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Kapitel 06:使者
使者 02
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ザワッ。――突如、音も無く存在感が出現した。
白も青年も自然と頭上を見上げた。
半透明の大きな二枚の翼が、ベールのように夜空に拡がっていた。星の光を透過して翼そのものがチカチカと輝いているようだ。
天尊は翼を消失させ、ストン、と地面に降り立った。
青年は天尊のほうへ身体の正面を向けて外套をバサッと後方に払った。片膝を付いて天尊に対して頭を垂れた。もうひとりの男も青年と同様に恭しく低頭した。
白は、二人組の雰囲気が一気に変わって空気がピリッと緊張したのを感知してドキッとした。
「……御健勝の御様子、安堵いたしました。エインヘリヤル三本爪飛竜騎兵大隊大隊長殿少佐殿。ミズガルズにおいて、検体24601号の消滅を観測。観測時点において任務完遂と確定されました。速やかな任務完遂、誠に喜ばしく存じ上げます。――――私の斯く伝達を以て、貴官には新たに帰還命令が発せられました。即座に御帰還願います」
天尊は腕組みをして嘆息を漏らした。
「仰々しいことだな」
青年はスッと立ち上がり、天尊にニコッと微笑みかけた。数秒前までの口上の堅苦しさが嘘のように人懐っこい笑顔だ。
「これがオレのお遣いですから。久しぶりだね。オレに会いたかった?」
「ああ」
「嘘だね」
青年によって直ぐさま否定された天尊は、いや、違う、と否定しなかった。嘘と決めつけられたことに反感を抱いた様子もない。
「お前が何をしに来たか見当はつく。とりあえずアキラから離れろ。得体の知れない男に接近されてアキラが怯える」
「嫌」
天尊は片眉を引き上げて俯瞰気味に青年を見た。命令を拒否されたのがやや不快だった。
青年は白の手を捕まえて掬い上げた。
「オレはね、この子に用はないけど興味はあるんだ。貴男と一緒に暮らせるなんて、一体どういうことだろうってね」
ガツッ。――天尊が青年の手首を掴んだ。
天尊は白の手を捕まえている青年の手首をギリギリと握り締めた。
青年は一瞬表情を歪めた。
「アキラから手を離せ。言われたことができないならねじ切るぞ」
天尊は青年からもうひとりの男のほうへと目線を移した。
二人組の片割れ、青年と共に現れたもうひとりの存在、それまでほとんど動きを見せず黙って見ていた男の雰囲気がピリッと急変した。
天尊は、自分の脅威にはなり得ないと青年を侮っていた。青年よりもこの物言わぬ男のほうがよほど手強い。
青年は白からパッと手を離した。自由なほうの手を上げて降参の意思表示。手の平をヒラヒラと天尊に見せつけた。
天尊はポイッと放るように青年から手を離した。白の腕を掴んで自分のほうへ引き寄せた。
「ほら、恐い恐い」
青年は自分の手首を摩りながら冗談のように言った。しかし、皮膚に指の跡がクッキリと残っていた。天尊の剛力は青年も知っている。人の骨を握り潰すくらいは訳はない。そして、実行すると決めたことには躊躇しない人物だということも心得ている。
青年は、天尊のほうに行ってしまった白に、腰を曲げて顔を近づけた。
「オレともう少しお話ししてくれない? 痛いこととか恐いこととか絶対しないからさ。おうちにお邪魔してもいいかな」
「巫山戯ろ。どさくさ紛れに家に上がりこもうとするな」
「上がりこんで居着いちゃったのは誰かな?」
即座に切り返された天尊は、明らかに不快そうに青年を睥睨した。
青年はその眼光を見なかったことにした。挑発的な言葉を使っても天尊への恐怖はあった。
「ちょっとお話するくらい、いいじゃない」
「やめろ。アキラに関わるな」
「今更? 最初にこの子に関わったのは貴男じゃない。そんな貴男がとやかく言える? それに、オレがお邪魔できるかどうかは、貴男が決めることじゃないでしょ。貴男は居候、アキラが家主なんだからさ」
天尊は青年の胸倉をガッと掴んだ。
「さっきから誰に向かって口を利いている」
「大隊長。おやめください」
青年の片割れが仲裁に入り、天尊はジロッと睨みつけた。
「俺に命令するな。相手を見て噛みつくように躾けておけ」
天尊は白からグインッと衣服を引っ張られた。
「ティエン、ティエン! うちに上がってもらっていいから、ケンカしないで! な、殴ったら……ケガしちゃうかも、だから……」
白も天尊に言われなくとも自宅に上げるつもりはなかった。しかし、見知らぬ男たちを自宅に上げる危険よりも、この場を収めたい気持ちが勝った。
天尊は自分の衣服を握る白の手に目を落とした。ギュウギュウに力んで小刻みに震えていた。
アハッ、と青年は天尊に胸倉を掴まれたまま吹き出した。
「ケガしちゃうかもだって。貴男が本気で殴ったらオレなんかグチャグチャになっちゃうよ」
天尊は不本意そうな表情ながらも青年から手を離した。
青年は乱れた襟を正して装束のシワを手でパンパンと叩き伸ばした。
天尊は、自分を捕まえる白の手をポンポンと撫でた。白は、分かった分かった、と言われたようでホッと安堵した。
「コイツは甘やかすと付け上がるぞ」
青年は、えー、と不服そうな声を上げた。
「冷たいなー。久し振りに会った弟に対して」
「弟⁉」
白は驚きすぎて素っ頓狂な声を出してしまった。
§ § § § §
天尊は弟とその同行の男を玄関から自分の部屋へ直行させた。銀太と顔も合わせさせず、白には気にしなくていいと放言して部屋に入れなかった。
弟は白に愛想が良く危害を加えることも無かったが、天尊の機嫌はよくなかった。弟だからこそ兄の不興をすぐに察した。
耀龍[ヤオロン]――――
天尊の弟。
兄に負けず劣らず端正な顔立ちだが、似ているパーツがなかった。体型も声も、兄とはタイプが異なる。一見して兄弟だと分からないのは当然だ。
ふわりとボリュームのある柔らかそうな髪の毛は薄褐色。瞳の色も色素が薄くゴールドに近い。伏し目がちの瞳を長い睫毛が囲い、やや垂れ目気味の気怠い視線や、常に微笑みを湛えた面差しが、とても柔和な印象を与える。
(狭い……)
耀龍は兄から入れと言われた室内に視線を一巡らせして、ふぅ、と息を漏らした。
天尊はドアを閉めて背中から凭りかかった。それには白や銀太を入ってこさせないようにする目的もあった。
「久しぶりに貴男に会えたことは嬉しいけど、今は貴男とじゃなくてあの子と話がしたいなー」
「アキラに関わるな。さっきも言った」
天尊は耀龍の背中に突っ慳貪に命じた。
「あの子が貴男の《オプファル》?」
耀龍は天尊を振り向いて尋ねた。
天尊からは何の返答も無かった。わずかな動揺さえもなかった。流石だと思った。我が兄は決して弱みを見せない男だ。しかし、すでに確信があるから問題は無かった。
「観測されたから知ってるよ。ミズガルズでは貴男の能力値は著しく制限されるはずなのに、異常値レベルのネェベルの急上昇が観測された。観測所では大騒ぎだったけど、一族の者なら分かる。制約の無効化……そうでもないと説明がつかない。つまり、貴男が《オプファル》を得たということ」
それから耀龍は、数日間天尊を観察していたと告げた。
その結果、天尊と接する機会が最も多いのは、当然に、居を同じくする人間の少女だった。耀龍が接触を試みると、天尊は直ぐさま飛んで現れた。確信を得るに充分だった。
天尊は偽善者ではない。人情家でもない。冷淡なまでに合理的だ。自身に利益の無い行動はしない。故に、天尊がたかが人間を庇護するのには動機があるはずだ。危険に晒したくない存在、価値ある存在、唯一無二の存在――《オプファル》であるというのは、順当な結論だ。
「ここのところ俺を見ていたのはお前か」
「気づいてた?」
「舐めているのか。素人が」
耀龍は笑いながら肩を竦めた。
「ねぇ、天哥々。《オプファル》を目の前にするってどんな感じ? 飢えたり渇いたりする?」
耀龍は天尊を見ながら小首を傾げた。
「オレは自分の《オプファル》に出逢ったことないからさ、どんな感じなのかなって。《オプファル》を見つけるのって奇跡的な確率なんでしょ。出逢ったとき、奇跡とか運命とか感じた?」
「何が奇跡だ、莫迦莫迦しい」
天尊はハッと鼻先で嘲弄した。
歳の離れた弟とはいえ、遊びに付き合ってやるほど幼くもない。前触れなく現れ、興味本位の問答に付き合う気分ではなかった。
耀龍はパンッと軽やかに手を打った。
「何にせよ、おめでとう。《オプファル》が見つかったのはまさに奇跡。これで貴男は制約から解放される」
耀龍の晴れやかな表情とは対照的に、天尊の表情筋は硬かった。
「俺は制約を解除しない」
「何故? 上の兄様たちは制約の破棄に成功し、今の強さを手に入れた。あの人たちの力は間違いなく一族の中でも屈指だ。貴男が制約を破棄すれば、あの人たちさえ凌ぐ。オレは絶対そうだと信じている」
「希望的観測が過ぎる」
「そうなれば、誰も貴男を無視できなくなる。誰もが貴男の力を認める。貴男に継承権をって話も出てくるだろうね」
「俺は継承権など望まん」
耀龍の軽快な口振りを天尊はことごとく否定した。
耀龍は一度閉口し、出方を窺うようにジッと天尊を見詰めた。
天尊は気は済んだかとでも言いたげにフンと鼻で息をした。
「そもそも俺の《オプファル》など存在しない。ネェベルの上昇はシステムの不具合だ」
「すでに観測所に記録されてる。そんなの通用するわけないじゃない」
「お前の仕事は俺を連れ帰ることだろう。俺が帰還して、話は終わりだ。お前は口を噤んでいさえすればいい。あとは俺が上手くやる」
「虚偽の報告をすることが上手いこと?」
「お前が考えることじゃない」
俺の決めたことに口を出すなと言われていると悟ったが、耀龍は再び口を開いた。
「制約破棄の儀式に必要なのは《オプファル》の生命」
それはつまり、天尊が白の命を奪うということ。あの心優しい少女に、手をかけるということに他ならない。
天尊は白に嘘は吐いていない。意図的に不完全な情報を与えた。滞在させてほしいという交渉が不利になるから、真実を伏せた。何より、そうするつもりなど毛頭なかった。
「そうするだけで、貴男は誰よりも強くなれる。兄様たちを凌ぐ強大な力や、一族での地位を手に入れる。エンブラひとりの生命で済むなら貴男に損のない話だよ」
天尊は耀龍の発言を非道と批難しなかった。その思考回路は自分そのものだった。耀龍はそれを模倣しただけだ。天尊も自身の為に犠牲とするものが、憐れな姉弟でなければ、心優しい少女でなければ、白でなければ、それをしないなどとは言わなかったに違いない。
実に酷い話だ。自身の利益の為に、何も知らない無垢な少女を犠牲にして、あまつさえそれを正当化するなど。そのような冷酷で悲惨なことになる前に、あの少女の優しさに触れられてよかった。
「損得の話じゃない。アキラは俺なんかの為に犠牲になるべきじゃない」
俺なんかの為に――、そう言った兄の表情を形容することが耀龍にはできなかった。
年齢は大きく離れ、不在がちであり、性分もまったく異なる兄が、いま何を考えているのか分からない。ただひとつ明確なことは、徹底した合理主義を貫いてきた男が、利よりも力よりも、たったひとりの少女を価値あるものだと選んだことだ。
「…………。もしかして天哥々、帰りたくないの?」
「帰るさ。俺がいつかここからいなくなることなど、最初から決まっていた話だ」
白も青年も自然と頭上を見上げた。
半透明の大きな二枚の翼が、ベールのように夜空に拡がっていた。星の光を透過して翼そのものがチカチカと輝いているようだ。
天尊は翼を消失させ、ストン、と地面に降り立った。
青年は天尊のほうへ身体の正面を向けて外套をバサッと後方に払った。片膝を付いて天尊に対して頭を垂れた。もうひとりの男も青年と同様に恭しく低頭した。
白は、二人組の雰囲気が一気に変わって空気がピリッと緊張したのを感知してドキッとした。
「……御健勝の御様子、安堵いたしました。エインヘリヤル三本爪飛竜騎兵大隊大隊長殿少佐殿。ミズガルズにおいて、検体24601号の消滅を観測。観測時点において任務完遂と確定されました。速やかな任務完遂、誠に喜ばしく存じ上げます。――――私の斯く伝達を以て、貴官には新たに帰還命令が発せられました。即座に御帰還願います」
天尊は腕組みをして嘆息を漏らした。
「仰々しいことだな」
青年はスッと立ち上がり、天尊にニコッと微笑みかけた。数秒前までの口上の堅苦しさが嘘のように人懐っこい笑顔だ。
「これがオレのお遣いですから。久しぶりだね。オレに会いたかった?」
「ああ」
「嘘だね」
青年によって直ぐさま否定された天尊は、いや、違う、と否定しなかった。嘘と決めつけられたことに反感を抱いた様子もない。
「お前が何をしに来たか見当はつく。とりあえずアキラから離れろ。得体の知れない男に接近されてアキラが怯える」
「嫌」
天尊は片眉を引き上げて俯瞰気味に青年を見た。命令を拒否されたのがやや不快だった。
青年は白の手を捕まえて掬い上げた。
「オレはね、この子に用はないけど興味はあるんだ。貴男と一緒に暮らせるなんて、一体どういうことだろうってね」
ガツッ。――天尊が青年の手首を掴んだ。
天尊は白の手を捕まえている青年の手首をギリギリと握り締めた。
青年は一瞬表情を歪めた。
「アキラから手を離せ。言われたことができないならねじ切るぞ」
天尊は青年からもうひとりの男のほうへと目線を移した。
二人組の片割れ、青年と共に現れたもうひとりの存在、それまでほとんど動きを見せず黙って見ていた男の雰囲気がピリッと急変した。
天尊は、自分の脅威にはなり得ないと青年を侮っていた。青年よりもこの物言わぬ男のほうがよほど手強い。
青年は白からパッと手を離した。自由なほうの手を上げて降参の意思表示。手の平をヒラヒラと天尊に見せつけた。
天尊はポイッと放るように青年から手を離した。白の腕を掴んで自分のほうへ引き寄せた。
「ほら、恐い恐い」
青年は自分の手首を摩りながら冗談のように言った。しかし、皮膚に指の跡がクッキリと残っていた。天尊の剛力は青年も知っている。人の骨を握り潰すくらいは訳はない。そして、実行すると決めたことには躊躇しない人物だということも心得ている。
青年は、天尊のほうに行ってしまった白に、腰を曲げて顔を近づけた。
「オレともう少しお話ししてくれない? 痛いこととか恐いこととか絶対しないからさ。おうちにお邪魔してもいいかな」
「巫山戯ろ。どさくさ紛れに家に上がりこもうとするな」
「上がりこんで居着いちゃったのは誰かな?」
即座に切り返された天尊は、明らかに不快そうに青年を睥睨した。
青年はその眼光を見なかったことにした。挑発的な言葉を使っても天尊への恐怖はあった。
「ちょっとお話するくらい、いいじゃない」
「やめろ。アキラに関わるな」
「今更? 最初にこの子に関わったのは貴男じゃない。そんな貴男がとやかく言える? それに、オレがお邪魔できるかどうかは、貴男が決めることじゃないでしょ。貴男は居候、アキラが家主なんだからさ」
天尊は青年の胸倉をガッと掴んだ。
「さっきから誰に向かって口を利いている」
「大隊長。おやめください」
青年の片割れが仲裁に入り、天尊はジロッと睨みつけた。
「俺に命令するな。相手を見て噛みつくように躾けておけ」
天尊は白からグインッと衣服を引っ張られた。
「ティエン、ティエン! うちに上がってもらっていいから、ケンカしないで! な、殴ったら……ケガしちゃうかも、だから……」
白も天尊に言われなくとも自宅に上げるつもりはなかった。しかし、見知らぬ男たちを自宅に上げる危険よりも、この場を収めたい気持ちが勝った。
天尊は自分の衣服を握る白の手に目を落とした。ギュウギュウに力んで小刻みに震えていた。
アハッ、と青年は天尊に胸倉を掴まれたまま吹き出した。
「ケガしちゃうかもだって。貴男が本気で殴ったらオレなんかグチャグチャになっちゃうよ」
天尊は不本意そうな表情ながらも青年から手を離した。
青年は乱れた襟を正して装束のシワを手でパンパンと叩き伸ばした。
天尊は、自分を捕まえる白の手をポンポンと撫でた。白は、分かった分かった、と言われたようでホッと安堵した。
「コイツは甘やかすと付け上がるぞ」
青年は、えー、と不服そうな声を上げた。
「冷たいなー。久し振りに会った弟に対して」
「弟⁉」
白は驚きすぎて素っ頓狂な声を出してしまった。
§ § § § §
天尊は弟とその同行の男を玄関から自分の部屋へ直行させた。銀太と顔も合わせさせず、白には気にしなくていいと放言して部屋に入れなかった。
弟は白に愛想が良く危害を加えることも無かったが、天尊の機嫌はよくなかった。弟だからこそ兄の不興をすぐに察した。
耀龍[ヤオロン]――――
天尊の弟。
兄に負けず劣らず端正な顔立ちだが、似ているパーツがなかった。体型も声も、兄とはタイプが異なる。一見して兄弟だと分からないのは当然だ。
ふわりとボリュームのある柔らかそうな髪の毛は薄褐色。瞳の色も色素が薄くゴールドに近い。伏し目がちの瞳を長い睫毛が囲い、やや垂れ目気味の気怠い視線や、常に微笑みを湛えた面差しが、とても柔和な印象を与える。
(狭い……)
耀龍は兄から入れと言われた室内に視線を一巡らせして、ふぅ、と息を漏らした。
天尊はドアを閉めて背中から凭りかかった。それには白や銀太を入ってこさせないようにする目的もあった。
「久しぶりに貴男に会えたことは嬉しいけど、今は貴男とじゃなくてあの子と話がしたいなー」
「アキラに関わるな。さっきも言った」
天尊は耀龍の背中に突っ慳貪に命じた。
「あの子が貴男の《オプファル》?」
耀龍は天尊を振り向いて尋ねた。
天尊からは何の返答も無かった。わずかな動揺さえもなかった。流石だと思った。我が兄は決して弱みを見せない男だ。しかし、すでに確信があるから問題は無かった。
「観測されたから知ってるよ。ミズガルズでは貴男の能力値は著しく制限されるはずなのに、異常値レベルのネェベルの急上昇が観測された。観測所では大騒ぎだったけど、一族の者なら分かる。制約の無効化……そうでもないと説明がつかない。つまり、貴男が《オプファル》を得たということ」
それから耀龍は、数日間天尊を観察していたと告げた。
その結果、天尊と接する機会が最も多いのは、当然に、居を同じくする人間の少女だった。耀龍が接触を試みると、天尊は直ぐさま飛んで現れた。確信を得るに充分だった。
天尊は偽善者ではない。人情家でもない。冷淡なまでに合理的だ。自身に利益の無い行動はしない。故に、天尊がたかが人間を庇護するのには動機があるはずだ。危険に晒したくない存在、価値ある存在、唯一無二の存在――《オプファル》であるというのは、順当な結論だ。
「ここのところ俺を見ていたのはお前か」
「気づいてた?」
「舐めているのか。素人が」
耀龍は笑いながら肩を竦めた。
「ねぇ、天哥々。《オプファル》を目の前にするってどんな感じ? 飢えたり渇いたりする?」
耀龍は天尊を見ながら小首を傾げた。
「オレは自分の《オプファル》に出逢ったことないからさ、どんな感じなのかなって。《オプファル》を見つけるのって奇跡的な確率なんでしょ。出逢ったとき、奇跡とか運命とか感じた?」
「何が奇跡だ、莫迦莫迦しい」
天尊はハッと鼻先で嘲弄した。
歳の離れた弟とはいえ、遊びに付き合ってやるほど幼くもない。前触れなく現れ、興味本位の問答に付き合う気分ではなかった。
耀龍はパンッと軽やかに手を打った。
「何にせよ、おめでとう。《オプファル》が見つかったのはまさに奇跡。これで貴男は制約から解放される」
耀龍の晴れやかな表情とは対照的に、天尊の表情筋は硬かった。
「俺は制約を解除しない」
「何故? 上の兄様たちは制約の破棄に成功し、今の強さを手に入れた。あの人たちの力は間違いなく一族の中でも屈指だ。貴男が制約を破棄すれば、あの人たちさえ凌ぐ。オレは絶対そうだと信じている」
「希望的観測が過ぎる」
「そうなれば、誰も貴男を無視できなくなる。誰もが貴男の力を認める。貴男に継承権をって話も出てくるだろうね」
「俺は継承権など望まん」
耀龍の軽快な口振りを天尊はことごとく否定した。
耀龍は一度閉口し、出方を窺うようにジッと天尊を見詰めた。
天尊は気は済んだかとでも言いたげにフンと鼻で息をした。
「そもそも俺の《オプファル》など存在しない。ネェベルの上昇はシステムの不具合だ」
「すでに観測所に記録されてる。そんなの通用するわけないじゃない」
「お前の仕事は俺を連れ帰ることだろう。俺が帰還して、話は終わりだ。お前は口を噤んでいさえすればいい。あとは俺が上手くやる」
「虚偽の報告をすることが上手いこと?」
「お前が考えることじゃない」
俺の決めたことに口を出すなと言われていると悟ったが、耀龍は再び口を開いた。
「制約破棄の儀式に必要なのは《オプファル》の生命」
それはつまり、天尊が白の命を奪うということ。あの心優しい少女に、手をかけるということに他ならない。
天尊は白に嘘は吐いていない。意図的に不完全な情報を与えた。滞在させてほしいという交渉が不利になるから、真実を伏せた。何より、そうするつもりなど毛頭なかった。
「そうするだけで、貴男は誰よりも強くなれる。兄様たちを凌ぐ強大な力や、一族での地位を手に入れる。エンブラひとりの生命で済むなら貴男に損のない話だよ」
天尊は耀龍の発言を非道と批難しなかった。その思考回路は自分そのものだった。耀龍はそれを模倣しただけだ。天尊も自身の為に犠牲とするものが、憐れな姉弟でなければ、心優しい少女でなければ、白でなければ、それをしないなどとは言わなかったに違いない。
実に酷い話だ。自身の利益の為に、何も知らない無垢な少女を犠牲にして、あまつさえそれを正当化するなど。そのような冷酷で悲惨なことになる前に、あの少女の優しさに触れられてよかった。
「損得の話じゃない。アキラは俺なんかの為に犠牲になるべきじゃない」
俺なんかの為に――、そう言った兄の表情を形容することが耀龍にはできなかった。
年齢は大きく離れ、不在がちであり、性分もまったく異なる兄が、いま何を考えているのか分からない。ただひとつ明確なことは、徹底した合理主義を貫いてきた男が、利よりも力よりも、たったひとりの少女を価値あるものだと選んだことだ。
「…………。もしかして天哥々、帰りたくないの?」
「帰るさ。俺がいつかここからいなくなることなど、最初から決まっていた話だ」
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