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#29: On the eve of promised session solemnly
On the eve of promised session solemnly 02
しおりを挟む「サル共が。女と見れば誰彼構わずちょっかいかけよって」
美作に罵られた男たちは「ええーっ」と不服そうな声を上げた。
「コイツら、近江さんたちのキープっスかあ?」
「そうならそうとちゃんと言うようにオンナ躾けといてくださいよ。クソ、要らねーコナかけた」
(あ。アホが要らんこと言う)
美作はこれからの展開を易々と予測できた。
渋撥は美作の隣から進み出て男たちの眼前に立った。
「俺のオンナにコナかけたって?」
ドボッ! ドスッ! ――渋撥は目にも留まらぬ手の早さで男たちの鳩尾を殴った。
「サーセンシタッ」
男たちは廊下にしゃがみ込んで腹を押さえてぷるぷると震えている。
その程度で済んでよかったな、と美作は思った。禮たちを資料室内に引き込んでいたなら、パンチ一発では済まなかっただろうから。
渋撥は男たちが出てきて半開きになっているドアの隙間から、チラリと資料室内部を覗いた。ドア一枚向こうで知り合いの男が、痛いだのサーセンだの大声を出したというのに、まだ飽きもせず腰を振っている。
「……10」
渋撥が呟くように言ったのを、美作は聞き逃さなかった。続けて9、8、7……と減っていく数字はカウントダウン。渋撥の足許にしゃがみ込んでいる男たちは、それに気づいて「ゲッ」と明らかに動揺した。
美作は資料室のドアノブを掴んで開け放った。
「全員散れーーーッ‼」
ドアが開放されるやいなや、室内に響き渡った号令。組んずほぐれつ忙しない男女の動作がピタッと停止した。
美作は、ギョッとして固まっている彼等に無情にバッと大きく片手を振った。元より神聖な学び舎でみだりに腰を振っている連中にかける慈悲は持ち合わせない。
「オラーッとっとと散れーー! 10秒以内に資料室から全員出て行け!」
「10秒ォッ⁉」
「ヤ、ヤバイ! 近江さんまでいるじゃねーか! オイッさっさとしろッ」
「キャアッ。何なのよもうッ」
「早く来い! 殺されっぞッ」
荒菱館の男たちは、大急ぎで女から降りて服を持たせて自分の服を掻き集めのおおわらわ。
一人の男子がガチャガチャと慌ててベルトを締めながら美作の前にやって来た。
「ちょっ……いきなり何なんスか美作さん! ここは俺たちの心のオアシスだったのにッ」
「耳元で騒ぐな。出て行け言われたらとっとと出て行け」
スパァンッ、と美作は男の頭を手加減なく叩いた。それからドアのほうへ半ば無理矢理蹴り出した。
美作の命令に応じてほぼ半裸の男女が蟷螂の子のようにわらわらと資料室のドアから出てきた。
予想通りの展開だったのか、渋撥と美作は平然としていた。禮と杏は目を大きくしてただただ絶句してしまった。
時をかけることなく、資料室は無人となってシーンと静まり返った。渋撥に殴られてしゃがみ込んでいた男たちもいつの間にかいなくなった。これが本来の在るべき姿。荒菱館高校に於いては珍しいことだけれど。連れ込み部屋、心のオアシス、と呼ばれるくらいだから随分と頻繁に不適切な使い方をされてきたのだろう。
美作は自分の仕事ぶりに「ヨシ」と納得した。
あの……、と杏が美作の背中に話しかけた。
「純さん。あの、ココて……?」
「〝連れ込み部屋〟――カネとハジライのあれへんヤツ等の校内ラブホやな。よう余所のガッコの女連れ込んでんで」
(ガッコのなかでヤリまくるて、頭オカシイんかッ)
杏の驚愕と侮蔑の表情を見て、美作はハハハと笑った。
「やっぱし知らんかったか。入ったばっかの一年やもんなー。うちはガッコんなかでも何も知らんで入ったらアブナイとこがちょこちょこある。せやさかい、普段入らへんとこ行くときは、俺か近江さんに声かけてくれ」
最上級生である美作は言わずもがな、この特異な環境にすでに染まってしまっている。おかしいとか間違っているとかは感じない。況してや正そうなどという発想がない。杏は、頼もしいような、心配なような、何とも言えない気持ちになった。
渋撥は禮の前に立って頬を指で抓んだ。柔らかい頬は、いまだ桜色のままだった。薄いドア一枚隔てただけの場所で繰り広げられる男女の情事、それは禮には刺激が強すぎた。
「素直に真っ赤な顔しよって。そんなウブ丸出しやったらスグ喰われるで、アホ」
「〝喰われる〟てどーゆー意味?」
「ええから、何もされへんかったか」
「なにも……て、なにを??」
禮は渋撥の目を真っ直ぐに見てキョトンした。この調子では自分が危ない情況だったことも理解していないだろう。
美作は渋撥の心労が推し量られて苦笑した。
§ § § § §
荒菱館高等学校北棟・図書室。
図書室は便宜上「室」と付いているものの、一階の廊下とスペースを隔てる明確な間仕切りは存在しない。腰程度の高さがある本棚で囲われているスペースが図書室だ。スペース内部に人間の背丈を超える本棚が等間隔に並び、長机や椅子が規則的に配置されている。真上は最上階まで吹き抜けになっており、各階から内部を見下ろせるオープン空間だった。
禮と杏は、渋撥と美作と共に図書室へと移動した。密室となる資料室と比較すれば身の危険は少ない。しかし、校内の事情をよく知らず危険な目に遭ったことであるし、渋撥は今日は禮から目を離す気はなかった。
渋撥は、顔が真っ赤になるほど混乱した直後によく勉学に励む気になるものだと感心した。やはりこの少女は心根が純真であり真摯であり自分とは異なる生き物だ。
「ようまだ勉強する気あるな」
禮は杏とともに、渋撥に先んじて図書室のなかへ足を踏み入れた。渋撥は禮の背後からそのような言葉をかけた。振り返った禮は不思議そうな顔をした。
「うん。試験中やし」
「禮は頭のデキええねんから、そんな詰め込んで勉強せんでもそこそこ点数取れるやろ」
「だって試験中やし」
「そもそも何で試験中に勉強すんねん」
「せやから試験中やからやよ」
「?」
「???」
渋撥と禮は目線を合わせ、双方とも言っている意味が分からないという反応。性情の違いなのか、勉学に取り組む姿勢の問題なのか、両者の常識には大きな隔たりがある。
「ハッちゃん変なの~」
そう言って禮は正面に向き直り、図書室の奥へと足を出した。渋撥は何が変と言われたのかも分からず首を捻った。
アンちゃん、と美作は先を進む禮に届かない程度の声量で杏に呼びかけた。
杏が振り向くと、美作は腰を折って顔を近付けてきた。
「禮ちゃんと約束しとるとこ悪いんやけど、試験勉強、俺とせえへん?」
「純さんとっ?」
「勉強教えたるほど頭ようないけど邪魔はせえへんさかい、あかんか」
これは予想外に嬉しい展開。杏は素早くコクコクコクと頷いた。恋心と天秤にかけられては友人との勉強会の約束など軽いものだ。
(分かり易い女や)
渋撥は率直な感想を口にしなかった。人の恋路を邪魔して喜ぶ趣味はない。後輩の恋路の結末などどうでもよいことの最たるものだ。何より杏に関しては禮に内緒だと口止めされていることが大きい。
美作は禮が進んでいった方向とは異なる方角を指差し、自分たちはあっちにいます、と言った。
渋撥はこの程度の事柄でいちいち気を回すなと素っ気ない態度だった。美作は厚意から気を利かせたのだろうが、そこまでしてもらうほどの下手くそではないプライドはある。杏には残念だが、美作は杏を異性として狙っているわけではない。杏を誘った理由は、渋撥と禮を二人きりにさせるため以外になかった。
「イヤ、これはなかなかええシチュエーションでっせ」と美作はグッと拳を握った。
「人気がない静か~な図書室で、二人っきりで手取り足取り勉強教える。これほど自然に年下のカノジョをリードできるシチュエーションありますか。普段とはちゃうインテリジェンスなムーディで、なんとなくええ雰囲気に持っていけまっせ。女のコにはギャップとか非日常とかが効くんスわ。これなら天然成分多めの禮ちゃんにもきっと効きまっせ」
「お前、四六時中そんなことばっかり考えとる割りには女にモテへんな」
渋撥の冷静な反論が美作の胸にドスッと突き刺さった。
「俺の頭で禮を教えられると思うか。学年1位やぞ」
「うう! 禮ちゃんが賢すぎてツライッ」
オイ、と渋撥がいきなり杏に声をかけた。杏は「はい!」と緊張した返事をした。
「お前は禮ほどニブかないやろ」
え……、と杏は察しの悪い反応をしてしまった。彼女にとってはいまだ、暴君の視線が向けられることや直接話をすること、つまり一対一で対することは畏縮してしまうこと。言葉の真意を探り当てるなど困難だ。貶されているのか叱られているのかも分からなかった。
「無事に三年間過ごしたかったら自分の身は自分で守れ。俺はお前まで守ったる義理はあれへんさかいな」
杏と美作、禮と渋撥は、2つのグループに分かれた。
禮と渋撥は図書室の奥へ入っていった。背の高い本棚に遮られているので正確な居場所は分からない。杏と美作は図書室の廊下寄りの長机に向かい合って座って陣取った。
美作はいつの間にか少年誌を入手しており、それを読み耽っていた。先ほどの資料室か図書室に誰かが忘れていったものかもしれない。宣言した通り、勉強を教えるつもりはまったくなかった。
杏にしても意中の人・美作と二人きりでいるだけで充分。御手ずから教えてくれと強請るほど厚かましくはない。
杏は自分の前に教科書とノートとペンケースを広げていたが、美作が気になって集中できない。自分の選択とはいえ頼みの綱の禮もいないことだし、今日はろくに勉強に身が入るまい。
「アンちゃんさァ、近江さん恐いか?」
教科書と睨めっこする杏に、美作が問いかけた。
杏は顔を引き上げ、美作と目が合った。美作は杏のピンと来ていない表情を見てフッと笑みを零した。
「さっき近江さんから話しかけられたとき、バリバリにビビっとったから」
「それは、その……多少は。イヤ、せやかて絶対慣れます! ウチは禮の友だちですさかい。友だちのカレシにビビるなんて、いつまでもそんなこと、禮に悪いです」
杏は両の拳を腿の上に置いて背筋を伸ばし、決意表明をした。美作はそこまでの反応を求めたのではないが、この娘は友情に篤いというか義理堅いというか、肩肘を張っていた頃の癖が抜けない。
「恐いのはしゃあないで。近江さんあの強面やし女のコ相手でも言い方変えへんし。まあせやけどさっきのアレは、一応アンちゃんを心配してのことやから」
「ウチを心配してはるんやのォて、ウチが何かやらかしたら禮に影響があるからでしょ」
杏はハハハと笑った。美作は気を回しているのだろうが、渋撥が自分を心配するというのは流石に無理がある。本来、杏にとって《荒菱館の近江》は雲の上の存在。渋撥にとってはアリのように小さき存在。禮という接点がなければ、渋撥の頭の隅にも自分の居場所はないことくらい自覚している。
「せやな。禮ちゃんの性格、族抜けのとき思い知った? イヤ、赤菟馬ンときかもな」
杏は小さくギクッとした。お前の所為で、と釘を刺された気がした。
「禮ちゃんはトモダチの為なら危ないことも平気でやってのける子でなー。禮ちゃんが動くなら近江さんは放っとかれへん。アンちゃんのときも、もし丁度現場に鉢合わせようもんなら近江さんが〝胡蝶〟を潰してはったやろな。禮ちゃんが危ない目に遭うくらいなら、先にその芽を叩き潰したほうが早い。せやさかい、近江さんは禮ちゃんの為に、アンちゃんが何かしら問題に巻き込まれるのはゴメンなんや」
「近江さんが禮のことしか考えはってへんのは見てたら分かります。ウチ、もう禮を巻き込んだりせんように――」
「近江さんの脳内はそうやけど、俺はアンちゃん自身に三年間無事に過ごしてほしい思てるで」
これはもう、俺はキミのことを考えている、と面と向かって言われたに等しい。杏は、自分と美作との間に先輩後輩の関係性しかないと分かっていてもドキッとした。此方には好意があるのだから致し方ない。噴き出しそうな感情を必死に抑え込んだ。
しかし、次の瞬間、違和感を覚えた。美作も渋撥も、この世界を生き残った先達は、まるでのんべんだらりと無事ではいられないかのような言い方をする。たかだか三年間通学するだけの話ではないのか。
「せやさかい、近江さんの言うことはきいといたほうがええ。あの人は荒菱館じゃ王様や。黒も白になる。そうやのぉても、荒菱館で三年も生き残った人間の忠告は無視せんほうがええ」
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