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#30: Sparrow the Ripper
The RAZOR dances whatever he wants. 04
しおりを挟む三階廊下突き当たり。
雀と二人きりで取り残された禮は気まずそうに顔を上げず、目線を足許で右往左往させていた。
禮は少々人見知りのきらいがある。親しくない人間と二人きりと言うだけでも居心地が悪い。しかも、誰も彼も、近づくな、気をつけろ、と忠告する人間と一対一という情況は非常によろしくない。
「ウチ、教室に戻ります。アイス食べなあかんので」
禮の言い訳はあまり上手くなかった。子どものように冗談のようだった。案の定、雀からハハハと笑い飛ばされた。
「確かに、話に付き合ってもらったらアイス溶けるね。あとでオゴってあげるから、ちょっとだけ時間くれない?」
「オゴってもらうの悪いのでっ」
雀は禮のカップアイスを取ろうと手を添えた。禮は雀が触れた手を素早くパッと引っこめた。
「なんか、すごく警戒されてる気がする。誰かに何か言われた?」
雀は目をやや大きくし、禮をマジマジと観察した。心を開かれていない自覚はあるが、関心や好意を言葉や態度で示しこそすれ、本気で拒絶されるようなことをした覚えはなく、こうも露骨に忌避される認識はなかった。
――鶴ちゃんに気をつけろ言われたからです。
禮はそれを正直に伝えてよいものか判断がつかなかった。鶴榮は雀を可愛い後輩の一人だという。雀のほうも、渋撥を心から慕っているそうだからきっと鶴榮のことを嫌ってはいまい、となんとなく思った。自分が馬鹿正直に白状した所為で鶴榮と雀との仲が拗れてしまうのは嫌だった。
「話、ほんまに……ちょっとだけ、なら」
「ありがと」と雀は禮に一歩近づいた。
「警戒してるのは……近江さんが俺を殴ろうとしたから、とか? 目の前でアレ見ると恐いよね。近江さん相手が誰でも容赦がないから。あ、でも俺、実は近江さんから実際に殴られたこと一度もないんだよ。鉄男とか純とかはよく殴られてるけど」
雀は自分の顔を指差してニコッと笑った。
禮は申し訳なさそうな表情で嘆息を漏らした。
「ハッちゃんスグ殴るから……」
「近江さんは何を考えてるか分かりにくい上に手が早い。だからみんな恐がってる」
雀はまた一歩禮に近づいた。
「女のコは特に、かな。何を考えてるか分からない相手だと付き合ってて不安になるのは当然だ。俺から見てても、女のコにはもっと優しくしてあげなよって思うときあるし……」
雀は少しずつ距離を詰め、禮の視界にその靴の爪先が入ってきた。禮は顔を上げ、真正面に立っている雀と目が合った。
「俺は優しくするよ」
「?」
雀は、キョトンとする禮にニッコリと微笑みかけた。長い睫毛で飾られた切れ長の瞳から熱い視線を注ぎ、薄い唇を左右に引く。並の美的感覚なら見惚れて目が離せなくなるに違いない見事な容貌。
「俺は絶対近江さんより優しくする。近江さんよりも誰よりも大切にする。……って言ったら俺のこと少しは好きになってくれる?」
校舎の中なのに静かだった。遠くに人の気配や話し声はするが、聞こえなかった振りをできるほど喧しくはない。周囲に人がいて騒がしい学生食堂で冗談紛れに告げられるとは異なる。二人きりの時間に真正面から告白されて受け流せるほどの技量は禮にはなかった。
「あ、いや……ウチは」
「俺じゃダメ?」
「ダメ」
禮は明言した。自分の為にも相手の為にも、ここだけはあやふやにしてはいけない。
何度経験しても嫌なものだ。好意を寄せてくれた人を傷つけるのは。傷つけるしかできない自分を少し嫌いになるほどに。
「何で? いきなり好きになってくれなんて言わないよ。少しずつでいいから俺のこと好きになってくれる可能性ない?」
「ムリです」
「近江さんには秘密でいいよ。近江さんと別れるのは俺のこと好きになってくれてからでいい。それまで秘密で付き合お? もしバレても――……近江さんとモメることになっても、俺はそれでもいいよ」
秘密、それはこれまで幾度となく雀が用いてきた甘い誘惑。暴君の女たちは傍にいながらも恐れている。暴君の性情も、言動も、一挙手一投足も。無論、自身の裏切りが暴君に知れることも恐ろしい。雀は紅顔と笑みとで優しく近寄り、二人だけの秘密だよと囁く。その上、自分の為になら暴君を敵に回しても構わないとまで言われたら、女の自尊心や承認欲求は充分に満たされる。大抵の女ならばコレで籠絡できる。暴君を恐れていればいるほど事は容易だ。
雀は他者の求めるものを察知する能力に長けており、自身のできる範疇でそれを提供する術も知っていた。
雀は禮の髪の毛に指先だけで触れた。弾くように、掠めるように、撥ね除ける気も起きない程度で。
「絶対ムリ。ウチが好きなのはハッちゃんやから。せやから……ごめんなさい」
禮の瞳は揺るぎなかった。
雀は禮の頬に手を添えた。もう一息でキスできてしまえる至近距離。いっそのことキスしてしまえば頑なな意志を溶解することができるだろうか。甘い言葉では絆すことができなかった心を、無理矢理にこじ開けることができるだろうか。
「スズメェエ」
地底から這い出たような低い声が、雀を呼んだ。
禮は声のほうを振り返り、瞬時に青ざめた。
渋撥が恐ろしい形相で雀を睨みつけていた。眉間に皺を幾重にも刻み、額に太い血管がクッキリと浮かび上がっていた。握りこんだ大きな拳は怒りにブルブルと震え、両肩から怒気が立ち上る。
翠玉の双眸がギラリと光った。と思った次の瞬間、拳を振りかぶった渋撥が雀を射程距離に収めていた。
「ワレェー……殺すッ!」
ブゥォオオンッ! ――弾丸のようなパンチ。
雀は咄嗟にその場から飛び退いてそれをかろうじて躱した。
「ッ……顔面はやめてくんないかなー。一応俺の財産の一つなんで」
雀が軽口を叩くのは癖だった。実際には危機一髪。背中を冷や汗が伝った。
(半年振りに見るけど、今のはちょっとヤバかった。あんなのマトモに喰らったら顎ガタガタだよ)
渋撥は雀のほうへ大きく一歩近づいた。拳を避けられたなら叩きこめるまで振るうだけだ。
「三度目やクソジャリィ。ワレェホンマに俺をナメとるみたいやな。そんなに要らんならその目玉今すぐ潰したらァアアッ‼」
地底から響き渡り、鼓膜に届いて魅了するバッソ・プロフォンド――――激烈で残酷で無情で暴虐、まさにそういう声だ。まさに暴虐の君主の声色だ。これこそが人の狂気と破壊衝動を焚きつける咆哮だ。
雀の前髪の先端がビリビリと振動した。自分でも知らず知らずの内にフフッと笑みを零した。彼もまた暴君に惹きつけられた一人。暴君の咆哮に呼応して胸が打ち震えるのは恐怖故ではない。まったくもって正反対の感情で胸が一杯だ。否、やはり幾許かの恐怖もある。胸中で恐怖と歓喜が綯い交ぜで実に愉快だ。
禮は渋撥の進行を留めようと慌ててその太い腕に飛びついた。
「ハッちゃん待って……!」
「離せコラァ! コイツは殺す! 今すぐ殺すッ!」
ズリズリッ……ズズズ……。――渋撥は禮を引きずりながら雀に近づいた。
禮のウエイトでは如何に踏ん張ろうとも渋撥を留めるのは難しい。本気になればその豪腕で容易に振り払われてしまう。そうならないのは、禮であるが故の渋撥の力加減だった。
「早よ逃げて! 早よぉ!」
禮は雀に向かって必死に言った。渋撥が加減しているとはいえ、そう長くは粘れそうにない。
必死な禮とは正反対に、当の雀は吐息を漏らして脱力した。他人事のように落ち着き払った端正な横顔は、渋撥をさらに激昂させた。
「どっち向いとんねんスズメッ! 人コケにすんのも大概しとけよコラァアッ‼」
丁度、階段を上がってきた杏と専は渋撥の怒号を聞いてギョッとした。
杏の後ろについてきていた専が、突然駆け出した。渋撥の前に飛びだして両手を広げた。渋撥に向かって必死に何度も頭を下げた。
「ちょっちょちょちょ、まっ、待った! 近江さん待ってください! すんませんした! スズメ君こーゆー人でほんませんません! 勘弁したってください!」
雀はクルリと渋撥に背を向けた。はあ、と嘆息を漏らしたあと、てくてくと歩き出した。専は自分を逃がす為に身を挺しているのだから、置いてゆくことに罪悪感はなかった。
「シラケちゃったなー……」
渋撥は「スズメッ‼」と怒声を張り上げた。雀は振り返りもせずそのまま歩いて行った。
渋撥は雀との距離が追いつけないほど空いてしまった時点で「チイッ!」と盛大な舌打ちをした。
「いつまでしがみついとんねんッ」
渋撥は専の髪の毛を鷲掴みにして引っ張り、顔を上げさせた。専はようやく渋撥の胴から手を離した。
渋撥は専の胸倉を掴んで拳を握った。禮は渋撥が何をしようとしているか予見した。拳が握られているほうの腕にしがみついた。
「ハッちゃんやめて! その人関係あれへんやんっ」
禮がしがみついても引っ張っても、専がジタバタ藻掻いても、渋撥の腕はマシンのように固定されていた。
渋撥は専の胸倉を掴んだまま目線だけを禮のほうへ動かした。
「禮がギャアギャア騒いどる内にスズメはトンヅラこいた。コイツでもシバいとかな俺の腹の虫が治まれへん」
「関係ない人殴るなんかあかんよっ」
「あーあかんな、人として」
バキィッ! ――渋撥は禮を無視して専の顔面を殴りつけた。
「ぐは!」
「あ!」
禮は渋撥に批判的な視線を向けた。
「あかん言うてるのに、もうっ」
「つー……」
専は渋撥に殴られた箇所を手で押さえて俯いた。
「お前俺を停めに入ったんやろ。スズメの代わりに俺にシバかれて何か不満か」
「…………。ナイです」
「せやろ。行け。目障りや」
御無体な言い草。身代わりに殴られたのにその献身に対して一片の慈悲もない。
専は暴君の性情や言動を重々承知している。この程度の憂さ晴らしで済んでよかったと考えるべきだ。失礼します、と告げて去って行った。
「ポンポン人殴るのやめてて言うてるのに。もー……」
はあ~~、と禮は深い溜息を吐いた。杏が傍にやって来てその背中をポンポンと叩いた。渋撥の所業に頭を痛めている禮を慰めているようだった。
渋撥は禮の手を軽く振り払った。それから何も言わずその場を離れた。
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