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#26: Bitter enemies in the same boat
Crews assemble. 02
しおりを挟む日没間近となり小学生の武術教室が終了した。子どもたちを迎えに来た保護者たちで道場周辺は一時的に賑やかになったが、各自帰宅の途に就き一気に静かになった。
道場に残ったのは道着姿の虎宗と嵐士、渋撥と禮。そして武術教室終了の時刻を見計らって大志朗が姿を現した。大志朗は禮と、久し振り、と簡素な挨拶を交わして道場のなかへ入っていった。
嵐士は道場の入り口に立ち塞がり、渋撥に駄々を捏ねていた。
「ええ~~。オレ一人で帰るん嫌や~。撥兄、一緒に帰ろーやー」
「知るか。勝手に帰れ」
「な~~、撥兄~~、禮姉~~」
嵐士は渋撥の性格を熟知している。渋撥ではとりつく島もないと早々に悟ってターゲットを禮に切り替えた。禮の制服のスカートを握って「なあなあ」と強請った。
渋撥は嵐士の頭をバシンッと叩いた。
「禮を掴むな」
「ハッちゃん、頭をぽんぽん殴ったらあかんよ」
嵐士は後頭部を押さえ、う~っと唸った。
「若先生と仲悪いからてオレに八つ当たりせんといてや」
大志朗は虎宗の横に立ち、道場の出入り口で子どもの駄々に付き合っている禮たちを観察した。
「見た感じ、思うたよりも上手う付き合うてるみたいやな。初カレなんか三ヶ月も続けばええほうや思とったのに。お前が付け入るチャンスはもうちょい先になりそやな、トラ」
大志朗は軽口を叩いて虎宗の肩の上に腕を置いた。
「大志朗。わざわざ冗談言いに来たんか」
「いーえ。稽古や、稽古」
「女と遊ぶ時間より稽古する時間とったんは誉めたる」
大志朗は虎宗の肩から手を退けて首を縮めた。虎宗が冗談が下手で淡泊なのはいつものことだが、今日は殊更ピリピリして嫌な感じだ。付き合いの長い大志朗でなければ反感を買っておかしくない。流石に普段は此処まで無配慮ではないのだが。
禮は嵐士の前にしゃがみ込んだ。
「トラちゃんの話が終わるまでウチと一緒に待ってよ。冷凍庫にアイスあったから食べよか」
「うん。禮姉と食べるー!」
嵐士はバンザイして満面の笑み。
「禮」「禮ちゃん」と渋撥と虎宗がほぼ同時に声をかけた。
「甘やかすな」と声が重なった。
禮は嵐士を連れて先ほどまで渋撥と稽古が終わるのを待っていた縁側へと移動した。道場には虎宗と大志朗、渋撥の三人が残った。
広い道場にたった三人だけなのに濃い湿気を感じる。もうじき雨が降るのかもしれない。その前には用件を済ませて退散したいところだ。渋撥は毎朝天気予報をチェックするほどマメな質ではないし、勿論折りたたみ傘など持ち歩くこともしない。
「お前みたいな男でも身内には好かれとるもんや」
「話があんねやろ。勿体振らんととっとと話せ」
大志朗の軽口を、渋撥は相手にしなかった。
用件だけをさっさと済ませたかった。親しくもなく、それどころかかつては対岸に立った顔が二つ。天候を差し引いてもこのような場所からは一刻も早く立ち去りたかった。
「お前に…………頼みがある」
虎宗はまた意外な言葉を吐いた。
先ほどよりは心構えがあったから渋撥は虚を突かれた間抜け面を晒さずに済んだ。それどころか内心優越感を覚えた。
「お前が俺に頼みか……。聞いたるさかい、話せ」
渋撥は珍しく厭味っぽく鼻先で笑い、虎宗に向かって放言した。
虎宗は鼻の頭に微かに小さな皺を刻んで渋撥からの嘲笑に耐えた。禮という一点に於いて敵と目している男から上から言葉を投げかけられるのは聞き辛かったが、それに忍耐する覚悟は決めていた。
「相模道場の門弟として試合に出てくれ。……頼む」
虎宗は言うと同時に渋撥に頭を下げた。この台詞を、この動作を、何度も脳内でシミュレーションした。シナリオをこなすように、おさらいするように、粛々と実行した。プライドを噛み殺す練習も目的達成の為ならば耐えられる。
渋撥は虎宗の頭頂を見詰めて嘆息を漏らした。期待外れだな、と思ってしまった。このように憎らしい男に何を期待していたか。自分に劣らぬほどの自尊心の高さ、決して折れぬ気概の持ち主だと思っていたのに。
渋撥の目線が出口のほうを向いた。大志朗は彼が関心をなくしてしまったことを悟り「オイ」と引き留めた。
「トラが好きでお前に頭下げとる思うんか。男なら少しは気持ち汲んだれよ」
好きで敵に頭を下げる趣味の奴はいまい。しかし、どのような気持ちでそれをしたかなど知ったことではない。そちらも思惑があって勝手にやったことだろう。無理矢理押し付けてきて理解しろというのは強引な言い分だ。
「お前に頭下げるなんざ、俺等かて好きでせえへん。そもそも、身内同士の親善試合に余所者突っ込むなんか反則ギリギリや。せやけど禮ちゃんが試合に出られへん以上、絶対勝てるヤツが一人どうしても要るんや」
親善試合は一チーム五人の団体戦。一人一試合ずつを戦う点取り戦。試合に勝利する為には三勝が必要だ。虎宗と大志朗、禮は数多い同門のなかでも抜きん出た使い手であり、この三人がいれば勝利は安泰だった。しかし、今回は禮が脚の負傷により出場することはできない。早急に人員を補充しなければならないところだが、相模は小さな町道場、人材が豊富とは言えない。
渋撥は虎宗を親指で指した。
「それで俺を思い付くほうがどうかしとる。そこのド近眼男、考えすぎで頭イカレてもうたんちゃうか」
「頭は……マトモや」
虎宗はゆっくりと頭を上げた。渋撥から挑発されても表情に変化はなかった。恐らく今日の虎宗は、渋撥から嘲られようと罵られようと甘んじて受け容れるつもりなのだろう。
「マトモに働いとるさかい、絶対勝とう思たらお前しか思い付けへんかった。相模が勝つ為に俺の頭ぐらいで済むんやったらなんぼでも下げる」
――武術家っちゅうのは気色が悪い。自分殺して他人の為に頭下げるなんざ。
渋撥が感じたのは、殊勝な虎宗への感心などではなかった。理解ができない、気持ちが悪い。やはりこの男は自分とは正反対の、まったく異なる生き物だ。逆に言えばそれだけ禮に近いということだ。――――忌々しい。
忌々しい存在からの厄介な頼み事を聞き入れるなど御免だ。話を聞くだけはしてやった。説得できないのはそちらの話術が足りない所為だ。
「断ンなよ。お前には引き受ける義理がある」
大志朗の押し付けがましい台詞を、渋撥は真に受けなかった。顎を左右に揺すって聞き流した。
「禮ちゃんが足ヒビいってもーたんはお前の所為やろ。責任感じてんなら協力でけるやろ」
「責任? それが俺の弱味やと思うてんならオドレはこのド近眼より頭マトモちゃうで」
流石に禮に関することを突かれては聞き流せなかった。渋撥は明らかにムッとしてすぐさま反論した。
渋撥と大志朗が睨み合って十数秒が経過した。
大志朗のほうが折れた。折れざるを得なかった。これは喧嘩ではなく交渉だ。この暴君に首を縦に振ってもらうのは此方なのだから。
「…………。分かった、立場イーブンで交渉や」
大志朗は胸元に手を差し込んで何やら四角形の紙を取り出し、それを頭上高く掲げた。
「超激レア・幼稚園児禮ちゃんフォトグラフィー!」
渋撥と虎宗の目が大志朗の手許でビタッと停止した。
大志朗は渋撥の眼前で写真をヒラヒラと見せびらかした。その勝ち誇った顔はむかつくが、渋撥の視線は写真に追従した。
「禮ちゃんが唯一、髪を伸ばしてた時代や。ごっつカワエエ大和撫子。まるでお人形。師範は絶対お前には渡しはらへんやろから、間違いなく後にも先にもここだけの大放出。ほかでは絶対に手に入らへんで」
虎宗は何か言いたげな表情で大志朗を見詰める。
「大志朗。お前……」
「有利に交渉を進められる材料になるなら、俺は何でも使う」
大志朗は虎宗の交渉術などにははじめから期待していなかった。これは絶対に落としたくはない交渉だったから、自分なりに切り札を用意しておいた。
虎宗にしても渋撥にしても他者の感情への配慮や理解が乏しい。だから相手が何を欲しているのか、何が弱点なのか、どの札がジョーカーなのかが読めない。
ぬっ、と突如視界に手が伸びてきて、大志朗は咄嗟に身を仰け反らせた。
バシュン、と豪速で伸びてきた腕が大志朗の顔を掠めた。
「俺の目潰して分捕る気かオマエ」
渋撥の躊躇のなさは攻撃にしか思えず、本当に写真が目当てなのか疑いたくなる。渋撥は続け様に何度か手を伸ばしたが、大志朗はそれをサッサッとすべて避けた。
「頼みを引き受けるて約束するなら今すぐに譲渡してもええ。親善試合に出る為に明日から――」
「やる」
「禮ちゃんのことにかけては異常なほど素直なヤツや」
渋撥は大志朗がみなまで言い終わる前に食い気味に了承した。
「叩いても脅しても動かへん岩石みたいな男をほぼ元手タダで動かせるんや。持つべきものは友やで✨」
その友を交渉材料とする行為が友情と呼べるかはさておいて。虎宗のような男は友を差し出すことはできないが、大志朗は目的達成の為ならばできる。
虎宗にとっては渋撥の手に禮の写真が渡るシーンは面白くなかった。しかし、背に腹は代えられないのも事実。気に入らない手法でも黙って見ているしかない。
渋撥は写真に目を落としてしげしげと見詰めた。黒髪を肩より長くした、満面の笑みを浮かべる愛らしい少女。その面立ちには確かに禮の面影がある。
「一遍約束したからには無視するような男ちゃうと信用しとるけど、写真もろたからてトンズラすんなよ。こっちとしても親善試合までの短い間でド素人のお前を鍛えなあかんのやから、遠慮なくガシガシ指導するで。何ていうても相手は――」
「これいつ頃の写真や」
渋撥は大志朗の言葉を遮って尋ねた。
大志朗は腰に手を当てて「はあーあっ」と大きな嘆息を漏らした。
「お前もう俺の話聞いてへんな? ガチ殴り合いの試合やのに相手に一切興味あれへんのか」
「誰でも同じや」
渋撥は写真から目を離さず淡泊に放言した。
「俺はブッ殺せばええんやろ」
大志朗の眉がピクッと撥ねた。彼の矜持として聞き捨てならない台詞だった。この暴君は確かに強大な力を持っているのが、その力を有するに相応しい仁義を持ち合わせていない。そのような男に頼らねばならないのは口惜しい。
「……嫌な男や。何でお前なんかが禮ちゃんのカレシなんや」
大志朗はボソリと本音を漏らした。渋撥は聞き漏らしたのか聞き流したのか、大志朗を問い質さなかった。
「お前に言うてもピンと来おへんやろけど教えといたるわ。親善試合の相手は、相模の本家筋・金剛古武術の宗家――――備前道場や」
渋撥の脳裏を、金髪に近い薄褐色の髪色をした端整な顔立ちの青年が巡った。以前禮が昔馴染みのような関係だと言っていたことを思い出した。男にしては気持ち悪いくらいに綺麗すぎる顔で、人を値踏みする目付きをする、好感が持てないという印象以外には特段の思い入れはない。鶴榮ならばもっと詳しい情報も持っているのかもしれないが。
渋撥は知っている名前が出てきても関心を示さず、相も変わらず写真に見入っていた。
大志朗は惘れた様子で再び嘆息を漏らし、替わりに虎宗が口を開いた。
「相模は備前の分家が一。宗家との付き合いはかなり親しいほうで、これまでも定期的に親善試合をやってきた。親っさんが道場を継いで以来、相模が負けたことは一度たりともあれへん。これからも相模が備前宗家に負けることは絶対にあれへん」
「試合の勝ち負けがそんなに大事か。負けたら命取られるっちゅうワケでもあれへん」
「命より大事や」
虎宗は確信めいて言明した。
渋撥は眼球だけを動かして虎宗を見た。いつも冷静に振る舞っている能面のような男が感情を揺らしたように感じ、少々関心を引いた。
「俺等が宗家に負けるっちゅうことは、親っさんが宗家の師範よりも劣るっちゅうことや。そんなことは絶対にあったらいかん。あるわけがない。親っさんが宗家の師範に負けることは有り得へん」
「今日はよう喋るなァお前。その宗家の師範っちゅうのに何か恨みでもあるんか」
そのようなものではない、と虎宗は小さく頭を振った。
親善試合の意義とは、日頃の鍛錬の成果の発表であり、本来は勝敗自体は重視すべき部分ではない。そのようなことは虎宗も大志朗も心得ている。それでも憎々しい男に頭を下げて懇願してまで勝利したいのは、そうすべき動機があるからに他ならない。
「宗家の師範は親っさんの上に立つ器ちゃう」
備前宗家と相模家は、遙か昔から深く交流してきた。禮や虎宗と勇炫は幼少期からの顔見知りだが、攘之内と勇炫の父はそれ以上に親しい仲だ。勇炫の父は攘之内よりもいくつか年上で、道場は違えど兄弟子のような存在だった。互いに男児一人っ子であったこともあり、兄弟のように鍛え合って成長した。
禮の母・清は、遡れば公家に当たる相当な家柄の一人娘。教養に溢れる、見目麗しくあえかな淑女。清との縁談が持ち上がっていたのは当初、宗家の次期当主との間だった。
勇炫の父・当時の宗家次期当主は、かなり女性関係が派手だった。流派内では特に問題とはされず隠されてもいなかった。しかし清の父はそれを厭うた。掌中之珠の如く養育した大切な一人娘を嫁がせるのだ、当然だ。持ち上がりかけた宗家次期当主との縁談は消え失せ、相模の跡取りと夫婦となった。
清は当時から絶世の美女と評判であり、宗家の次期当主はそのような妻を欲していた。数多の強者を統べる者となるべく生を受け、頑健な肉体に恵まれ、豪放な性情の儘に生きることを許され、思い通りにいかないことのほうが少ない人生だ。縁談が流れたのは完全に思惑外れであり、納得がゆかなかったことだろう。真偽のほどは定かでないが、夫の目の届かぬところで何度か言い寄っていたという噂もある。
一通り話し終え、虎宗はグリッと拳を握り込んだ。
「清さんも禮ちゃんも親っさんの大事なモンや。親っさんの大事なモンに手を出そうとするヤツなんざ許せるわけあれへんやろ」
虎宗の目には熱があった。彼はほとんど感情を表出しないが、根底にはやはり燦めきがあった。親と師と慕う攘之内に対する盲信と敬愛であった。彼は攘之内の為なら、攘之内の大切なものの為なら、容易く身命を賭す男だ。
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