マインハール ――屈強男×しっかり者JCの歳の差ファンタジー恋愛物語

花閂

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Kapitel 02:日常

日常 06

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 瑠璃瑛ルリエー学園中等部・三年生某教室。
 六限目の授業開始前、教室がにわかにざわつき始めた。教室の奥には、めかし込んだ保護者たちが並ぶ。いつもの教室に、いつもはいない観客。授業参観当日の独特の緊張感。普段なら昼休み後の腹も満たされた時間帯、睡魔が襲ってくるのだが、今ばかりは目も冴えるというものだ。

 アキラ虎子トラコは一番後ろに横並び。保護者に最も近い席だが、二人とも緊張している様子はなかった。

「ココのお母さんは来ないの?」

「いらっしゃいません。お仕事です」

 白も虎子もともに親は多忙を極める。彼女たちが授業参観で見られる側になることは滅多にない。故に緊張感はなかった。

「御母様は御父様の補佐でお忙しいですもの。今回は中東と仰ってましたから、今頃はアブダビかしら」

「両親の仲が良いのはいいことだね」

「お互いに、もう親を恋しがるほど子どもではありませんものね」

 白と虎子を顔を見合わせてフフフと笑い合った。
 親から離れて泣くような幼少時代は終わりを告げ、自ら大人にならんと階段を登る少女たち。寂しさや諦めではなく、未来へ向かって前進する意思のみが存在する。

「寂しがるのは親のほうだねえ」

 白は虎子の向こう側、教室の隅をチラリと見遣った。
 そこには肩の上にカメラを担いで虎子にレンズを向ける集団。学園行事では珍しくもなくなった久峩城ヶ嵜クガジョーガサキ虎子トラコ嬢専属撮影隊だ。無論、出動を命じたのは虎子ではない。仕事が忙しく傍にいる時間が乏しく、何としても我が子の成長を見逃さんとする虎子の両親だ。

「もう中等部ですのよ。幼児ではないのですから何かにつけて動画を残すのはやめてほしいですわ」

 虎子はそうは言いつつも両親の行動を制することをとうに諦めており、嘆息が漏れた。

 ざわざわっ……。
 御母様方の軍勢の間に妙なざわつきが生まれ、それは一瞬にして教室中に拡がった。白はなんだか妙な雰囲気を感じ取り、ざわつきに耳を澄ませてみた。

「誰かしら、あのサングラスの男性。どなたかのボディガードかしら。それにしては少々雰囲気が」

「御父様にしては少し若すぎますわよね。誰かの御兄様かしら」

「サングラスしてるから顔見えなーい。でもたぶん日本人じゃないよね」

「あれはプラチナブロンドかしら? それとも、白髪?」

(まさかまさかまさか!)

 白は盛大に嫌な予感がした。

「ああ、いたな。アキラ」

 嫌な予感を確認する為に背後を振り返ったのとほぼ同時、真後ろから声をかけられた。
 そこには予想通り、天尊ティエンゾンが立っていた。
 ただし、顔半分を覆う睛蓋せいがいを外してサングラスをかけてスーツを着用。保護者の半分以上、いや八割強は女性のなかで、スーツの上からでも筋肉の盛り上がりが分かる屈強な、それも総白髪の長躯は注目の的だった。
 白には無論、どうして此処に天尊がいるのかまったく理解できず、ポカーンと口を開けてしまった。
 天尊は白の間の抜けた顔を見てクッと笑った。黒板のほうを指差した。

「前、向いたほうがいいんじゃないのか」

 丁度教師が教室に入ってきたところ。白は反射的に前方に向き直った。しかし、すぐにまた天尊のほうを振り返って小声で話しかけた。

「ティエン。サングラス外して。教室でサングラスしてると目立つから」

「ん? ああ、分かった」

 天尊は言われた通りサングラスを外してスッとスーツの胸ポケットに差し込んだ。顔を上げた瞬間、虎子以外の教室中の女子生徒がハッと息を呑んだ。
 きゃぁぁあああーー❤️❤️❤️❤️
 突如、悲鳴のような甲高い黄色い声が沸き上がった。

「ッ⁉」

「親戚の御兄様は見目がよろしいですもの。サングラスを外すのは逆効果ですわ」

 白はビックリして目を丸くしたが、虎子は冷静だった。
 年頃の娘が天尊のような見栄えの良い大人の男性を目にして色めき立つのは至極当然だ。白はその手のことに疎く、思い至らなかったけれど。
 保護者のお母様方は、とても正直に色めき立ち落ち着きをなくす我が子やその友人たちを見て、ウフフと微笑み合った。

「あらまあ、はしたない。元気があってよろしいわ」

疋堂ヒキドーくんの保護者の方、とてもスマートでいらっしゃるから。仕方がないですわね」

「あら。あちらが疋堂ヒキドーアキラくん? 女の子でしたのね。うちの子がアキラくんはカッコイイと申すものですから、てっきり男の子かと思っておりました」

「うちの子も家ではアキラくんの話ばかりでしてよ。アキラくんのことが大好きなのね、きっと」

「クラスの男の子たちよりも人気があるそうですよ。頭が良くて足が速くて優しくてステキなのよって」

 お母様方の歓談は、授業中ということもあり控えめな声だったが、自然と天尊の耳にも届いた。天尊は白の後頭部を眺めながら、ほうほうと白の評判に頷いた。
 銀太ギンタに対しては姉というよりも最早、慈母のような存在だが、その頼りがいのある安心感は学校生活においては「カッコイイ」という評価になるのか、と新鮮な気付きを得た。この年頃の男など、女に比べれば精神的にも肉体的にも未成熟であり、子どものように見えてしまうのも否めない。

(アキラはモテるんだな、女に)

 白は授業が始まっても一向に集中できない様子でいた。虎子が思う限り、授業は重要なパートに差し掛かっているが、白はソワソワしてシャープペンシルをクルクルと回しているばかりでノートを取っている気配はなかった。
 虎子がそっと背後を振り向くと、天尊と視線がぶつかった。
 天尊はフラッと手を振って軽易な挨拶とした。生徒たちや保護者の皆さまからの注目には気付いているが、特段気にするところはなかった。
 虎子は天尊に小さな会釈を返して白に視線を引き戻した。落ち着かない様子の白を見るのは珍しい。いつも大人びた判断と自制心で振る舞い、クラスメイトから一目置かれる白が、今日は年相応に見えて微笑ましかった。
 虎子が「アキラ」と声をかけ、白は虎子のほうへ顔を向けた。

「授業参観にいらしてくださるなんて、遠い遠い親戚の方はとてもお優しいですわね」

「それはッ」

 カシャーンッ。――白の手からシャープペンシルが飛び出して床に墜落した。
 白が慌てて振り向くと、シャープペンシルは天尊の足元に転がっていた。
 天尊はしゃがんでそれを拾い上げて白に差し出した。

「どうした。集中していないな」

 シャープペンシルを手渡すついでに小声で白に話しかけた天尊の口許が、少し笑っているように見えた。
 ――こんなにも動揺したのは誰の所為だと思っているのだか。
 白はなんとなく気恥ずかしくて天尊の顔を真面に見られなかった。
 背中に感じる視線と呼吸、たまに聞こえる小声のおしゃべり。いつもと同じ自分のスペースなのに、いつもとはまるで異なる。胸の奥がむず痒くて居心地が悪い。照れ臭さと緊張感で落ち着かない。違和感が気持ちが悪いのに、何故か嬉しい。
 ――そうか。みんなこんな気分なんだね。


「~~~……」

 授業が進むと、何処からともなくヒソヒソと呪文のような声が聞こえてきた。保護者の方々のおしゃべりとは異なる。ぶつ切りの単語の羅列のようなものだ。
 不審に思った白は、耳を澄ませてみた。

「……±√7」

(ん?)

「y=-2x-5」

(んんっ?)

「144π?」

(あれ?)

「△AGDと△CFEにおいて、辺GD=辺FEまた辺AD=辺CEなので、∠ADGと∠AEBは平行線の同位角により等し――」

「ちょっとッ」

 それは聞き間違えようもなく数学の解答。
 白はバッと背後を振り返った。呪文を唱えている犯人は天尊だ。
 隣の席の虎子もそれに気付き、口許を隠してクスクスと笑っている。

「いい、いい、いい! 問題の答を教えてくれなくていいからッ」

 白が慌てて小声で注意し、天尊は意外そうな顔をした。

「解けないとマズイかと思ったんだが」

「答を教えるほうがマズイよッ」


 授業参観終了後。
 授業参観は、その日の最後の時限で実施された。注目を集めつつも何事もなく終了し、中等部校舎を出た白と天尊は一緒に幼稚舎へ向かって歩いた。
 天尊は無意識なのか、先ほどから頻りに自分の顎を触っている。
 それに気付いた白は、天尊の仕草を不思議そうに眺めた。

「ヒゲ、剃ったんだ」

「ああ。剃ったほうがいいかと思ってな。行ってみたら男が俺一人で、そもそもあの中にどんな顔をして立っていればいいかも分からなかった」

 白は、天尊の率直な意見を聞いて「あっははは」と声を上げて笑った。

「どうして来たの?」

「やはり参加したほうがマズかったか」

「マズくないことはないけど……純粋に何でだろうと思って」

「ギンタの代わりだ」

 これは白には想定外の返答。素直にきょとんとした。

「代わりってことは、銀太ギンタがボクの授業参観に来たかったの? 何で?」

「アキラを寂しくさせたくないから」

 白はピタッと足を停めた。並んで歩いていた天尊もその場に停まった。
 白は天尊を見上げて目を大きく開いて停止した。顔色には驚きと疑問が表出していた。銀太がそのようなことを考えているなど完全に不意打ちだった。

「寂しいとは悲しいということだろう、と。正解じゃないんだろうがいいところを突いている。子どもというのは妙に鋭いな」

「授業参観に誰も来なくたって、寂しくもないし悲しくもないのに。銀太はそんな風に考えてたのか。銀太に心配かけちゃうなんてダメだなあ……」

 天尊は白の頭を大きな手の平でぐしゃぐしゃと撫で回した。

「な、なに?」

「アキラはダメじゃない。充分すぎるくらいによくやっている。もっと手を抜いていいくらいだ」

「ティエンは甘いなー」

 あははは、と白はまた声を出して笑った。
 笑っていると少しは子どもらしく見えた。否、顔の作りは少女そのものだ。普段の大人びた振る舞いが子どもらしく見させないだけで。

「親は海外にいるという話だったが、こういうときには帰って来ないのか」

「授業参観くらいでわざわざ帰国しないよ」

「言ってみたらいいじゃないか。一般的には親という生き物は、子どもに手がかかるほど可愛いものなんだろう。たまには子どもらしく我が儘を言って――」

 パシィンッ。――白が天尊の手を頭上から払い除けた。
 天尊は少々驚いたが、激昂することもなく、叩き落とされた手をフラフラと白に見せた。
 白はハッと我に返って「あ。ごめん……」と申し訳なさそうに零した。

「じゃあ、俺に頼っていいぞ」

 白は困ったように微笑むだけで快く「うん」とは言わなかった。いつもなら社交辞令として、それはどうもありがとうと返すところだろうに。天尊からの厚意を意図的に受け取らなかった。
 何らか痛いところを突いてしまったのかもしれない、と天尊は察した。それを今すぐに問い質そうとはしなかった。痛いところを不意打ちされて、そこを曝け出す者はそうはいまい。

 天尊には、白を覆う硬い殻が見えた。
 他人に一線を引くのが得意である大人びた少女は、硬い殻のなかに閉じ籠もっている。親に甘えない、手のかからない、聞き分けのいい〝良い子〟の仮面を付けているのは、強がりだ。自分の世界を、その安寧を守る為の手段だ。
 何故、頑なに自分の世界を守ろうとするのか。おそらくは、世の中が優しくはないことを知っている。世の中が残酷であることを知っている。殻から一歩踏み出せば、無傷でいられないことを知っている。
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