ベスティエンⅢ【改訂版】

花閂

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#22:Prinz-Prinzessin 王子姫

Prinz und die Bestie ✤

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 美作ミマサカが喫煙スペースへと向かったあと、必然的にモミジ和々葉ワカバレイの三人がプリントシール機コーナーに残された。シノブ夜子ヨルコの如く、石楠セキナン女学院ジョガクインの生徒はゲームセンターでは街中以上に少年たちの注目を集めた。そのなかには無論、衝動的に声をかける輩もいるわけで…………とどのつまり、禮はガラの悪い男たちに絡まれていた。
 禮はツンと明後日の方向に顔を向け、椛と和々葉は怯えて禮の後ろに隠れていた。禮を盾にしているのではなく、彼女たちの感覚に於いて、弱い存在である椛と和々葉が守られることは当然であり、戦う術を持つ禮が矢面に立つこともまた然りだった。

「ゴメンナサイ」

 禮は男たちを見ずにサラリと気持ちの篭もっていない棒読み。

「なっ……⁉」

「ナメてんのかクソ女ァッ!」

「謝れ言うたのそっちやん」

 禮はそっぽを向いたまま明らかに不本意な表情だった。
 何故に禮は彼等から謝罪を要求されたか。その理由は彼等の一人の腫れた頬を見れば明白だった。美作がいなくなり少女三人だけになったところを男たちから声をかけられた。その程度であれば禮も温和しくしてやり過ごすくらいはできる。ところが、彼等は誘いを断られてもしつこく食い下がり、あまつさえ男の一人が人一倍気の弱い和々葉に肩に手をかけた。故に禮はほぼ反射的に攻撃に至ったというわけだ。

「謝るなら少しは申し訳ないってカオしろよ。演技力ねェ女だな」

「女は生まれながらに女優じゃねェのか」

 禮の反抗的な謝罪を受けて彼等の気が済むはずが無かった。より一層禮へ詰め寄った。

「別に申し訳ないて思てへんから」

「禮ちゃん~……」と弱々しい声が背後から聞こえた。
 禮は平気でも椛と和々葉まではそうはいかない。禮の制服を握る彼女たちの手が小刻みに震えていた。

「攫ったろかコラ」

 禮と最も近くで対峙していた男が細腕を掴んだ。
 この者たちはかなり短慮な質だ。あんなにも気軽に女に手をかけ、こんなにも乱暴に女に掴みかかる。考えなしに女に手を上げる人種であることは容易に想像できる。椛や和々葉に危害が及ぶ前に追い払ってしまったほうがよい。
 禮はキッと男を睨みつけた。

「何ガン付けてんだクソアマ」

「どうなるか分かっとんか!」

 コツン、と一人の男の後頭部に硬いものが接触した。
 男が背後を振り返ると、真白い学生服を着た巨躯が、大きな拳を真っ直ぐに突き出していた。
 男の顔はすぐさま真っ青になった。真白い学生服に、眉なしの三白眼。彼等のようにこの街で少しでも悪ぶって生きていくなら、その特徴は真っ先に脳内メモリーにインプットしておかなければならない。

「白ランッ? ……荒菱館コーリョーカン!」

「《荒菱館コーリョーカン近江オーミ》ッ⁉ な、何でここにッ……」

「どうなるっちゅうねん」

 泡を食った彼等に、渋撥シブハツはジリッと一歩近付いた

「オドレ等がどうしてくれるっちゅうねん。言うてみろや、あァッ?」

「うッ……いや、その……!」

「その女から手ェ離せクソ猿」

「すんませッしたァッ‼」

 男はハッとして禮から手を離した。彼等はそれ以上渋撥が何を言うこともなく、一目散にバタバタバタッとその場から逃げ出した。
 渋撥の後ろには、鶴榮ツルエと美作、夜子と偲もいた。誰にも怪我をせずホッと胸を撫で下ろした。

「美作さん~~っ!」と椛と和々葉は美作に駆け寄った。

「なかなか戻ってけえへん思たら変なのに声かけられとったか。女のコだけにしてスマンかったな」

 渋撥は椛と和々葉と擦れ違い、歩を進めて禮の前に立った。二人の身長差では、禮の視点から見るとほぼそそり立つ壁のようだった。

「お前、ケンカしたんか」

「ううん、してへんよ」と禮は首をフルフルと左右に振った。

(一発手は出したケド、ケンカまではなってへんもん。たぶん)

「そうか」

 渋撥は短く答えて眼球だけを動かして禮を観察した。男に掴まれていた箇所の制服の皺が目に付いた。何となく不快で、手の甲でサッサッと撫でるようにしてその皺を伸ばした。

「心配した?」

「まあな」

「だいじょぶやよ。ウチ、フツーの女のコより強いから」

 禮はなんてことないように簡単に放言した。
 事実、並の男よりも格段に腕が立つこの少女にとってこの程度のいざこざは何ということはないことであり、か弱いお上品なお嬢様たちに囲まれた王子としての日常なのだろう。
 渋撥は莫迦なことを言うなと嘆息を漏らした。

「自分のオンナに手ェ出されてボーッと見とくわけないやろ。お前がなんぼ強くてもや」

 禮は守られることに慣れていなかった。嬉しいようなむず痒いような気持ちになり、仄かに頬が熱くなって勝手に顔面の筋肉が緩んで微笑みが零れた。
 それを眺めていた渋撥の胸も、じわりと温かいものが湧いた。このような感覚ははじめてであり、何というものなのかも分からない。ただ、心地良い。もう少し長く微睡んでいたいと思うくらいに。
 その時の渋撥の表情を見て、鶴榮は思わずサングラスの下で目を見張った。荒菱館高校一の鉄面皮を誇る渋撥が、確かに一瞬口の端を綻ばせた。言葉にせよ表情にせよ、感情を吐露することが下手な渋撥が、笑みのようなものを零した。これは幼馴染みである鶴榮にとっても稀なことだった。

(あからさまにホッとしたツラしよってからに……)



 どうやら、この相模サガミレイっちゅう子は、今までの女とは何かがちゃうらしい。
 まさかほんまに運命の相手とか言うなよ。腹抱えて笑うたる。


 お嬢様方は一番のお目当てのプリントシール機を遊び終えたのち、ゲームセンターのなかを当てもなく歩き回っていた。彼女たちにとってはなかなか足を踏み入れる機会のない物珍しい世界。其処彼処から聞こえてくる軽快なゲームの音楽もギャンギャンバラバラと騒がしい音も苦にならないようだ。彼女たちはこの世界に興味はあるようで、頻繁に足を停めて筐体の画面を眺めたり、あれは何かと尋ねたりはするが、実際に興じるかというと途端にどうしたらよいか分からないという顔をした。
 偲は禮の袖を抓んで引き留め、一台のアーケードゲームを指差した。

「ね、禮。コレやって」

 禮以外の一行も足を停めて偲と禮のほうを振り返った。
 偲が指し示していたのはパンチングマシン。椛と和々葉は今までほかの筐体を見てそうだったように、これは何だろうとジロジロと観察する。
 鶴榮は、荒事に縁遠いお嬢様が何故これに興味を持つのか、と首を捻った。
 偲は胸中でニヤリとほくそ笑んだ。

(コレ知ってる~。パンチの強さみたいなの競うヤツや。禮が男に守ってもらわへんでええくらい強いって分かれば、あの男も離れてくかも)

「偲……」

 察しの良い夜子には、偲の思考が透けて見えるようだった。余程石楠の王子様とヤンキーの王様との取り合わせが納得できないらしい。そのようなものは一から十まで当人同士のみの問題であり、周囲は見守るしかできないと思うのだけれど。それだけでは気が済まないのだろう。
 禮はパンチングマシンの前で小首を傾げた。

「コレなに?」

「知らんならやめとけ。手ェ痛めるで」と渋撥が言った。

「平気ですー! 禮はめちゃめちゃ強いもん! お兄はん、禮に負けそうやから、やらしたくないんやろ」

「シノちゃん。それは絶対ナイから」

 禮は、渋撥に対して挑戦的な偲をどうどうと宥める。
 どちらが強いかなど、禮と渋撥との間では再確認するまでもなく明白だ。禮は申し訳ないという表情をしたが、渋撥は偲に挑発されたところでプライドが刺激されることなどなかった。

「ほんま可愛げが無いな、このジャリ」

「えっ。シノちゃんカワエエよ」

「禮~~✨✨」と偲は目を輝かせた。

「ていうかカワイくない女のコっていてる?? ガッコの友だちみんなカワエエけど……?」

「お前」と渋撥は禮を見下ろしてジッと見詰めた。

「?」

「お前がぶち抜きで一等カワエエで」

 カーッ、と見る間に禮の頬が赤くなった。渋撥の三白眼を見ていられなくなり、目を逸らして顔を伏せた。長い睫毛の先端が羞恥でふるふると震えていた。

「ハッちゃんて、そーゆーこと言うんや……」

(こんなカワエエ生き物のどこが王子やねんッ)

 出逢ってすぐの禮は、王子と言えなくもなかったのかも知れない。少なくとも非力な少女とは思わなかったし、善悪の是非もない子どもであり、悪魔的ですらあった。可愛げが無いなんてものではなかった。偲から向けられる敵愾心や悋気などとはまったく別の代物だ。それこそ切った張ったの世界に相応しい。
 それなのに、今はもう可愛くしか見えない。自衛できる強さを有していると身に染みていても、俺が守ってやらねばならないと思わされる。

「コレどうやって遊ぶん?」

 顔を上げた禮の頬は、まだ微かに桜色が残っている気がした。

「やるんか」

「うん。シノちゃんやって言うてるし」

 渋撥がチラリと視線を向けると、偲はベーッと舌を出した。やれと言ってもやるなと言っても渋撥のやること為すことすべて気に食わないのだろう。オマケに、禮との関係性に於いて、自身の優位性を自覚し、あまつさえそれを武器にする。
 ――何であんな面倒なのとトモダチやっとるんや。
 という本音を言うとさらに面倒になりそうだ。渋撥はポケットから小銭を取り出してパンチングマシンに数枚挿入した。すぐに機械音と共に的が立ち上がった。

「的を殴る。それだけや」

「コレ、思いっ切りやってええの?」

「オウ」

 禮はマシンに身体の正面を向けた。的が定まってしまえば、もう所作に躊躇はなかった。爪先がスッと床から離れた。
 その瞬間、渋撥はガッと禮の肩を掴んだ。今まさに攻撃態勢に入っていた禮は、キョトンとして渋撥を仰ぎ見た。

「何の迷いもなく蹴ろうとすんな。パンチングマシンっちゅう名前完全無視したんな」

「あ。パンチだけ? ウチ、パンチ力はあんま自信あれへん」

 禮は拳を握って目を落とした。
 渋撥は、拳を握っている禮の手首を捕まえた。マシンに備え付のオモチャ擬きのグローブをその拳に被せた。

(小っさい手やな)

 紛うことなき少女の手。このような細枝のような腕で男たちと戦っていたのかと考えると、莫迦じゃないのかと言ってしまいそうになった。最後に挑んだのが自分でよかった。打ち止めにさせたのが自分でよかった。ボロボロになる前に已めさせられてよかった。

「コレも絶対付けなあかんの?」

「そうや。遊びくらいで拳ワヤにしたないやろ」

 禮は素直に渋撥からグローブをつけられた。
 グローブとマシンは紐で繋がっている。禮は可能な限り的から距離を取り、グローブのなかで拳を握った。
 トンッと床を蹴り、前方に体重を乗せて拳を的に叩き付けた。
 バスゥンッ!
 禮の拳は直線を描いて的の中央を捉えた。

「――――……」

「すごーい」と少女たちは声を弾ませて無邪気に喜んだ。
 対照的に、男性陣は禮の一撃を目にしたあと一様に黙した。禮が叩き出した数値は並の男性などというレベルではない。力自慢たちが挑んだであろうランキングの上位に食い込んでいた。

「……禮ちゃん。パンチ自信あれへん言うてなかったか?」

「うん。これくらいじゃハッちゃんにはぜんぜん敵わへんし」

 鶴榮からの問い掛けに対し、禮は当然のように答えた。うむ。流石に渋撥の力量も自身のそれも正確に把握できている。しかし、鶴榮の質問はそういう意味合いではなかった。
 美作は額を押さえて天を仰いだ。

(比べるッ対象ッ! こんッな激カワの見た目して中身はやっぱゴリラかあ~~ッ⁉)

 鶴榮は腕組みをして改めて禮をジロジロと観察した。

(サスガにケンカ馴れしとるだけはあるな。パンチが全然ブレへん。腕力あれへん分、体ごと殴りにいっとったな)

 禮はグローブから手を抜いた。渋撥はもうよいのかと尋ねた。

「もう一回でけんで」

「何遍やってもそんな変われへんし」

 禮には確信があった。長年の鍛錬の賜物で、自分の身体の調整や調子によってどの程度の力を出せるかは見当が付く。

「ハッちゃん、する?」

 禮はグローブを顎の前あたりに構えてジーッと渋撥を見詰めた。

「ハッちゃんどのくらいいくんか見てみたいなーって」

 渋撥は禮と視線を合わせて押し黙った。無意識におねだりをするような大きな黒い瞳が、思いの外愛らしかった。故に、期待に応えてやってもいいかという気になった。
 鶴榮は、禮からグローブを受け取った渋撥を見て、笑いが漏れそうになった。本当に笑ったら彼は機嫌を損ねるだろうから堪えた。

(禮ちゃんに言われたらやるんか。普段はこんなもんに金使わんクセに)

 鶴榮にしても渋撥にしても、力自慢をして承認欲求を満たす時期はとうに過ぎた。幼い頃から二人は傑出しており、同年代では比較しようもなかった。本気を出してはいけないのだと、常に遠慮して生きるべきなのだと、自覚してからは面白くもなくなった。だから、渋撥がパンチングマシンに興じるなどとても珍しいことだった。
 渋撥はグローブをはめて拳を握った。大仰に距離を取ることをせず、右肩を後ろに引いた。
 それは強弓を引くのと似ている。腰の捻りや背筋によって引き絞られた力は、矢のように豪速で肩から放たれる。放出された力は移動中の肘を抜け、拳が的を射抜く瞬間に爆発する。
 その破壊力はあらゆるものを粉砕する。常人と比することが愚かなくらい絶大だ。
 ズガァアアンッ!
 ビチビチビチッ……ガシャァアンッ!
 渋撥の剛腕から放出された巨大なトルクに耐久することができず、パンチングマシンの的を支える脚が折れた。支えを失った的は一度台に激突し、跳ね上がって床の上に落ち、踊るように転げた。

「キャァアアーーーッ!」

「ギャアーッ! 壊れたーッ!」

 少女たちは悲鳴を上げて台と渋撥から離れた。
 美作も顔面を真っ青にして絶叫した。
 渋撥は男女の混声阿鼻叫喚のなかで不快そうに眉根を寄せた。パンチングマシンを破壊した張本人の脳内にあったのは、罪悪感ではなく純粋に喧しいという感想だけだった。
 グローブを外した渋撥の手を、禮がパシッと捕まえた。キラキラした目をして無遠慮にペタペタと手の甲や手の平を触りまくる。

「ハッちゃんすごぉおーい✨✨ 拳、何ともない? 何か鍛えてる? 拳てどうやって鍛えてる? 何したらこんな大きな手になれんの?」

「何もしてへん。生まれ付きや」

「ええな~✨ ウチ、筋肉つきにくいみたいで鍛えてもぜんぜんあかんの。ハッちゃんみたいに強いカラダええなあ」

(ワシはこのカワエエ顔にハツの身体がついてたら嫌や)

 渋撥と鶴榮は口を真一文字に結んだ。渋撥みたいな禮とは、冗談にしても笑えない生き物だ。想像してしまった自分の脳味噌が憎い。

「禮!」と偲が禮の手を捕まえた。

「何グズグズしてんの! 早よ逃げよ! 椛たちもう逃げたよっ」

「えっ? えぇえっ?」

 禮は偲から言われてやっと周囲をキョロキョロと見回した。椛と和々葉が美作と共に駆けてゆく背中が見えた。
 偲は、渋撥の破壊行動にも動じず直立していた夜子の手も捕まえた。禮も夜子も時たま同い年とは思えないくらい浮世離れしている。こういうときは人並みに焦って迅速に行動してほしい。胸中で文句を言いながらも、偲は決して友人を見捨てることなどできない人間だった。
 偲は禮と夜子の手を引っ張って走り出した。
 渋撥と鶴榮だけが取り残された。とはいえ、これだけのことをしてお咎めなしで済むわけがないからいつまでも此処に留まっているつもりもない。
 二人はズボンのポケットに手を突っ込んで歩き出した。

「あーあ。何ちゅうことしてんねん。珍しくちょっとガチやったな」

「お前もでけるやろ」

「アホか。する理由があれへん」と鶴榮は笑った。

「お前はする理由があったなあ。女の前でええカッコしたろなんて珍しいやんけ」

 渋撥は小さく顎を左右に振った。

「アイツは……よう分からへん。何がええんか、何が喜ぶんか」

「安心せえ。元々お前が人のこと解るほうが少ない」

 それは良い意味か悪い意味か。渋撥はしばし考えてみたが判断が付かないので考えることを放棄した。
 鶴榮も渋撥が思考停止したことを察知し、ハハッと笑った。

「さてー、お嬢たちはどっちに逃げたやら」
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シリーズ
 ベスティエン
 ベスティエン Ⅱ
 ベスティエン Ⅲ

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