ベスティエンⅢ【改訂版】

花閂

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#30: Sparrow the Ripper

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 スズメが立ち去ったあと、アンズはガッとレイの制服の袖を捕まえた。頬を桜色に上気させ、目を爛々と輝かせ、ふんすふんすと興奮していた。

「何あの弩級イケメン!✨」

「ん? イケメンさん?」

 禮はピンと来てない反応。杏は眉をひん曲げて顔を近づけた。

「アンタ、アレが分からへんてイケメンセンサー狂ってんの! 一般人であんなん見たことあれへん。イヤ、芸能人やモデルでもあんなんそうそういてへんやろッ」

「えっ、いや、カッコええよ。それくらい分かるよっ」

 然しもの禮もセンサーが狂っているとまで言われては甘受できない。禮の美的感覚でもスズメの顔立ちが整っていることは認識している。美しさと好ましさとは、必ずしも等号が成立するわけではないというだけだ。

 禮と杏は足早に螺旋階段を下って渋撥シブハツに近づいた。

「ねー、ハッちゃん。あの人、スズメって呼ばれてはったけど本名?」

(気になるとこそこかッ。もっと聞くことあるやろ)

 杏は禮の横顔を凝視して信じられないという表情。美貌の銀髪は何年生であるかとか、どういう人物でどういう関係なのかとか、恋人はいるのかとか、ほかに優先して聞くべき事項はあるだろうに。

「カカッ」と曜至ヨージが意地悪そうに笑った。

「どうした、スズメのことが気になンのか。スズメの顔面ならサスガの禮もなびくか?」

 曜至の発言を聞き、渋撥の表情がムッス~と俄に険しくなった。それを見た曜至は、指差してカカカと笑った。
 渋撥は禮の二の腕をむんずと捕まえた。

「禮。アイツには関わんな」

「なんで?」

「何でもや」

 禮は渋撥の顔を見上げて目をぱちくりさせた。
 とりつく島もない。これは一も二もなく言う通りにしろという意思表示。

「アイツを見た目で判断するな」



  § § § § §


 荒菱館コーリョーカン高等学校・三年B組教室。
 スズメと鉄男テツオは、担任教諭・タキの説教から解放されたのち、自分の教室にやって来た。彼等は半年前に停学処分となり、本日が復帰初日。新年度が始まってもう数ヶ月経つのに、自分の席に就いたのはこれが初めてだった。
 スズメの席の隣は曜至。曜至は椅子に深く座ってスマートフォンに目を落としていた。スズメは身体の正面を曜至のほうへ向けて一方的に話しかけた。

「このクラスってスゴイね。三年の問題児全員一箇所に集めたってカンジ。コレ絶対故意だよ」

「オメーもその中の一人だよ」

「近江さんと同じクラスになれるなんて感激だな。俺、問題児で良かった~。近江さん、ダブってくれてありがとう✨」

「なに? オマエ近江さんに燃料注ぐ為に復帰したの?」

 おそらく渋撥にもスズメの発言は聞こえているはずだが、無反応でスルーされた。今はスズメの話など真面に相手にする気分ではないのだろう。顔を窓の外へ向けて片腕を窓枠の上に乗せ、缶コーヒーは開栓しないまま放置されている。
 スズメは渋撥が無反応であるのをよいことに、曜至のほうへ前のめりになって「ねえねえ」と話を続けた。

「螺旋階段にいた子さ、あの近江さんの今カノちゃん。あの子、一年生? 何て名前? 曜至君のことだからリサーチ済みだよね。あ、もしかして近江さんのいないとこですでに手ェつけた?」

「バッカ。アレだけはやめとけ」

「何で?」

 スズメは心底意外そうに聞き返した。
 曜至はスズメの話に関心無さそうにスマートフォンから目を離さなかった。自他ともに認める節操ナシのプレイボーイである曜至がだ。女の話題は大好物であるはずなのに。

「大好きな近江さんにブチ切れられてーのか」

 スズメは肩を揺すってアハハハと笑った。

「近江さんも好きだけどカワイイ子も好きだよ。あの子、カオすごい整ってたよねー。キレイ系とカワイイ系の中間ってかんじ。ああいうカオ、タイプなんだ♪ ちょっと話してみて――」

 ギュンッ! ――何かが猛スピードで飛行してくる気配を察知し、スズメは咄嗟に上半身を後方に退いた。
 ズガァンッ!
 ソレはスズメの鼻先を通過して硬い床にぶち当たった。
 正体は缶コーヒー。ぶつかった衝撃でひしゃげて床の上に真っ黒な液体をぶちまけた。
 スズメは口を一文字に噤んでそれを見つめた。反応するのが一瞬遅ければ、自慢の顔面に衝突していたことだろう。
 曜至は「な?」と嘆息を漏らした。投げた犯人は言わずもがな、渋撥。雑談など聞いてない顔をして禮に関することとなると聞き漏らさない。
 ――言わんこっちゃない。暴君の前で寵姫への下心など見せるからこうなる。

「美作はどこ行った、みーまーさーかーは。近江さんのクレーム処理係のクセにどこで何してんだ」

 曜至はスズメの巻き添えを喰うのはゴメンだった。その前に美作ミマサカに押しつけてやろうと思うのに、その姿は教室になかった。
 本当に何処に行ったんだろうね、とスズメはクスリと微笑んだ。


  § § § § §


 禮は休み時間、一人でお手洗いへ行った。教室へと戻る中途、ふと三階から屋上へ続く階段のほうへ目を遣った。見るともなしに見たその空間には、白い煙が漂っていた。火事の煙ではない。誰かが喫煙をしているのだとすぐに分かった。いつ教師が通りかかるかもしれない校内で大胆だなと思っていると、金髪がチラリと見えた。
 禮はトトト、と階段を軽やかに駆け上がった。

「あ。やっぱりジュンちゃん」

 確信はなかったが、なんとなくそうではないかと思って覗き込んだ。思った通り、美作が煙草を咥えて階段に腰かけていた。

「ここ、タバコ吸ってだいじょぶ? 先生に見つかったら大変やよ」

「ほんまやな。せやけど当たり前の教師なら俺には声かけへんで。これでも俺、荒菱館の№2やから」

 美作はハハハッと笑みを零した。
 煙草を指で挟んで口から離し、その手を膝の上に載せた。反対の手でゆっくりと金色の前髪を掻き上げた。言葉の通り、教師など恐れておらず落ち着いている。
 禮は美作のゆったりとした緩慢な所作を目で追った。堂々として落ち着いているのに、ゆらりゆらりと揺らいでいるように見えた。同じ姿、同じ声音、同じ瞳なのに、いつもの美作とは雰囲気が異なる。

「純ちゃん一人でいてんの珍しいね」

「そーか?」

「うん。純ちゃんいっつもハッちゃんと一緒にいてるから」

 そこで、はたと美作との会話が途切れた。彼との会話はこんなにもテンポが悪かっただろうか。いつもはもっとトントンと調子よく運んでいた気がする。普段は美作が気を遣ってくれていたのだなと実感した。

「純ちゃん、あの銀色のお兄ちゃんと仲悪いん?」

「何でや」

「だってさっき何か純ちゃんいつもとちゃうカンジやったから」


 ――「ロクデナシなのよ、アタシたち」


 ふと、美作の脳裏に昔言われた台詞が蘇った。
 美作は懐かしさも相俟って、苦笑を漏らした。煙草を持っている手の親指でガリガリと額を掻く。

「仲悪くしとるつもりも嫌っとるつもりもあれへんけどな。そんな風に見えてまうか。まあ、向こうがどう思てるかまでは知らんけど」

 その発言は、向こうからは嫌われていると言っているに等しい。美作は男女分け隔てなく愛嬌よく、後輩にも気さくな性分であり、底意地が悪いということもない。そのような彼が嫌われるなど、何がどうなればそうなるのか、禮には想像が難しかった。
 禮は美作に何と返したらよいのか分からず、黙りこくってしまった。
 美作は煙草を口に咥えて深く肺に吸い込んだ。顎を仰角にしてフーッと紫煙を空中に解き放った。

「イヤ、仲悪いて言うたほうがよかったかな」

「なんで?」

「禮ちゃんにアイツと仲良うしてほしないから。近江さんも言うてはったやろ、アイツに関わるなて」

「純ちゃんも、ウチはあの人に関わらへんほうがええ思うの?」

「うん」

 禮には美作が何を考えてそう言っているのかなど読めなかった。銀髪の青年との関係性など知る由もない。無遠慮に訊く勇気もない。美作が重苦しい雰囲気を背負っている原因も見当がつかない。
 ただ、美作をこれ以上気落ちさせたくなかった。いつも自分を思い遣ってくれる彼に優しくしてあげたかった。

「ほな、そうする」

「……おおきに」



  § § § § §


 放課後。
 禮と杏は帰宅しようと教室から出て来た。禮が二人で帰ろうとするので、杏は今日は渋撥はどうしたのかと尋ねた。

「ハッちゃん今日4限で帰ったよ。前にバイト行ってたとこに人足りへんからお仕事手伝ってって言われたんやって。さっき電話で言うてた」

「近江さん意外に働き者やな。ほなアイスでも食べて帰る?」

「ええね」

 禮と杏はエントランスの大階段のほうへ向かった。先輩男子生徒に下着を見られたその日に螺旋階段を使う気には流石になれなかった。
 禮は階段を下りながら一人で紫煙を燻らせていた美作の姿を思い出した。目に見えて落胆しているわけではないが、何処となくアンニュイな雰囲気。
 あのときだけではない。最初に違和感を抱いたのは、美作と銀髪の青年が話をしているときだ。彼等は一階、禮は上階、会話の内容を一言一句聞き漏らさず聞いたわけではないが、柔やかに談笑しているムードではなかった。

「今日の純ちゃん、なんか変やなかった?」

 禮からの問いかけに、杏は「そう?」と小首を傾げた。確認されると禮も確証はないのだけれど。

「う~ん。何ていうか、いつもと違て元気あれへんかったよな……」

「近江さんのカノジョ」

 突然、禮と杏は声をかけられてはたと足を停めた。それにより美作についての思案は強制的に中断させられた。
 禮に声をかけたのは銀髪の青年――見間違えようがない目立つ風姿と美貌――スズメだった。イヤホンをしてエントランスの柱に一人で凭りかかり、明らかに時間を潰して待ち構えていた風だ。彼はイヤホンを外してポケットへ仕舞い、禮と杏のほうへ近づいてきた。

「あー良かった。まだ学校のなかにいた」
 スズメは禮と杏の前に立ち、端整な顔立ちを見せつけるようにニッコリと微笑んだ。

「近江さんにカノジョのクラス訊いてもゼンゼン教えてくれなくてさー。同じ学校なのに待ち伏せする羽目になっちゃったよ」

(グッ……! 間近で見ると凄まじいイケメン!)

 杏は直視に耐えられなくなって顔を背けた。

「名前、何て言うの?」

相模サガミレイ……デス」

「俺はスズメ麒一郎キイチロー。近江さんと同じクラスだからこれからちょくちょく会えるね。ヨロシク、禮ちゃん」

 渋撥からも美作からも関わるなと注意されたが面と向かって露骨に避けるわけにもゆかない。禮は少々困ったような表情になってしまった。
 雀は、微妙な表情をする禮の態度を気にした様子もなく、笑顔のまま肩にかけているバッグのポケットに手を突っ込んだ。スティック付きのキャンディを二つ取り出して禮と杏に差し出した。
 二人は雀から「あげる」と言われたが咄嗟に手が出なかった。

「二人とも甘いのキライ?」

「あ。いえ、好きデス」「お、おおきに」

 禮と杏は慌てて首を横に振り、雀の手からスティックキャンディを受け取った。雀は二人が一つずつキャンディを持ったのを、満足そうにニコニコと眺めた。
 銀髪の青年は禮や杏がイマイチ妙なリアクションを見せても嫌な顔一つしない。にこやかで気さく、物腰は柔和で話し方も穏やか。甘いものを施す配慮まである。荒くれ者ばかりの荒菱館高校の生徒とは思えない。タイプとしては美作に近いような気がする。
 彼は禮を気に入った様子だから、渋撥が関わるなという理屈は分かる。しかし、美作までもが関わるなと警告する理由は見当がつかなかった。


「スズメェーーッ‼」

 突然怒号がエントランスに響き渡った。
 三人の男たちが何だかんだと罵声混じりに文句を零しながら騒々しく近づいてきた。名指しするくらいだから彼等は雀に用があるのだ。態度を見るに友好的な用事ではあるまい。
 雀は、自分の前に並び立ち在り在りと敵意を向けてくる三人にも変わらず笑顔で接した。

「えーと、誰だっけ? キミたちも新入生?」

「誰がじゃ。三年やボケ」

「あーそうなんだ」

 彼等の内の一人が、ドンッと雀の肩を突き飛ばした。

「ワレェ今更何しにツラ出しとんねんコラァ」

「何って、停学明けたら学校に来るだろ。荒菱館でも一応学生なんだからさ」

「スズメコラァ、相変わらず胸クソ悪いヘラヘラしたツラしくさって。いつまでも調子乗っとったらあかんぞ」

「オドレがデカイ顔しとける時代はとっくに終わっとんじゃ。美作さんに負けた時点でな」

(純ちゃんに、負けた……?)

 禮は眉を顰めて雀の横顔を見た。
 それが事実ならば、美作と雀との間には以前、何かしらの揉め事があったということだ。すぐに辻褄が合わないと思い至る。彼等の発言を信用するなら、スズメ麒一郎キイチローは敗者であり、美作ミマサカジュンは勝者だ。勝者が憂鬱そうに煙を呑み、敗者が気儘に振る舞うのというのは、道理に合わない。

「どんな神経してんねん。俺やったら恥ずかしゅうてガッコに顔出せへんで」

「随分厚い面の皮しとんのォ。オォ?」

 男たちは悪態を吐いて雀に躙り寄った。
 雀はハッと鼻先で嘲弄した。

「さっきから顔、顔ってさ……ソレってヒガミ?」

「はぁーッ? ワレェ自分の立場分かっとんか」

「ま、ひがむのも仕方ないか。揃いも揃ってヒキガエルレベルの顔面力」

 これはパンチ力のある罵倒だ。雀のような端麗な顔立ちから放たれると余計に破壊力が増す。禮と杏まで絶句してしまった。
 男たちの表情が見る見るうちに険しくなった。それは雀の思惑通りだったから、端正なマスクに満足そうな笑みを湛えていた。

「死ねゴラァッ‼」

 激昂して殴り掛かってくるのも想定済み。雀はパンチを余裕でヒョイッと躱した。自分の背後のいる禮と杏を一瞥して「行って」と告げた。

「えっ⁉ せやけど」

「キミと話してみたかったけど、そーゆー展開でもなくなったから。また今度ゆっくりね」

 男たちは激怒して何やら怒鳴り散らかしているというのに、雀は涼しい表情。禮は彼等と雀との温度差にビックリしてしまった。

「行くよ!」と杏が面喰らっている禮の腕を引っ張った。

「えっ、行くの?」

「ウチらが巻き込まれる義理あれへん!」

 杏の言うことは尤もだ。雀とは自己紹介をしただけの仲。彼等の事情もよく分からないでどちらに味方することもできないし、揉め事に巻き込まれて怪我をしたり敵を作ったりするのは損だ。
 お人好しの性格の禮は迷っていた。杏はグズグズするなと禮の腕をさらにグイグイと引っ張って足を進めさせ、もめている男たちの横を擦り抜けた。

「何笑っとんじゃクソがー‼」

 ガキィインッ!
 男の怒声がしたから、雀に殴りかかったのだと思った。
 禮と杏は衝撃音に引き留められて振り返った。
 殴られたのは雀ではなかった。雀は変わらず端正なマスクに笑みを浮かべていた。雀と対峙する男が一人、自分の顔面を押さえた。その指の隙間から赤い液体が溢れ出た。
 杏はギョッとした。

「えっ……何で血。ナイフ……?」

 禮は「ちゃう」とハッキリと言った。持ち前の優れた動体視力により、雀の手には何も握られていないことを視認していた。
 刃物を持っていないにしても流血沙汰には違いない。すぐに人が集まり教師がやって来て、関係者とみなされたら面倒なことになるに決まっている。杏は経験上、早く立ち去ったほうがよいと判断した。禮の腕を引っ張って足早にエントランスから校舎の外へと出て行った。
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