ベスティエンⅢ【改訂版】

花閂

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#26: Bitter enemies in the same boat

Tyrant of the white grade 01

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 大将戦。
 渋撥シブハツは殊勝にも、指導された通りに試合場に立ち入る前に一礼をした。大きなインターバルで中央まで進んでいき、ゆったりとした動作で大仰に構えた。その構えはしっかりと揺るぎなく重々しかった。天頂から身体の真ん中を通る〝芯〟が見えるかのようだった。
 勇炫ユーゲンは、渋撥の一連の動作を見て、正直やや感心した。

「ちゃんと構えでけるやん、近江オーミサン」

 レイは渋撥への賞賛を素直には受け取らず「うーん」と含みのある声を漏らした。

「トラちゃんが大急ぎで教えてたから一応、形だけは」

「短期間で仕込んだにしては上出来や。ちゃんと腰の位置保ってるし線がブレへん。ガン飛ばしてるくらい目ェ逸らさへんのは近江サンの性格やろケド」


 石和イサワも三白眼の巨躯と対峙して構えて勇炫と同じように感心していた。

「〝白〟やからどんな程度か思たが……能登ノト師範代の背後を取ったのはマグレちゃうらしい。構えだけなら立派なモンや」

「会って2秒で先輩ヅラか。殺すぞ」

 石和も審判も三白眼の巨躯に目を瞠って言葉を失った。神聖な試合でこうも堂々と暴言を吐く者などはじめてだ。

「キミ!」と審判が注意した。

「試合中にむやみに相手を挑発するような発言は控えなさい」

「先に挑発したのはアイツや」

 渋撥は注意を素直に聞き入れるどころか舌打ちをする始末。審判の表情は引き攣った。

「俺ァ早いトコこんなモン終いにしたいねん。さっさと死ね」

 まるで喧嘩のように粗野であり、審判の注意を一切無視し、対戦相手を仇敵のように睨みつけ、慥かに急拵えの形だけの武人だ。否、武人というのも烏滸がましい。禮や石和の見立てはほぼ正しい。
 石和は渋撥を素人だと易々と看破した。そして先に動いた。
 渋撥は動じずに石和の動作を視界に収めていた。大志朗の体捌きも禮のスピードでさえも捉える動体視力なら難はない。石和が拳を握り込んだのもしっかり見えている。

(お前のパンチなんか喰らうかボケ。相手が自分に真っ直ぐ向こうてきたら足はこんなもんで腕の位置は)

 渋撥は攻撃に対処しなければと頭が判断したところで、虎宗から短期間に叩き込まれた通りに手足を動かした。教えを忠実に守って攻撃を見事に防御した。続け様に突き出された拳をすべて模範的に対処した。模範的――――それもまた石和の評価だった。
 渋撥は、相手は大将だというから気を構えていたが何だこの程度か、と拍子抜けした。矢先、石和は突き出した拳を引き戻しもせずその場に留め置いた。突き出した拳を同等の速度で戻すのは基本だというのに。

(何やコイツ。突然すっとろくなりくさって)

 石和は手首をクルッと回して拳を解いた。渋撥の道着の袖をガッと掴んだ。
 バッキィッ!
 渋撥が一瞬気を取られた隙に、石和は顔面を殴り付けた。
 石和は巧みに裏をかいてみせた。完全に虚を突いた一撃だったが、三白眼の巨躯はその場に踏み留まった。

「大きな口叩くモンやな。教科書通りにしかでけへん素人が」

「……そんなんもアリなんか。上等やんけ」

 渋撥は顔を引き戻してニィッと笑った。
 真面に顔面を殴られてその反応。常人なら怯んで当然の相当な攻撃力だったはずだが痛がる素振りも見せなかった。石和は若干嫌な感覚を抱いた。

(かなりええタイミングでマトモに入れたのに少しも効いてへんのか。強がっとるだけか……。イヤ、見掛け通りの頑丈さやと考えたほうがええな。素人には違いないみたいやが、早めにケリ付けたほうが良さそうや)

 石和が構え、渋撥はそれを見て思い出したように身構えた。大将を務める者ならば何も考えずとも条件反射で構えを取るものだ。気を抜くとうっかり忘れるところが付け焼き刃の素人らしい。稀有な頑健さではあるが、見れば見るほど石和ほどの手練れが恐れるべき理由はなかった。
 ダダン、ダンッ――、と石和は畳を踏み鳴らして一気に渋撥の懐近くまで踏み込んだ。
 渋撥は石和の片足が浮いたのを見逃さなかった。

(蹴りか。見えとるクサレが)

 瞬時に腕でガードを造った。駿馬の禮の蹴りと比較すれば確実に追える。しかし、それが仇となった。
 ドボオッ!
 石和のパンチが渋撥の脇腹深くにめり込んだ。
 石和の蹴りはフェイント。渋撥の意識が足許に集中している隙と死角を巧みに突いた攻撃だった。
 ガキンッ、と続いて顎先を殴り飛ばされた。

「クソがッ」と渋撥は悪態を吐いた。反射的に大きなモーションでブンッと拳を振り回したが、パンッと軽く掌で弾かれて躱されてしまった。
 石和の攻撃一つ一つは、渋撥の動体視力を持ってすれば充分に捉えられる。……はずなのに、動作を視認し、虎宗から教えられた通りに可能な限り従順に対処しているのに捉えきれない。掴もうとすれば離れ、離れたかと思えば一足飛びに間合いを詰める。完全に動作を見切られ、脳内をも見透かされているかのような感覚は、忌々しいことこの上ない。

(ジャリトラァ、あのクソボケ。何が〝しっかり構えとけば何とかなる〟や。構えなんかクソの役にも立たへんやんけ。アイツ、ハメよったな💢)

 宗家の師範代を務める石和は、備前金剛の技術のすべてを網羅し、どのような情況でも最大の効果を引き出す方法も熟知している。備前金剛の入門編を少々囓っただけの素人が思い付きそうな対処法や迎撃法など真っ先に思い浮かぶ。その裏を掻くことも利用することも造作も無い。
 虎宗が敷いたレールを順当に妥当に堅実に走る渋撥が、一週間かそこら、試合の一つや二つこなしたところで、石和に追い付けないのは当然だ。彼は渋撥が走る地点はとうの昔に通過し、すでに何千㎞も先、遙か彼方を走っている。
 バキィッ! ――とまた渋撥はガードし損ねて顔面を殴られた。
 苛立ちが激しく募り、不機嫌などというものではなかった。心底忌々しいのは、たった今いいように殴りつけているこの男か、自分を欺いているかもしれないあの男か。両者ともに憎いには違いないが当面の苛立ちはより近くにいる者のほうへと向けられる。

「オドレもチョコマカ動きくさって……!💢」

「俺はそんな小回り利くほうとちゃう。お前の体捌きが遅いだけや」

「誰がトロイんじゃコラァッ!」

 渋撥は感情のままに石和に殴りかかった。易々と石和に躱され、ブンッと宙を切った。
 激昂しているようであっても、生憎とまだ理性が働いていた。正しい突きとは、どのような姿勢で、どのような角度で、どう打つのであったか、逐一虎宗の言葉が脳裏を巡る。すべて一思案してから行動に移していた。
 其処に反射はない。獣らしい脊髄の思考もない。感情すらも抑圧されている。獅子の爪のような鋭利さは、狼の牙のような獰猛さは、すっかりなりを潜めた。
 今の渋撥の拳は、鈍い。鈍い鈍い、飼い慣らされた爪牙と成り果てた。



「ぎゃはははははッ! 何やアレ、ボッコボコにされてんで、ダッサ! ごっつダサーッ!」

 突如として飛び込んできた場違いな笑い声。
 笑い声の主はなんと、下総シモーサ蔚留シゲル。場違いなはずだ。彼は門弟でなければ武道を嗜みたいなど毛頭思わない人間だ。礼節の意味も知らなければ、漢字で書けるかも怪しい。
 彼は試合場の出入り口付近で、大きく口を開けて渋撥を指差して大笑い。一頻り気が済んだのち、大股開きで勇炫に近付いてきた。
 下総は勇炫に「よ」と軽く挨拶を飛ばした。

「ドーギっちゅうの? 死ぬほど似合わへんなアイツ。あんなカッコしてドツき回されるてコントやんけ。あー、腹痛くて死ぬかと思た」

「蔚留くん!」

 甲高い少女の声で叱られ、下総はビクッと肩を撥ねた。下総から見て勇炫の隣にいた禮の姿は意識の外だった。
 なんだ、お前もいたのか、と下総は気軽に話しかけたが、禮の表情を見て苦笑を漏らす羽目になった。禮は眉を吊り上げて明らかにムス~ッとしていた。

「な、何やねんな。何ちゅうツラしとんねん。カワエエ顔が台無しやで」

「ハッちゃんの悪口言うならウチ怒るよ」

「スマンスマン。悪かった」

 下総は素直に詫びた。彼にとって恋人でなかろうと異性から叱られるのはストレスだ。
 勇炫は下総が出入り口から辿ってきた道を一瞥した。下総以外にも声をかけたのに、深淵ミブチ高校の見慣れた姿はなかった。

「ほかの連中は?」

「外で一服中や」

「はよ来なおもろいトコロ見逃してまうのに。勿体ない」

 面白いこととはアレか、と下総は試合場の渋撥を親指で差した。
 勇炫は云と頷いて微笑んだ。

「なかなか見られるモンちゃいまっせ。《荒菱館の近江》がボコボコにやられるトコロなんか」

「ええ子ぶってドツき回されてええ様やなァ近江ぃーー! だはははははッ」

「蔚留くん! ウチ怒るよほんま!」

 下総は禮の機嫌を損ねるのも忘れて再び腹を抱えて大笑いをした。

 無論、渋撥の耳にも野太い笑声はしっかりと届いていた。
 渋撥はジロリと大口を開けて間抜け面を晒している下総を睨んだ。

「下総……殺す💢💢」

 不似合いな恰好をして大衆に無様な様を晒している自覚はある。それ以上に禮の面前で笑いものにされるのが耐え難い。下総への殺意を禁じ得なかった。

「試合中に余所見か。そーゆートコも間違いなく素人やな」

 声は、渋撥の予想外に近くで聞こえた。ハッとして正面に向き直ると其処にはもう、蹴りが回避不可の地点まで迫っていた。
 ゴッドンッ!
 渋撥の頭部に石和の全力の上段蹴りが真面に直撃した。
 左側頭部への激しい衝撃。鼓膜に轟音が谺した。視界が大きく左右に振られ、脳味噌が振動した。
 常人なら失神する一撃を、渋撥は踏み留まった。痛いとも言わず一時も怯まず、寧ろ敵愾心を剥き出しでジロリと石和を睨みつけた。

(並の頑丈さちゃうな)

 感心を通り越して忌々しいほどのタフネス。石和は舌打ちをしたい気分だったが、試合中なので自制した。倒れない敵ならば倒れるまで打ち込むしかない。それがシンプルな道理だ。

「おおおおおおおッ」

 石和は雄叫びを上げ、渾身の拳の連撃を浴びせた。
 ドガドガドガドガドガドガッ!
 目にも留まらぬ怒濤の連撃。一発一発は岩の飛礫の如く硬く重たい。三白眼の巨躯はそれをことごとくその身に受けた。石柱のような肉体もさすがに揺らいだ。
 石和は巨躯がわずかに足を停めた隙を逃さず、鳩尾にパンチを三発めり込ませた。巨躯は堪らず頭の位置を下げた。
 石和は自分に向けて差し出された恰好になっている頭部に狙いを定めた。的に一旦背を向け、それから片足を軸にして思いっ切り回転した。
 バッキャァアンッ!
 石和は巨躯の頭部に回し蹴りをぶち込んだ。
 巨躯がぐらりと大きく揺らいだ。ゆっくりと倒れ込むと予想された図体が、或る地点でピタリと停止した。

(これでもまだ倒れへんかッ)

 三白眼の巨躯には並の頑丈さなどという常識は通用しないと思い知った。石和は自身の攻撃力に自負を持っている。数え切れないほど打ち込んで踏み留まるなど悪い冗談のようだ。
 石和は驚愕しながらも闘志を燃やした。
 ――坊ちゃんとの約束や。俺はコイツに勝つ。勝って、坊ちゃんに戻って来てもらう。
 ダンッ、と石和は強く足を踏み鳴らし、肺に深く息を吸い込んだ。三白眼の巨躯の道着がはだけて晒された鳩尾にドスッと拳を突き出した。その一刹那を狙い澄まし、肺いっぱいの呼吸を吐き出すと同時に一気に気を吐いた。
 ドォオンッ!
 渋撥の肉体の真芯は凄まじい衝撃に打ち抜かれた。
 肉体の中心から手足の先へ、脳天の頂点へと、コンマで衝撃が伝わった。波に攫われるように意識が遠のいてゆく。それには抗いようがなかった。
 渋撥は両膝をつき、どさあっと床の上に俯せに倒れた。
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シリーズ
 ベスティエン
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