陽光は強くなく、程よい風が吹いて気持ちがよいからヨシとしよう。
「ティエン。よかったの? 誘ってもらったのに向こうに行かなくて」
「いいんだ。休憩にならん」
「ふーん?」
白は重箱をレジャーシートの中央に置いた。三段の重箱を一段ずつ分解して並べた。白いおにぎりと、色とりどりのおかずたち。白としては、いつもよりも特別手の込んだおかずを用意したつもりはなかったが、晴天の下で弁当箱を広げると殊更に食欲をそそられるものだ。銀太は、わーい、と両手を挙げて喜んだ。
天尊は体格に見合った量を食べる。姉弟二人分の食事なら知れているが、天尊の分もとなると重たいのなんのって。しかし、弟の為に草野球の助っ人を承諾してくれた恩に報いる為にも、白は嫌な顔ひとつせず弁当を用意して運んだ。
三人は重箱に向かって手を合わせていただきますをした。
「あ。そっちのおにぎりは梅干し入ってる。ティエン、梅干し食べられたっけ?」
「ウメボシ?」と天尊は正体も分からないまま大きな一口でかぶりついた。
「……ッ⁉ こ、これは食べても害はないものか」
天尊の表情が俄然険しくなった。天尊が大真面目な顔をしてそのようなことを言うものだから、白はアハハと声を上げて笑った。
「初めて食べるとビックリしちゃうかー。どちらかというと体にはイイよ。ティエンは銀太と同じおかかのほう食べて」
「オレ、おかかとこんぶスキー」
「ティエン、もっとうてよー。バッティングセンターはガンガンうってただろ」
銀太は腹が満たされて落ち着いてくると、そのような厚かましいことを言い出した。子どもらしい無邪気なお願いとも言える。
白は銀太のように天尊の特別な活躍は期待しない。草野球に出てくれただけで充分だ。しかし、天尊の様子が先日バッティングセンターとはまるで異なる点は気になった。天尊は初めてのバッティングセンターで全球ヒットという離れ業をやってのけた。相手チームのピッチャーの球速がバッティングセンターのそれよりも速いようには見えなかった。
「確かに全然バット振らないね。試合だとバッティングセンターと勝手が違うの?」
「イヤ、全部見えている。だがセンセエがよく見ろと言うからな」
天尊は食事を続けながらそう答えた。
「え。見えてるのに振ってないの?」
「振っていいのか?」
「い、いいと思う。打てるなら打ってあげなよ。このまま負けちゃったらおじさんたち気の毒だよ」
白は、空いている天尊のコップに麦茶を注いで手が届く位置に置いてやった。
それもそうだなと、天尊から二つ返事は無かった。
「勝つの、イヤなの?」
「ゲームの勝ち負けに興味は無い。そんなことよりも力を加減するのに神経を使う。ここで本気で体を動かすわけにはいかないからな」
「少しだけなら本気出していいから」
天尊は口内のものをもぐもぐと咀嚼して飲みこんだ。コップを手に取ってゴクッゴクッと麦茶を飲んだ。ふーっと息を吐き、少しだけねえ、と独り言を零した。
「ニンゲン相手に手加減をするのは面倒なんだぞ。まあ、お前たちが勝てというなら勝つが……」
「かて! ティエン! オレはホームランがみたい!」
銀太はバッと立ち上がって天尊を指差した。
銀太ならそう言うだろうとは覚悟していたが。天尊は仕方がないなと笑みを見せた。
午後の試合、本日2戦目がスタート。
天尊のポジションは外野だ。やるべきことは任された範囲内に飛んできたボールを追いかけて捉えること。それ自体は天尊にとって難しいことはない。人間の真似をする、ただそれだけが最も悩ましい。
試合が始まってからややあって、ボールが弧を描いてこちらへ向かって飛んできた。
タッタッタッタッ。――天尊は軽く駆け出して余裕でボールに追いついた。
地面を軽く蹴ってジャンプ。パァンッ、と小気味よい音でボールをグローブで掴み取った。着地すると同時にボールを利き手に持ち替え、大きく振りかぶった。
「少しだけ本気を出していいって…………どのくらい、だッ」
狙うはホームベース。天尊はボールを放った。全力で投球するわけにはいかないから抑え気味に、しかし、これまでよりは出力を上げて。
ボールは低空を弾丸のように直進した。的であるミットを構えるキャッチャーは、ヒッと悲鳴を漏らした。
ズパァアンッ!
ボールは精確に的に突き刺さった。
ボールはミットに収まったものの、キャッチャーは球威に押されてゴロゴロゴロゴロッと後方に転げた。
審判は唖然とし、相手チームの走者は中途で足を止めてしまった。ベンチもギャラリーも茫然と目を丸くした。信じがたい驚愕のパワーを目撃したグラウンドはシーンと静まり返った。
「今、軽く、に、2メートル近くジャンプしてなかったか?」
「い、いや、それ以上だろ……。つうか、なんだ今の送球! バズーカかッ」
誰かが口火を切った途端に、味方のベンチも相手チームも騒然とした。
白は野球に詳しくはないが、天尊が超人的な身体能力を見せつけてしまったことは分かる。少しだけ本気を出してもよいと言ってしまった発言を早くも後悔した。
「やりすぎだよティエン……」
瑠璃瑛商店街チームの攻撃。
天尊はもうそろそろ打順が回ってくるというところで、頌栄に声をかけた。
「センセエ。ホームランのやり方を教えてくれ」
それが聞こえた戴星は「うえッ⁉」と声を上げた。直球でそのようなことを聞く人物を初めて目にした。しかもその人物は、ろくにルールすら知らず、今日初めて試合に出場した初心者だ。
「教えたら必ず打てるというものでもないのですが」
「やらざるを得ん。ギンタに強請られた」
頌栄は莫迦にするではなく微笑ましい気持ちでフフフと笑った。
「ホームラン打てるモンなら頼むぜ、ティエンゾンさん」
「ランナーは出てんだ。ここでホームランが出れば一発逆転だ」
商店街の店主たちは藁にも縋る思いだった。天尊の発言を茶化す余裕は無かった。1戦目は敗北。2戦目で勝利するか、最悪でも引き分けなければ面目が立たない。しかし、相手に点数的リードを許している現状だ。
「手首が固くならないようにあまり力まずにグリップを握ってボールの真芯を捉えること、ですかね」
頌栄は天尊に身振り手振りでコツをレクチャーした。
「要はボールのど真ん中をぶっ叩けということか」
「簡単に言いますけど、できるんスかー」
天尊は納得した様子だが、戴星はできるわけがないと高を括った態度だ。彼が無礼なのではなく、妥当な反応といえる。天尊はこれまでの打席でチームに貢献するどころか、一度もバットを振ってもいない。天尊に助っ人を頼んだ店主たちすら、最早過度な期待はしていなかった。
「問題ない。見えている」
天尊はそう宣言した。スタンドからバットを抜き取って肩に担いでベンチから出て行った。
天尊はバッターボックスに立った。バットを構えた姿勢でピタリと停止した。
意識を集中させると、何もかもが写真のように克明に写る。おもむろに肩を上げながら高く脚を引き上げるピッチャー。グラウンドの茶色い砂粒が宙に舞い、その一粒一粒まで見えている。ピッチャーが肩を上げてから白球を放るまでのわずかな時間が、ひどく緩慢に感じられる。まんじりともせず待たなければならないことに苦痛を覚えるほどに。
ピッチャーが振り下ろした腕から白球が放たれ、天尊は呼吸を停めた。透けそうなほど白い睫毛を綴じ合わせる行為を已め、矢のように飛んでくる白球を待ち構えた。直線上を走る白球の叩くべき最適の一点、そこに到達したとき、天尊の白い瞳には白球が停止して見えた。
この世界は、天尊にとっては静止画と大差ない。
(これが打てんわけがないだろう)
カッ。――木製バットが白球を捉えた乾いた音。
その音がした瞬間、頌栄はハッとした表情で思わず立ち上がっていた。
グラウンドの内外から声援が沸き上がるなか、白球はぐんぐんと伸び上がって晴天に飲まれてゆく。天尊の打球はグラウンドのフェンスを大きく越えた。
「驚いた……。お兄ちゃんは有言実行なのですね」
頌栄は驚きながら破顔した。
「スゲーッ! スゲーぞ兄ちゃん! 本当に逆転勝利だ!」
「ティエンゾンさんに頼んでよかった! カッコよすぎるぜ! わはははははッ」
店主たちは肩を組んだりガッツポーズしたり、ベンチは歓喜乱舞の大喜び。少年時代に戻ったかのようなはしゃぎようだった。
本日の草野球の試合は、午前と午後に一試合ずつの計2戦。1戦目は、瑠璃瑛商店街チームの敗北。午後からの2戦目に備え、各自休憩を兼ねたランチタイムを摂る。家族が応援に来たメンバーは各自、家族の元へと移動する。それ以外のチームメンバーは集まって軽食を摂るようだ。
天尊の昼食は白が弁当を作ってくれることになっている。白と銀太がベンチに天尊を迎えに来た。二人はお弁当や水筒、レジャーシートを詰め込んだバスケットを抱えて、ピクニック気分。天尊にしても、助っ人を頼まれはしたが負けて何かを失うわけでもない試合であり、気楽なものだった。晴れた日に軽く体を動かし、緑の上で食事をする、穏やかな休日の過ごし方として悪くない。
白と銀太が天尊を迎えに来たのとほぼ同時に、パーラーピーチの従業員である若い女性に声をかけられた。
年の頃は二十代前半。やり過ぎ感の無い丁度良いメイク、街中でよく見かける髪型やファッション、白から見れば流行に敏感なオシャレなお姉さん。社交的で物怖じしない積極的なタイプのようだ。
だから、先ほど天尊を取り巻いていた女性たちの中でも殊更熱を上げているほうなのだということは、色恋の経験が不足している白にもすぐに分かった。
「ティエンゾンさん。ランチ、みんなと食べませんか? デパ地下に有名なお店が出店しててー、ティエンゾンさんの分も買ってきたんですよー」
「いや、結構だ。弁当がある」
「えー。期間限定ショップだしー、レア度高いですよー。みんなで食べたほうが楽しいしー」
それにー、と女性は白が手に持つバスケットをチラリと瞥見した。
「手作りより買ってきたヤツのほうが見た目キレイだし衛生的じゃないですかー。午後も試合あるのにお腹壊しちゃったりしたら大変ですよ」
むかっ。――大好きな姉の手料理を貶されたのは銀太には聞き捨てならなかった。
(そう言われればそーか。一応、保冷剤いっぱい入れてきたけどね)
「アキラのゴハンでおなかこわさッ……!」
白は、女性に食ってかかろうとした銀太の口を、しゃがみこんでササッと覆った。
こらこら、とノブさんが会話に割って入った。
「家族団欒の邪魔しちゃいけないよ。断られたならあっちで女の子たちで食べなさいよ」
「え~~。まだお誘い中なのに~~」
雇い主に諭されたのでは完全無視はできない。女性はかなり渋々という態度で引き下がった。
ノブさんと一緒に天尊たちから離れる最中も、何度も天尊のほうを振り返って手を振った。
グラウンドの周りは芝生になっている。
白と銀太、天尊の三人は、芝生の上にレジャーシートを敷いて陣取った。日差しを遮るものはないが、今日は晴天の割には陽光は強くなく、程よい風が吹いて気持ちがよいからヨシとしよう。
「ティエン。よかったの? 誘ってもらったのに向こうに行かなくて」
「いいんだ。休憩にならん」
「ふーん?」
白は重箱をレジャーシートの中央に置いた。三段の重箱を一段ずつ分解して並べた。白いおにぎりと、色とりどりのおかずたち。白としては、いつもよりも特別手の込んだおかずを用意したつもりはなかったが、晴天の下で弁当箱を広げると殊更に食欲をそそられるものだ。銀太は、わーい、と両手を挙げて喜んだ。
天尊は体格に見合った量を食べる。姉弟二人分の食事なら知れているが、天尊の分もとなると重たいのなんのって。しかし、弟の為に草野球の助っ人を承諾してくれた恩に報いる為にも、白は嫌な顔ひとつせず弁当を用意して運んだ。
三人は重箱に向かって手を合わせていただきますをした。
「あ。そっちのおにぎりは梅干し入ってる。ティエン、梅干し食べられたっけ?」
「ウメボシ?」と天尊は正体も分からないまま大きな一口でかぶりついた。
「……ッ⁉ こ、これは食べても害はないものか」
天尊の表情が俄然険しくなった。天尊が大真面目な顔をしてそのようなことを言うものだから、白はアハハと声を上げて笑った。
「初めて食べるとビックリしちゃうかー。どちらかというと体にはイイよ。ティエンは銀太と同じおかかのほう食べて」
「オレ、おかかとこんぶスキー」
「ティエン、もっとうてよー。バッティングセンターはガンガンうってただろ」
銀太は腹が満たされて落ち着いてくると、そのような厚かましいことを言い出した。子どもらしい無邪気なお願いとも言える。
白は銀太のように天尊の特別な活躍は期待しない。草野球に出てくれただけで充分だ。しかし、天尊の様子が先日バッティングセンターとはまるで異なる点は気になった。天尊は初めてのバッティングセンターで全球ヒットという離れ業をやってのけた。相手チームのピッチャーの球速がバッティングセンターのそれよりも速いようには見えなかった。
「確かに全然バット振らないね。試合だとバッティングセンターと勝手が違うの?」
「イヤ、全部見えている。だがセンセエがよく見ろと言うからな」
天尊は食事を続けながらそう答えた。
「え。見えてるのに振ってないの?」
「振っていいのか?」
「い、いいと思う。打てるなら打ってあげなよ。このまま負けちゃったらおじさんたち気の毒だよ」
白は、空いている天尊のコップに麦茶を注いで手が届く位置に置いてやった。
それもそうだなと、天尊から二つ返事は無かった。
「勝つの、イヤなの?」
「ゲームの勝ち負けに興味は無い。そんなことよりも力を加減するのに神経を使う。ここで本気で体を動かすわけにはいかないからな」
「少しだけなら本気出していいから」
天尊は口内のものをもぐもぐと咀嚼して飲みこんだ。コップを手に取ってゴクッゴクッと麦茶を飲んだ。ふーっと息を吐き、少しだけねえ、と独り言を零した。
「ニンゲン相手に手加減をするのは面倒なんだぞ。まあ、お前たちが勝てというなら勝つが……」
「かて! ティエン! オレはホームランがみたい!」
銀太はバッと立ち上がって天尊を指差した。
銀太ならそう言うだろうとは覚悟していたが。天尊は仕方がないなと笑みを見せた。
午後の試合、本日2戦目がスタート。
天尊のポジションは外野だ。やるべきことは任された範囲内に飛んできたボールを追いかけて捉えること。それ自体は天尊にとって難しいことはない。人間の真似をする、ただそれだけが最も悩ましい。
試合が始まってからややあって、ボールが弧を描いてこちらへ向かって飛んできた。
タッタッタッタッ。――天尊は軽く駆け出して余裕でボールに追いついた。
地面を軽く蹴ってジャンプ。パァンッ、と小気味よい音でボールをグローブで掴み取った。着地すると同時にボールを利き手に持ち替え、大きく振りかぶった。
「少しだけ本気を出していいって…………どのくらい、だッ」
狙うはホームベース。天尊はボールを放った。全力で投球するわけにはいかないから抑え気味に、しかし、これまでよりは出力を上げて。
ボールは低空を弾丸のように直進した。的であるミットを構えるキャッチャーは、ヒッと悲鳴を漏らした。
ズパァアンッ!
ボールは精確に的に突き刺さった。
ボールはミットに収まったものの、キャッチャーは球威に押されてゴロゴロゴロゴロッと後方に転げた。
審判は唖然とし、相手チームの走者は中途で足を止めてしまった。ベンチもギャラリーも茫然と目を丸くした。信じがたい驚愕のパワーを目撃したグラウンドはシーンと静まり返った。
「今、軽く、に、2メートル近くジャンプしてなかったか?」
「い、いや、それ以上だろ……。つうか、なんだ今の送球! バズーカかッ」
誰かが口火を切った途端に、味方のベンチも相手チームも騒然とした。
白は野球に詳しくはないが、天尊が超人的な身体能力を見せつけてしまったことは分かる。少しだけ本気を出してもよいと言ってしまった発言を早くも後悔した。
「やりすぎだよティエン……」
瑠璃瑛商店街チームの攻撃。
天尊はもうそろそろ打順が回ってくるというところで、頌栄に声をかけた。
「センセエ。ホームランのやり方を教えてくれ」
それが聞こえた戴星は「うえッ⁉」と声を上げた。直球でそのようなことを聞く人物を初めて目にした。しかもその人物は、ろくにルールすら知らず、今日初めて試合に出場した初心者だ。
「教えたら必ず打てるというものでもないのですが」
「やらざるを得ん。ギンタに強請られた」
頌栄は莫迦にするではなく微笑ましい気持ちでフフフと笑った。
「ホームラン打てるモンなら頼むぜ、ティエンゾンさん」
「ランナーは出てんだ。ここでホームランが出れば一発逆転だ」
商店街の店主たちは藁にも縋る思いだった。天尊の発言を茶化す余裕は無かった。1戦目は敗北。2戦目で勝利するか、最悪でも引き分けなければ面目が立たない。しかし、相手に点数的リードを許している現状だ。
「手首が固くならないようにあまり力まずにグリップを握ってボールの真芯を捉えること、ですかね」
頌栄は天尊に身振り手振りでコツをレクチャーした。
「要はボールのど真ん中をぶっ叩けということか」
「簡単に言いますけど、できるんスかー」
天尊は納得した様子だが、戴星はできるわけがないと高を括った態度だ。彼が無礼なのではなく、妥当な反応といえる。天尊はこれまでの打席でチームに貢献するどころか、一度もバットを振ってもいない。天尊に助っ人を頼んだ店主たちすら、最早過度な期待はしていなかった。
「問題ない。見えている」
天尊はそう宣言した。スタンドからバットを抜き取って肩に担いでベンチから出て行った。
天尊はバッターボックスに立った。バットを構えた姿勢でピタリと停止した。
意識を集中させると、何もかもが写真のように克明に写る。おもむろに肩を上げながら高く脚を引き上げるピッチャー。グラウンドの茶色い砂粒が宙に舞い、その一粒一粒まで見えている。ピッチャーが肩を上げてから白球を放るまでのわずかな時間が、ひどく緩慢に感じられる。まんじりともせず待たなければならないことに苦痛を覚えるほどに。
ピッチャーが振り下ろした腕から白球が放たれ、天尊は呼吸を停めた。透けそうなほど白い睫毛を綴じ合わせる行為を已め、矢のように飛んでくる白球を待ち構えた。直線上を走る白球の叩くべき最適の一点、そこに到達したとき、天尊の白い瞳には白球が停止して見えた。
この世界は、天尊にとっては静止画と大差ない。
(これが打てんわけがないだろう)
カッ。――木製バットが白球を捉えた乾いた音。
その音がした瞬間、頌栄はハッとした表情で思わず立ち上がっていた。
グラウンドの内外から声援が沸き上がるなか、白球はぐんぐんと伸び上がって晴天に飲まれてゆく。天尊の打球はグラウンドのフェンスを大きく越えた。
「驚いた……。お兄ちゃんは有言実行なのですね」
頌栄は驚きながら破顔した。
「スゲーッ! スゲーぞ兄ちゃん! 本当に逆転勝利だ!」
「ティエンゾンさんに頼んでよかった! カッコよすぎるぜ! わはははははッ」
店主たちは肩を組んだりガッツポーズしたり、ベンチは歓喜乱舞の大喜び。少年時代に戻ったかのようなはしゃぎようだった。
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