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Kapitel 07:文化祭
文化祭 01
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文化祭当日。私立瑠璃瑛学園中等部。
白がそろそろ追いこみだなと感じてから文化祭当日まではあっという間だった。学校へ行っては授業と文化祭の準備に追われ、忙しなく何度も教室や生徒会室や会議室を行き来し、疲れ果てては家路につく毎日の繰り返し。一足飛びにタイムスリップしたかのような感覚で文化祭当日を迎えた。
白は校舎の廊下をひとりで歩いていた。
長らく続いた文化祭の準備も本日が最大の山場。一般来場者の入場が開始される時刻直前で、校舎内は生徒たちが慌ただしく動き回っている。
それとは対照的に、白の意識は少々ぼんやりしていた。忙殺された毎日で疲れが溜まっているのか、無事に本番を迎えられて気が抜けた感がある。
白は廊下の窓際に寄って足を停めた。
無意識に自分の手に目がいった。それから、その手で額に触れてみた。
天尊の唇が触れた場所。いきなりのことで唇の感触など忘れた。しかし、意外と温かかったことは覚えている。
(たぶん、意味なんかない。ティエンの感覚って日本人離れしてるからちょっと対応に困るというか、予想外のことが多くて隙を突かれるというか……。そもそも地球人でもないもんね。……地球人……?? イヤ、何言ってるんだろうボク)
白には、天尊の行動動機を推察できなかった。かといって本人に直接聞くほど重大なこととも思えない。気にしなければよいのに、このように不意に思い出してしまい、考えなくてもよいのに理由を考えようとしてしまう。
天尊などは唇を落とした直後も、あれから今日までも、何事もなかったように飄々と過ごしているのに。本当に何ということはないことなのだろう。彼にとってはきっと挨拶程度。
白だけがふとしたときに沈思してしまう。生来の生真面目さか、それとも人生経験の圧倒的な差か。
パタパタパタ、と廊下を駆けて白に近づいてくる足音。
「あ! いたいた、アキラくんッ」
「探しましたわ~」
二人の女子生徒は白のクラスメイト。彼女たちは白の両サイドに回ってそれぞれ腕を組み、両腕をがっしりとホールドした。
「文化祭当日の朝は必ず教室にいらしてくださいとお願いしましたのに」
「アキラくんだけは委員会の仕事が忙しくてクラス出し物のほうの準備全然進んでないんだから、当日までいないとか困るよ~」
「あ。ゴメン。教室に行くの忘れてた」
白から謝罪されると、彼女たちは責め立てることなどできやしない。役得とばかりに学園のアイドルと堂々と腕を組んで教室まで連行した。
教室。
クラスの出し物はカフェの模擬店。白はそれだけは大まかに聞いており、学校全体の調整に係りきりで、クラスの模擬店の具体的な内容は関知しなかった。模擬店では男女それぞれにそれらしい衣装を着用するそうだ。
教室は女子生徒の更衣室と化していた。白はクラスメイトの女子生徒に取り囲まれ、満面の笑みで衣装を突きつけられた。
文化祭当日、一般入場スタート直前、代替も逃げ場もない情況で、白は初めて衣装を目にした。
「コレを着るの……? ボクが」
衣装を突きつけられて硬直した白の前に、虎子が進み出た。
「何か問題でも? 仕立屋を呼んできちんと採寸したのでサイズ的には何も問題は無いはずです」
「わたくしは採寸時に白に直接説明いたしましたし、そのときに同席した証人もいらっしゃいます。勿論、文化祭実行委員に企画書も提出しておりますし、意匠はその企画書に何ら逸脱しておりません。今さら聞いていなかったなどと筋の通らない言い訳をなさいませんように。わたくしは説明責任は果たしております。それにクラスの出し物に協力は惜しまず積極的に参加なさるのは学級委員長の当然の責務ではないでしょうか」
(ん~~~~ッ! 論理派‼)
白は観念してガクッと肩を落とした。反論の言葉がひとつも思い浮かばない。中等部随一の美少女にして才媛・虎子には抵抗したとて勝てる気がしない。
それに、いくら学級委員長会会長や生徒会補助の業務に負われていたとはいえ、自分のクラスの出し物にまったく関与しなかったのは、自分の落ち度だ。反省する部分も大きく、折れるしかない。
「さあ、早くお着替えになってくださいアキラくん」
「準備は着替えだけじゃないんだから早く早く。お店スタートするまでにもう時間ないよ」
クラスメイトの女子たちは一斉に白に群がった。ベストを捲り上げたりシャツのボタンを外したり、白の制服を剥こうとする。
「わー!」と白は声を上げた。
「待って待って待って! 自分で着替えられるからッ」
§ § § § §
私立瑠璃瑛学園中等部・校門前。
天尊と戴星が、文化祭ムードで盛り上がっている中等部の校門前に佇んでいた。
天尊は煙草を咥えて紫煙を燻らせ、戴星はその隣で肩を窄めて小さくなっていた。
サングラスをかけてスーツにロングコートを羽織った男の喫煙姿は、中等部の敷地には実に不似合いだ。護衛同行で登下校する子女も少なくないこの学園では、体格のよい背広を目にすることは珍しくはないが、校門前で堂々と喫煙する不埒者はいない。天尊が白髪でなかったとしても、その行為と背格好だけで十二分に注目を集めただろう。
「そろそろタバコはやめませんか、ティエンゾンさん」
戴星はコソコソと小声で訴えた。戴星は目立つ容姿でも身形でもなく、衆目を集めるのに慣れていない。
天尊は唇から煙草を離して空に向かって煙をフーッと吐いた。
「一本くらい吸わせろ」
「ガッコの前でタバコ吸うなんて目立ちますよ」
「ガッコは禁煙か」
「未成年の学舎っスから。つーか、灰皿無いでしょココ」
戴星はコンパクト型の携帯用灰皿の蓋をパカッと開け、天尊の前にスッと差し出した。
「用意がいいな」
天尊は戴星が構える灰皿の中に煙草の灰を落とした。
「ティエンゾンさんが文化祭に行くなんて意外でした。こーゆーのは興味ないかと。アキラちゃんから招待されたんスか」
「いいや。別口の美人からだ」
天尊がフッと微笑み、戴星にはその仕草がやけに思わせ振りに見えた。
「おっ、女教師の恋人でもいるんスか」
「あの家にいる間はオンナは作らん」
(間は、か。作ろうと思えばいつでも作れる人の言葉じゃーん)
天尊は灰皿に煙草の頭を押しつけて火種を消した。
戴星はコンパクト型の携帯灰皿の蓋をパチンッと閉じた。
「で、どこに行くんスか? アキラちゃんの教室?」
「植物園。知っているか」
「ああ~。俺がいた頃と変わってなければ」
ポン、と天尊は戴星の肩に手を置いた。
「頼りにしているぞ、案内人」
「だから俺を連れて来たんスね」
「客も来そうにない店でヒマそうに店番をしていたから誘ってやったんだろうが。俺から誘われて何か不服か」
「イイエ」
戴星は頷いて承諾してしまった。
戴星が天尊の言うことを聞かなければならない義理も上下関係もない。しかし、天尊は実に命令し慣れており、戴星は何故か自然なことのように受け容れてしまうのだった。
天尊は戴星に先導されて中等部敷地内に足を踏み入れた。
以前、授業参観に参加する為に白の教室までは歩いた経験がある。しかし、本日の道順はそのときとは大きく異なった。メインストリートから外れて細い道を抜け、校舎には向かわず裏手へ回った。戴星の後ろに続いて石畳の細道を踏んで数分歩いた。
ここです、と戴星が足を停めた。天尊は目の前の建物を見上げた。
中等部の植物園は、木造のガラスハウス。白い木枠に囲まれたガラスが、強風に打ちつけられてバタバタと鳴いている。平屋だが建物の高さは三階建ての一軒家程度あり、その天井に着きそうな背の高い木々がガラス越しに見える。木枠のところどころに小さな腐食が見られ真新しさはないが、全体的に手入れが行き届いている。
「えらい古い建物っしょー。実は見た目よりもっと歳食ってますよ。戦後すぐに建てられたらしいス。まあ、年数にしてはキレイにしてあるっスね」
戴星はそう言いながらガラスハウスのドアノブに手を置いた。
ドアを押し開いてガラスハウス内に足を踏み入れた。
「ガラスハウスで何してるんスか? アキラちゃんのクラスは」
さあな、と天尊は答えて懐に手を差し入れた。胸ポケットからメッセージカードを取り出して戴星に差し出した。
戴星はそれを受け取り、足を進めつつまじまじと観察した。
ライトブラウンの二つ折りのメッセージカード。のそ上部にはコーヒーポットとカップが描かれた可愛らしいデザイン。
「お茶会の招待状、みたいっスね?」
天尊もその認識で一致する。どうやら植物園でのお茶会に招待された、ということらしい。
「いらっしゃいませ、御主人様」
天尊と戴星は揃った年若い声に迎えられた。
ガラスハウスのなかでは、メードと執事が整列していた。誰も彼も年若く、白と同じ年頃だ。白いクロスを掛けられた丸いテーブルセットが、緑の葉や枝に隠れるようにして点々と配置されている。テーブルの上にはメッセージカードに描かれたようなティーポットとカップ。
メードの一人が列から離れて天尊の前にやって来た。メードの衣装に身を包んだ虎子だ。
言うまでもなくほかのメードや執事たちは、全員白のクラスメイトである。アキラのクラスの模擬店はメード・執事喫茶だった。
「御兄様。いらしてくださいましたのね」
天尊は虎子にニッと笑いかけた。
「勿論だ。美女からの招待は断らないようにしている」
「お待ちしておりました、御主人様」
虎子は天尊からの賛辞に1ミリも動じなかった。スカートの裾を抓んで深く丁重にお辞儀をした。
「そんな服を着ていいのか。それは使用人の服だろう。使用人ごっこか」
「密やかに憧れておりましたの」
戴星は虎子に目を奪われて口を半開きにしてポカンとした。
戴星もこの学び舎の卒業生。自身は小庶民であると断言するが、学園の環境にも生徒にも慣れたものだ。しかし、虎子の美貌の存在感は、群を抜いていた。
(ひゃぁああ、すんごいすんごい美少女だ✨ 瑠璃瑛は単なる御嬢様ならゴロゴロしてるけど、ここまでキレイな子はなかなか)
虎子の目線が天尊の斜め後ろにいる戴星に向いた。
戴星は、美少女のオーラに恐縮してしまい、愛想笑いをしてペコペコと頭を下げた。
「あら。ご友人までお連れいただいてありがとうございます」
「イヤ、コレはただの道案内だ」
「この場だけでも友だちって言ってくれてもよくないスかッ」
こちらへどうぞ、と虎子は天尊と戴星をテーブルへと案内した。
戴星は虎子についていきながら、虎子に聞こえない程度の小声で天尊に話しかける。
「女教師じゃなくて美少女の知り合いっスか~。いくらキレイな子でもアキラちゃんの同級生はマズイんじゃないスか」
「この場合、マズイのはお前のほうだ。あの子を変な目で見るとボディガードが飛んでくるぞ」
「ええッ⁉」
天尊はとある方向を親指で指した。
戴星がそちらに顔を向けて視認する前に、何かが素早く動いてガサッと物陰に隠れた。確かにいる、と戴星は確信した。
天尊が指し示した植物の物陰には、久峩城ヶ嵜家のみならず、ほかのクラスメイトたちのボディガードも潜伏していた。日頃は多くのボディガードが姿を隠さず警護しているが、本日は一般来場者を驚かさないよう振る舞うように、警護対象の子女たちから言い付けられていた。つまり、人目に付くなということだ。
天尊と戴星はテーブルに就いた。
虎子が担当の給仕係として、ティーセットと茶菓子をセッティングした。正真正銘の御嬢様御手ずから振る舞われる紅茶とあって、戴星はガチガチに緊張した。学校行事でもなければ一生味わえない代物だ。
虎子がティーポットからカップへと赤みがかった茶色の紅茶を注ぎ入れ、湯気が立ち上る。
天尊はその様から目を離して周囲を瞥見した。
「アキラは?」
「白は接客とは別のお仕事がありまして、今は少しこの場から離れています。お待ちになっていれば、じきに戻りますわ」
虎子は天尊の前に白いカップを置いた。
「〝変身〟は、しているのですけれどね」
「変身?」
「白の〝変身〟を御兄様に御覧に入れたくて、招待状をお送りしましたの」
「ココと同じその服を、アキラも着ているということだろう。女が女物の服を着て、そんなに変わり映えするものか?」
天尊はカップの取っ手に指を差し入れて持ち上げた。口許まで運ぶと、涼やかな茶葉の香りが鼻腔を擽った。
使用人の真似事にしては所作にそつがなくよく出来ている、などと上から目線な感想を持った。
「ええ。それはもう」
虎子は端麗に、そして自信ありげに莞爾として微笑んだ。
白がそろそろ追いこみだなと感じてから文化祭当日まではあっという間だった。学校へ行っては授業と文化祭の準備に追われ、忙しなく何度も教室や生徒会室や会議室を行き来し、疲れ果てては家路につく毎日の繰り返し。一足飛びにタイムスリップしたかのような感覚で文化祭当日を迎えた。
白は校舎の廊下をひとりで歩いていた。
長らく続いた文化祭の準備も本日が最大の山場。一般来場者の入場が開始される時刻直前で、校舎内は生徒たちが慌ただしく動き回っている。
それとは対照的に、白の意識は少々ぼんやりしていた。忙殺された毎日で疲れが溜まっているのか、無事に本番を迎えられて気が抜けた感がある。
白は廊下の窓際に寄って足を停めた。
無意識に自分の手に目がいった。それから、その手で額に触れてみた。
天尊の唇が触れた場所。いきなりのことで唇の感触など忘れた。しかし、意外と温かかったことは覚えている。
(たぶん、意味なんかない。ティエンの感覚って日本人離れしてるからちょっと対応に困るというか、予想外のことが多くて隙を突かれるというか……。そもそも地球人でもないもんね。……地球人……?? イヤ、何言ってるんだろうボク)
白には、天尊の行動動機を推察できなかった。かといって本人に直接聞くほど重大なこととも思えない。気にしなければよいのに、このように不意に思い出してしまい、考えなくてもよいのに理由を考えようとしてしまう。
天尊などは唇を落とした直後も、あれから今日までも、何事もなかったように飄々と過ごしているのに。本当に何ということはないことなのだろう。彼にとってはきっと挨拶程度。
白だけがふとしたときに沈思してしまう。生来の生真面目さか、それとも人生経験の圧倒的な差か。
パタパタパタ、と廊下を駆けて白に近づいてくる足音。
「あ! いたいた、アキラくんッ」
「探しましたわ~」
二人の女子生徒は白のクラスメイト。彼女たちは白の両サイドに回ってそれぞれ腕を組み、両腕をがっしりとホールドした。
「文化祭当日の朝は必ず教室にいらしてくださいとお願いしましたのに」
「アキラくんだけは委員会の仕事が忙しくてクラス出し物のほうの準備全然進んでないんだから、当日までいないとか困るよ~」
「あ。ゴメン。教室に行くの忘れてた」
白から謝罪されると、彼女たちは責め立てることなどできやしない。役得とばかりに学園のアイドルと堂々と腕を組んで教室まで連行した。
教室。
クラスの出し物はカフェの模擬店。白はそれだけは大まかに聞いており、学校全体の調整に係りきりで、クラスの模擬店の具体的な内容は関知しなかった。模擬店では男女それぞれにそれらしい衣装を着用するそうだ。
教室は女子生徒の更衣室と化していた。白はクラスメイトの女子生徒に取り囲まれ、満面の笑みで衣装を突きつけられた。
文化祭当日、一般入場スタート直前、代替も逃げ場もない情況で、白は初めて衣装を目にした。
「コレを着るの……? ボクが」
衣装を突きつけられて硬直した白の前に、虎子が進み出た。
「何か問題でも? 仕立屋を呼んできちんと採寸したのでサイズ的には何も問題は無いはずです」
「わたくしは採寸時に白に直接説明いたしましたし、そのときに同席した証人もいらっしゃいます。勿論、文化祭実行委員に企画書も提出しておりますし、意匠はその企画書に何ら逸脱しておりません。今さら聞いていなかったなどと筋の通らない言い訳をなさいませんように。わたくしは説明責任は果たしております。それにクラスの出し物に協力は惜しまず積極的に参加なさるのは学級委員長の当然の責務ではないでしょうか」
(ん~~~~ッ! 論理派‼)
白は観念してガクッと肩を落とした。反論の言葉がひとつも思い浮かばない。中等部随一の美少女にして才媛・虎子には抵抗したとて勝てる気がしない。
それに、いくら学級委員長会会長や生徒会補助の業務に負われていたとはいえ、自分のクラスの出し物にまったく関与しなかったのは、自分の落ち度だ。反省する部分も大きく、折れるしかない。
「さあ、早くお着替えになってくださいアキラくん」
「準備は着替えだけじゃないんだから早く早く。お店スタートするまでにもう時間ないよ」
クラスメイトの女子たちは一斉に白に群がった。ベストを捲り上げたりシャツのボタンを外したり、白の制服を剥こうとする。
「わー!」と白は声を上げた。
「待って待って待って! 自分で着替えられるからッ」
§ § § § §
私立瑠璃瑛学園中等部・校門前。
天尊と戴星が、文化祭ムードで盛り上がっている中等部の校門前に佇んでいた。
天尊は煙草を咥えて紫煙を燻らせ、戴星はその隣で肩を窄めて小さくなっていた。
サングラスをかけてスーツにロングコートを羽織った男の喫煙姿は、中等部の敷地には実に不似合いだ。護衛同行で登下校する子女も少なくないこの学園では、体格のよい背広を目にすることは珍しくはないが、校門前で堂々と喫煙する不埒者はいない。天尊が白髪でなかったとしても、その行為と背格好だけで十二分に注目を集めただろう。
「そろそろタバコはやめませんか、ティエンゾンさん」
戴星はコソコソと小声で訴えた。戴星は目立つ容姿でも身形でもなく、衆目を集めるのに慣れていない。
天尊は唇から煙草を離して空に向かって煙をフーッと吐いた。
「一本くらい吸わせろ」
「ガッコの前でタバコ吸うなんて目立ちますよ」
「ガッコは禁煙か」
「未成年の学舎っスから。つーか、灰皿無いでしょココ」
戴星はコンパクト型の携帯用灰皿の蓋をパカッと開け、天尊の前にスッと差し出した。
「用意がいいな」
天尊は戴星が構える灰皿の中に煙草の灰を落とした。
「ティエンゾンさんが文化祭に行くなんて意外でした。こーゆーのは興味ないかと。アキラちゃんから招待されたんスか」
「いいや。別口の美人からだ」
天尊がフッと微笑み、戴星にはその仕草がやけに思わせ振りに見えた。
「おっ、女教師の恋人でもいるんスか」
「あの家にいる間はオンナは作らん」
(間は、か。作ろうと思えばいつでも作れる人の言葉じゃーん)
天尊は灰皿に煙草の頭を押しつけて火種を消した。
戴星はコンパクト型の携帯灰皿の蓋をパチンッと閉じた。
「で、どこに行くんスか? アキラちゃんの教室?」
「植物園。知っているか」
「ああ~。俺がいた頃と変わってなければ」
ポン、と天尊は戴星の肩に手を置いた。
「頼りにしているぞ、案内人」
「だから俺を連れて来たんスね」
「客も来そうにない店でヒマそうに店番をしていたから誘ってやったんだろうが。俺から誘われて何か不服か」
「イイエ」
戴星は頷いて承諾してしまった。
戴星が天尊の言うことを聞かなければならない義理も上下関係もない。しかし、天尊は実に命令し慣れており、戴星は何故か自然なことのように受け容れてしまうのだった。
天尊は戴星に先導されて中等部敷地内に足を踏み入れた。
以前、授業参観に参加する為に白の教室までは歩いた経験がある。しかし、本日の道順はそのときとは大きく異なった。メインストリートから外れて細い道を抜け、校舎には向かわず裏手へ回った。戴星の後ろに続いて石畳の細道を踏んで数分歩いた。
ここです、と戴星が足を停めた。天尊は目の前の建物を見上げた。
中等部の植物園は、木造のガラスハウス。白い木枠に囲まれたガラスが、強風に打ちつけられてバタバタと鳴いている。平屋だが建物の高さは三階建ての一軒家程度あり、その天井に着きそうな背の高い木々がガラス越しに見える。木枠のところどころに小さな腐食が見られ真新しさはないが、全体的に手入れが行き届いている。
「えらい古い建物っしょー。実は見た目よりもっと歳食ってますよ。戦後すぐに建てられたらしいス。まあ、年数にしてはキレイにしてあるっスね」
戴星はそう言いながらガラスハウスのドアノブに手を置いた。
ドアを押し開いてガラスハウス内に足を踏み入れた。
「ガラスハウスで何してるんスか? アキラちゃんのクラスは」
さあな、と天尊は答えて懐に手を差し入れた。胸ポケットからメッセージカードを取り出して戴星に差し出した。
戴星はそれを受け取り、足を進めつつまじまじと観察した。
ライトブラウンの二つ折りのメッセージカード。のそ上部にはコーヒーポットとカップが描かれた可愛らしいデザイン。
「お茶会の招待状、みたいっスね?」
天尊もその認識で一致する。どうやら植物園でのお茶会に招待された、ということらしい。
「いらっしゃいませ、御主人様」
天尊と戴星は揃った年若い声に迎えられた。
ガラスハウスのなかでは、メードと執事が整列していた。誰も彼も年若く、白と同じ年頃だ。白いクロスを掛けられた丸いテーブルセットが、緑の葉や枝に隠れるようにして点々と配置されている。テーブルの上にはメッセージカードに描かれたようなティーポットとカップ。
メードの一人が列から離れて天尊の前にやって来た。メードの衣装に身を包んだ虎子だ。
言うまでもなくほかのメードや執事たちは、全員白のクラスメイトである。アキラのクラスの模擬店はメード・執事喫茶だった。
「御兄様。いらしてくださいましたのね」
天尊は虎子にニッと笑いかけた。
「勿論だ。美女からの招待は断らないようにしている」
「お待ちしておりました、御主人様」
虎子は天尊からの賛辞に1ミリも動じなかった。スカートの裾を抓んで深く丁重にお辞儀をした。
「そんな服を着ていいのか。それは使用人の服だろう。使用人ごっこか」
「密やかに憧れておりましたの」
戴星は虎子に目を奪われて口を半開きにしてポカンとした。
戴星もこの学び舎の卒業生。自身は小庶民であると断言するが、学園の環境にも生徒にも慣れたものだ。しかし、虎子の美貌の存在感は、群を抜いていた。
(ひゃぁああ、すんごいすんごい美少女だ✨ 瑠璃瑛は単なる御嬢様ならゴロゴロしてるけど、ここまでキレイな子はなかなか)
虎子の目線が天尊の斜め後ろにいる戴星に向いた。
戴星は、美少女のオーラに恐縮してしまい、愛想笑いをしてペコペコと頭を下げた。
「あら。ご友人までお連れいただいてありがとうございます」
「イヤ、コレはただの道案内だ」
「この場だけでも友だちって言ってくれてもよくないスかッ」
こちらへどうぞ、と虎子は天尊と戴星をテーブルへと案内した。
戴星は虎子についていきながら、虎子に聞こえない程度の小声で天尊に話しかける。
「女教師じゃなくて美少女の知り合いっスか~。いくらキレイな子でもアキラちゃんの同級生はマズイんじゃないスか」
「この場合、マズイのはお前のほうだ。あの子を変な目で見るとボディガードが飛んでくるぞ」
「ええッ⁉」
天尊はとある方向を親指で指した。
戴星がそちらに顔を向けて視認する前に、何かが素早く動いてガサッと物陰に隠れた。確かにいる、と戴星は確信した。
天尊が指し示した植物の物陰には、久峩城ヶ嵜家のみならず、ほかのクラスメイトたちのボディガードも潜伏していた。日頃は多くのボディガードが姿を隠さず警護しているが、本日は一般来場者を驚かさないよう振る舞うように、警護対象の子女たちから言い付けられていた。つまり、人目に付くなということだ。
天尊と戴星はテーブルに就いた。
虎子が担当の給仕係として、ティーセットと茶菓子をセッティングした。正真正銘の御嬢様御手ずから振る舞われる紅茶とあって、戴星はガチガチに緊張した。学校行事でもなければ一生味わえない代物だ。
虎子がティーポットからカップへと赤みがかった茶色の紅茶を注ぎ入れ、湯気が立ち上る。
天尊はその様から目を離して周囲を瞥見した。
「アキラは?」
「白は接客とは別のお仕事がありまして、今は少しこの場から離れています。お待ちになっていれば、じきに戻りますわ」
虎子は天尊の前に白いカップを置いた。
「〝変身〟は、しているのですけれどね」
「変身?」
「白の〝変身〟を御兄様に御覧に入れたくて、招待状をお送りしましたの」
「ココと同じその服を、アキラも着ているということだろう。女が女物の服を着て、そんなに変わり映えするものか?」
天尊はカップの取っ手に指を差し入れて持ち上げた。口許まで運ぶと、涼やかな茶葉の香りが鼻腔を擽った。
使用人の真似事にしては所作にそつがなくよく出来ている、などと上から目線な感想を持った。
「ええ。それはもう」
虎子は端麗に、そして自信ありげに莞爾として微笑んだ。
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