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#26: Bitter enemies in the same boat
Tyrant of the white grade 03
しおりを挟む攘之内と統道、両道場師範同士は居並んで大将戦を観戦していた。
攘之内は御行儀よく構える渋撥を見詰め、腕組みをして自分の口髭を撫でながら何かを思案していた。
渋撥は人よりも大きな身体や太い腕、強い力を持ち、この大きな会館のなかに在っても、窮屈そうに見えた。
それも致し方ない、元々相容れぬ存在だ。みな在るべくしてこの場に在って、お前だけが異質だ。此処はお前の居場所ではない。お前は襤褸の人の皮を被り、人がましい真似をする。最早爪牙を抜かれた獣と大差ない。
「まったく、おもろないことしよって」
攘之内が溜息混じりに独り言を零し、統道は意味が分からず小首を傾げた。
「統道。俺とお前はガキの頃からの昔馴染みやな。この歳になるとそんな昔からの知り合いと今でもちょくちょく顔合わせとるっちゅうのはなかなかあれへん」
「お前は唐突に何をしんみり言い出すねん。大将戦の最中やで今」
「そーゆー俺とお前の仲や。ほぼ親友や。ちょお迷惑かけるかも知らんが許してくれよ親友」
「は?」
統道は片眉を引き上げた。いよいよ攘之内の考えていることが分からない。
「渋撥ゥーーーッ」
攘之内は会館内に響き渡る大声を張り上げた。
統道は真横で発せられたあまりの声量にササッと攘之内から一歩離れた。
「ここまで来て何ビビってんねんコラァッ! 情けない様ァ晒すな! 好きなよにやったらんかい」
その言葉を聞いて、虎宗と大志朗はギクリとした。
渋撥に、暴虐を司る王に、モンスターに、好きにしてよいと免じるのはどういう意味か。手綱を放すことを意味する。獰猛な獣を野に放すことを意味する。その末に在るのは破壊だ。
「デケー声💧」
薩摩は口をポカンと開けた。
「えらい大声出して元気のええオッサンやなァ」
下総はアハハと笑って禮に「なァ」と同意を求めた。
禮は下総と視線を合わせず、かあーっと顔を赤くして俯いた。
「アレ、ウチのお父はん……」
「マジで?」と下総。
武藏は中年男性が大声を張り上げる光景を見てニタリと笑った。道場の試合と聞いて御行儀よくしていなければいけないのだろうと構えてやって来たから、声を張って騒いでもよいのだと免罪された気分だ。
「ああいう応援アリなのかー。俺得意だぜ」
武藏は薩摩の肩に腕を回した。二人は顔を見合わせてニシシと笑った。
「オラ、声出せ一年!」
「ぶっ殺せ! ぶっ殺せ! ぶっ殺せ! ぶっ殺せ! ぶっ殺せ!」
「やれーッ! 近江やっちまえー! 全員ブッ殺せェエエ」
武藏は薩摩を捕まえたまま天井に向かって拳を突き上げ、薩摩もそれに準えて拳を挙げて歓喜の声を上げた。長門は二人に合わせてダンッダンッダンッとリズミカルに床を踏み鳴らした。
罵声と嘲笑と騒音――彼等が掻き鳴らす熱狂的なリズム――音と熱こそが、彼等を象徴する。彼等のなかには正体不明の種火が燻っており、熱がぐるんぐるんと渦を巻いている。それを外に吐き出す機会を常に窺っている。畢竟、騒ぎ立てられるなら理由や動機は何でもよい。
騒ぎ立てる武蔵たちに注がれる勇炫の眼差しは、どこか冷ややかだった。彼等は騒々しく声を上げて気持ちがよいくらいの乱痴気騒ぎの熱を発する。彼もそうなりたいのに、なれないのだ。
彼等のように真剣勝負を純粋に楽しむことができないのは、思惑があるからかもしれない。勇炫の思惑――――宗家の精鋭が、突如として登場したまったく無名の白帯に敗れ、その指導者たる師範である父親の面子が潰れるという展開。
勇炫は、フゥーと小さいが長い溜息を吐いた。
――俺はたぶん、こっち側やのォてあっち側の人間なんやろな。備前勇炫っちゅう人間は、ほんま狡賢くてしょーもない。
自分が一番可愛く、最小の労力で最大の益を得たい。損をするのが嫌いで、痛い目に遭うのは絶対に御免被る。しかし、思い通りに事を運ぶ為なら他人に同じ想いを肩代わりさせても躊躇はない。このような利己的で打算的な人間は、一番嫌いな男と同類だ。
ぐにっ、と勇炫は突然頬を抓まれた。目だけ動かしてその犯人を見ると、ソイツは白い歯を剥いて笑った。
「何ゆ~うつそなツラしとんねん、勇炫」
下総は勇炫が抵抗しないのをよいことに、抓んだ頬を思いっきりぐりぐりぐりと捻った。見事なほど典麗な顔をよいようにしてやるのは少々小気味よかった。勇炫が「アイタタタタ」と声を上げたところで、ようやく頬から手を離した。
禮には、誰に対しても悠然としている勇炫が、下総には好きにされる様が少々驚きだった。
「お前の期待通りの展開はこっからや。見逃したらあかんで」
勇炫は赤くなった頬を押さえて下総を横目に置いた。
期待通りと言うけれど、この人は本当に俺の胸の内を見透かしているのだろうか。打算的思惑のすべてを見抜いているのだとしたら、何を考えて傍に置いてくれるのだろう。こんな、小狡くて卑怯で無価値な人間を。
§ § § § §
好きにやれ――、そう言われた渋撥の脳裏には、再び攘之内からの教えが思い起こされていた。
攘之内は虎宗や大志朗とは異なり、事細かな指導はしなかった。だからこそ、渋撥のような大雑把な脳味噌でも言われたことを忘れずに覚えていられたのかもしれない。
「トラをブチのめしたいィ?」
それを渋撥が口にしたとき、攘之内はそのまま聞き返してきた。そのような発言をする者は久しくいなかったから聞き違いかと思った。
「お前はバカ正直なヤツやな。普通はトラを鍛えたのが俺やと知っとったら俺には訊いてこおへんで」
そうは言いながら、攘之内は気分を害した素振りは一切無かった。お前には分不相応だとも言わなかった。寧ろ、嬉々と受け取った様子だ。
虎宗が負け知らずの天才師範代と噂されるようになってから、相模道場では誰も彼を超えようとしなくなった。血気盛んな若者は多いのに、表立って対抗する気概のある者はいなかった。それほど虎宗は優秀すぎた。
「おとなしゅうアイツに教えられとって、アイツを余裕でブチのめせるようになるとは思われへんさかい」
「トラを余裕で、か。威勢がよォてええ」
ワハハハハッ、と攘之内は大口を開けて笑った。
「お前の拳は速いしパワーもある。それだけなら恐らくはトラを上回る。せやけど鋭さが足りん。せやから俺の身体には徹らへん」
「……?」
「〝力〟は拳だけで生まれるモンちゃう。拳に到達する前に肘を通り肩を通り、背や腰の捻り、足の踏み込み、全身を通ってくる。つまり、力とは一連の動作の流れや。拳をただ力任せに叩き込むんとちゃう。自分の体を流れてきた力を拳に乗せて的を穿つ。それこそ針ほどの一点を一分の狂い無く狙い打つイメージや。このイメージを掴むだけでも〝貫通力〟が上がる」
攘之内は自分の側頭部を指でトントンと叩いて見せた。
「トラや禮はこれを頭で考えることなく反射的にやる。というより、そうなるよに鍛練を積んだ。いつ如何なる瞬間でも無意識に〝穿つ拳〟を突き出せる、これが武人や。天性のモンとちゃう、一日一日鍛練を積んで獲得する、努力の賜物や」
渋撥は口を一文字に結んで黙り込んだ。
攘之内は寡黙でも分かりやすい男だと思った。
「解ったか?」
「あんまり……」
渋撥が正直に答え、攘之内はフハッと噴き出した。それから、渋撥の立ち居姿を頭の天辺から爪先まで今一度観察した。
「お前には向いてへんかもな。お前は体格も気性も恵まれすぎとる。武人に一番必要なのは天賦の才ちゃう。気が遠なるほど繰り返す莫迦みたいな反復――――即ち、努力と忍耐や」
渋撥は、人も羨むような天賦の才に恵まれていながら、武人たる資質が決定的に欠けている。
「お前も、武人になりたいなんざカケラも思わへんやろ」と攘之内は締めくくった。
まさに渋撥の本音を言い得ている。武人の何たるか、武術の高み、武の神髄、そのようなものに興味は微塵もない。在るのは破壊衝動と暴力性。目の前の敵を己の力で粉砕できたらそれでよい。
§ § § § §
渋撥は、好きにやれと言われても構えたまま黙って石和を睨みつけていた。
石和には、無名の三白眼の巨躯が師から好きにやってよいと許しを得て、何を考えているのかなど皆目見当がつかなかった。
相模師範の心の内もまったく汲み取れなかった。好きにやったらどうだというのだ。無名の白帯が好きにやったら師範代を務める自分に勝るというのか。何の努力もせずに師範代を任されたのではない。一心不乱に稽古に励み、今日まで直向きに研鑽を積んできた自負がある。
「〝好きにやれ〟やと……。まるで好きにしたらお前が勝てるみたあな言い方や。相模師範はお前みたあなモンに何期待しはってんねん」
「黙れ。今ちょお考え事してんねん」
渋撥は石和の発言を一刀両断にした。
その不遜な態度は石和の神経を刺激した。試合中で気が昂ぶっていることもあり、無名の白帯が目の前にいる自分を歯牙にもかけぬといった態度が癇に障った。
「相模師範の悪い癖や」
石和は苦々しい独り言を吐いた。
「相模師範は指導者として優秀な人や。それは能登師範代や伯耆が証明しとる。せやけど相模師範は誰にでも希望を持たせすぎる。お前にも、お嬢さんにも」
渋撥の意識が石和に向いた。「相模のお嬢さん」と聞いてスルーはできない。
「お嬢さんは、相模師範が幼い頃から仕込みはっただけあって、そこそこの使い手にはならはった。せやけどなんぼ強ォても女は女や。女を試合に出すなんか間違えてる。女を副将やら中堅やらに立てるなんか、愛娘に強請られたにしてもやり過ぎや。試合は男同士、本気の勝負をするモンや。ここは武人の場所や。女がおってええところちゃう」
石和は禮を嫌っているわけでも、攘之内を軽んじているわけでもない。攘之内は石和が師事する統道の旧知の仲であり、武人として師範として指導者として尊敬に値する。しかし、攘之内のしていることは理解できないというのが率直な意見だった。
「言いたいことは終わったか?」
渋撥は構えるのを已めた。両腕をだらんと提げた。攘之内から許しを得た以上、最早自由だ。誰の目を気にする必要も無い。虎宗も大志朗も何も言えまい。
「散々よう喋ったなァワレェ。……まァ、あんなに小っこい女の体で男と殴り合いする必要なんか一個もあれへん。俺もそう思うで」
石和の考え自体には同感だ。渋撥も非力な女の身で自分より大きな男と対抗するのは馬鹿げていると思う。なるべく危険から遠ざけたいし、禮と敵対する者は自分が蹴散らす腹積もりだ。禮が最初から闘う力など持っていなければよかったと、願ったこともある。
しかしながら、それを語るのが己の口ではないというそのただ一点が憤怒に火をつけた。禮をよく知りもしない人間に、自分以外の男に、批判的に語られることが、非常に腹立たしかった。
石和はギクッとした。対峙する男の双眸が、頭上から降り注ぐ白光を反射して翠玉色にギロッと煌めいて見えた。
(コイツ、目の色が……?)
「せやけどなァ」
見慣れない瞳の色に気を取られた次の瞬間、声を先ほどよりもずっと近くに感じた。
ハッと正気に戻ると、三白眼の巨躯が眼前に立って拳を振りかぶっていた。今更防御しようとしてももう遅い。そう思っても石和の身体は自動的に身構えた。否、硬直した。定位置まで腕を上げることが、腰を落として踏ん張ることが、できずに半ば茫然とした。
渋撥の本質――何物にも束縛されぬ限りなく自由な闘争本能――圧倒的暴力は、漠然とした自然的危機と同質だ。只人が対抗しうる敵ではなく、忌避すべき脅威だ。脳機能では御しがたい深層心理にとって、眼前の巨躯は迫り来る恐怖そのものだ。
「オドレ程度がええように言うてんちゃうぞコラァアアッ‼」
逃げろ! 逃げろ! 脳は臆病風を吹かせるばかりで司令塔としての機能を失した。
逃げろ! 今すぐ逃げ出せ! ただただ警鐘を鳴らすばかり。
「う……くッ!」
石和の口からようやく絞った細い呻き声が漏れた。足が数センチ前進した程度で、身体は変わらず言うことをきかなかった。
颯爽と風を切り裂くスマラークト。スマラークトの双眸をもった獣――――否、鬼か魔物。魔物に魅入られ、濃く深いその宝玉から目が離せなかった。
ガッキャァアンッ!
石和の顔面に豪速の鉄球がめり込んだ。
渋撥の全身のトルクから生み出されたエネルギー――圧倒的質量――〝力〟。それは石和の頬を擂り潰し、奥歯を鳴らし、硬い骨を突き抜けた。
ベキンッ、と嫌な音が鼓膜に響いた。骨が軋んで歪んで耐久の限界に達した。
石和の足は床から離れた。宙を浮く感覚の最中、視界に真白い閃光が走った。それは天井から煌々と照らす照明か、頭蓋を打ち抜いた衝撃の残響か。真白い閃光のなかに二つの光がちらついた。焼かれた瞼に残像を残す、スマラークトの双眸。
どどんっ、ずしゃああっ!
渋撥のパンチを真面に受け止めた石和の体は、宙を舞って肩から床に墜落した。
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