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#28: Lost thing in one spring day
Lost thing in one spring day 05
しおりを挟む国府津と幸島、大鰐は、宮田が通っている高校の近くまでやって来た。
国府津が宮田に連絡を取ると、友人たちと下校途中だという。宮田をとある場所まで呼び出す約束をして、宮田の現在位置からその場所に向かうまでに通過するであろうルートの上で待ち伏せる計画だ。
幸島と大鰐は、通過ルートと目される橋の先端で待ち構える。
国府津は橋の親柱のすぐ脇のガードレールに腰かけていた。手の中には〝宝物〟を握っていた。嘘吐きな自分の一握りの真実の部分だ。
「ウチ、甲治くんのボタンまだ大事に持ってるよ……」
「宮田のやなくてか」
幸島は幸島から意外そうに聞き返され、ボタンを握る力がギュッと強くなった。
「あのあと宮田と付き合い出したさかい、宮田から貰たと思たで。カレシの分、大事にしとかなあかんやろ」
幸島はフッと笑みを漏らして国府津のほうに目線を移動させた。国府津は俯き加減でちょこんと座っていた。俯き加減になる癖、人の目を見ない癖、よく喋ったり笑ったりするのに声は控えめでまろやか。昔のままだと思った。
――こんなこと忘れられへん俺も、大概女々しいな。
「橋の上てマジか。人目に付くで、ハル」
大鰐は妙に苛立っている様子だった。タンタンタンタンッと靴の裏でアスファルトの表面を叩いた。
「場所なんか関係あれへん。別に見られて困ることするワケちゃう」
「ほなもしケンカになっても俺手伝わへんからな」
「ハナから期待してへん」
イラァッ。大鰐は眉間に皺を刻んだ。
国府津がガードレールから腰を持ち上げ、橋の向こう側の先端に目線を遣った。幸島と大鰐は国府津の目線を辿った。その先には、見慣れないブレザーを着用した三人の男子高校生が橋の先端に差しかかったのが見えた。
幸島は男たちの顔を三つともジーッと凝視した。
「ドレや」
「オマエ顔覚えてへんのか」と大鰐。
「宮田くん茶髪にしたから」
真ん中にいる茶髪だよ、と国府津が指差した。
幸島は茶髪の男を目指して単独で橋を進んでいった。茶髪の男たちも橋の上を歩いてきた。双方の距離が近づき、向こうから幸島に気づいて手を振ってきた。
「幸島君じゃん、久し振り。幸島君変わんねーなー。あ、もしかしてまた背ェ伸びた?」
幸島と茶髪の男・宮田、そしてその友人二人は、橋の中腹辺りで対面した。
宮田の友人たちは幸島を不躾なくらいジロジロと観察した。幸島はその視線に気づいたが無視した。用があるのは宮田だけだ。大鰐に言明した通り、人に見られて困るようなことはするつもりがなかった。
「宮田ァ、誰だ」
「この荒菱館、オマエの知り合い?」
宮田は中学のときのクラスメイトであると友人たちに簡潔に説明し、幸島の後方にいる国府津と大鰐のほうへ目線を向けた。
「さおりが話があるって言うから何かと思ったら、幸島君と会ってたんだ。さおりの横にいるの、アレ誰? 幸島君の高校のツレ?」
国府津は幸島にもらった第二ボタンを握り締め、幸島の背中を見守っていた。幸島と宮田の会話は何か話しているようだという程度で内容は正確に聞き取れない。幸島は国府津の頼み事を了承してくれたが、どういった解決方法を取るかまではきかなかった。否、本当は分かっているのかも。胸騒ぎがして、第二ボタンを握り締める手に自然と力が入った。
「なあ、オマエ」と、大鰐は国府津に向かって投げ遣りに声を掛けた。
「自分のオトコとハル、どっち取るねん」
「え?」と国府津は大鰐のほうを振り向いた。
何を言っているの、という表情。それを見て、大鰐はハッと嘲笑した。
「ほんまなら男と女二人きりのハナシに関係あれへん男が首突っ込んどんや、男同士モメておかしない。オマエもえらいな目に遭うたのは話聞いて分かった。せやけど、結局は男との別れ話や。自分が勝手に付き合いはじめたのに、終わりはほかの男に頼むなんかズルイ考えやで」
大鰐はゆっくりと国府津に近づいた。国府津の真ん前まで行って顔を近付け、目を真っ直ぐに見詰めて「ん?」と小首を傾げてみせた。
狡くて臆病な小心者、小動物のような二つの目がおどおどと震えていた。
「ハルなら何とかしてくれると思たて? ほんまはオマエ、男に自分を取り合いしてほしかったんちゃうか」
「そんなこと……」
「で、オマエはどっちに惚れとるんや。男には取り合いさせるクセに自分は選べませんってか。取り合いさせて勝ったほうとくっつくつもりか?」
「ちゃう! ウチはそんなこと考えてへん! アンタには関係ないやんかッ」
国府津は責められていることに耐えられず、顔を背けて反論した。
そうだな、俺には関係ない、と大鰐は意外にもあっさりと認めた。文句を言われて嫌われてまで、今日知り合ったばかりの小心者の性根を叩き直してやる義理はない。
「せやけどハルには関係ある。オマエの所為で首突っ込まされとるんやからな」
大鰐はズボンのポケットに両手を突っ込み、幸島が宮田と対面している橋のほうへと目線を投げた。
幸島は、一方的に進む宮田のおしゃべりを聞き流し、ふうと嘆息を漏らした。
「国府津にしてもお前にしても、数ヶ月でよう変わるもんや」
「あ。アタマのこと? これイケてるだろ。俺も気に入ってんだ、この色」
「見掛けばっかりようコロコロ変えるもんや」
続く言葉を聞いて、褒め言葉として受け取っていた宮田の笑みがピタッと貼り付いた。
宮田の友人たちも顔色を変えた。
「あ? コイツ何かムカツかね? 態度デケーよ」
「荒菱館だからってイキってんじゃねーぞ。荒菱館つってもペーペーなんか恐かねーんだよ」
「ちょっと待てって。俺の中学のときのトモダチって言ってんじゃん。こーゆーヤツなんだって。勘弁してやってよ」
宮田は友人たちの剣呑な雰囲気を察し、慌てて彼等と幸島との間に仲裁に入った。
幸島が知る宮田は、悪ぶってはいたが単身で揉め事を起こす度胸はない人間だ。友人たちのほうはというと、宮田よりもずっと短慮で喧嘩っ早そうだ。宮田は持ち前の調子の良さで取り入っているのであろう。
幸島はそのような分析は途中でどうでもよくなった。相手が何者であれ、何人呼んだとしても、退くつもりはない。何が何でも呑み込ませると決めた交渉だ。国府津に涙ながらに頼まれたのだから。
「随分エラソーになったもんやな、宮田」
「えっ、いや、ちょ……困るよ幸島君。俺もトモダチの前でメンツがあんだからさ、あんま潰さないでくれよ」
宮田は幸島に対してヘラヘラとして諂った。
幸島は宮田に対して特に感情は無いと思っていたが、よくよく見てみればこういうところは嫌いだ。身長差の所為ではない、コイツはいつも下から顔色を窺う。無力を演出して謙ってみせ、腹の中では舌を出している。それを見透かされていないとでも思っているのだろう。此方を莫迦だと思っているということだ。
「やっぱお前変わってへんわ。見掛けだけ変わっても、中身は一個も変われへん。強いモンには調子良うて人数増えるとデカイ顔する」
嗚呼しまった。つい感情の儘に不必要なことを口走った。今日はそれも仕方がない。大切に想った女の涙を見せられて、このような姑息な男に女を泣かされて、冷静ではいられない。もうよい、感情に任せてしまえ。熱いものが体内を猛り狂っている。
「国府津と別れろ」
余計な虚飾のないシンプルな要求を突きつけられた瞬間、宮田の顔の筋肉が強張った。
宮田はすぐに「ヘッ」と馬鹿にしたような笑みを漏らした。演出や阿諛追従を得意とする彼がわずかに見せた、本性の片鱗。中学時代、自分より明確に格上だった幸島を差し置いて国府津さおりを獲得した、その一点に於いて、いまだに強烈な自負があった。
「いきなり何を言い出すかと思えば……。いくら幸島君でもそれはちょっと強引すぎだろォ」
宮田は半歩横にずれて幸島の身体を避け、国府津を視界に捉えた。
「さおりぃー。この前のことだろ。カラオケでのこと怒ってるんだろ。アレはまた今度ちゃんとフォローするって」
国府津から返事は無かった。宮田は幸島のほうへ顔を引き戻した。
「幸島君もわざわざゴメンな。さおりが頼んだんだろ。そんな大したことじゃないんだよ。痴話ゲンカみたいなモン。だからもう気にしなくて大丈夫だよ、ハハハハ」
宮田は勝ち誇りながら諂うという器用な真似をした。幸島はそれを無言で見据えた。
「ハハハハ。ハハ、ハハ……幸島君……?」
宮田がいくら調子よく振る舞っても、幸島の態度が変容することはなかった。宮田はじきに顔を引き攣らせて笑みが尽きた。
友人たちは宮田の肩をグイッと引き、押し退けて一歩前に出た。二人して幸島の真ん前に仁王立ちになった。幸島は目線を宮田から険難な二人へと移した。
「ダメだ宮田。コイツ完全シカトモードだわ。マシンかテメー」
「ナメられてんじゃねェッ。ヤっちまっていいんだろーが。ブチ殺すッ!」
「吼えんな駄犬」
威勢よく挑発する男たちとは対照的に、幸島が発した声は平静だった。しかし声音とは裏腹に、身の内に猛り狂う感情を抑圧することは最早できなかった。
「あァッ⁉――」
ドボォオッ!
幸島は正面に立っている男の下腹部に前蹴りをめり込ませた。
「げぇあッ!」
「テメー‼」と男が幸島に殴りかかった。
幸島はすでに男のほうへ踏み込んでおり、肩から強烈な拳を繰り出していた。
ガッギンッ!
宮田の友人たちは、幸島から早々にのされてしまった。気を失って橋の上に寝転がっている。
宮田は地面に臀をつけ、幸島から橋の欄干に押し付けられていた。もう戦意などはない。殴られてデコボコに腫らした顔面からボロボロと涙を流した。ゴメン、ゴメン、と何度も繰り返した。
「幸島く……ほんとゴメ……ン。さおりとは別ッ、別れるから……も……勘弁して……ッ」
幸島は宮田の胸倉を握り締める。その手がブルブルと震えるほど怒りが止め処なく湧いてくるが、涙を流して懇願する相手をこれ以上痛め付けることを彼の良心が許さなかった。
「ワレェ、男やったら何で守ったれへんねん!」
幸島に怒鳴りつけられた宮田は「ひぃッ!」と悲鳴を上げた。
「そんなこと言ったって……! 俺だって守ってやりたかったけど……で、できねーもん……。さおり、中学卒業してからどんどん垢抜けて……一緒にいるときに先輩に目ぇ付けられて……。あの人たちはほんとヤバイんだよ……! 俺なんかが逆らえるわけねーじゃん……ッ」
幸島は宮田の胸倉を引っ張り上げ、後頭部を橋の欄干に力任せにガンッと打ちつけた。
「国府津に惚れとるんちゃうんかい。好きやから付き合うたんちゃうんかい。惚れとる女の為にでけへんことがあるんかコラ、あァッ?」
「だから俺ッ……幸島君みたいに強くなッ……!」
「ケンカの強い弱いなんか関係あるかァッ! 何で体張って最後まで守ったれへんねん……!」
幸島はギリッと奥歯を噛んだ。投げ捨てるように宮田の胸倉から手を離した。
「スマホ出せ」
「え……?」
「スマホから国府津消せ。ケー番もIDも全部や」
「ハ、ハイッ!」
宮田は急いでブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した。幸島に液晶画面を見せながら震える手で操作してメモリから国府津の連絡先を消して見せた。
「コ、コレでちゃんと消した。な? な?」
幸島は宮田の手からスマートフォンを奪い取った。力任せにバキンッと真っ二つに叩き割り、空へと放り投げた。それは綺麗な弧を描いて川の中にボチャンッと落ちた。
「あー! 消したのに……‼」
バチンッ! ――幸島は宮田の顔に張り手を喰らわせた。
「二度と国府津に連絡すんな。次はこんなモンじゃ済めへんぞ」
幸島が真正面から睨みつけ、宮田は「ヒッ」と悲鳴を上げた。すでに顔面が腫れ上がるほど殴られている。幸島への恐怖心は身に染みた。幸島が普段は物静かで冷静であるから忘れがちになるが、彼は学内で最も腕が立つと言われた人間だ。ひとたび憤怒を解き放てば、敵を叩き伏せる術を知っている。宮田などが刃向かえる相手ではなかった。
幸島は立ち上がって宮田に背を向けて歩き出した。国府津のほうへと引き返す足取りは重たかった。三人も思いっ切り殴り飛ばしたのに、ちっとも胸は軽くならなかった。
大鰐は、浮かない顔で戻ってきた幸島に、わざと聞こえるように大きめにハッと鼻で笑った。
「何が見られて困ることはせえへんや。キッチリボコボコにしとるやんけ」
「言い返せへんわ」
幸島は大鰐の隣を通過して国府津の前で足を停めた。
国府津は両手を胸の前で組んでギュウギュウに握り締めていた。その掌中には第二ボタン。
ゆっくりと顔を上げた国府津は、両目いっぱいに涙を溜めていた。宮田と別れたいと頼んできたのは自分のくせに、この結末を望んだ張本人のくせに。
「さっきは変わってへん言うたけどな、アレ嘘や」
「え……?」
「茶髪ハデすぎるし、化粧もあんましてへんほうが感じええ。それにメガネかけてんのが似合うてた」
幸島は心の奥底から滲み出るような笑みを漏らした。
「昔の……二人きりのときゆっくり喋る国府津が、好きやったで」
あなたが笑ってくれるから、あの頃に戻れたような気がする。あの頃と同じ笑顔。ほかの誰にも見せない秘密の笑顔。わたしだけに見せてくれた特別な笑顔。わたしは変わってしまったのに、あなたはあの頃と同じように笑ってくれる。あの頃と同じ、優しいままのあなたが、どうしても好き。
ほんの数ヶ月前まで押し殺していた激情を、今頃になって抑えることができない。
「好き――……」
涙と一緒になって感情が溢れ出た。国府津は俯いて手の平を眼球に押しつけるが、一度堰を切った涙も感情も押さえ込むことはできなかった。
眼球も心臓も、痛い。痛くて熱い。痛いくらい好き。
「甲治くん好きぃ……。ウ、ウチ……ほんまは……あの頃からずっと……ずっと……甲治くんのことが……好きやったんよ……っ」
ぽたぽたぽた、と水滴が足許に零落した。
幸島は俯いて涙する国府津の頭頂を黙って見ていた。女の涙は苦手だ。涙を止めてやりたいけれど、その術を持ち合わせていなかった。もうどうやって笑わせていたかも分からない。数ヶ月前には難しく考えることなくできたことなのに。
スマン――、と幸島は静かに言葉にした。
「俺もう国府津のこと、あの頃みたいには考えられへん……」
ジャリッ、と幸島が歩き出した音が国府津に聞こえた。幸島は国府津に背を向けて離れていった。
これが一年分の恋心の結末。このようなたった一言で決着がつくことを未練がましく引きずっていたなんて。
否、違う。このような結末を望んでいたわけではない。時間をかけすぎてタイミングを間違い、望まない結末に辿り着いてしまった。もっと異なる結末を迎える可能性はあったはず。好きな女を泣かせないような――。
大鰐が後ろから小走りに追いついてきて幸島の隣に並び、その脇腹を肘でドンッと突いた。
「ええカッコしー」
「なに言うてんねん。俺いまごっつダサイやんけ……」
大鰐はなるべく深刻に扱わないように冗談っぽく言ってやったのに、返ってきた幸島の声はやや掠れていた。幸島のような男が天下の往来で泣くわけがなかった。しかし、これ以上無いと言うほど打ちのめされた表情をしていた。
大鰐は何も気づかなかった振りをしてフイッと顔を背けた。
「あそこであの女とくっついてたらクソダサかったけどな。最後のはなんちゅうか……ハルっぽかったで」
――宮田のヤツになんぼ説教垂れたかて、最後まで守ったれへんかったのは俺も一緒や。
好きやったのに、守ったりたかったのに、一緒におりたかったのに、たった一言が言えへんかった。もうずっと前から国府津を見る度にそんな気はしとったのに、もしかしたら勘違いちゃうかとビビって言えへんかった。
俺みたぁなヤツやったらあかんとか、国府津は真面目で優しいヤツやからとか、全部言い訳や。いろいろ理由付けたかて結局はビビっとっただけや。国府津の笑い声とか話し方とか仕草とか、大事にしすぎて壊す勇気が無かった。お前が「甲治くん」て呼ぶとき、俺がどんな気分やったか、お前知らんやろ。
俺がもしあの頃何も考えずに好きやと言えたら、お前を泣かすことはあれへんかったんやろうか。
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