ベスティエンⅢ【改訂版】

花閂

文字の大きさ
上 下
82 / 87
#30: Sparrow the Ripper

The RAZOR dances whatever he wants. 04

しおりを挟む


 三階廊下突き当たり。
 スズメと二人きりで取り残されたレイは気まずそうに顔を上げず、目線を足許で右往左往させていた。
 禮は少々人見知りのきらいがある。親しくない人間と二人きりと言うだけでも居心地が悪い。しかも、誰も彼も、近づくな、気をつけろ、と忠告する人間と一対一という情況は非常によろしくない。

「ウチ、教室に戻ります。アイス食べなあかんので」

 禮の言い訳はあまり上手くなかった。子どものように冗談のようだった。案の定、雀からハハハと笑い飛ばされた。

「確かに、話に付き合ってもらったらアイス溶けるね。あとでオゴってあげるから、ちょっとだけ時間くれない?」

「オゴってもらうの悪いのでっ」

 雀は禮のカップアイスを取ろうと手を添えた。禮は雀が触れた手を素早くパッと引っこめた。

「なんか、すごく警戒されてる気がする。誰かに何か言われた?」

 雀は目をやや大きくし、禮をマジマジと観察した。心を開かれていない自覚はあるが、関心や好意を言葉や態度で示しこそすれ、本気で拒絶されるようなことをした覚えはなく、こうも露骨に忌避される認識はなかった。
 ――ツルちゃんに気をつけろ言われたからです。
 禮はそれを正直に伝えてよいものか判断がつかなかった。鶴榮ツルエは雀を可愛い後輩の一人だという。雀のほうも、渋撥シブハツを心から慕っているそうだからきっと鶴榮のことを嫌ってはいまい、となんとなく思った。自分が馬鹿正直に白状した所為で鶴榮と雀との仲が拗れてしまうのは嫌だった。

「話、ほんまに……ちょっとだけ、なら」

「ありがと」と雀は禮に一歩近づいた。

「警戒してるのは……近江オーミさんが俺を殴ろうとしたから、とか? 目の前でアレ見ると恐いよね。近江さん相手が誰でも容赦がないから。あ、でも俺、実は近江さんから実際に殴られたこと一度もないんだよ。鉄男とか純とかはよく殴られてるけど」

 雀は自分の顔を指差してニコッと笑った。
 禮は申し訳なさそうな表情で嘆息を漏らした。

「ハッちゃんスグ殴るから……」

「近江さんは何を考えてるか分かりにくい上に手が早い。だからみんな恐がってる」

 雀はまた一歩禮に近づいた。

「女のコは特に、かな。何を考えてるか分からない相手だと付き合ってて不安になるのは当然だ。俺から見てても、女のコにはもっと優しくしてあげなよって思うときあるし……」

 雀は少しずつ距離を詰め、禮の視界にその靴の爪先が入ってきた。禮は顔を上げ、真正面に立っている雀と目が合った。

「俺は優しくするよ」

「?」

 雀は、キョトンとする禮にニッコリと微笑みかけた。長い睫毛で飾られた切れ長の瞳から熱い視線を注ぎ、薄い唇を左右に引く。並の美的感覚なら見惚れて目が離せなくなるに違いない見事な容貌。

「俺は絶対近江さんより優しくする。近江さんよりも誰よりも大切にする。……って言ったら俺のこと少しは好きになってくれる?」

 校舎の中なのに静かだった。遠くに人の気配や話し声はするが、聞こえなかった振りをできるほど喧しくはない。周囲に人がいて騒がしい学生食堂で冗談紛れに告げられるとは異なる。二人きりの時間に真正面から告白されて受け流せるほどの技量は禮にはなかった。

「あ、いや……ウチは」

「俺じゃダメ?」

「ダメ」

 禮は明言した。自分の為にも相手の為にも、ここだけはあやふやにしてはいけない。
 何度経験しても嫌なものだ。好意を寄せてくれた人を傷つけるのは。傷つけるしかできない自分を少し嫌いになるほどに。

「何で? いきなり好きになってくれなんて言わないよ。少しずつでいいから俺のこと好きになってくれる可能性ない?」

「ムリです」

「近江さんには秘密でいいよ。近江さんと別れるのは俺のこと好きになってくれてからでいい。それまで秘密で付き合お? もしバレても――……近江さんとモメることになっても、俺はそれでもいいよ」

 秘密、それはこれまで幾度となく雀が用いてきた甘い誘惑。暴君の女たちは傍にいながらも恐れている。暴君の性情も、言動も、一挙手一投足も。無論、自身の裏切りが暴君に知れることも恐ろしい。雀は紅顔と笑みとで優しく近寄り、二人だけの秘密だよと囁く。その上、自分の為になら暴君を敵に回しても構わないとまで言われたら、女の自尊心や承認欲求は充分に満たされる。大抵の女ならばコレで籠絡できる。暴君を恐れていればいるほど事は容易だ。
 雀は他者の求めるものを察知する能力に長けており、自身のできる範疇でそれを提供する術も知っていた。
 雀は禮の髪の毛に指先だけで触れた。弾くように、掠めるように、撥ね除ける気も起きない程度で。

「絶対ムリ。ウチが好きなのはハッちゃんやから。せやから……ごめんなさい」

 禮の瞳は揺るぎなかった。
 雀は禮の頬に手を添えた。もう一息でキスできてしまえる至近距離。いっそのことキスしてしまえば頑なな意志を溶解することができるだろうか。甘い言葉では絆すことができなかった心を、無理矢理にこじ開けることができるだろうか。

「スズメェエ」

 地底から這い出たような低い声が、雀を呼んだ。
 禮は声のほうを振り返り、瞬時に青ざめた。
 渋撥が恐ろしい形相で雀を睨みつけていた。眉間に皺を幾重にも刻み、額に太い血管がクッキリと浮かび上がっていた。握りこんだ大きな拳は怒りにブルブルと震え、両肩から怒気が立ち上る。
 翠玉エメラルドの双眸がギラリと光った。と思った次の瞬間、拳を振りかぶった渋撥が雀を射程距離に収めていた。

「ワレェー……殺すッ!」

 ブゥォオオンッ! ――弾丸のようなパンチ。
 雀は咄嗟にその場から飛び退いてそれをかろうじて躱した。

「ッ……顔面はやめてくんないかなー。一応俺の財産の一つなんで」

 雀が軽口を叩くのは癖だった。実際には危機一髪。背中を冷や汗が伝った。

(半年振りに見るけど、今のはちょっとヤバかった。あんなのマトモに喰らったら顎ガタガタだよ)

 渋撥は雀のほうへ大きく一歩近づいた。拳を避けられたなら叩きこめるまで振るうだけだ。

「三度目やクソジャリィ。ワレェホンマに俺をナメとるみたいやな。そんなに要らんならその目玉今すぐ潰したらァアアッ‼」

 地底から響き渡り、鼓膜に届いて魅了するバッソ・プロフォンド――――激烈で残酷で無情で暴虐、まさにそういう声だ。まさに暴虐の君主の声色だ。これこそが人の狂気と破壊衝動を焚きつける咆哮だ。
 雀の前髪の先端がビリビリと振動した。自分でも知らず知らずの内にフフッと笑みを零した。彼もまた暴君に惹きつけられた一人。暴君の咆哮に呼応して胸が打ち震えるのは恐怖故ではない。まったくもって正反対の感情で胸が一杯だ。否、やはり幾許かの恐怖もある。胸中で恐怖と歓喜がい交ぜで実に愉快だ。

 禮は渋撥の進行を留めようと慌ててその太い腕に飛びついた。

「ハッちゃん待って……!」

「離せコラァ! コイツは殺す! 今すぐ殺すッ!」

 ズリズリッ……ズズズ……。――渋撥は禮を引きずりながら雀に近づいた。
 禮のウエイトでは如何に踏ん張ろうとも渋撥を留めるのは難しい。本気になればその豪腕で容易に振り払われてしまう。そうならないのは、禮であるが故の渋撥の力加減だった。

「早よ逃げて! 早よぉ!」

 禮は雀に向かって必死に言った。渋撥が加減しているとはいえ、そう長くは粘れそうにない。
 必死な禮とは正反対に、当の雀は吐息を漏らして脱力した。他人事のように落ち着き払った端正な横顔は、渋撥をさらに激昂させた。

「どっち向いとんねんスズメッ! 人コケにすんのも大概しとけよコラァアッ‼」

 丁度、階段を上がってきた杏と専は渋撥の怒号を聞いてギョッとした。
 杏の後ろについてきていた専が、突然駆け出した。渋撥の前に飛びだして両手を広げた。渋撥に向かって必死に何度も頭を下げた。

「ちょっちょちょちょ、まっ、待った! 近江さん待ってください! すんませんした! スズメ君こーゆー人でほんませんません! 勘弁したってください!」

 雀はクルリと渋撥に背を向けた。はあ、と嘆息を漏らしたあと、てくてくと歩き出した。専は自分を逃がす為に身を挺しているのだから、置いてゆくことに罪悪感はなかった。

「シラケちゃったなー……」

 渋撥は「スズメッ‼」と怒声を張り上げた。雀は振り返りもせずそのまま歩いて行った。

 渋撥は雀との距離が追いつけないほど空いてしまった時点で「チイッ!」と盛大な舌打ちをした。

「いつまでしがみついとんねんッ」

 渋撥は専の髪の毛を鷲掴みにして引っ張り、顔を上げさせた。専はようやく渋撥の胴から手を離した。
 渋撥は専の胸倉を掴んで拳を握った。禮は渋撥が何をしようとしているか予見した。拳が握られているほうの腕にしがみついた。

「ハッちゃんやめて! その人関係あれへんやんっ」

 禮がしがみついても引っ張っても、専がジタバタ藻掻いても、渋撥の腕はマシンのように固定されていた。
 渋撥は専の胸倉を掴んだまま目線だけを禮のほうへ動かした。

「禮がギャアギャア騒いどる内にスズメはトンヅラこいた。コイツでもシバいとかな俺の腹の虫が治まれへん」

「関係ない人殴るなんかあかんよっ」

「あーあかんな、人として」

 バキィッ! ――渋撥は禮を無視して専の顔面を殴りつけた。

「ぐは!」

「あ!」

 禮は渋撥に批判的な視線を向けた。

「あかん言うてるのに、もうっ」

「つー……」

 専は渋撥に殴られた箇所を手で押さえて俯いた。

「お前俺を停めに入ったんやろ。スズメの代わりに俺にシバかれて何か不満か」

「…………。ナイです」

「せやろ。行け。目障りや」

 御無体な言い草。身代わりに殴られたのにその献身に対して一片の慈悲もない。
 専は暴君の性情や言動を重々承知している。この程度の憂さ晴らしで済んでよかったと考えるべきだ。失礼します、と告げて去って行った。


「ポンポン人殴るのやめてて言うてるのに。もー……」

 はあ~~、と禮は深い溜息を吐いた。杏が傍にやって来てその背中をポンポンと叩いた。渋撥の所業に頭を痛めている禮を慰めているようだった。
 渋撥は禮の手を軽く振り払った。それから何も言わずその場を離れた。
しおりを挟む
シリーズ
 ベスティエン
 ベスティエン Ⅱ
 ベスティエン Ⅲ

イラスト
 イラストアーカイヴ
感想 0

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

僕の彼女はアイツの親友

みつ光男
ライト文芸
~僕は今日も授業中に 全く椅子をずらすことができない、 居眠りしたくても 少し後ろにすら移動させてもらえないんだ~ とある新設校で退屈な1年目を過ごした ごくフツーの高校生、高村コウ。 高校2年の新学期が始まってから常に コウの近くの席にいるのは 一言も口を聞いてくれない塩対応女子の煌子 彼女がコウに近づいた真の目的とは? そしてある日の些細な出来事をきっかけに 少しずつ二人の距離が縮まるのだが 煌子の秘められた悪夢のような過去が再び幕を開けた時 二人の想いと裏腹にその距離が再び離れてゆく。 そして煌子を取り巻く二人の親友、 コウに仄かな思いを寄せる美月の想いは? 遠巻きに二人を見守る由里は果たして…どちらに? 恋愛と友情の狭間で揺れ動く 不器用な男女の恋の結末は 果たして何処へ向かうのやら?

シャウトの仕方ない日常

鏡野ゆう
ライト文芸
航空自衛隊第四航空団飛行群第11飛行隊、通称ブルーインパルス。 その五番機パイロットをつとめる影山達矢三等空佐の不本意な日常。 こちらに登場する飛行隊長の沖田二佐、統括班長の青井三佐は佐伯瑠璃さんの『スワローテールになりたいの』『その手で、愛して。ー 空飛ぶイルカの恋物語 ー』に登場する沖田千斗星君と青井翼君です。築城で登場する杉田隊長は、白い黒猫さんの『イルカカフェ今日も営業中』に登場する杉田さんです。※佐伯瑠璃さん、白い黒猫さんには許可をいただいています※ ※不定期更新※ ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※ ※影さんより一言※ ( ゚д゚)わかっとると思うけどフィクションやしな! ※第2回ライト文芸大賞で読者賞をいただきました。ありがとうございます。※

百々五十六の小問集合

百々 五十六
ライト文芸
不定期に短編を上げるよ ランキング頑張りたい!!! 作品内で、章分けが必要ないような作品は全て、ここに入れていきます。 毎日投稿頑張るのでぜひぜひ、いいね、しおり、お気に入り登録、よろしくお願いします。

飛び立つことはできないから、

緑川 つきあかり
ライト文芸
青年の不変なき日常に終わりを告げるように、数多の人々が行き交う廊下で一人の生徒を目にした。 それは煌びやかな天の輪っかを頭に載せて、儚くも美しい女子に息をするのさえ忘れてしまう。 まるで天使のような姿をした少女との出逢いが、青年の人生を思わぬ形で変えていくことになる。

処理中です...