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#25:Let me have my own way.
Let me have my own way. 03
しおりを挟むぽん、と肩に手を置かれた偲は後ろを振り返った。
「ゼンくんッ……」
「カレシやのォてスマンな」
其処にいたのは大鰐だったから、偲は目を丸くした。
「イヤ、まさかタイラくんが追っかけてきてくれるとは思わへんかったから」
大鰐は偲の肩から手を退けて制服のズボンの中に突っ込んだ。
「俺が追いかけたらあかんかったか」
「そ、そんなことはナイ、けど」
大鰐が真面目な顔をしてそのようなことを言ったから、偲は一瞬息を止めた。真面目な声のトーンで大真面目な顔をしてそのようなことを言われたら、不意に鼓動が速くなってしまう。
「俺はお前のオトコみたいに爽やか系ちゃうし金持ちボンボンでもないけどな、泣いとる女を一人にさせへん甲斐性くらいはあるで」
「な、泣いてへんやんっ」
「あ。そーか、まだか。泣きそう、やな」
偲は慌てて目を擦ってみたが、やはり涙は出ていなかった。大鰐は悪戯っ子のように犬歯を見せてアハハと笑い、それを見ている内に偲もつられて何だか可笑しくなってプッと吹き出した。
しばらくして笑い声が収まると、二人は見詰め合って沈黙した。偲は女子校育ちで異性と触れあう機会が乏しい。一対一で見詰め合っていることが気恥ずかしくなって先に顔を背けた。
大鰐は一歩間を詰め、吐息が聞こえるほど近くに立った。
「なあ」と至近距離で声をかけられ、偲はドキリとした。近くで聞くと意外と低い声。やっぱり男の子なんだなあ。
「アイツより俺のほうがお前に向いとると思うけど、どーする?」
やめて。そんな魅力的な台詞言わないで。弱っているときに優しくしないで。助けを撥ね除けられるほどわたしは強くない。
「どうする……って」
「アイツやめて俺と付き合うか? 偲」
ヤバイ。至近距離での呼び捨ては効く。心臓が震えてる。心臓がバクバクいっているのがバレたらどうしよう。頬が熱いのが分かるけど自分ではどうにもならない。
「タイラくん、ウチのこと好きなん……?」
「嫌いな女にこんなこと言うほど俺はチャラくない」
「な、何でウチなんか……」
「俺ははじめっからお前がええ言うてたで」
それはどうだけど。でもしかし。何で、どうして。脳内では同じ単語ばかりがリフレイン。
混乱した偲が黙り込んでいると、首の後ろに大鰐の手を回ってきた。反射的に顔を上げて瞬きをする間もなく、掠めるように大鰐の唇が、唇に触れた。
どんっ、と偲は両腕を突っ張って大鰐の体を押し返した。
「なっ、何で⁉」
「証拠や。これで俺が言うたこと信じたやろ」
「そっ、その為だけにキスせんといてくれるかなあ!」
「声裏返ってるで」
「あっはっはっ」と大鰐は背を丸めてと声を上げて笑った。
偲は真っ赤な顔で悔しそうに眉を吊り上げた。文句を言ってやりたいが、混乱していて何も言葉が浮かんでこない。
「ちょっと強引なくらいガンガン来てくれる感じのほうがええんやろ。これが俺のデフォルトやけど?」
「~~~……ッ」
とんでもないことをされたのに、その無邪気な顔を見ていると許してしまいそうになる。このような無体は許してはダメだと頭では分かっているのに、気持ちが許してしまう。大鰐を責めたいのに、どこか浮かれている自分もいる。
ダメだ。流される。楽なほうへ押し流される。心が溺れてしまう。この人はわたしを一番にしてくれるんじゃないかって。
偲と大鰐から数メートル離れたところ幸島の姿があった。
大鰐がテーブルを離れたすぐ後、何となくその行動が気になってあとを追った。大鰐の告白現場に遭遇するとは想定外だったが。
「割とマジであの子を気に入っとったんか。……ちゅうか意外と手ェ早いな、平」
気になってあとを追ってはみたが恋路を邪魔する気はない。揶揄うつもりもない。声をかけなければならない用事もない。大鰐は先に抜けると言って別れたつもりなのだから、此処で本当に別れたことにしよう。
幸島が踵を返そうとした瞬間、真隣を走り抜ける人物がいた。
「日本橋さん!」
偲が振り返ると、ぜえぜえと肩で呼吸をする善也が立っていた。額に玉の汗を光らせ、頬を真っ赤にして、険しい顔つきをしていた。普段の爽やかな彼とはまるで異なる、必死の形相だ。
偲は、自分はとても現金な性格だと自覚した。つい一瞬前まで大鰐からの告白に動揺していたのに、善也が必死に自分を追ってきてくれたのだと思えば胸が高鳴った。
「キ~サ~マ~~~ッ‼ 日本橋さんに何てことを!💢💢💢」
「ああ、見えたか? 間のええ男や」
大鰐は悪びれずサラリと肯定した。
善也の堪忍袋の緒が切れた。見る見る内に顔つきが変わってゆく。偲はこのように恐ろしい顔をする善也をはじめて見た。
「やめたほうがええって! ゼンくん空手黒帯なんやから!」
「やめろ言うてもなァ、やる気満々なんは向こうのほうやで」
黒帯などという単語は、大鰐にとって戦闘意欲が煽動されるプラス要素にしかならなかった。偲にはまったくもって理解できない思考回路だ。
大鰐は偲の肩を柔らかく押して進行方向から退けさせた。善也と目を合わせてニヤッと笑った。
「偲とは俺が付き合うわ。引っ込んどけ、ヘタレ」
ガキィンッ!
善也は大鰐の顔面を殴りつけた。
「日本橋さんは僕の彼女なんだよ!」
大鰐はベッと唾を吐き捨てた。爽やかな外見からして侮っていたが、思っていたよりも効くじゃあないか。流石は有段者だ。
「つー……。さっきモゾモゾ言い訳しよった男とは思えへんな。エンジンかかるのが遅いヤツや」
善也は偲に離れるように言った。肩にかけていた通学鞄を足元に下ろした。
「日本橋さんに手を出さないって約束しろ!」
「男と約束なんかするかボケが。キショイんじゃ」
ハッハー、と嘲笑交じりに大鰐は善也を嗾けた。
「ゼンくん! ゼンくん! しっかりして! 大丈夫ッ?」
「う……日本橋さ……」
視界いっぱいに今にも泣き出しそうな偲の顔。その後ろには雲の多い青い空が見えた。
ああ、そうか、自分は地面に横たわっているのか。
偲は、大鰐に敗れて地面に仰向けになった善也を覗き込んでいた。
「クソ。思ったより殴られた」
大鰐は自分の頬に触れて忌々しそうに吐き捨てた。空手の有段者相手に楽々圧勝というわけにはいかなかった。
「どや。結局はそっちのほうがお前向きやろ」
大鰐は偲の背中に放言した。
見たまま、現状の構図が答だ。偲は、勝者でありしっかりと二本の足で立っている大鰐ではなく、敗者であり倒れ込んだ善也に駆け寄った、それが本心だ。女には拳の勝負など関係ない。心は決まっているのだ。
「俺みたあな男よりもソイツみたいに優しい男がええんやろ。優しいだけじゃ物足りへんっちゅうのはオジョーサマの無い物ねだりやな」
大鰐はそう言い置いて偲にクルッと背を向けた。善也に殴られた頬を押さえながら立ち去った。
「カッコつけたな」
大鰐がやってきた道筋を戻って足を進めていると、不意に聞き慣れた声から話しかけられた。足を停めて声のほうに目線を向けると、幸島が立っていた。
このタイミングで、その台詞。一部始終を見られていたか。大鰐はバツが悪そうに口を尖らせた。
「憎まれ役やるなんかエエ男気取りすぎや」
「アホ言え、誰が好きでドツかれんねん。あわよくばや。なんぼ荒菱館や言うても高校生活まったく女ナシで過ごすのも味気ないやんけ」
「お前、ほんまにああいう女がタイプやったんか」
「そりゃあ温和しいだけの女よりはハキハキ物言う女のほうがな。クソ、明日腫れるなコレ」
大鰐が再び足を動かしはじめ、幸島と並んで歩き出した。
「俺が本気出せば黒帯よりかは強いっちゅうことが証明されたな✨」
大鰐の機嫌は良さそうだった。ついでに言うならフラれて気落ちしている風にも見えない。そもそもあの告白がどの程度シリアスだったのかも分からない。
落ち込んでないのならまあいいか、と幸島は大鰐の頬をわざとグリグリと指でつついた。
「得意気に何言うてんねん。あー、コレは腫れるわ」
「イタタタタ……あんま触んなハル」
善也は自力で上半身を引き起こし、アスファルトの上に胡座を掻いた。
「さっきはゴメン、日本橋さん」
善也がいきなり頭を下げ、偲は驚いてキョトンとした。
「本当に今はもう相模さんのこと何とも思ってない。イヤ、日本橋さんと仲がいい子に何とも思ってないっていうのも言い方がちょっとアレだな……。傷付いたりしてほしくないと思ってるけど、異性として好きとかじゃない、絶対」
「もうええよ……。ウチこそごめんね。ゼンくんにめんどくさいて言うたりして」
「いいよ、そんなこと。頭堅くてマジメすぎて面倒臭いって友だちにもよく言われるよ」
善也は顔を上げて、あはは、といつも通り爽やかに笑った。
顔は殴られた痕だらけだが、怒りは消え失せており、偲はホッと安堵した。好きになったのは、こういう人だ。優しくて真面目で誠実で、爽やかに笑ってくれる。最初に惹かれたのは、男の子なのに意地や虚栄がなく屈託なく笑うところ。
「日本橋さんの本音が聞けて、ちょっと安心した」
「何で? フツーあんなこと言われたらショックやし、ムカツクよ」
「僕なんかと付き合って、日本橋さんは色々我慢してるんじゃないかと思ってたから」
善也は立ち上がろうとすると全身に痛みが走った。しかし偲の手前、弱音を吐くこともできない。痛みを表情には出さないように頑張った。
立ち上がって手を差し出すと、偲は素直に手に掴まってくれた。
「僕はこー……熱くなっちゃうと周りが見えなくなるタイプだろ。そんなに気が回るほうでもないから、日本橋さんが我慢してたり嫌な思いしてても気付いてあげられないんじゃないかと。日本橋さんに我慢とかしてほしくないんだ。日本橋さんのことが好きで、大切にしたいと思ってるから」
「今頃言ってゴメン。ずっと、考えては、いたんだけ、ど」
偲は、頬を染めた善也が可愛く見えた。格好いいではなく、可愛く見えた。思っているほど完璧ではなくて、爽やかな面ばかりではないけれど、やっぱり好きだった。
偲はピョンと跳ねるように善也の腕に掴まった。
「一番好き?」
「え?」
「ウチが一番?」
「も、勿論!」
「ウチもゼンくんが好きやよ」
「あ、ありがとう」
善也はつい顔面の筋肉が緩んでしまいそうだった。パッと口許を押さえて隠した。
「今までずっと我慢してたことあるんやけど、言うてもええ?」
「いいよ」
「ウチのこと、名前で呼んで」
「下の名前、で? ど、どうしても?」
「うん。絶対下の名前」
「しっ……しのぶ、さんッ」
「ぎこちないよ、ゼンくん」
「も、もっと自然に言えるように頑張る……よっ」
「絶対叶えてや。コレがウチの最初のワガママやよ」
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