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#26: Bitter enemies in the same boat
Lindenbaum 01✤
しおりを挟む下総と勇炫は、いまだ大将戦のざわつきを残す会場内に残っていた。
武藏たちは気が済むまで騒いだあと、煙草を呑む為にさっさと外へ出ていった。当然ながら彼等には此処に名残惜しさなど微塵もない。一服するほうが重要だ。
禮は渋撥の制止に飛び出してゆき、そのまま彼等の陣営に落ち着いた。大将戦が終了して親善試合は幕引きだ。もう此方には戻ってこないだろう。
「どや、お前の計画通りになったか?」
下総から尋ねられた勇炫は、微かに虚を突かれた表情を見せ、それからすぐに笑顔を作った。
「計画なんて、そんな大層なモンちゃいます。俺かて見てる前で知り合いがあそこまでボコボコにやられるのはええ気分ちゃいますよ」
「そんなんは初めから分かっとったんちゃうか。あのイサワっちゅうのは噛ませ犬やろ。大嫌いな親父のメンツを潰す為に、アイツは近江にボコボコにされる役や」
下総から意外にも鋭い切り返し。勇炫は黙った。
心からそれを願ったわけではないが、そういう展開を予見しなかったわけでもない。何も知らない振りをし、役者に期待を持たせ、自分は手を下さず、高みの見物を決め込んだ。
「……そうなる展開も有り得るなとは思ってましたケド、そうなれと願ってたわけちゃいますよ。結果的にそうなったっちゅうだけです。そもそも、入門したばっかのド素人が師範代に勝つなんざ番狂わせ――」
「どーだか」と下総は笑った。
勇炫は自身の底意地の悪い心根を見透かされている気がした。
――「ほな自分が勝ちます。自分がソイツに勝ってみせます。そしたら勇炫さんは道場に戻って来てください」
俺なんかを持ち上げて、俺なんかを信用して、アホなヤツ。自分を信用してくれるアホを奈落に突き落とす俺は、最低なヤツか。
下総さんみたあな人が、何でこんな最低な人間を傍に置いてくれてるんやろ。俺なんか、いつ見限られてもおかしない……。
下総蔚留という男に惹かれる。自分とは相反する性質だとは分かっているのに、焦がれるように惹かれる。
下総を慕って周囲にいる彼等は誰もが彼に似た性質を持っているような気がする。そのようななかに在って自身だけが異質であることには、とうに気づいている。彼等と同じ時間を過ごし、同じ出来事を共有しても、同じ熱を持てない。異質である自分は無価値なのではないか。焦がれるものに近付けない自分は無力ではないか。
ほんの少し、絶望に似た感覚。目指すものは其処に在るのに辿り着く方法が分からなくて、路頭に迷う。
「血は争えへんっちゅうことですやろか……。俺も結局はあのクソ親父の息子で、根っこのところでは同じ最低の人間なんか……」
「なんでそーゆう話になるんかいのォ」
下総はガリガリと頭を掻いた。勇炫が自棄な発言をしたのは、彼の思考回路を超えていた。難しく考え込まず、もっと享楽的に生きたらよいのに。
「お前は頭ええさかい何でも考えすぎや。お前がなんぼ親父嫌うても、なんぼ願っても、血の繋がりは消せへん。ンなこた分かり切ってる。皮肉なもんでその逆に、人が生まれてきて作った絆なんかは簡単に切れてまう。俺とお前、ほかのヤツ等ともそんなモンでしか繋がってへん。哀しいもんやなー、勇炫」
「そうですね……。せやけど俺……」
「せやかて繋がってんねんで、俺等」
どさっ、と下総は勇炫の首に腕を回した。勇炫の肩を抱いて目を合わせてニカッと笑った。
「そんな世界にたった一人みたあな深刻なツラすな。俺等仲間は、仲間やて信じてる限り親兄弟よりも繋がってられる」
勇炫は下総の腕からズシリとした重みを感じていた。重量は現にいま此処に存在している証。自然と自分は慥かに下総の隣に立っているのだと実感した。
やはり、自分と下総は異なる性質だと思う。下総と似たようなことを自分が口にしたとして、きっと誰にも響かない。下総だからこそ持てる説得力がある。人を惹きつける求心力がある。
下総のようになりたいわけではない。なれるわけがない。その傍近くにありたい。いつまでも繋がっていたい。繋がっているのだから、目指している限り、いつか辿り着けるのかもしれない。どれほど道に迷っても。
自然と表情が緩んでしまった勇炫は、気恥ずかしそうに口許を手で隠した。本音を晒すのが苦手な性分だった。
「オイオイ、泣くなや勇炫~~。お前は自分で思うてるよりもなんぼかええヤツやで」
「泣いてまへんがな」
下総は勇炫の首に腕を回したまま、冗談を言い合って歩き出した。
「よっしゃ。ほな映画行くか」
「結局行くんでっか」
「アイツ等行く気マンマンや。もう先に外出て待ってんで」
§ § § § §
勇炫はん――、と会館を出たところで呼びかけられ、下総と勇炫は足を停めた。
品の良さそうな小柄な婦人が、此方に向かって歩いてきた。
勇炫は婦人に「お母はん」と呼びかけた。
下総は勇炫の母を見て、率直に似ていないと思った。きちんとした身形の小綺麗な婦人だと思う。しかし、癖のないサラサラの髪の毛、ふっくらとした唇、自然と微笑んでいるような柔らかな目許、総じて優しげな面立ちは、何一つ勇炫と似ていなかった。
勇炫の母は下総に向かって頭を下げた。ゆっくりとした穏和な仕草からして、性格も似ていなさそうだ。
勇炫の母は息子へと目線を引き戻した。
「あの人は……お父はんは、中にいはりますか」
「……うん」
「勇炫はんも来てはったんやねえ。教えてくれはってたら、お母はんももう少し早よ来ましたんに」
「来るつもりはあれへんかったけど石和に頼まれたさかい」
「石和はんに? ほな御礼言うとかなあきまへんね」
石和は俺の所為で病院送りだ、とは心優しい母親に明け透けに告げるわけにはゆかなかった。
とはいえ、特段此処ですべき話題も見つからなかった。勇炫は一人暮らしを始めて以来、母親とも必要最低限の連絡を取るのみであり、顔を合わせるのも声を聞くのも久し振りだ。父親とは異なり母親へは人並みの親愛も感じている。しかし、母親を無心に恋しがるほど子どもではなく、何を話したらよいのか分からなかった。
「石和には俺の分もよう礼言うといて。俺、今から友だちと用あるさかい、もう行くわ」
「あの、勇炫はん……」
早々と立ち去ろうとした勇炫を、母親が静々と引き留めた。
流石の勇炫も母親を袖にすることはできなかった。
「顔色良おないみたいやけどご飯ちゃんと食べてはる? 一人暮らしやから野菜とか大変やと思うけど……。勇炫はんも色々忙しゅうしてはるんやろけど、たまにはお家に顔出しはって。お父はんも、ほんまは勇炫はんのことを気にかけてはるんよ。ああいう性格の人やから、表には出しはらへんし面と向かっては厳しいこと言わはるけど」
――この人は、母親のクセに、誰よりも母親っぽい顔で母親らしいことを言うクセに、いつも申し訳なさそに俺を見る。血が、繋がってへんからか。
そんな申し訳なさそな顔せんでええよ、お母はん。お母はんの所為ちゃうよ。多分、何もかんも俺と親父の業なんや。
「大丈夫やで。心配せんといて……お母はん」
勇炫は顔を上げて母親へニッコリと微笑みかけた。自分にはそのくらいしかしてあげられないから。母親に心配そうな顔をされると、少し、泣きたくなる。
勇炫にとって母親とは、重要な存在だった。父親などとは別格に尊く、何よりも大切にしなくてはいけない人。何処を探しても二人といない、この世にたった一人の人だと思う。
この人以外に母はない、この人だけが自分の母だ、誰よりも大切にしたい、そう思うのに、この人との間に生まれながらに繋がれているはずの絆はない。物凄く悪いことをしている気がして、この人を傷付けている気がして、この人が悲しむとすべて自分の所為であるような気分になる。
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