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Kapitel 06:使者
使者 01
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瑠璃瑛幼稚園。降園時間。
天尊は銀太のお迎えに幼稚園にやって来て、銀太のクラスの担任・頌栄と多少のおしゃべりを交わすのは日常だった。草野球を経験してからは尚のことだ。
天尊は低いフェンスに腕を置いて凭れかかり、頌栄と談笑していた。
「野球大会での活躍はお見事でした」
天尊は頌栄からの賞賛を「はあ」と他人事のような返事で受け流した。
頌栄は体の正面で手を合わせて指を組んでお祈りポーズ。
「その素晴らしい運動神経を活かして、幼稚園主催のイベントにも参加していただけないでしょうか」
「断る」
「銀太くんがお願いすれば出ていただけますか?」
「子どもをダシにするな、センセエ」
天尊は頌栄の頼みをハハハと冗談のように受け流した。
ピクッ。――天尊は不意に視線を感じ取った。フェンスに凭れるのをやめて真っ直ぐに立ち、辺りを見回した。
頌栄はその様子を見て小首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「最近、妙に視線を感じる。気の所為かもしれんが」
「イエ、あながちそうとも」
頌栄はクスクスと笑い、天尊は片眉を引き上げた。
天尊がほぼ毎日幼稚園に姿を現すようになり、同僚の女性保育士たちが色めき立っていることを頌栄は知っている。同性の頌栄から見ても天尊は男性的な魅力を備えている。同僚は大半が妙齢の女性だ。魅力的な独身男性に興味を持つなというのは難しい。
「銀太くんのお迎えのお兄さん、ホント画になるわー。頌栄先生と並ぶと威力すごいわね」
「写真撮っていいかしらっ? 無断だけどいいわよね、だって同僚だからッ。あんなイイ男二人並べて撮るなっていうほうが無理ッ」
「ダメに決まってんでしょ。夕方のニュースを騒がせる保母になりたいの?」
……といったような会話が、今も園舎の中でコソコソと繰り広げられている。
頌栄にその音声が聞こえるわけではないが、誰が何を言いそうかまで想像に難くなかった。
「ティエーン」と園舎のほうから呼ぶ声。
通園バッグを斜めにかけた銀太が、園庭を突っ切って全力で駆けてきた。フェンスの前、頌栄の隣までやってきて、天尊を見上げた。
「きょうはいつもよりすこしはやいな」
「時計も読めないクセに何故分かるんだ?」
「なんとなく」
なんとなく、と天尊は復唱して小首を傾げた。
頌栄は銀太の隣にしゃがみ込んだ。天尊側に手で壁を造って銀太にソッと耳打ちした。
「お兄ちゃんと仲直りできたんですね、銀太くん」
「べつにティエンとケンカしてねーもん。オレがかってにおこってただけ」
えらいえらい、と頌栄は銀太の頭を撫でた。
銀太はバツが悪そうにプイッと頌栄から顔を逸らした。
それからフェンスを握り締め、がしゃがしゃと音を立ててよじ登り始めた。
「銀太くん。危ないですよ」
頌栄は、銀太が落ちても受け止められるように手を近くに添えつつ見守った。
銀太はサッサとフェンスの頂上まで辿り着いた。天尊へと手を伸ばして衣服をわしっと捕まえた。
天尊は銀太がしようとしていることを悟った。銀太の身体を片手でヒョイッと持ち上げ、自分の肩の上に載せてやった。銀太は肩車をしたかったのだ。
「オイ。ずり落ちるなよ」
「うん」
天尊と銀太は頌栄に、じゃあまた明日、とお決まりの別れを告げ、その場を後にした。
そのような天尊と銀太を見送る女性たちがいた。三十路前後の品のある女性たちは、天尊と同じく幼稚園にお迎えにやって来たママたちだ。
ママたちは、銀太を肩車して去って行く天尊の後ろ姿を、半ばうっとりと見送った。
「あちらが銀太くんのお兄様? 凛々しい方ですこと」
「最近よくお迎えにいらっしゃるのよ。あんなに素敵なお兄さんがいるものだから、うちの子ったら銀太くんを羨ましがって困るのよ」
頌栄は、そのようなママたちを眺めて微笑ましく思った。
(お兄ちゃんの感じてる視線ってコレじゃないのかな。お兄ちゃんがお迎えするようになってから、園内にもママたちにもファンが増えたからなー)
夕食時。疋堂家食卓。
白、銀太、天尊の三人は、食卓テーブルについて、いただきますをした。今夜のメニューは和食中心。肉じゃがと魚の煮付け、白米と味噌汁。
白はいただきますをしてすぐに、まずは銀太の分の煮付けから骨を取り除いてやる作業に取りかかった。
夕食がスタートしてしばらくして、天尊はお茶碗と箸を持ったままジッと停止した。
煮魚の骨を除去する作業が完了した白が、それに気づいた。どうかしたかと尋ねたが、天尊は黙ったままだった。
(何か違う気がするんだがな。ああいう女の視線とは違う何か……)
「味付け変だった? 何か苦手なもの入ってた? 食べられなかったら残していいよ」
「アキラのゴハンはぜんぶオイシイぞ。オイシイだろ、ティエン。な!」
銀太は、天尊がいつまでも黙っているので素早くフォローした。
それから、正面に座っている天尊の足をゲシッと蹴った。せっかく作ってくれたのに、不味かったのではないかと白に思わせるなど銀太には許しがたい。
「ん? ああ、美味いぞ」と天尊は顔を上げた。
「アキラ。コレは何だ」
「肉じゃが」
「美味いぞコレ。おかわり」
天尊は空になった食器を白のほうへズイッと押し出した。
はいはい、白は笑って食器を手に持って椅子から立ち上がった。
「この前の三角のメシも美味かった。中に何か味の付いたヤツが入っていた」
天尊は、オープンキッチンのガスコンロの前に立った白にそう言った。
「昆布とおかかのおにぎりね。キミ、梅干しはダメじゃない」
「あれもまた作れよ、アキラ」
「おにぎりは外で食べるとき用のゴハンだよ」
「外で食べる習わしか? 美味いモンはいつ食っても美味いのに」
「アキラのゴハンはいつたべても、ぜんっぶオイシイぞ。オレ、よるのゴハン、おにぎりがイイ」
「あはは。そこまで言うなら考えておきます」
白はおたま片手に破顔した。お世辞だとしても手料理をそこまで絶賛されたのでは悪い気はしない。
肉じゃがをよそった食器を持って食卓テーブルに戻った。天尊の前に食器を置き、自分の椅子に腰かけた。
「ティエンは何を食べても美味しい美味しい言うけど、ボクたちの食べ物とティエンの世界の食べ物は違うの?」
「違うと言えば違うが、よく似たものもある。アキラの作るメシは見たことがないものが多いな。まあ、そもそもそんなにいいものを食ってなかったな」
「ティエンのいえのひとはゴハンへたなのか?」と銀太。
「家でメシを食べることはほとんどない」
天尊はじゃがいもにブスッと箸を突き刺した。かたまりのまま口の中に放り込んだ。
彼は箸の扱いにまだ慣れていなかった。この家で食事するようになってから箸を使う機会が増えたが、その動作はまだぎこちない。
「ティエン、料理できないもんね。家で食べないって、一人暮らしってこと?」
白は話ながら天尊の食器に箸をのばした。食べやすいように肉じゃがのじゃがいもを箸で小さく切ってやった。幼い弟の世話と大差ないことであり、自然なことであり、手間とは思わなかった。
天尊は小さくなったじゃがいもにまた箸をブスッと突き刺して口に運んだ。
「ああ。まあ、そんなところだ。金を出せばメシは出てくる。自分でメシの用意をする必要はない。とはいえ、毎日優雅に美味いメシを食う暇はない。栄養補給というレベルの食事だ」
「へー。軍人さんって忙しいんだね」
白の口振りは、やや意外そうだった。
「何だ。サボっていると思ったか?」
「だって、ティエンにはたらいてるイメージないもん」
白と銀太の声が揃った。
天尊は気分を害された様子はなく、ハハハと破顔した。
「そーか、そーか。お前たちのなかの俺はグータラだということがよく分かった」
§ § § § §
数日後。疋堂家マンション。
マンション前の通りに2台の高級車が停車した。すぐに助手席から体格のよいスーツ姿の男――久峩城ヶ嵜の御令嬢の護衛――国頭が降り、後部座席のドアを開いた。
車内から出て来たのは白。この高級車は虎子の送迎車。時刻は7時過ぎであり、白は文化祭に関する会議やら作業やらで下校が遅くなったので、虎子が送ってくれた。
白は国頭にペコッと頭を下げて礼を言った。それから車内にいる虎子のほうを振り向いた。
「それでは白、ごきげんよう。銀太くんと御兄様にも宜敷お伝えください」
「うん。送ってくれてありがとう。また明日ね、ココ」
国頭は後部座席のドアを閉めて白に会釈した。素早く運転席に乗りこみ、すぐに発車した。
白は遠離ってゆく黒塗りの自動車に手を振った。曲がり角を曲がって完全に見えなくなったところで手を下ろし、マンションへと足を向けた。
(思ったよりも遅くなっちゃった。銀太とティエン、お腹空かせちゃったかな。冷蔵庫に食材多めに入れるようにしといてよかったー。買い物に行ったらもっと遅くなるもん)
白は冷蔵庫の中身に思いを馳せつつ、アーチ型のゲートを潜ってマンションの敷地内に入り、そこではたと足を止めた。
不意に人の気配を感じた。反射的に、気配を感じた方向、自分の真横に目を向けた。
そこには二人組の男。ゲートの影になって虎子と別れたマンション敷地外からは見えなかった。ひとりはゲートに凭りかかって立ち、もうひとりは直立して此方を見ていた。影のなかにいるから人相はよく窺えなかった。
ゲートに凭りかかっていた男は、ゲートから離れて白のほうへ爪先を向けた。体つきからして、年若い青年のようだ。
青年は一歩ずつゆっくりと白に近寄ってきた。ゲートの影から出てきて、その姿が街灯に晒された。
見慣れない恰好だった。スタンドカラーの裾の長い装束。上質そうな生地の外套を肩から提げ、緻密な刺繍が施された腰帯をしている。
青年が歩を進める度に、髪の毛がふわふわと動いてとても柔らかそうだ。髪の毛の色素が薄く、街灯を照り返してキラキラと輝いているように見えた。
(金髪? 赤毛?)
目立つ髪の色を差し引いたとしても身に纏う雰囲気は只人ではなかった。髪の色も眼差しも微笑みも足の運びも、浮き世離れしていた。ふわふわと、まるで雲の上を歩くように。
得体の知れない男が近づいてくるのに、白はその場から動かなかった。青年の微笑みを見ると、不思議と危機感が湧いてこない。立ち居振る舞いが浮き世離れして現実感がないからだろうか。
青年は白の前で両脚を揃えて立ち止まった。
「初めまして。アキラ」
名指しされたことには流石に吃驚した。白は目を見開いて一瞬声を失した。
「何でボクの名前を……」
「キミのことは知ってるよ」
青年の手が白に伸びた。
白の頬に触れた青年の手の甲は、絹のようにしっとりしてひんやりしていた。白は驚き呆気に取られていたから、青年の手を避けたり弾き返したりするのを失念した。
それをよいことに、青年は白の頬を両手で包んだ。青年は白を真正面からジッと見詰め、白も青年の顔を間近で見た。
(あ。目の色、金色)
鼈甲のように澄んだ黄金色の瞳が、白の顔を映しこんでキラリと煌めいた。
「ヒキドーアキラ――――性別Female、15 歳、推定身長 157 cm、推定体重 46 kg。私立瑠璃瑛学園中等部三年A組在籍中。同学園同部学級委員長会会長。成績は上、教官方の評価良好、生活態度・素行など問題は一切無し。家族構成は父と本人と弟。現在、父は経営コンサルタント会社ニューヨーク本社に部長職として勤務中。年に数回、帰国する。同学園附属幼稚園年長組在籍中の弟と二人暮らし」
「銀太と父さんのことまで……」
白はハッと正気に戻り、途端に気味悪さが押し寄せた。
青年は、途惑いの表情をする白にニッコリと微笑みかけた。内緒話をするように白の耳許に唇を近づけた。
「キミのことは何でも知ってる。一ヶ月ほど前にキミの家に居候が転がり込んだこともね」
見慣れない装束、超然とした風情、常識外れの情報網、最早疑うべくもない。白はこの青年の正体を推察した。
「ティエンの関係者……ですか」
「そうだよ。緊張しているね。オレが恐い?」
白がコクッと頷くと、青年からは「意外だなあ」という感想が返ってきた。
当たり前じゃないか、と白は思ったが口にしなかった。身の上を秘密裏に丹念に調べ上げられて気味が悪くないはずがない。
「オレよりもあの人のほうがずっと恐ろしいよ」
「ティエンは恐くなんかない」
白は反射的に否定した。
青年は鼻先が触れそうなほど白に顔を近づけた。鼈甲色の瞳を大きくして先ほどよりもまじまじと白を凝視した。
「へえ……。キミはあの人が恐くないの」
天尊は銀太のお迎えに幼稚園にやって来て、銀太のクラスの担任・頌栄と多少のおしゃべりを交わすのは日常だった。草野球を経験してからは尚のことだ。
天尊は低いフェンスに腕を置いて凭れかかり、頌栄と談笑していた。
「野球大会での活躍はお見事でした」
天尊は頌栄からの賞賛を「はあ」と他人事のような返事で受け流した。
頌栄は体の正面で手を合わせて指を組んでお祈りポーズ。
「その素晴らしい運動神経を活かして、幼稚園主催のイベントにも参加していただけないでしょうか」
「断る」
「銀太くんがお願いすれば出ていただけますか?」
「子どもをダシにするな、センセエ」
天尊は頌栄の頼みをハハハと冗談のように受け流した。
ピクッ。――天尊は不意に視線を感じ取った。フェンスに凭れるのをやめて真っ直ぐに立ち、辺りを見回した。
頌栄はその様子を見て小首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「最近、妙に視線を感じる。気の所為かもしれんが」
「イエ、あながちそうとも」
頌栄はクスクスと笑い、天尊は片眉を引き上げた。
天尊がほぼ毎日幼稚園に姿を現すようになり、同僚の女性保育士たちが色めき立っていることを頌栄は知っている。同性の頌栄から見ても天尊は男性的な魅力を備えている。同僚は大半が妙齢の女性だ。魅力的な独身男性に興味を持つなというのは難しい。
「銀太くんのお迎えのお兄さん、ホント画になるわー。頌栄先生と並ぶと威力すごいわね」
「写真撮っていいかしらっ? 無断だけどいいわよね、だって同僚だからッ。あんなイイ男二人並べて撮るなっていうほうが無理ッ」
「ダメに決まってんでしょ。夕方のニュースを騒がせる保母になりたいの?」
……といったような会話が、今も園舎の中でコソコソと繰り広げられている。
頌栄にその音声が聞こえるわけではないが、誰が何を言いそうかまで想像に難くなかった。
「ティエーン」と園舎のほうから呼ぶ声。
通園バッグを斜めにかけた銀太が、園庭を突っ切って全力で駆けてきた。フェンスの前、頌栄の隣までやってきて、天尊を見上げた。
「きょうはいつもよりすこしはやいな」
「時計も読めないクセに何故分かるんだ?」
「なんとなく」
なんとなく、と天尊は復唱して小首を傾げた。
頌栄は銀太の隣にしゃがみ込んだ。天尊側に手で壁を造って銀太にソッと耳打ちした。
「お兄ちゃんと仲直りできたんですね、銀太くん」
「べつにティエンとケンカしてねーもん。オレがかってにおこってただけ」
えらいえらい、と頌栄は銀太の頭を撫でた。
銀太はバツが悪そうにプイッと頌栄から顔を逸らした。
それからフェンスを握り締め、がしゃがしゃと音を立ててよじ登り始めた。
「銀太くん。危ないですよ」
頌栄は、銀太が落ちても受け止められるように手を近くに添えつつ見守った。
銀太はサッサとフェンスの頂上まで辿り着いた。天尊へと手を伸ばして衣服をわしっと捕まえた。
天尊は銀太がしようとしていることを悟った。銀太の身体を片手でヒョイッと持ち上げ、自分の肩の上に載せてやった。銀太は肩車をしたかったのだ。
「オイ。ずり落ちるなよ」
「うん」
天尊と銀太は頌栄に、じゃあまた明日、とお決まりの別れを告げ、その場を後にした。
そのような天尊と銀太を見送る女性たちがいた。三十路前後の品のある女性たちは、天尊と同じく幼稚園にお迎えにやって来たママたちだ。
ママたちは、銀太を肩車して去って行く天尊の後ろ姿を、半ばうっとりと見送った。
「あちらが銀太くんのお兄様? 凛々しい方ですこと」
「最近よくお迎えにいらっしゃるのよ。あんなに素敵なお兄さんがいるものだから、うちの子ったら銀太くんを羨ましがって困るのよ」
頌栄は、そのようなママたちを眺めて微笑ましく思った。
(お兄ちゃんの感じてる視線ってコレじゃないのかな。お兄ちゃんがお迎えするようになってから、園内にもママたちにもファンが増えたからなー)
夕食時。疋堂家食卓。
白、銀太、天尊の三人は、食卓テーブルについて、いただきますをした。今夜のメニューは和食中心。肉じゃがと魚の煮付け、白米と味噌汁。
白はいただきますをしてすぐに、まずは銀太の分の煮付けから骨を取り除いてやる作業に取りかかった。
夕食がスタートしてしばらくして、天尊はお茶碗と箸を持ったままジッと停止した。
煮魚の骨を除去する作業が完了した白が、それに気づいた。どうかしたかと尋ねたが、天尊は黙ったままだった。
(何か違う気がするんだがな。ああいう女の視線とは違う何か……)
「味付け変だった? 何か苦手なもの入ってた? 食べられなかったら残していいよ」
「アキラのゴハンはぜんぶオイシイぞ。オイシイだろ、ティエン。な!」
銀太は、天尊がいつまでも黙っているので素早くフォローした。
それから、正面に座っている天尊の足をゲシッと蹴った。せっかく作ってくれたのに、不味かったのではないかと白に思わせるなど銀太には許しがたい。
「ん? ああ、美味いぞ」と天尊は顔を上げた。
「アキラ。コレは何だ」
「肉じゃが」
「美味いぞコレ。おかわり」
天尊は空になった食器を白のほうへズイッと押し出した。
はいはい、白は笑って食器を手に持って椅子から立ち上がった。
「この前の三角のメシも美味かった。中に何か味の付いたヤツが入っていた」
天尊は、オープンキッチンのガスコンロの前に立った白にそう言った。
「昆布とおかかのおにぎりね。キミ、梅干しはダメじゃない」
「あれもまた作れよ、アキラ」
「おにぎりは外で食べるとき用のゴハンだよ」
「外で食べる習わしか? 美味いモンはいつ食っても美味いのに」
「アキラのゴハンはいつたべても、ぜんっぶオイシイぞ。オレ、よるのゴハン、おにぎりがイイ」
「あはは。そこまで言うなら考えておきます」
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「ティエンは何を食べても美味しい美味しい言うけど、ボクたちの食べ物とティエンの世界の食べ物は違うの?」
「違うと言えば違うが、よく似たものもある。アキラの作るメシは見たことがないものが多いな。まあ、そもそもそんなにいいものを食ってなかったな」
「ティエンのいえのひとはゴハンへたなのか?」と銀太。
「家でメシを食べることはほとんどない」
天尊はじゃがいもにブスッと箸を突き刺した。かたまりのまま口の中に放り込んだ。
彼は箸の扱いにまだ慣れていなかった。この家で食事するようになってから箸を使う機会が増えたが、その動作はまだぎこちない。
「ティエン、料理できないもんね。家で食べないって、一人暮らしってこと?」
白は話ながら天尊の食器に箸をのばした。食べやすいように肉じゃがのじゃがいもを箸で小さく切ってやった。幼い弟の世話と大差ないことであり、自然なことであり、手間とは思わなかった。
天尊は小さくなったじゃがいもにまた箸をブスッと突き刺して口に運んだ。
「ああ。まあ、そんなところだ。金を出せばメシは出てくる。自分でメシの用意をする必要はない。とはいえ、毎日優雅に美味いメシを食う暇はない。栄養補給というレベルの食事だ」
「へー。軍人さんって忙しいんだね」
白の口振りは、やや意外そうだった。
「何だ。サボっていると思ったか?」
「だって、ティエンにはたらいてるイメージないもん」
白と銀太の声が揃った。
天尊は気分を害された様子はなく、ハハハと破顔した。
「そーか、そーか。お前たちのなかの俺はグータラだということがよく分かった」
§ § § § §
数日後。疋堂家マンション。
マンション前の通りに2台の高級車が停車した。すぐに助手席から体格のよいスーツ姿の男――久峩城ヶ嵜の御令嬢の護衛――国頭が降り、後部座席のドアを開いた。
車内から出て来たのは白。この高級車は虎子の送迎車。時刻は7時過ぎであり、白は文化祭に関する会議やら作業やらで下校が遅くなったので、虎子が送ってくれた。
白は国頭にペコッと頭を下げて礼を言った。それから車内にいる虎子のほうを振り向いた。
「それでは白、ごきげんよう。銀太くんと御兄様にも宜敷お伝えください」
「うん。送ってくれてありがとう。また明日ね、ココ」
国頭は後部座席のドアを閉めて白に会釈した。素早く運転席に乗りこみ、すぐに発車した。
白は遠離ってゆく黒塗りの自動車に手を振った。曲がり角を曲がって完全に見えなくなったところで手を下ろし、マンションへと足を向けた。
(思ったよりも遅くなっちゃった。銀太とティエン、お腹空かせちゃったかな。冷蔵庫に食材多めに入れるようにしといてよかったー。買い物に行ったらもっと遅くなるもん)
白は冷蔵庫の中身に思いを馳せつつ、アーチ型のゲートを潜ってマンションの敷地内に入り、そこではたと足を止めた。
不意に人の気配を感じた。反射的に、気配を感じた方向、自分の真横に目を向けた。
そこには二人組の男。ゲートの影になって虎子と別れたマンション敷地外からは見えなかった。ひとりはゲートに凭りかかって立ち、もうひとりは直立して此方を見ていた。影のなかにいるから人相はよく窺えなかった。
ゲートに凭りかかっていた男は、ゲートから離れて白のほうへ爪先を向けた。体つきからして、年若い青年のようだ。
青年は一歩ずつゆっくりと白に近寄ってきた。ゲートの影から出てきて、その姿が街灯に晒された。
見慣れない恰好だった。スタンドカラーの裾の長い装束。上質そうな生地の外套を肩から提げ、緻密な刺繍が施された腰帯をしている。
青年が歩を進める度に、髪の毛がふわふわと動いてとても柔らかそうだ。髪の毛の色素が薄く、街灯を照り返してキラキラと輝いているように見えた。
(金髪? 赤毛?)
目立つ髪の色を差し引いたとしても身に纏う雰囲気は只人ではなかった。髪の色も眼差しも微笑みも足の運びも、浮き世離れしていた。ふわふわと、まるで雲の上を歩くように。
得体の知れない男が近づいてくるのに、白はその場から動かなかった。青年の微笑みを見ると、不思議と危機感が湧いてこない。立ち居振る舞いが浮き世離れして現実感がないからだろうか。
青年は白の前で両脚を揃えて立ち止まった。
「初めまして。アキラ」
名指しされたことには流石に吃驚した。白は目を見開いて一瞬声を失した。
「何でボクの名前を……」
「キミのことは知ってるよ」
青年の手が白に伸びた。
白の頬に触れた青年の手の甲は、絹のようにしっとりしてひんやりしていた。白は驚き呆気に取られていたから、青年の手を避けたり弾き返したりするのを失念した。
それをよいことに、青年は白の頬を両手で包んだ。青年は白を真正面からジッと見詰め、白も青年の顔を間近で見た。
(あ。目の色、金色)
鼈甲のように澄んだ黄金色の瞳が、白の顔を映しこんでキラリと煌めいた。
「ヒキドーアキラ――――性別Female、15 歳、推定身長 157 cm、推定体重 46 kg。私立瑠璃瑛学園中等部三年A組在籍中。同学園同部学級委員長会会長。成績は上、教官方の評価良好、生活態度・素行など問題は一切無し。家族構成は父と本人と弟。現在、父は経営コンサルタント会社ニューヨーク本社に部長職として勤務中。年に数回、帰国する。同学園附属幼稚園年長組在籍中の弟と二人暮らし」
「銀太と父さんのことまで……」
白はハッと正気に戻り、途端に気味悪さが押し寄せた。
青年は、途惑いの表情をする白にニッコリと微笑みかけた。内緒話をするように白の耳許に唇を近づけた。
「キミのことは何でも知ってる。一ヶ月ほど前にキミの家に居候が転がり込んだこともね」
見慣れない装束、超然とした風情、常識外れの情報網、最早疑うべくもない。白はこの青年の正体を推察した。
「ティエンの関係者……ですか」
「そうだよ。緊張しているね。オレが恐い?」
白がコクッと頷くと、青年からは「意外だなあ」という感想が返ってきた。
当たり前じゃないか、と白は思ったが口にしなかった。身の上を秘密裏に丹念に調べ上げられて気味が悪くないはずがない。
「オレよりもあの人のほうがずっと恐ろしいよ」
「ティエンは恐くなんかない」
白は反射的に否定した。
青年は鼻先が触れそうなほど白に顔を近づけた。鼈甲色の瞳を大きくして先ほどよりもまじまじと白を凝視した。
「へえ……。キミはあの人が恐くないの」
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