マインハール ――屈強男×しっかり者JCの歳の差ファンタジー恋愛物語

花閂

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Kapitel 06:使者

使者 04

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 天尊ティエンゾンの部屋から出たアキラの耳に、銀太ギンタ耀龍ヤオロンの話し声が届いた。耀龍が子ども好きかどうか知らないが、天尊の言い付け通りに幼子の話し相手をしてくれたようだ。
 白がリビングに戻ってきて、耀龍ヤオロンは白に気づいてフラッと手を振った。

天哥々ティエンガコとのお話は終わった? アキラ」

 話と言うほどの話は別に、と白は愛想笑いを返した。
 耀龍はソファから立ち上がって白に近寄った。

「あの人にかかった食費や滞在費やその他諸経費、謝礼も含めてお渡しするよ。キャッシュがいい? 振り込みがいい?」

 白は愛想笑いを湛えたままフルフルと首を左右に振った。

「いえ、そんなにかかってませんから」

「でも食べるでしょ、あの人」

「食費はティエンからもらってます」

「じゃあ謝礼だけでも」

「結構です。お礼していただくようなことは何もしていません。むしろ、ボクのほうがティエンにお礼をしなきゃいけないくらいで。……何もできませんけど」

 何もできない。これは白の本音だった。
 天尊のような存在と比較して人間は無力だと、白は思い知っている。そうでなくとも天尊が何を考え、何を望むのか、分からない。言ってほしい言葉も察してあげられない。今さらながら、最後の最後に子どものような失言をしてしまったことが悔やまれた。
 耀龍は白の頑なな拒否を受け取り、そう、と無理強いせずに引き下がった。

「アキラは天哥々ティエンガコが帰っちゃうのイヤじゃない? ギンタは寂しいって言ってるよ。アキラとギンタがお願いしたら残ってくれるかもしれないよ」

 耀龍は首を傾げて白に尋ねた。
 白はチラリと銀太を見遣った。何か言いたげな表情をしていると勘付いたが、どうしたの、とは問わなかった。帰らないように天尊にお願いしてくれとでも強請られたら困る。

「元々、帰れるようになるまでって約束だったから、それはないですよ。悩んではくれるかもですね。ティエンは優しいから」

天哥々ティエンガコが……優しい」

 耀龍は白の発言を復唱し、連れの大男のほうを振り返った。明らかに他意のある仕草。弟からの視点では、天尊は純粋に心優しく親切な人物ではなかった。

「ティエンを困らせることはしたくないです」

「本当にアキラもギンタも聞き分けのいい、イイ子だね」

 白は何も言わないで、笑みを作った。
 よい子と言われて報われた試しはない。見返りを求めてそう振る舞っているわけではないが、最早、白の耳にはよい子という言葉は賛辞には聞こえなかった。無意識によい子でいようとする。それはもう、いつの間にか染みついてしまった習性だ。
 天尊を引き留めないのは、大人びて達観したからではない。困らせたくない。嫌われたくない。いい思い出になりたい。誰かの為を想っての行動ではない、消極的な動機だ。

 ガチャ。――天尊の部屋のドアが開いた。

「支度をする。明日の朝、また来い」

 天尊はリビングにやって来て耀龍にそう告げた。

「え」と耀龍は意外そうな声を出した。

「そんなにすぐ? 二、三日くらい待ったっていいんだよ。最後に思い出作りとかしといたら」

 天尊は、弟らしい幼稚な発想だと思い、ハッと鼻で笑った。
 この弟は天尊から見れば背丈だけが育った、まだまだ子どものようなものだった。

「要らん気を回すな」

 最後の思い出作り、と言われたのに、天尊は白と銀太の意見など聞かずに断った。
 意見など聞かずとも分かる。先ほどの白との問答がすべてだ。三人でひとつ屋根の下で暮らした時間の帰結が、あれだ。
 ――そんなものは必要ない。どうせキレイサッパリ忘れ去る記憶だ。


  § § § § §


 翌日の早朝。疋堂家のリビング。
 カーテンを全開にした窓から朝陽が差しこむ。天尊の白い髪も、耀龍の薄褐色の髪も、陽光を受けてキラキラと輝いて舞台上で煌びやかなライトを浴びているようだ。
 白と銀太は、じゃあね、元気で、などと天尊と有り触れた別れの言葉を交わした。
 これは正真正銘、今生の別れ。人間である白どころか、天尊にだってどうにもできない。一度さよならをしてしまえば、何をしても二度と出逢うことはないのに、耀龍には淡白なものに見えた。

(どっちもあっさりしちゃってー……)

 三人をボーッと眺める耀龍に、ともに天尊の迎えにやって来た男が「耀龍様」と声をかけた。
 耀龍は諦めたように嘆息を漏らした。「アキラ」と呼びかけた。

「最後にちょっと協力をお願いしたいんだけど、此処でプログラムを起動してもいいかな。外でやって目撃されたら面倒だから」

「莫迦を言うな。部屋が散らかる。さっさと適当な場所を確保してこい」

「大丈夫。掃除はやっとくよ」

 白がすんなりと承諾し、天尊は口を噤んだ。
 耀龍は、白の態度を見てようやく観念した。得体の知れないものに迷惑を掛けられるのもこれが最後だから協力的なのだろうと考えた。

「……プログラムを起動します」

 耀龍が顔面に手を翳すと、空間からスコープのようなものが出現して顔面の上半分を覆った。
 小さな声で何やら唱え始めた。白や銀太には聞き取れない言葉の羅列。高くなったり低くなったり起伏する音程。淀みなく流れ続ける音声は、意味不明なのに不快ではなく、むしろ聞き心地がよい。

(歌……?)

 ――――座標解析を開始
 ――――現在位置の空間座標を特定
 ――――空間スキャン開始…………完了
 ――――法紋ツァイヒヌング展開

 耀龍が両手を拡げ、彼を中心として風が巻き起こると同時に、四方八方に黄金色の光線が放たれた。
 光線は白と銀太の身体を透過した。熱も衝撃もなかった。文字とも図形ともつかない光線の軌跡が、床も壁も天井にも縦横無尽に張り巡らされ、部屋全体が淡く発光した。

 ――――《ビヴロスト》アクセスプログラム起動
 ――――プロトコル《ヘイムダル》
 ――――A級アークラツセ認証コード:********…………認証完了
 ――――《ビヴロスト》へのセッション確立

 滔々と〝歌〟はまだ続いていた。
 不思議な音程と黄金の光輝の中心にいて、やはり天尊は神々しかった。その後ろに翼を背負っていなくても、この世のものとは思えない。荘厳にして鮮麗、目が潰れそうなまでに美しい。
 だから、もしかしたらこの家で天尊と過ごした時間は、長い長い夢を見ていただけだったのかもしれないと、そのようなお伽話のような発想が、白の頭を過ぎった。

 ふと天尊と目が合った。天尊は額に皺を寄せて何か言いたそうに微笑んだ。
 最後なのだから言いたいことがあるなら言ってほしい、と白は思った。よい思い出になりたいから、心残りはないほうがよい。忘れられてもいいから、困らせたくない。
 ――違う、そうじゃない。一瞬だけ、一瞬だけ確かに…………行かないでと願ってしまった。

「ティエン……」

 無意識に名前を口走ってしまい、白はハッとした。か細い声だった。このように風巻くなかで天尊に聞こえるはずがないと思い直して安堵した。これ以上の失態は見せたくなかった。
 アキラ、と白の耳に天尊の声が届いた。
 白がジッと見詰めると、天尊はもう一度名前を呼んだ。聞き間違えではなかった。刹那、血迷ったように行かないでと思った気持ちを見透かされたのかと思った。
 白と天尊は、真正面から見詰め合っても互いに本心を見極めかねた。互いに一線を引くのが得意であり、弱音や本音を容易く口にしない。ひとつ屋根の下に暮らしながらも、心地よさを感じながらも、或る程度心を許しながらも、有りの儘の本心を吐き出したことはなかった。
 だから、最後の最後になって、未練がましく躊躇し途惑い、血迷う。

 ――お前は、キミは、最後のときに何を思う?

 先に折れたのは天尊のほうだった。白に向かって手の平を差し出した。

「アキラ。お前が少しでも……まだ俺に此処にいてほしいと思うなら、手を取れ」

 コール。コール。コール。
 最後の最後でまた賭に出る。負けが見える勝負でも、これが最後の大一番なら降りるよりマシだ。負けても身ぐるみを剥がれても構いやしない、全財産をベット。
 ――ズルイ。この期に及んで、ボクのせいにするなんて。
 最後の最後まで追い詰めてから切り出すなんて狡い。一瞬だけ血迷ったように行かないでと思った気持ちに付け入る。今の今まで我を通したことなどない、自身の為に行動したことなどない、理智的な自我を強烈に揺さ振る。
 此処ではない別の国へと繋がる光の渦中で、トールが如く雄々しく神々しいその手に触れることがどれほど畏れ多いか、まるで分かっていない。全身が震え、光に目を焼かれる。

「アキラ!」と銀太の声でハッと我に返った。

「いってアキラ! ティエンをいかせないで!」

「でもそんなことしたらティエンが……」

「ティエンをつかまえて!」

 銀太は白の身体を天尊のほうへドンッと突き飛ばした。
 白の足が一歩前に出た。それによって勢いづいて天尊に向かって恐る恐る手を伸ばした。白の手は宙で停まり、細い指が小刻みに震えた。
 天尊のほうから白の手首を掴んだ。白はそのまま強い力で引き寄せられ、逞しい腕の中に抱き留められた。
 硬くて温かい、肉の感触。これは夢幻ではなく、天尊は此処にいて、共に暮らした時間は現実なのだと、急激に思い知った。
 白も天尊もそれ以上言葉を交わさなかった。問いかけに正確には答えていない。やはり二人とも最後の時まで本音を口にしなかった。しかし今は何を望んでいるか解る。
 ――一緒にいる時間をもう少し長く……。


〈未承認物質検出。アクセス制限違反。エラー発生。システム保全の為、セッションを破棄します〉

 あッ、と耀龍は声を漏らした。
 天尊のほうを見ると、すでに両翼を拡げて自身と白を覆っていた。「ズルイ」と口を突いて出た。
 バシュゥウンッ!
 耀龍と天尊の身体が一際眩しく発光した瞬間、耀龍はその場から弾き飛ばされた。連れの男は素早い身のこなしで耀龍を両手でガシリと捕まえ、一緒に吹き飛ばされ、自身の背中から壁に叩きつけられた。
 耀龍と天尊を中心として放たれ、部屋中に描かれていた文字とも図形ともつかない紋様が折り畳まれて発光が収斂してゆく。
 光の収斂とともに吸いこむ風が発生した。銀太は背中から吹きつける風力に逆らえなくなってその場にずてんと転げた。

 じきに強風が収まり、耀龍は「あたた……」と零した。連れの男から無事か尋ねられ、お陰で全身を強打せずに済んだことに礼を言った。
 天尊のほうへ目を向けると、白を片腕で支えて何事もなかったかのような平静な態度で佇んでいた。

「ヒドイよ、わざとプロセスの邪魔するなんて。システムの排斥作用で吹っ飛ばされちゃったじゃない」

「そんな細っこい体をしているから簡単に吹っ飛ぶんだ」

 耀龍は、天尊からサラリと放言されて少々面白くなかった。
 この兄にしても連れの男にしても、生来体格に恵まれている人物というのは小憎たらしい。対比的にまるで自分が軟弱になった気分だ。
 しかしながら、天尊が白の肩をしっかりと抱いているところを見て、心が満たされた。
 耀龍は兄・天尊の幸福と充足を願っていた。兄は冷徹なまでに合理的な男だ。耀龍が幼い頃にはすでに軍務に従事し、感情など持ち合わせないかのように職務に徹していた。誰にも弱音を漏らさず魂胆を覆い隠し、兄弟にすら本心を見せない。兄の豊かな人生を願っても、何を以てそうなのか理解しかねた。
 だから、兄が感情の儘に自身の選択すべきものを掴み取ったのは喜ばしいことだった。

「アキラが押し潰されそう。離してあげなよ、天哥々ティエンガコは馬鹿力なんだから」

 天尊は耀龍からそう言われ、思い出したように力を緩めて腕の中にいる白に目を落とした。

「悪い。痛かったか」

「は、鼻が潰れるかと思った」

 白は鼻の頭を押さえ、眉をやや逆八の字にして恨みがましく天尊を見上げた。
 風に押し倒されて床に転げていた銀太は、むくっと立ち上がって白と天尊に駆け寄った。天尊は白から手を離し、銀太を抱え上げて片腕に乗せた。

「ティエンもうかえらなくていいのか? うちにいれるか?」

「ああ」

「本当に大丈夫?」

 白の反応は、素直に喜んでいる銀太とは異なった。安請け合いしないでほしいと顔に書いてある。
 天尊は白い歯を見せて「ああ」とハッキリと答えた。

「俺は何処にも行かない。アキラが出て行けと言うまで」

 天尊は空いているほうの手を白の肩に回して自分のほうへグイッと引き寄せた。白の額に唇を押しつけるようにしてキスをした。
 白は突然のことで、一切反応ができなかった。ただただ吃驚している内に唇の感触が額から離れた。
 白は頬を赤くして少し怒ったような表情で額を押さえ、天尊はハハハと破顔した。

 天尊は初めて賭けに勝った。勝負事は苦手な質ではないのに、ここ一番の大勝負では勝った例しがない。不運続きの人生だ。幸運に見放されている。だから、合理的に打算的に、負けない道を選択してきた。
 この姉弟の世界に、平穏で安寧な生活に、心優しい少女の未来に、自分の居場所はないと知りながら、必要とされることを願って賭に出た。途惑いながら怖ず怖ずと差し出された手。勝利の女神の手を掴み取り、賭けに勝った。

 ――諦めかけたちっぽけな願いをも取り零さずに叶えてくれるお前が、お前みたいな存在がこの世界にいることが、お前が当たり前のように絶え間なく降らす優しさが、お前の傍にいることを許されたことが、嬉しくて堪らない。
 俺が此処にいることを許してくれてありがとう。
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