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#26: Bitter enemies in the same boat
Crews assemble. 03
しおりを挟む渋撥が相模道場に呼び出された日、道場主の攘之内は外出していた。正装を決め込んで訪れた先は、有名ホテルの会議室。
訪問の目的は宗家と相模との親善試合の調整や摺り合わせ。流派内での親善試合は珍しいものではなく、改めて議論することはほとんどない。関係者間の顔合わせの意味合いが強い。
実態は、近代武道界の是非や昨今の道場経営、今後の一門の行く末などを語り合い、酒を酌み交わすことに尽きる。つまりは、古参の上役・顔役が集う酒宴だ。ご大層に場所を用意してまで集まり、話し合いもそこそこにすでに酒宴は始まっているという。関係者とは名ばかりで実際に試合を監督する立場でもない顔役たちには酒宴のほうが本題であるくらいだ。顔役たちは宗家当主や相模道場師範よりも年嵩だから、いつも通りまあ万事上手くやれ、といったところだ。
攘之内は自分と変わらぬ上背の男と並んでホテルの廊下を歩いていた。攘之内と並んで歩く背広姿の男が攘之内の兄弟子のような存在、備前宗家の当代の主だ。当主自ら待ち合わせるくらいだから、二人の仲自体は悪くはなかった。
フー、と攘之内は息を吐いた。Yシャツの首回りの余裕に指を入れて隙間を広げた。普段から動きやすい軽装を選び、堅苦しい正装は好まない。
「最近蒸し暑うなってきたのォ。何ならタイを外してもええで、攘之内」
当主は足を停めて攘之内のほうを振り返って言葉をかけた。
「流石にそれは、備前師範。今日は一応公の席ですから」
「御偉方が来とるからてそんな堅うなんな、攘之内。アイツ等はタダ酒に有り付きに来とるだけの古狸や」
備前 統道[ビゼン トードー]――――
備前金剛古武術は一古流派でありながら近代武道界に於いて決して軽んじられない牙城を築いている。彼は宗家道場の師範にして当主。若くして当代の武道界に大きな影響力を持つ男だった。
鼻梁の通った精悍な顔立ちに自信に満ち溢れた切れ長の目。日頃からの鍛錬により鍛え抜かれた体格。豪放磊落な性情。攘之内から見ても男性的な魅力に溢れる人間だった。
攘之内は、幼い頃から共に稽古に励んだ兄弟子ということもあり、この男を嫌いではなかった。しかし、その性情は裏を返せば子どものように手がかかる。好き嫌いを開けっ広げにし、無い物ねだりを繰り返す性情は、度々周囲の者を困らせる悪癖だ。それさえなければ攘之内は彼を兄と慕ってもよいとすら思っていた。
「お前はいくつになっても変わらんな、統道」
「若々しいっちゅうことやろ。高校生の息子がいてるよには見えへんやろ」
「成長せえへんて言うてんねん」
統道は上機嫌で攘之内の肩に腕を回した。攘之内は呆れ顔で嘆息を漏らした。
「確かお前んとこの禮も高校に上がったんやったな」
「ああ、今年からな」
「あの石楠やもんなあ。母親と同じガッコ入れるとはお前、顔に似合わずロマンチストやな」
「残念ながら、高校はあっさりと別のトコ行ったで」
「あっこのエスカレータ降りるなんか珍しい。どこの高校に行った」
「荒菱館」
攘之内は簡潔に答えて歩き出した。
それを聞いた統道は「アッハッハッ」と声を上げて笑った。
「お前と同じトコか。おかんと同じガッコからおとんと同じガッコに行くとは。一人娘に愛されとるな、攘之内」
統道とは対照的に、攘之内は眉間に皺を刻んで心底嫌そうな表情。進学の理由は統道の言うようなものではなく、恐らく彼氏と同じ学校に行きたかったからだ、などとは口が裂けても認めたくはなかった。
「なに難しい顔してんねん。老けて見えんで」
「放っといてくれ」
その禮のことだが、と攘之内は禮が親善試合に出場できない旨、その代わりの人間を出場させたい旨を伝えた。併せて試合直前になって登録選手を交代させる手間を生じさせたことを詫びた。統道は禮の怪我と欠場について、それは残念なことだ、と目に見えて落胆した。しかし、禮の替わりとなる人間がいることは嬉々とした。
「俺は一つでも多く本気の試合を見たい。門下生には一つでも多く経験を積ましたりたい」
だから気にせずともよいのだ、と統道は攘之内の肩をポンッと叩いた。
「武術っちゅうモンは、技磨こう思たら場数踏んだり怪我したり・さしたりは避けられへん。せやけど、今は腕試しに好き勝手に暴れてええ時代とちゃう。武術がほんまの力を発揮できる瞬間なんかそうそうあるもんちゃう。俺は武術を継いで教えていかなあかん立場や。それを学んで継いでいこうとしとるヤツには、俺がチャンスを与えてやらなあかん」
統道の口振りは熱ぽかった。その熱は、攘之内が虎宗や大志朗、ほかの門弟たちに語るときのそれと大差ない。共に学び、鍛え、磨いた仲だ。その精神は何処か自分と通じる者がある。だから、攘之内はこの年齢の割に子どもっぽい素直な男を嫌いではなかった。
「禮は試合に出られへん言うても応援には来るんやろ」
統道からの問いかけに攘之内は即答しなかった。そう言えば、試合に出場しないという話はしたが当日どうするかまでは気にしていなかった。来るというなら来ればよいし、ほかに用事があるならそちらを優先させてよい。年頃の娘を道場に縛り付けるのも可哀想だ。
「禮の顔が見られる数少ないチャンスやねんから連れてきてくれや。たまに会う度にどんどん愛らしゅうなって、すぐに清みたあな別嬪さんになるで。最高の忘れ形見や」
「お前のモンちゃう。俺のや」
攘之内は勝ち誇った様子でクッと笑みを零した。腹が立つよりも滑稽に感じた。
コイツはいつまでも清、清と。俺と連れ合いになり、俺の妻として逝ったというのに。お前のものになった部分など小指の先ほどもない。
「それはどうやろな。娘はいつかほかの男のモンになって嫁に行ってまうからな」
「嫌なこと言うな💢」
統道は笑いながら攘之内の肩をバンバンバンッと叩いた。可愛くてしょうがない娘を持つ父親にとっては笑い事ではない。
「禮は一人娘やが嫁にやったとしても、お前のとこは優秀な師範代がおるさかい安泰や」
「ああ、トラか」
「高校卒業して戻って来たそうやな。道場離れる聞いたときは、手放すなんか勿体ないことを、と思たで」
「手放すも何もトラは俺のモンちゃう。剛拳の息子や。俺は親代わりとして、トラが自分で考えて決めたことを反対せんかっただけや」
「剛拳はえらいなモンを遺してくれたな。アレは今時ちょっと見んくらい筋がええ。体格に恵まれとるし、生まれ持ったセンスもええ。流石は相模の血を継いどるだけはある。稽古に熱心で手を抜かん。試合も気合いが入っとる。その上、ようお前の言うこときく。何ちゅうても負け無しや。うちの門下生も一人もかなん」
いつもに増して饒舌で上機嫌な語り口だった統道が足を停めた。攘之内も合わせて足を停めた。
「まあ……相模の血とセンスでいえば、それこそ禮はズバ抜けとるがな」
統道は攘之内と目線を合わせてニッと笑った。自信に溢れる確信めいた目だ。
「禮が男に生まれとったなら、お前のとこの師範代と互すか……イヤ、凌ぐかもしれん。現実には女の身やで、すぐ壊れるっちゅうのが何とも危なっかしいが」
なあ、と統道は同意を求めたが、攘之内はフイッと目線を逸らした。
「禮は優しいから無理や。俺やトラのようにはなられへん」
――よかった。禮が俺等のような宿業を背負わずに、ほんまによかった。
攘之内は統道に無理に理解を求めようなどとは毛頭思わなかった。愛し娘が自分のようでなくてよかったと思う男親の心持ちなど理解できないだろう。
統道は武の求道者だ。真の武人たりたいと願い、そしてまた、一人でも多くの武人が成るのを心待ちにしている。心優しい女であることを喜ぶ前に、女の身に生まれたことを惜しむ思考回路だ。
歩き出そうとした攘之内の肩を、統道が捕まえた。
「で、攘之内。どっちに継がせるつもりや」
「気の早い話や」
「ただの分家とちゃう。備前が分家筆頭・相模の名跡や。宗家の懐刀や。どんな人間が継ぐんか、俺にも大問題や」
「……何を大層に。切った張ったの時代ちゃう。ウチは小さな町道場や」
はあ~、と攘之内はあからさまに大きな溜息を吐いた。何を言っているんだとばかりに小さく頭を振った。
「禮は女やけどたった一人のお前の我が子や。跡を継いで婿を貰たら何の問題もない。相模初めての女当主っちゅうのも見てみたいのォ。トラならトラで、血は攘之内とまったく関係ないわけちゃうし、何より腕は確かや。誰も文句は言わん。男のほうがタヌキ共は納得するやろけどな」
「誰が聞いてるか分かれへんで、統道」
「まあ、タヌキ共は俺が黙らせたる。俺が宗家の当主や」
統道は任せておけと胸を張ったが、攘之内には余計なお世話だった。そもそも跡取りの心配などしていない。
「俺が元気で稽古つけとる内は跡取りのことなんざよう考えん」
「お前は選択肢があるさかい悠長なんや」
「お前かて立派な跡取り息子がいてるやろ。それも一人きりや。ハナから悩みようがあれへん」
統道は隠そうともせず苦々しい表情をした。
「イヤ、コイツが一番頭痛い。家おん出てテキトーに学校行ってテキトーに過ごしとる。まだ学生やさかい好きにさせとるが。道場に顔も出さへんどころか、今回も大事な試合やっちゅうのに連絡もとれへん」
「そうか。勇炫は相変わらずか」
攘之内はサラリと受け流した。
宗家当主の一人息子・備前勇炫が父親に反発しているというのは周知の事実。統道は開けっ広げな性格であり、反発している息子が体面を気にするはずがない。宗家の跡取り問題は重要だが、統道が本気で相談してこない限りは、必要以上に深刻に受け止めても仕方がない。
攘之内も統道も、自身の思春期を思い起こせば多少の反発心は理解できる。今はまだ好きにさせておくという判断も間違いとは思わない。
「好き勝手しとるつもりでも、人間、結局のところ収まるとこに収まるしかないっちゅうのにな」
統道が自嘲交じりに言葉にし、攘之内も同調してハハハと笑った。
同じ血が流れ、同じ名を持ち、同じ宿業を背負っている。似通ったことをして、似通った終着点へ行き着くのは道理だ。人一人が如何に抗おうとも結局は、落ち着くべきところに辿り着く為の回り道。
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