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#30: Sparrow the Ripper
The RAZOR kicks over. ✤
しおりを挟む荒菱館高校・部室棟の一室。
荒菱館高校では真面に機能している部活動は数えるほどしかない。部室棟の部屋のほとんどは部活動とは名ばかりの、もしくは部活動に属してすらいない生徒にいいように使われているのが実情だ。
雀は瀧からお説教を喰らったあと、専からそのような部屋の一つに呼び出された。所謂〝いつもの場所〟――彼等の校内でのお決まりのたまり場。部活動の実態はないから室内にはそれらしいものは何一つなかった。パイプ椅子や安物のテーブル、背の低いロッカー、何処からやって来たか分からない雑多な雑貨。
室内には専と鉄男、それから暇を持て余した数人の仲間たちがいた。
「聞いたでースズメ君。三年の教室で近江さんと一悶着やらかしたんやってー?」
専からそう話題を振られた雀は鉄男に目線を向けた。
鉄男はわずかに首を縮めて見せた。その場に居合わせたわけでもない専がすでに騒動を知っているのは、鉄男が事情を説明したに違いなかった。
雀にとっては揉め事も指導室に連行されることも隠しだてするような事柄ではなく、鉄男を責めるつもりはなかった。鉄男も特段悪びれなかった。
「最近珍しく近江さんの逆鱗触れまくりやけどダイジョーブ?」
専はパイプ椅子から立ち上がり、雀にどうぞと差し出した。
雀は平静に室内を進んで自分の為に空けられた席に腰を下ろした。
鉄男は嘆息を漏らした。雀に深刻そうな気色は一切ないが、逆鱗に触れたのは事実だ。
「さっきのはほんまヤバかったで」
「確かに。近江さんの近くにいて今までで一番ヒリヒリしたかな」
雀の言は他人事のようだった。
「サスガに近江さんに告白シーンをバッチシ見られたのはあかんかったな。俺、スズメ君の代わりにシバかれたんやで」
「お前、またそんなことしたんか」と鉄男。
「しかもスズメ君フラれたで、あはははは」
専は雀を指差して笑った。
それを聞いた鉄男はズカズカと雀に近づいて真正面に立った。股を開いて腰を低くして雀にズイッと顔を近づけた。雀の顎を捕まえ、長年見慣れたその顔を改めて観察した。
見れば見るほど端正であり、粗を探そうと目を凝らしても完璧と評するしかない容貌。美しさに慣れはしても否定はできない。
雀は己の美貌を自覚し、自負している。至近距離で凝視されてもまったく動じなかった。
「ほー。あのフワフワ、ほんまにこのカオが通用せえへんねんな」
「近いよ鉄男。鉄男は俺の趣味じゃないんだけど」
「俺かてそんな趣味あれへんわアホ」
鉄男は雀の顎から手を離して背筋を伸ばした。
雀はポケットからスマートフォンを取り出し、手遊びの如く親指で液晶を撫でた。手持ち無沙汰、暇を持て余しているのが見てとれる。
ふと、鉄男は常々の疑問を口にしてみようと思いたった。
「何で毎回近江さんのオンナに手ェ出すねん」
すぐに別れるくせに、と鉄男は付けたした。
「あ。ソレいま聞いちゃう?」と専も食いついた。
「俺も気にはなってたで。スズメ君がゲーム好きなのは分かってるケド、遊び半分で近江さんのオンナ横取りしとるなら正気の沙汰ちゃうもんな」
雀は鉄男と専から視線を向けられ、スマートフォンを撫でる動作を已めた。
「近江さんからカノジョ獲ってるわけじゃない。その逆」
「逆?」
「カノジョから近江さんを奪ってるんだよ」
雀はスマートフォンから目線を上げ、鉄男と専に向かって嫣然と微笑んだ。美しくも妖しい満足げな笑みは、その行為によって充足感を得ていることを物語っていた。
「カノジョってだけで当然でしょって顔して近江さんの隣にいるのはズルイ。俺たちはバカみたいに本気になって取り合ったっていうのに。あそこは特別な場所だ。平凡な女が何の苦労もせずに努力もせずに、ただあそこにいるなんて許さない」
雀にとって《荒菱館の近江》は唯一無二の帝王。無慈悲に暴戻の限りを尽くす赫奕の暴君。善は善、悪は悪、と己の天秤だけで躊躇なく決する様はまるで神だ。否、遙か遠くに御座す目に見えぬ神よりも確乎かつ超然たる存在だ。荒寥で窮屈なこの世には、あの暴君ほど近しい神はいない。
雀は渋撥に対して妄信的だった。彼に心を託した仲間たちも惘れるほどに妄信的だった。その身に有りっ丈の敬愛を、偏愛を、深愛を、直向きに捧げる敬虔な信者。望まれると望まれまいとお構いなしに。
鉄男は眉間に皺を刻み、フーッと嘆息を漏らした。
「屈折しとる」
「知ってる」
雀はフフフッと笑った。
「それが今カノちゃん、フツーの平凡なJKちゃうかったで」
専は、雀や鉄男、仲間たちの視線が自分に集まり、ニィーッと得意気に頬を引きあげた。人の知らないことを逸早く知り、それをひけらかすのは気持ちがよい。
「近江さんの今カノちゃん――相模禮ちゃんはナント、あの石楠女学院出身のガチのオジョーサマ✨」
「ゲッ。石楠⁉」
「あの人は一体どうやってそんなん引っかけて……」
仲間たちは顔色を変えて響めいた。雀も鉄男も興味深そうな目線を専に送る。
それは専の思惑通りであり、随分と彼の気分をよくした。さらに得意になって腕組みをし、饒舌さが増した。
「しかもただのオジョーサマっちゅうワケともちゃうねん。あんな純粋そうなナリして、入学式はサボるは、教室で大の男相手に一人で大立ち回りやらかすは、入学早々屋上でケンカ騒ぎやは、とんだじゃじゃ馬みたいやで。毎年恒例の交流会じゃ近江さんを指名。しかも近江さん相手にそこそこガンバったらしい。ええのを何発か入れたっちゅうんやから結構侮れへんで」
「あのフワフワがか?」
鉄男はピンとこない様子で首を傾げた。雀の美貌に靡かなかった点は、よくやった、大したものだと素直に褒められたが、専の情報はまずもって現実味がない。
「極めつけは大塔轍弥。アイツとタイマン張って、勝った」
「大塔て、あの赤菟馬の大塔か」
鉄男の反応が変わった。それまではただ釈然としない様子で聞き流していたが完全に疑いの目になった。
「アホぬかせ。女一人で勝負になる男ちゃうぞ」
「な? 平凡なJKっちゅうレベル軽く超えとるやろ」
「その話ソースどこ? ウソくせェ。盛ってるだろ」
「赤菟馬の大塔派つったらイケイケだぞ。女一人にやられるなんて有り得ねェ」
仲間たちは口々に真偽を疑った。
専はそれも当然だと受け流し、雀へと目線を向けた。彼等を先導するのは雀。雀がどう受け取るか、それが重要だ。
「最近赤菟馬がめっきり温和しゅうしとるのが今カノちゃん一人の所為っちゅうなら、なかなかおもろい話ちゃう?」
「面白いよ。最高」
雀は肩を上下に揺すって笑った。いつものように口の端を笑顔の形に吊り上げるだけでなく心から愉快だった。
一頻り愉しんだあと、足を組んで自分の膝の上に頬杖を突いて前のめりの体勢になった。
「そういうことなら手加減してあげる必要なんか無かったな……。やり方を変えようか。そろそろ新しいゲームも始めたかったしね」
「クハッ、性の悪そなカオやでスズメ君」
「お前が燃料投下したんやろ」
鉄男は専の後頭部をペシッと叩いた。
§ § § § §
数学の授業終了後。
虎徹と由仁、脩一、そして禮は、教室を出て自動販売機へと向かった。
虎徹と由仁は直近の考査では全教科赤点を免れたとはいえ、数学の赤点常習犯である上に課題を一切やっていなかった。禮に泣きついてノートを写させてもらった。その礼にジュースを奢ることにしたのだ。
「禮ちゃんホンマおおきにー」
「何て言うても最後は答教えてくれるんやもんな~。禮ちゃんほんま天使✨」
虎徹と由仁は禮を左右から挟んで廊下を進みながら頻りに手を合わせた。
褒めそやされても禮は少々おかんむりだった。
「これっきりやよ。次からは絶対教えへん。ちゃんと自分で解けへんと意味あれへんのやから」
「昨日バイトやったさかい課題でけへんかっただけやって」
「コテッちゃんそんなこと言うてこの前もウチの答見たやん」
「堪忍、堪忍。ジュースオゴるさかい許して」
禮はプイッと虎徹から顔を背けた。
虎徹はヘラヘラと笑いながらペコペコと頭を下げた。
禮ならこの程度のことで本気で腹を立てるわけではなくその内許してくれると虎徹が高を括っていることを、脩一と由仁は見抜いていた。
「虎徹が課題なんかやってくるハズねーのに。結局禮がお人好しっつーオチだよな」
「イヤ、虎徹君が演技派っちゅう話やろ。渾身の泣き真似やったで」
「課題やるくらいなら泣き真似すんのかアイツ」
禮は珍しく臍を曲げており、虎徹は少々困った。彼にとって好ましく思っている顔にそっぽを向かれるのはつらいことだ。
「やっぱギブ&テイクやないとあかんよな。禮ちゃんが答え教えてくれた分、俺から禮ちゃんに教えられることがあったらええねんけどな」
「そんなんええからちゃんと自分で解こうよコテッちゃん」
「あ、そや」と虎徹は名案とばかりに手を打った。
「男のことやったら何でも教えたるで。男がヨロコブこと興味あれへん? 近江さんがヨロコんでくれたらウレシイやろ」
「何を教えるつもりだテメーは」
パーンッ、と脩一がすかさず虎徹の後頭部を叩いた。
「虎徹君が言うとヤラシイねんなー」
「今のヤラシイ話?」
「ヤラシイ話」
禮はピンと来ていなかった。尋ねられた由仁はとうんうんと頷いた。
虎徹は禮からキッと睨まれたが笑って誤魔化した。
「禮ちゃん」
不意に名前を呼ばれ、声のほうを見ると雀が手を振っていた。廊下の先から一人でこちらに近づいてきた。
「あ。《カミソリ》」
虎徹は彼等のなかでの雀の印象を馬鹿正直に口に出した。こんなにもペラリと口走ってしまうなら虎徹に擦りこまれている印象が悪口でなくて本当によかった、と由仁は安堵した。銀髪の美貌はニッと微笑むだけで済ませてくれた。
脩一は雀の容姿をはじめて間近で確認し、固まった。〝顔だけが取り柄の男〟が顔で負けるとこうなるのか、と由仁は内心小気味よかった。
雀は廊下を歩いて近づいてきて、禮の正面に立った。
禮は顔を俯かせて目を合わせようとはしなかった。雀とは関わり合いになりたくないというのが本音だった。雀が真実どういう人物であり何を考えているかは理解できないが、渋撥も美作も鶴榮も関わるなと忠告した理由だけは何となく分かった気がする。雀が近づくと、自分と渋撥との仲が引っかき回される。当然、それをよしとしない渋撥の機嫌が悪くなる。そうなると誰彼構わず被害が出る。
雀は、しばらく待っても禮が顔を上げず、ふうと嘆息を漏らした。
「そこまで露骨に避けられると、流石にちょっとショックだな」
「だって……先輩絡んだらハッちゃん怒るから……」
「そのことで相談したいことがあるんだけど、今からちょっとイイ? 近江さん怒らせるの俺も初めてでさ、正直困ってる。カノジョの禮ちゃんに助けてほしいなって。禮ちゃんの話なら近江さんも聞いてくれるでしょ」
――それは随分と虫のいい話だ。自業自得だろ。
虎徹と由仁、脩一の胸中は一致していた。
「できれば二人で」
「ソレはNGでー」
虎徹が素早く横から口を挟んだ。
「センパイ、禮ちゃんに告ってはったやないスかー。ガチかノリか知りまへんケド。俺的にはそーゆー男と禮ちゃんを二人きりにさせるわけにはいけへんので」
「ボディガード?」と雀。
「禮ちゃんがフリーになったときの後釜狙いッス✨」
「コテッちゃん!」
雀はスッと腰を折って禮の耳許に口を近づけた。二人だけの内緒話のように控えめな声で囁く。
「三年の俺が人前で一年生の女のコに助けてくれって相談なんて、カッコつかないじゃん。荒菱館ではそーゆーの命取りなんだ。分かってくれる?」
命取りとまで言われては、禮は同情心を誘われてしまった。虎徹の言う通り、告白した・された仲で二人きりになるのは愚行だ。しかし、助けを請われ、末路を予見できるのに、知ったことかと見捨てられる非情さを持ち合わせてはいなかった。
分かりました……、と禮は小さく頷いた。
虎徹たちは禮を引き留めようとしたが叶わなかった。その場に残された三人は釈然としない表情だった。禮と雀とをなるべく接近させないようにという判断は誤っていないはずだ。禮の性情を理解して利用した雀のほうが一枚上手だった。
雀にしてやられた気がして、虎徹はブッス~と眉を吊り上げた。
「禮ちゃんお人好しスギるやろッ」
「オメーも知ってて利用しただろーが」
「見え見えのウソやのにな~」
由仁は嘆息を漏らした。
体育館付近の階段。
エントランスとの位置関係は校舎の端と端とであり、今時分、人の気配はほぼない。体育館で授業がなければ人はほとんど通らない。人に聞かれたくない相談事には向いている。
禮は階段の端ギリギリに立っていた。無意識に雀からなるべく距離を取った。
本心かどうか定かでないが告白された相手と二人きりなど、渋撥に知られたらまた怒らせてしまう。相談に乗るという親切心など渋撥には知ったことではない。
「昨日の今日で、俺とは顔合わせづらい?」
「正直……ハイ」
禮は俯き加減で小さく頷いた。
雀はその正直さが可笑しくてハハハハと笑った。フラれた直後だというのに深刻さはまったくない。本気で告白して玉砕し、このように飄々としていられるものだろうか。
「俺、女のコにフラれたことあんまりないからビックリしちゃった」
「ごめん、なさい」
「傷ついてないから謝らないでいいよ」
そうだろうな、と禮は納得した。同時につまり告白は本気ではなかったのだと確信を得た。
「禮ちゃんさ、ホントはすごく強いんだって? 言ってくれたらよかったのに。カワイイだけのフツーの女のコだと思ったからこっちモードにしたのに」
「モード?」
「やり方を、変えることにしたよ」
「?」
禮が不思議そうに頭を上げると、雀が目の前に立っていた。
雀はニッコリと微笑んだ。雀は愛嬌のよい男だ。美しい笑顔の印象がある。しかし、この笑顔は禮が今まで見たものとは少々異なっていた。心から愉快そうに目を細め、頬を持ち上げ、口の端を吊り上げ――――まるで満願成就した魔女の容貌。
「アンタ邪魔なのよ」
どんっ!
突然、禮は肩を突き飛ばさた。階段の端に置いてあった踵が離れた。ぶわっと身体が無重力に放り出された。
咄嗟に視界の真ん中に雀を捉えた。雀は嗤っていた。目の端から零れる妖しい光は狂喜。まさに満願成就、したり顔。
雀の口がパクパクと動いた。声は届かないが何を伝えようとしているか唇の動きで分かった。
「バイバイ」
禮はハッとして両手で頭を抱え込んだ。
どぉんっ!
全体重を乗せて背中から階段の角の上に激突した。何度も何度も階段に全身をしたたか叩きつけられながらゴロゴロと転げ落ちた。禮自身には落下の勢いをどうすることもできなかった。そのまま踊り場まで一気に転げ落ちた。
「うっ……うぅ」
禮は床に蹲ってか細い吐息を漏らした。背中を強く打ちつけた為に呼吸する度に痛みが走った。咄嗟に起き上がれない。傾斜した視界の雀の爪先が見えた。禮は俯せの体勢のままどうにか頭だけを動かして雀を見上げた。
雀は床に這いつくばった少女を見下ろし、愉快そうにアッハハハと高い笑い声を上げた。
「サッスガ、ケンカ慣れしてるだけあるわねえ。しっかり受け身できちゃうのね。お利口サン」
ヒュッ、と雀の爪先が動いた。
ドボォオッ!
雀は禮の腹部を蹴り飛ばした。
その所業に容赦は無かった。衝撃が背中まで突き抜けた。禮の身体はぶわりと浮きあがり、また宙に蹴り出された。
「あッ……かはっ」
ずだだだだだん!
頭部や背中、全身を階段の角にしたたか叩きつけられながら階下まで転げ落ちた。頭部に強い衝撃を受けてしまったのはよくなかった。視界が閃光で真っ白になって意識が一瞬飛んだ。
踊り場から階下まで転落し床の上に倒れた禮は、身動きができなかった。本能は立ち上がって反撃しろと命じるのに身体がいうことをきかない。為す術もなく意識が離れてゆく。
禮は、目を閉じた――――。
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