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Kapitel 10:母親
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週末の昼下がり。天尊の部屋。
天尊本人と、銀太と耀龍がいた。天尊はベッドに腰かけて雑誌を読み耽る。銀太と耀龍は、床に座りこんで銀太の玩具で戯れる。
耀龍は上半身をひねって天尊のほうを振り返った。
「ねえ。結局、天哥々が謝ったの?」
「ああ、まあな」
耀龍が尋ねたのは、天尊と白との話し合いの顛末についてだ。
耀龍は意外そうに眉を引き上げた。
「何で」
「何でとは何だ」
「だってー、メリットも無いのに天哥々から謝るなんて想像できない」
「ティエンがあやまるのはトーゼンだ。ティエンがわるいんだから」
銀太はベッドの上に飛び乗り、腰に手を当てて踏ん反り返った。
耀龍はベッドに顎を載せ、えー、と不満そうな声を上げた。
「オレは天哥々悪くないと思うけどなー」
天尊はフンッと鼻で笑った。やはりこの弟は自分の味方しかしない。
「ギンタはアキラの味方だ。たとえ、アキラが間違っていたとしてもアキラの味方をする」
「アキラがまちがうことなんかない。アキラはいっつもただしい」
「わあ。ギンタ揺るぎな~い」
銀太は天井に拳を突き立てて断言し、耀龍はアハハと笑った。
耀龍は銀太よりはいくらか年嵩であると自覚しているだろうが、天尊から見ればこのふたりの精神年齢は大差ない。
「で、何故お前たちは俺の部屋に集まる。学生はガッコへ行け」
「きょうはやすみだぞー」
「ねー」
だからといって何故、自分の部屋に集うのか、天尊には疑問であり不満だった。両者ともに自室があるのだから、そこを使えばよい。リビングでもよい。耀龍がクローゼットのようだと宣ったこの部屋よりは余程開放的で快適だろうに。
コンコン。――部屋のドアがノックされた。
ドアが押し開かれ、白がヒョイッと顔を出した。
「お昼ホットケーキだけど、食べる人ー」
「たべるー!」
銀太はいち早くベッドからピョンと飛び降りた。
銀太が部屋から駆け出していったあとで、天尊と耀龍は腰を持ち上げた。
天尊と耀龍が食卓テーブルにやってくると、すでに銀太はいつもの自分の場所に座ってフォークを握っていた。
キッチンのなかでは、縁花が皿洗いをしている。侍従である彼が耀龍の傍にいなかったのは、白の昼食の支度を手伝っていたからだ。
テーブルの上には人数分のホットケーキが並んでいる。
耀龍はそれらを覗きこみ、しげしげと眺めた。
「へー。これがホットケーキかあ」
「ホットケーキは初めて?」
「うん」
「こっちがユェンさんが焼いたヤツだよ」
耀龍は関心が無さそうに、ふぅーん、と漏らした。そして、自分の隣にいる天尊の前へザッと皿を押し遣った。
「アキラが焼いたのはどれ? オレ、アキラが焼いてくれたのが食べたいな」
「えッ」
「龍。侍従がお前のために用意したメシだ。食ってやるのが主人の務めだ。アキラ。俺の分は?」
天尊もまた、耀龍と同じようにザッと皿を元の位置へ押し戻した。
「そこに人数分あるでしょ。足りないなら追加で焼くけど」
「俺はアキラが焼いたのが食べたい」
「えー。天哥々だけズルイよ。オレもアキラが焼いたのがいい」
「耀龍様、大隊長……」
天尊と耀龍は、縁花がこさえた料理を押しつけ合うのを隠そうともしなかった。
白には縁花が肩を落としたように見えた。気の毒に思って慌ててフォローに入る。
「ふたりともユェンさんに失礼だよ。材料は同じなんだから味は一緒です」
「気分の問題」
天尊と耀龍は、キッパリと声を揃えた。
「この兄弟は……」と白は額を押さえた。
「ふたりとも大人なんだから銀太を見習いなさい」
白は、ほらご覧なさいとばかりに銀太を指差した。
銀太はすでにホットケーキを食べ始めていた。黙ってもぐもぐと口を動かし、よい食べっぷりだ。
「オレはまだ学生だもーん。天哥々は大人だけど」
「都合のいいときだけガキのフリをするな」
「で、アキラが作ったのはどれなの?」
「いま銀太が食べてるヤツ」
白の答えを聞いた天尊と耀龍は、口を一文字に噤んだ。賢い彼らは、これ以上の駄々は無意味だと自ずと理解した。
白が作ったホットケーキに有りつけたのは銀太だけだった。この昼食は縁花の〝人間流〟の料理の練習でもあったので、白が作ったひとつ以外はすべて彼がこさえたものだ。つまり、駄々を捏ねた兄弟は、縁花が作ったホットケーキを食すことになった。縁花の料理は、初めてとはいえ不味くはなく、白が言うとおり、材料も同じなのだから味に変わりはないはずだが、敗北感は否めなかった。
昼食後。
天尊は少々不貞腐れた表情で、リビングのソファで雑誌を眺めていた。銀太と耀龍は相変わらず天尊の傍でゴロゴロしている。天尊は積極的に遊び相手になるわけでもないのに、何故か男児に人気があるようだ。
洗い物など後片づけを終えた白が、天尊に近寄って雑誌を覗きこんだ。天尊がこの家にやって来てから、このように此國の雑誌に興味を示したのは初めてだった。何の雑誌を見ているのかと尋ねてみた。
「服装の勉強してるんだって、天哥々」
「服装の? それで雑誌を?」
「参考文献を読むのは基本だろう」
天尊がそう答え、白は「基本だね」とフフフと笑った。
以前に銀太の先生・頌栄から野球のガイドブックを渡されたときもそうだったが、天尊には普段の尊大振りからは意外な、存外真面目な一面がある。
天尊は耀龍から普段着の不自然さを指摘された。近所の本屋でファッション雑誌を手当たり次第購入し、TPOによって何を選択すれば不自然でないのか、何が自分に適しているのか情報収集中だ。
「天哥々はこっちに来てから、外出するときいつも正装だったんでしょ。何でアキラは天哥々におかしいって言わなかったの」
カーペットの上に座した耀龍は、後方に手を突いて首を伸ばして白を見上げた。
「正装っていうか、スーツでしょ。別にスーツでもおかしくはないかなって。それにこっちの服はほかに持ってないと思ってたから」
「持ってなければ買えばいいだけじゃない」
それはそうですが、それはそれで元も子もない。留学する間に必要だからとマンションの1フロアをすべて買い占める富豪には、節約や倹約などといった考え方はないことは想像に難くない。
ピンポーン。――呼び鈴の音。
白が振り向くとほぼ同時に、室内に立って待機していた縁花が、素早くインターホンのモニターのほうへ移動した。
縁花は、天尊からは役立たずなどと罵られるが、白にとってはよく気を回してくれる人物だ。自分にできる範囲で白に助力してくれるし、このように進んで代行してくれもする。
「姑娘。御客様です」
「お客?」と白が聞き返した。
「ギンタ様の御母様と仰有る御婦人がいらしています。お通ししてよろしいですか」
白も銀太も瞬時にハッと息を呑んだことに、天尊も耀龍も気が付いた。
母親の帰宅は、姉弟にとって不意な出来事だったに違いない。もし知っていたら、最も慌てふためくのはきっと白であり、暢気にホットケーキを焼くなどしていない。
妙だなと思った。離れて暮らしているのに帰ってくることに一報も無い母親。想定外かつ喜びもしない姉弟。天尊も耀龍も、黙って姉弟の動向を見守った。
数秒後、そうですか、と白が一息吐くように言った。明らかに気乗りしない表情だった。
「ありがとうございます。ボクが出ます」
白はモニターに近づき、客人への応対を縁花と交代した。モニター越しにいくらか言葉を交わしたあと、玄関へと向かった。
耀龍は天尊の顔を見上げた。ソファに大股開きに座す兄は、自分の腿の上に肘を置いて頬杖を突いた。
「ギンタの母様ってことは、当然アキラの母様でもあるよね。アキラと似てる? 美人?」
「知らん。俺も見たことがない」
「惘れたー。もうちょっと同居人に関心持ってよー」
じきに玄関ドアが開く音がして、廊下のほうから話し声が近づいてきた。白ともうひとり分の女性の声。おそらくは、姉弟の母親のものだ。
「あの、今はちょっと。友だちが遊びに来てて……」
「別にお邪魔はしないわ。銀太の顔を見に来ただけよ」
白に追いかけられて、髪の長い女性が姿を現した。
色白かつ細身な、嫋やかな立ち姿。中学生の子どもがいるにしては、顔立ちは少々幼いように見える。明るめのスカーレットのルージュが白い肌に栄える。
「……美人。似てないけど」
耀龍は率直な感想をボソリと零した。
「あら。こちらがアキラのお友だち?」
彼女はリビングにいた白の友人たちを眺めて小首を傾げた。しかし、怪訝な態度は一切無かった。亜麻色に近い柔らかそうな髪の毛を肩から払い、彼らに微笑んだ。
「初めまして。銀太の母です」
自己紹介をされたなら、此方も名乗るのがマナーだ。
耀龍が腰を持ち上げようとするとほぼ同時に、白が母親の正面に回りこんだ。
「今日は何か用ですか。貴女がここに来るなんて……ボクは父さんからは何も連絡をもらってませんけど」
天尊は白の後ろ姿を黙って観察した。
母親を相手に随分と警戒しているように見える。まるで何かしらの脅威に備えるように。母親との久方振りの再会に似付かわしくない緊張だ。
「ここに来る前に、前住んでたマンションに行ってきたの。ビックリしたわ。火事になって引っ越したんですってね。そういうことがあったならちゃんと教えてくれなくちゃ。私は銀太の母親なんだから」
彼女は白から銀太へと目線を移してヒラヒラと手を振った。
「でも何ともないみたいで安心したわ。銀太~。ママよ~」
天尊は横目で銀太の様子を窺った。
銀太の表情は凍りついたように硬かった。母親に対してどう振る舞ったらよいか困惑しているといった感じだ。やんちゃで向こう見ずな銀太の性格とは、矛盾する反応だった。
やはり違和感を覚えた。白も銀太も、普段と態度や反応が異なるのは明白だ。
母親は、初見である天尊たちに対して不審がることもなく愛想がよい。耀龍の評価どおり、美女であることは否定しない。微笑を湛えた姿は、女性的かつ柔和な印象を受ける。
だから、姉弟が彼女を警戒する理由が分からない。この姉弟は故も無く人を邪険にすることなどない。彼女には何かしらの理由があるはずだ。
「銀太と話がしたいのだけれど、いいかしら。勿論いいわよね。私は銀太の母親なんだから」
白は口を開いて彼女に何かを言いかけた。しかし、グッと飲みこんで「はい」と答えた。
「あなたはいいわ、アキラ。あなたは席を外して頂戴ね」
それは排斥の言葉だった。薄衣のように柔らかな声で、優しげな微笑みのままで、柔和な振る舞いとは裏腹に白を除け者にする。
「……分かりました。少し出てきます。丁度、外に用事もありますから」
白は諦めたように小さく溜息を吐いた。驚いた様子も傷ついた素振りもなかった。心構えがあったように平静だった。
「じゃあ俺たちも席を外す」
天尊がスッとソファから立ち上がった。
随分と背が高いのね、と彼女は天尊を見上げて感心した。
「いや、いいよ。ティエンたちは銀太と一緒にいて」
「え。でも、アキラが席を外すのにオレたちが残るのは」
「大丈夫だよ。ボクだけ出て行けば」
白は耀龍の言葉も最後まで聞かずに、玄関へ向かった。普段の白と比べて少々素っ気なく感じた。
瞬時に天尊と耀龍は目配せをした。
「龍。お前はギンタと一緒にいろ」
耀龍はコクンと頷き、天尊は白の後を追った。
天尊本人と、銀太と耀龍がいた。天尊はベッドに腰かけて雑誌を読み耽る。銀太と耀龍は、床に座りこんで銀太の玩具で戯れる。
耀龍は上半身をひねって天尊のほうを振り返った。
「ねえ。結局、天哥々が謝ったの?」
「ああ、まあな」
耀龍が尋ねたのは、天尊と白との話し合いの顛末についてだ。
耀龍は意外そうに眉を引き上げた。
「何で」
「何でとは何だ」
「だってー、メリットも無いのに天哥々から謝るなんて想像できない」
「ティエンがあやまるのはトーゼンだ。ティエンがわるいんだから」
銀太はベッドの上に飛び乗り、腰に手を当てて踏ん反り返った。
耀龍はベッドに顎を載せ、えー、と不満そうな声を上げた。
「オレは天哥々悪くないと思うけどなー」
天尊はフンッと鼻で笑った。やはりこの弟は自分の味方しかしない。
「ギンタはアキラの味方だ。たとえ、アキラが間違っていたとしてもアキラの味方をする」
「アキラがまちがうことなんかない。アキラはいっつもただしい」
「わあ。ギンタ揺るぎな~い」
銀太は天井に拳を突き立てて断言し、耀龍はアハハと笑った。
耀龍は銀太よりはいくらか年嵩であると自覚しているだろうが、天尊から見ればこのふたりの精神年齢は大差ない。
「で、何故お前たちは俺の部屋に集まる。学生はガッコへ行け」
「きょうはやすみだぞー」
「ねー」
だからといって何故、自分の部屋に集うのか、天尊には疑問であり不満だった。両者ともに自室があるのだから、そこを使えばよい。リビングでもよい。耀龍がクローゼットのようだと宣ったこの部屋よりは余程開放的で快適だろうに。
コンコン。――部屋のドアがノックされた。
ドアが押し開かれ、白がヒョイッと顔を出した。
「お昼ホットケーキだけど、食べる人ー」
「たべるー!」
銀太はいち早くベッドからピョンと飛び降りた。
銀太が部屋から駆け出していったあとで、天尊と耀龍は腰を持ち上げた。
天尊と耀龍が食卓テーブルにやってくると、すでに銀太はいつもの自分の場所に座ってフォークを握っていた。
キッチンのなかでは、縁花が皿洗いをしている。侍従である彼が耀龍の傍にいなかったのは、白の昼食の支度を手伝っていたからだ。
テーブルの上には人数分のホットケーキが並んでいる。
耀龍はそれらを覗きこみ、しげしげと眺めた。
「へー。これがホットケーキかあ」
「ホットケーキは初めて?」
「うん」
「こっちがユェンさんが焼いたヤツだよ」
耀龍は関心が無さそうに、ふぅーん、と漏らした。そして、自分の隣にいる天尊の前へザッと皿を押し遣った。
「アキラが焼いたのはどれ? オレ、アキラが焼いてくれたのが食べたいな」
「えッ」
「龍。侍従がお前のために用意したメシだ。食ってやるのが主人の務めだ。アキラ。俺の分は?」
天尊もまた、耀龍と同じようにザッと皿を元の位置へ押し戻した。
「そこに人数分あるでしょ。足りないなら追加で焼くけど」
「俺はアキラが焼いたのが食べたい」
「えー。天哥々だけズルイよ。オレもアキラが焼いたのがいい」
「耀龍様、大隊長……」
天尊と耀龍は、縁花がこさえた料理を押しつけ合うのを隠そうともしなかった。
白には縁花が肩を落としたように見えた。気の毒に思って慌ててフォローに入る。
「ふたりともユェンさんに失礼だよ。材料は同じなんだから味は一緒です」
「気分の問題」
天尊と耀龍は、キッパリと声を揃えた。
「この兄弟は……」と白は額を押さえた。
「ふたりとも大人なんだから銀太を見習いなさい」
白は、ほらご覧なさいとばかりに銀太を指差した。
銀太はすでにホットケーキを食べ始めていた。黙ってもぐもぐと口を動かし、よい食べっぷりだ。
「オレはまだ学生だもーん。天哥々は大人だけど」
「都合のいいときだけガキのフリをするな」
「で、アキラが作ったのはどれなの?」
「いま銀太が食べてるヤツ」
白の答えを聞いた天尊と耀龍は、口を一文字に噤んだ。賢い彼らは、これ以上の駄々は無意味だと自ずと理解した。
白が作ったホットケーキに有りつけたのは銀太だけだった。この昼食は縁花の〝人間流〟の料理の練習でもあったので、白が作ったひとつ以外はすべて彼がこさえたものだ。つまり、駄々を捏ねた兄弟は、縁花が作ったホットケーキを食すことになった。縁花の料理は、初めてとはいえ不味くはなく、白が言うとおり、材料も同じなのだから味に変わりはないはずだが、敗北感は否めなかった。
昼食後。
天尊は少々不貞腐れた表情で、リビングのソファで雑誌を眺めていた。銀太と耀龍は相変わらず天尊の傍でゴロゴロしている。天尊は積極的に遊び相手になるわけでもないのに、何故か男児に人気があるようだ。
洗い物など後片づけを終えた白が、天尊に近寄って雑誌を覗きこんだ。天尊がこの家にやって来てから、このように此國の雑誌に興味を示したのは初めてだった。何の雑誌を見ているのかと尋ねてみた。
「服装の勉強してるんだって、天哥々」
「服装の? それで雑誌を?」
「参考文献を読むのは基本だろう」
天尊がそう答え、白は「基本だね」とフフフと笑った。
以前に銀太の先生・頌栄から野球のガイドブックを渡されたときもそうだったが、天尊には普段の尊大振りからは意外な、存外真面目な一面がある。
天尊は耀龍から普段着の不自然さを指摘された。近所の本屋でファッション雑誌を手当たり次第購入し、TPOによって何を選択すれば不自然でないのか、何が自分に適しているのか情報収集中だ。
「天哥々はこっちに来てから、外出するときいつも正装だったんでしょ。何でアキラは天哥々におかしいって言わなかったの」
カーペットの上に座した耀龍は、後方に手を突いて首を伸ばして白を見上げた。
「正装っていうか、スーツでしょ。別にスーツでもおかしくはないかなって。それにこっちの服はほかに持ってないと思ってたから」
「持ってなければ買えばいいだけじゃない」
それはそうですが、それはそれで元も子もない。留学する間に必要だからとマンションの1フロアをすべて買い占める富豪には、節約や倹約などといった考え方はないことは想像に難くない。
ピンポーン。――呼び鈴の音。
白が振り向くとほぼ同時に、室内に立って待機していた縁花が、素早くインターホンのモニターのほうへ移動した。
縁花は、天尊からは役立たずなどと罵られるが、白にとってはよく気を回してくれる人物だ。自分にできる範囲で白に助力してくれるし、このように進んで代行してくれもする。
「姑娘。御客様です」
「お客?」と白が聞き返した。
「ギンタ様の御母様と仰有る御婦人がいらしています。お通ししてよろしいですか」
白も銀太も瞬時にハッと息を呑んだことに、天尊も耀龍も気が付いた。
母親の帰宅は、姉弟にとって不意な出来事だったに違いない。もし知っていたら、最も慌てふためくのはきっと白であり、暢気にホットケーキを焼くなどしていない。
妙だなと思った。離れて暮らしているのに帰ってくることに一報も無い母親。想定外かつ喜びもしない姉弟。天尊も耀龍も、黙って姉弟の動向を見守った。
数秒後、そうですか、と白が一息吐くように言った。明らかに気乗りしない表情だった。
「ありがとうございます。ボクが出ます」
白はモニターに近づき、客人への応対を縁花と交代した。モニター越しにいくらか言葉を交わしたあと、玄関へと向かった。
耀龍は天尊の顔を見上げた。ソファに大股開きに座す兄は、自分の腿の上に肘を置いて頬杖を突いた。
「ギンタの母様ってことは、当然アキラの母様でもあるよね。アキラと似てる? 美人?」
「知らん。俺も見たことがない」
「惘れたー。もうちょっと同居人に関心持ってよー」
じきに玄関ドアが開く音がして、廊下のほうから話し声が近づいてきた。白ともうひとり分の女性の声。おそらくは、姉弟の母親のものだ。
「あの、今はちょっと。友だちが遊びに来てて……」
「別にお邪魔はしないわ。銀太の顔を見に来ただけよ」
白に追いかけられて、髪の長い女性が姿を現した。
色白かつ細身な、嫋やかな立ち姿。中学生の子どもがいるにしては、顔立ちは少々幼いように見える。明るめのスカーレットのルージュが白い肌に栄える。
「……美人。似てないけど」
耀龍は率直な感想をボソリと零した。
「あら。こちらがアキラのお友だち?」
彼女はリビングにいた白の友人たちを眺めて小首を傾げた。しかし、怪訝な態度は一切無かった。亜麻色に近い柔らかそうな髪の毛を肩から払い、彼らに微笑んだ。
「初めまして。銀太の母です」
自己紹介をされたなら、此方も名乗るのがマナーだ。
耀龍が腰を持ち上げようとするとほぼ同時に、白が母親の正面に回りこんだ。
「今日は何か用ですか。貴女がここに来るなんて……ボクは父さんからは何も連絡をもらってませんけど」
天尊は白の後ろ姿を黙って観察した。
母親を相手に随分と警戒しているように見える。まるで何かしらの脅威に備えるように。母親との久方振りの再会に似付かわしくない緊張だ。
「ここに来る前に、前住んでたマンションに行ってきたの。ビックリしたわ。火事になって引っ越したんですってね。そういうことがあったならちゃんと教えてくれなくちゃ。私は銀太の母親なんだから」
彼女は白から銀太へと目線を移してヒラヒラと手を振った。
「でも何ともないみたいで安心したわ。銀太~。ママよ~」
天尊は横目で銀太の様子を窺った。
銀太の表情は凍りついたように硬かった。母親に対してどう振る舞ったらよいか困惑しているといった感じだ。やんちゃで向こう見ずな銀太の性格とは、矛盾する反応だった。
やはり違和感を覚えた。白も銀太も、普段と態度や反応が異なるのは明白だ。
母親は、初見である天尊たちに対して不審がることもなく愛想がよい。耀龍の評価どおり、美女であることは否定しない。微笑を湛えた姿は、女性的かつ柔和な印象を受ける。
だから、姉弟が彼女を警戒する理由が分からない。この姉弟は故も無く人を邪険にすることなどない。彼女には何かしらの理由があるはずだ。
「銀太と話がしたいのだけれど、いいかしら。勿論いいわよね。私は銀太の母親なんだから」
白は口を開いて彼女に何かを言いかけた。しかし、グッと飲みこんで「はい」と答えた。
「あなたはいいわ、アキラ。あなたは席を外して頂戴ね」
それは排斥の言葉だった。薄衣のように柔らかな声で、優しげな微笑みのままで、柔和な振る舞いとは裏腹に白を除け者にする。
「……分かりました。少し出てきます。丁度、外に用事もありますから」
白は諦めたように小さく溜息を吐いた。驚いた様子も傷ついた素振りもなかった。心構えがあったように平静だった。
「じゃあ俺たちも席を外す」
天尊がスッとソファから立ち上がった。
随分と背が高いのね、と彼女は天尊を見上げて感心した。
「いや、いいよ。ティエンたちは銀太と一緒にいて」
「え。でも、アキラが席を外すのにオレたちが残るのは」
「大丈夫だよ。ボクだけ出て行けば」
白は耀龍の言葉も最後まで聞かずに、玄関へ向かった。普段の白と比べて少々素っ気なく感じた。
瞬時に天尊と耀龍は目配せをした。
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