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#28: Lost thing in one spring day
Lost thing in one spring day 04
しおりを挟む卒業式の約二週間前。
二人でやる最後の日直。卒業式までにもう日直当番が回ってくることは無い。
国府津も幸島も、今日が二人きりで会話をする最後の機会になるかもしれないと分かっていた。分かっていながらいつもと変わらぬ振りをして、否、いつも以上に黙々と黒板の板書を消した。何か特別な話をするなら今が好機なのに、二人ともただ黙々と作業をこなした。
誰もいなくなって冷え込んだ、二人きりの教室。
国府津は最前列の机に座って学級日誌と向き合っていた。国府津が日誌をしたためる間、教壇に立って待っていた幸島は、いつからか隣の席に座るようになっていた。
国府津は自分の手の平に「はーっ」と息を吹きかけてゴシゴシと擦り合わせた。
「寒いか、国府津」
「うん。人いてへん教室って冷えるよね」
「ほかの女子みたいにセーター着て来たらええやんけ」
「ほんまはセーター着用禁止やで。先生に怒られるのイヤやもん」
この頃の国府津が最も留意していたことの一つ、先生に怒られるなどということは、幸島には些細なことだった。
幸島から「フゥン」と生返事が返ってきた。国府津は、まったく寒そうにしていない幸島が少々憎らしかった。
「男子は学ランの下にセーター着とってもバレへんさかいええよね」
幸島がチラリと真横を見ると、国府津はツンと顔を逸らして頬杖をついた。
国府津はその姿勢のまま、学級日誌に書く内容に頭を巡らせた。ほかの日を見るに一、二行程度の瑣末なものだ。つまり、書いたという事実さえあれば内容は何でも良い。二人でいる時間を少しでも長引かせたくて、なるべく考えている振りをする。
幸島は学級日誌を書いてくれたことは一度もないが、国府津が書き終えるまで必ず待ってくれる。ほかの男子生徒であれば早く帰りたいからさっさと済ませろと要求されるところだが、幸島からは一度も急かされたことがない。優しいから文句一つ言わず待ってくれるのだろう。少なくとも一緒にいる時間を苦痛だとは思っていないらしい。
国府津の腕に柔らかいものが押し当てられた。振り向くと、長袖のTシャツ姿の幸島が脱ぎたての学生服を差し出していた。
「着とけ。国府津まだ日誌書かなあかんやろ」
望外の申し出。国府津は声がひっくり返りそうになったのをどうにか呑み込んだ。
「えっ、ええよ。甲治くんが寒なるやん。セーター着てへんのに」
「ああ、俺暑がりやから。あんま着込むと汗かくねん」
国府津はしずしずと学生服を受け取った。普段なら男子の学生服を借りるなど恥ずかしいのだが、卒業間近で教室に二人きりという少々特殊な状況が、行動を後押しした。
腕を通してみると、脱ぎたての学生服はまだぬくもりを残していた。これが、暑がりだという彼の体温。そして、国府津には慣れない煙草のニオイが微かにした。不思議と臭いとは思わなかった。
「ちゅうか、最後まで日誌ウチが書くん。甲治くん一遍も書いたことあれへんやん」
国府津は照れ隠しに小言を言ってみた。幸島からは「おう。一年間おおきにな」と返ってきた。
幸島は、大きすぎる学生服を羽織って袖から指先しか出ていない国府津を見てはっきりと破顔した。
「国府津はちっさいな」
「甲治くんが大きすぎるで。三年で一番大きいやん。身長何センチ?」
「180は超えたな」
国府津の目から見るに、幸島はよく笑うようになった。授業中やほかに誰かがいるときは相変わらずの無表情だが、二人きりのときはよく会話するしよく笑う。
自分が幸島甲治にとって〝特別な何か〟であると勘違いしてもおかしくはない。どの女子にも、どの男子にも、どの悪友にも、どの先生にも、見せない素顔を知っていると勘違いしてもおかしくはない。しかし、勘違いであることはちゃんと自覚している。
「甲治くんて、カノジョいてへんの?」
学級日誌と睨めっこをしていた国府津が、唐突に尋ねた。
「いてへん」
――こんな質問もそうやって平然と即答するさかい、何考えてるか分からへんて女子から恐がられるんやで。
国府津はこの態度が幸島の平常運転だとすでに知っていた。無表情でも、声に抑揚がなくても、機嫌が悪いわけではない。彼はこういう癖の持ち主なのだ。
「ほな好きな人は……いてる?」
「…………。いてる」
今度は少しばかり間があった。
ペンを手遊びしていた国府津の手が、停止した。心臓と喉元がキュウッと締まる感じ。呼吸が停まった。半開きの口から言葉が出てこなかった。次は何を言えばよかったのだっけ。そもそも何を聞きたくてこのような話題を切り出したのだったか。
「国府津は?」
「えっ」と国府津は声を漏らした。
適切な言葉を探してぐるぐると考え込んでいる隙に質問を返された。無防備に振り向いてしまい、幸島と目が合ってしまった。――――鋭いのに優しい目。
偶然隣の席になって日直を務め、二人きりの時間が増え、よく会話をしてよく笑って、しかしこんなにも長い時間真っ直ぐに目を見たことはあったろうか。二人とも伏し目がちになるのが癖だった。
「国府津は好きなヤツ、いてるんか」
――いるよ。キミやよ。
そのような台詞を言えるはずはなかった。好きな人に好きな人がいると知ってしまって、好きですと打ち明けられるほど馬鹿正直ではなかった。意気地が無かった。傷つきたくなかった。
たぶん、初めて声を聞いたときから好きだった。キミを知っていくほど、思った通りの人で嬉しかった。キミと時間を過ごすのが楽しかった。
今ここで嘘を吐けば、過ごした時間をそっくりそのまま秘密の宝物にできる。
国府津は力なく俯いてふるっと首を左右に振った。
「ウチは……いてへんよ」
「そうか」
嘘を吐いたとき、泣きそうになった。自分から軽く答えたくせに、幸島から何てことはないように返されたとき、泣きそうになった。自分勝手だ。そうだ、恋なんて自分勝手なものだ。勝手に人を好きになって、勝手に破れて痛い目を見る。
「カノジョいてへんなら第二ボタン、予約してもええ? 好きな人いてるならあかんかな……?」
「何でや」と幸島は意外そうな顔をした。
「女子はみんな、誰かのボタンもらうんよ。せやさかいウチもボタンゲットしとかんとカッコ付かへんなって。ウチからボタンちょーだいなんて頼める男子、甲治くん以外にいてへんくて。甲治くんがイヤやなかったらやけど――」
幸島がむんずと国府津の胸倉を掴んだ。
国府津が突然のことに驚いて声も出せないでいると、幸島は自分の学生服ごと引き寄せた。国府津は前のめりの体勢になり、ただただ幸島の顔を唖然として見つめた。
――叩かれる? キスされる? 何で⁉
瞬時に様々な可能性が脳内をグルグルと巡ったが考えはまとまらなかった。
ブツッ。――幸島は学生服からボタンを毟り取った。
国府津は要望通りの第二ボタンを目の前に差し出され、口をポカンと開けて目を丸くした。
幸島は「ん」とボタンを握った拳をさらに突き出した。国府津はハッとして慌てて頭を左右にブンブンと振った。
「イ、イヤ、今やのォて! 卒業式のあとでええからッ」
「そうなんか」
「ゴメン。ウチが変なタイミングで言うたから」
「ああー……思っくそ千切ってしもた。余計な仕事増やしておかんにドヤされてまうなあ。……あと二週間だけやし、こんまんまでええか」
幸島はボタンを握った拳を引っ込め、反対側の手でバツが悪そうに頭を掻いた。
いつも大人びて冷静な幸島が、母親に叱られたくないから黙っておくなどと子どもらしいことを言ったから、一気に国府津の緊張の糸が切れた。プッと吹き出し、幸島に向かって手の平を突き出した。
「ボタン付けるさかい貸して」
「でけんのか」
「ウチの所為やで、任してー」
「おおきにな」
幸島は国府津の小さな手の平にボタンをコロンと乗せた。
このようなちっぽけな物に一瞬でも必死になった自分が少し可笑しかった。ちっぽけな物でも、誰でも持っているこんな粗末な物でも、お前が欲しいというのなら、今すぐにでも与えてやりたかった。お前を見ていられる時間はもう残り少なくて、二人でいられる時間はもっと短い。だから悔いが無いように、未練を残さないように、してやれることは何でもしてやりたい。何でもしてやりたいのに、実際にしてやれることは残された時間よりも、もっと少ない。
――「第二ボタンください」
それがウチの精一杯の勇気やったね。回りくどい言い訳付きの。
モブのウチが甲治くんに告白なんてでけるワケあれへん。ウチは甲治くんに優しくしてもらえるだけで充分。甲治くんと話がでけるだけで充分。甲治くんの一部をもらえるだけで、ほんま告白するくらいに勇気が要った。
甲治くんとの関係が壊れるのが何よりも恐かった。名前を呼んで、話して、笑って……それがもう二度とできへんよになるくらいなら、これ以上近づきたいなんて思わへん。フラれて気まずくなるくらいなら、告白なんか一生せえへん。
ずっとこのままでと子どもみたいに願うくらい、甲治くんのことが大好きでたまらへん。
卒業式当日。式終了後。
ブツッ。――幸島は胸元からいとも簡単に第二ボタンをもぎ取った。
「あ、スマン。またぶっ千切ってしもた」
幸島は約束を守る男だ。卒業式が終わるなり、国府津にボタンを差し出してくれた。
国府津の本心は、飛び上がりそうに嬉しかったけれどそれは誰にも、殊に幸島当人には見透かされてはいけない気持ちだったから、ほんの少しだけ漏れ出る笑顔で控えめに「ありがと」と言って受け取った。
国府津と幸島は、人気の無いところで第二ボタンを引き渡して別れた。まるで秘密の取引みたい。
卒業式のあとはクラスメイト全員で打ち上げ。国府津は通学バッグを教室から取ってきてから、女友だちと合流する予定だ。
教室へ向かう足取りは自然とスキップ混じりになった。明日からはもう会えないというのに、ボタン一個貰っただけで舞い上がっている。高望みはしない。第二ボタンという目標は達成した。これで充分。これでこの恋は終わりにする。
そう心に決めて教室に入ったのに、無意識にあの背中を探してしまった。教室に幸島の姿は無かった。彼は人気者だから、悪友の男子生徒に連れられてもう学校から出て打ち上げに向かったのかもしれない。終わりにしようと思っても、自然と彼のことを考えてしまう自分は往生際が悪い。
国府津は通学バッグを回収して教室を出た。
(ボタン、落としたらあかんからカバンに入れとこ)
廊下の中途で足を停め、スカートのポケットに仕舞っておいたボタンを取り出した。ボタンを手の平に乗せてついつい見入ってしまった。
キミと過ごした時間や想い出――丁度良いのにもどかしい距離感――わたしの恋が、カタチになった宝物。
「そのボタン、幸島君の?」
不意に声をかけられた国府津は、人目から隠すようにボタンを握り締めた。
宮田が小走りに近づいてきた。
「よくくれたなよなー。幸島君はそーゆーの興味ないと思ってた。国府津だからくれたのかもな。国府津と幸島君、仲いいもんな」
「そんなことあれへんよ」
国府津は急いでボタンをスカートのポケットへ突っ込んだ。
「国府津、幸島君のこと好きなのか?」
「ちゃうよ」
「そっかー。幸島君にも国府津が好きなのか訊いたんだけどさ、キッパリ違うって言ってたわ」
ズキンッ、と胸が軋んだ。
大丈夫。少々悲しくても顔色は変えないし涙も出ない。告白しないと決心したときから覚悟していたことだから。
「やめてよ。勝手に誰が誰を好きとか話題にすんの。そーゆー話してるの女子にバレたらモテへんで」
国府津は平静を装って顔を伏せた。
国府津がこの場から立ち去ろうとすると、宮田は素早く国府津の前に回り込んだ。
「なあ。国府津、俺と付き合わない?」
「何でっ⁉」
国府津は驚いて大きな声で聞き返してしまった。宮田が自分を好いていると感じたことなど一度も無かったからだ。
「国府津のこと好きだからだよ、マジな話。好きなヤツいねーんだったら俺でよくね。付き合ってみたら想像したより相性よかった、なんてよくあることじゃん。国府津もさー、カレシいたほうが高校生活楽しいって」
「宮田くんも……カノジョいてへんかったらつまらへんさかい、とりあえずウチに付き合おう言うてるんやろ」
「違うって。俺は国府津が好きだから」
国府津はサッと顔を逸らして俯いた。それきりウンともスンとも言わず黙りこんだ。
しばらくして宮田は、ふう、と嘆息を漏らした。
「やっぱ幸島君のことが好きか」
「ちゃう」
「じゃあ俺と付き合う?」
国府津はコクンと頷いた。追い詰められた気持ちだった。破れた恋心を隠し果せるにはそうするしかなかった。秘密の宝物だけは誰にも暴かれたくなかった。
――宮田くんはたぶん、甲治くんに勝ちたかったんやと思う。ケンカでも人気でも甲治くんには絶対勝たれへんから。
宮田くんは打ち上げでみんなの前でネタみたいに、俺たち付き合いましたって言うた。そのとき、ちょおビックリしたみたあな甲治くんの顔見て、宮田くん笑っとった。正直、そんな風に笑うのはイヤやと思たけど、みんなオメデトーとかオシアワセニーとか言うから、ウチも合わせて愛想笑いしてた。
……ほんまやね、ウチは人に合わせるのが上手や。ズルイくらいに。
宮田くんは気分良かった? 一瞬だけでも甲治くんに勝った気分になれた?
宮田くんがウチを好きいうのは嘘やって分かってる。せやけど、嘘ならウチも吐く。宮田くんよりも何倍も上手に嘘を吐く。
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