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#26: Bitter enemies in the same boat
Crews assemble. 01✤
しおりを挟むそろそろ入梅しようかという頃のとある日の放課後、渋撥と禮は、禮の実家に足を運んだ。
木造の門をくぐったら道場の玄関前。禮は其処で足を停めた。此処までの渋撥の足取りがほんの少し気が進まなさそうな雰囲気がしたからだ。禮にとっては懐かしくとも、渋撥にとっては楽しい記憶などない場所だ。
「ハッちゃん、ウチの実家、キライ?」
渋撥の不機嫌さを感じ取った禮は深く考えずに尋ねてみた。言ったあとで、それもそうかと自分で答えを出した。
「あ~……好きちゃうよね。お父はん昔、ハッちゃんにムチャクチャしたし」
「イヤ、別に親っさんのことはキライちゃう」
「ほんま」と禮はぱああと顔を明るくした。
渋撥は、禮の父親・攘之内からしこたま殴られた記憶はあるが、わだかまりは一切なかった。あれが試験だったのか憂さ晴らしだったのかはどうでもよい。あの程度で禮との仲を許してくれたことを有り難いとさえ思う。
「禮のほうこそ俺を実家に誘うなんか珍しいな。お前、俺と親っさんをかち合わさんようしてるやろ」
「だってお父はん、ハッちゃんにアタリ強いんやもん。ハッちゃんにイヤな思い、してほしくないし」
父親より自分を優先してくれるのは正直、可愛いヤツだと思った。
「で、今日誘った理由は何や」
「あっちゃんがウチの門下生になったから、がんばってるとこ見てみたいかな~、と、思って」
あっちゃん――――渋撥の従弟・神流嵐士は、禮の鮮烈な強さに感服した。何故そのように強いのかしつこく問い質した。禮は最初は言い渋っていたものの、嵐士のあまりに熱心に尋ねてくるものだから、実家が道場を営んでいることを教えた。嵐士は禮の素性を知るや否や、自分も相模道場の門下生になると言い出したのだった。
「これっぽっちも」
「たった一人の従兄弟なのに気にならへんの?」
「ならん」
渋撥は嵐士には一切の関心がなかったが、禮にはあった。禮の仕草を観察し、なんとなくいつもと異なることには勘付いていた。
「お前、俺になんか言いにくいことあるんちゃうか」
「そ、そんなこと」
禮は逃れるように道場の引き戸に手をかけた。渋撥が素早くその手を捕まえた。
「言うたやろ、禮が嘘吐いてもすぐバレるで」
「ついてないっ」
「ジャリトラか?」
渋撥がそう指摘した瞬間、禮の手が微かにピクンッと撥ねた。
「ジャリトラが絡んどるんか」
(仲悪いのに何でトラちゃんのことになるとカンが鋭くなるかな~)
禮は何も言えなくなって口を一文字に噤んで渋撥から顔を背けた。
本当に根っから順良で嘘を吐けない性情だ。あの父親が育てるとこうなるのだなあと、渋撥はしみじみ感謝したい気分だ。
禮は自由なほうの手で引き戸を開け放った。不得手な言い訳ははじめから諦めて実力行使に出たというわけだ。
本日は小学生の部の稽古の日。道場は、揃いの白い道着を着たその年頃の子どもたちがたくさんいた。突きを出したり蹴りを出したり、禮と比較するとてんで華麗さはないが、楽しそうに動き回っている。
稽古というものをはじめて目にする渋撥は、このちょこまかした生き物がやがて禮のようになるのか甚だ疑問だった。
「撥兄ぃーっ! 禮姉ぇーっ!」
視界の外から元気な声が飛んできた。そして聞き覚えのある声がドタドタと足音をさせながら近付いてくる。声の主は、嵐士。
「禮姉、何しとったんや。若先生が今日来る言うてはったから待ってたで」
「ちょお待たしてしもた? 堪忍ね、あっちゃん」
禮は、駆け寄ってきた嵐士の頭をニコニコしながら撫でた。
嵐士はあの一件以来、呼び捨てではなく「禮姉」と呼んでくれる。これまで末っ子的ポジションにいた禮としてはそれが嬉しく、嵐士をとても可愛らしく感じている。
想定よりも時間がかかってしまったのは、渋撥が禮の道場についてきてというお願いを珍しく渋りに渋り、長い脚をしているくせに歩行も通常よりかなり鈍行だったからだ。
「若先生?」
渋撥が嵐士に尋ねた。
「道場の若先生や。ノッポでメガネかけてはる。撥兄と知り合いなんとちゃうんか?」
渋撥の脳内には一人の人物が浮かんだ。禮は目を合わせようとせず、やはりとしか言いようがない。
「なァ撥兄、禮姉。ドーギ似合うてるやろ、オレ」
「知るか」
嵐士はキラキラと目を輝かせながら言ったのに、渋撥は無情に切り捨てた。
嵐士は分かりやすくガーンとショックを受けた顔。禮は嵐士の前にしゃがみ込んで笑顔でフォローに徹する。
「めっちゃ似合うてるよ、あっちゃん。いっぱい練習せなあかんねー」
「オレごっつ練習して禮姉よりも強なんで。ほんで撥兄よりもでっかくなんねん」
「お前いま身長なんぼや」
「140」
「あと十年で50センチ伸びたらええな」
渋撥は少々八つ当たり気味の言い草だった。大人げない、と禮は苦笑した。
禮は道場内を見回し、すぐに虎宗と目が合った。ヒラヒラと手を振った。
虎宗は稽古中の子どもたちに何やら言い置いてから、此方へと近付いてきた。
「トラちゃん。なんか、この前会うたときより髪伸びたね」
虎宗は禮の笑顔を見ただけで明らかにオーラが和らいだ。微かに笑みを見せながら自分の頭に触れた。しばらく放置していた坊主頭は、指で掻き分けられる程度の長さになっている。
嵐士は稽古中に表情を緩める若先生など見たことがなかったから少し驚いた。
「最近忙しゅうて散髪する暇あれへんくてな、伸びっぱなしや。大概に邪魔くさいさかい切らなかんとは思うとるんやけど」
「ただでさえ特徴あれへんのに中途半端な髪型でさらにキャラ薄くなってんで。無駄な努力すんな」
渋撥の一言により、空気がピシッと凍り付いた。
若先生もいつもの能面に逆戻り。無表情な顔面を自分に暴言を吐いた巨躯のほうへ向けた。
「制服着とる身分は気楽でええな。暇でしゃーない高校生とちごて、カッコばっか気ぃ遣てられへんねん。ちゅうかお前、俺と同い年とちごたか」
ビシャーーンッ! と、渋撥と虎宗の隙間に稲妻が走った気がした。
互いに言いたいことを言ったが言われたくないことを言われた。渋撥と虎宗は向き合って無言で睨み合う。
禮姉、と呼びかけられ、禮は嵐士のほうへ顔を向けた。
「撥兄と若先生知り合いなんか? 仲悪そうやけど」
(こんだけあからさまやったら子どもにもバレバレやね)
バレバレだが、Yesと言ってしまうのも気が引ける。禮は困った表情で首を斜めに傾けた。
「ワレェ、暇ちゃう割にはジャリをダシに女呼ぶんか」
先に沈黙を破ったのは渋撥のほう。普段は自ら相手を挑発したり無駄に嗾けたりはしないのだが、相手が相性が最悪の恋敵となればのっけから臨戦態勢だ。
「俺は禮ちゃんダシにしてお前を呼んだつもりや」
虎宗の発言は意外なものだった。
意味が分からない渋撥は「あ?」と悪態で返した。
「お前に話がある。俺のほうから足運んでもよかったんやけど、そしたら話も何も、まずドツき合いになりそうやからな。せやさかい禮ちゃんにお前呼んでくれるよに頼んだ」
「俺はお前に話なんかあれへん」
「禮ちゃんに関係ある話でもか」
虚を突かれ、渋撥は押し黙った。
虎宗は、自分が何を言っても突っぱねられるのは想定済み。禮が関わっているというのは数少ない有効策。虎宗の知る限りでは、これ以外に暴君の気を引いて耳を傾けさせる術はない。卑怯や狡猾だと罵られても今日に限っては甘受する。
「禮ちゃんの話や言われたら無視して帰られへんやろ。話は稽古が済んだ後や」
渋撥は虎宗の術中に嵌ったようで面白くなく反射的に「クソ」と吐き捨てた。
「そんなんで俺釣ったつもりか。一遍死ね、ド近眼」
渋撥は虎宗を睨んで吐き捨てた。クルリと虎宗に背を向けて出入り口のほうへ歩き出した。
ハッちゃん、と禮は渋撥を小走りに追った。
「俺は外におる」
禮は、先んじて道場の玄関先に立っていた渋撥を、母屋のほうへ案内した。
渋撥が縁側に腰掛けてすぐ、それを見逃さなかった相模家の家政婦がやって来た。禮は、彼は客であると告げた。
家政婦が程なくして冷茶を出してくれた。一人暮らし中のお嬢様が強面の巨躯を連れてきたなど想定外のことだったろうに、ジロジロと観察したり無礼な対応をしたりしない、気持ちのよい婦女だった。禮に冷茶が二つ乗ったお盆を渡し、邪魔にならぬよう家の奥へと戻って行った。
「ジャリトラの話っちゅうの、禮は知っとるんか」
禮はお盆を縁側に置きながら渋撥からの問いに「大体は」と答えた。それならば禮が言えばいいのに、と渋撥は率直に思った。
禮は唇の前に人差し指を立てた。それは内緒のポーズ。
「せやけどトラちゃんは自分がハッちゃんに言わなあかん言うてたから」
渋撥は不機嫌そうな表情で禮から冷茶グラスを受け取った。大嫌いなメガネの堅物の都合に付き合わされることに釈然としなかった。
「トラちゃんが感じ悪くてゴメンね」
「ジャリトラのことで禮が謝んな。余計ムカツク」
「トラちゃんの話聞くのやめにして、お茶飲んで帰る?」
「ここまで連れてきて言うか」
渋撥はグラスのなかの冷茶をグイッと飲んだ。禮に八つ当たりするつもりはなかったが、ごめんと申し訳なさそうな顔をされた。
「トラちゃんにお願いされたのはハッちゃんを連れてくる、までやから。ハッちゃんにイヤイヤ話聞いてもらうのは約束してへん。せやから、もー一緒に帰ってもええよ。ハッちゃんがイヤな思いしてガマンするのイヤやもん」
「いま少し聞いたる気になったわ」
え、と禮はキョトンとした。
兄よりも自分のほうを尊重したことが、渋撥の苛立ちを幾許か沈静化させた。それに禮に少々八つ当たり気味になってしまったのは自分でもよくなかったと思う。
渋撥は飲み干した冷茶グラスをお盆の上に置いた。禮の両脇の下に手を差し込んでヒョイと持ち上げ、自分の足の間に座らせた。それから禮の後ろから両腕を回し、手を組んで柔らかな太腿の上に置いた。
禮は、渋撥の胸板と背中が密着してドキッと心臓が跳ねた。身を縮めながら必死に冷茶を零さないように支えていると、頭上に「はあー」と大きめの溜息が降ってきた。
「まァー……禮に関係ある言われて聞かんで帰るわけにはいけへん、俺が」
禮は渋撥の腕のなかで肩を窄めて小声で「ありがと」と返した。
「ジャリトラがムカツクのはほんまやけど話だけは聞いたる。せやさかい禮がそんなカオせんでええ」
「変なカオしてる?」
「カワエエ顔しとるんやから笑えや」
禮が渋撥の顎を見上げて尋ね、渋撥はクッと口の端を吊り上げた。腕のなかに在る少女の可憐のすべて――柔らかな黒髪が風にそよぐのも、前髪の隙間で瞳が燦めくのも、白磁の頬が薄紅に色めくのも――すべてが愛らしかったから、苛立ちが払拭された。
長い時間視線を合わせていると気恥ずかしくなってきた禮が顔を背けようとすると、渋撥が小さな顎を捕まえた。ぷっくりとした紅梅色の唇に自分のそれを合わせた。
数秒後、渋撥が唇を離すと禮は頬を染めて恨めしそうな目線を向けてきた。その目付きすらも愛らしかった。渋撥は禮を抱き締めた。
「実家でくっつくのはハズイっ💦」
「禮がガッコでも外でも実家でもどこでもカワエエのが悪い」
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