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Kapitel 02
神代の邪竜 02
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ラタトクス城――――切り立った崖の上から荒波の海を臨み、強い潮風に晒された、遙か昔に建造された石造りの古城。森林に囲まれて自然が豊かだが、この地方は気候が荒々しく、風光明媚とは言えない。近辺に栄えた都市はなく観光資源も乏しく、廃れて久しい。城主である赫の先代当主の訪いもなく、維持管理のために住みこみの使用人が数名いるだけの侘しい城だ。
耀龍と麗祥、アキラ、彼らのそれぞれの護衛である縁花、ルフト、ヴィントは、古城を目指して館を出立した。大貴族の令息の遠出としてはかなりの少数だ。族長の部屋を盗聴して入手した情報による秘密裏の行動だ。多くの従者や兵士を連れてくるわけにはいかない。
崖の上に建つ古城の足許には、森林が広がっている。彼らは森林を進み、古城を仰角に臨める地点へと到着した。そこから目視する古城は、灰色の曇り空のなかに浮かんでいるようだった。古城の周囲をたまに海鳥が旋回する。
「ここに、ティエンが?」
アキラは古城を眺めて尋ねた。
私たちの見立てではそうだが、と麗祥は歯切れの悪い答えを返した。
「アキラは何か感じたりする?」
耀龍がそう尋ね、アキラは首を左右にふるふると振った。
「そうか。姑娘もか」と麗祥。
「わたしも?」
「《索敵》を広域展開したが天哥々のネェベルを探知できない。ネェベルを隠蔽する牆壁でも張っているのか」
麗祥は嘆息を漏らした。
耀龍はニッと笑った。
「だとしたらアタリだ。もし違うとしても行くしかない。行って確かめるしかないよ、麗」
「そうだな」
ルフトは飛翔して上空から古城を偵察した。
バサンッ。――大きな羽搏きを立てて地面に降り立った。
「城の周辺に衛兵の姿は見えぬ」
その報告を聞いた耀龍は、コクンと頷いた。
「そう。じゃあ行こうか」
ねえ、とアキラは耀龍の袖を掴んだ。
耀龍はアキラを振り返った。
「いま話、してもいい?」
「どうしたの?」
「お祖父ちゃんはどうしてティエンをそんなに嫌ってるの? ティエンの力が恐がられてるっていうのは分かったけど、でも、ロンやリーさんはティエンを大好きだし、お父さんもティエンの味方なんでしょ。なのにどうして、お祖父ちゃんは……」
「オレから見て、御祖父様は誰よりも誇り高い赫だ。もしかしたら族長である父様よりも。だから《邪視》を許せない」
「?」
耀龍は、分からないという表情をしたアキラを見て、フッと笑みを零した。
《邪視》は先祖返りなのだ、と耀龍は説明した。赫=ニーズヘクルメギルはこの世界で最古の血族であり、その祖は神代のドラゴン。地獄を住み処とし、光を嫌い暗雲を呼び、死と腐敗の臭気を纏い、死人や屍肉を漁って糧とする、何より浅ましいドラゴン――――邪悪の象徴。そのような穢らわしい怪物を祖とするのは恥ずべきことだ。どれほど隆盛を誇ろうと、絶大な権力を持とうと、圧倒的な武力を身につけようと、元を辿れば原始の怪物。《邪視》はその事実を見せつける存在に他ならない。
祖父にとっては天尊の存在それそのものが、己に汚穢の血が流れる証左であり、視界に入れるのも耐えがたいほど許せないことなのだ。祖父だけではない、歴代の族長の多くがそうであった。生涯幽閉するか、滅殺したくなるほどの嫌悪を禁じ得なかった。
ラタトクス城・地下。
地下には特別な一室があった。ネェベルを遮断する壁と分厚い特殊合金とに何重にも囲まれ、鋼鉄の扉によって封じられた一室。
冷えて薄暗い室内に数人の技師たちが勤める。中央にガラス張りの小部屋があり、そのなかにはベッド。無数のケーブルや管が接続され、手足には重力枷がはめられた男性が、横たえられていた。
男性には意識がなかった。この場所に安置されて一年近く、生体反応があるのみで会話や意思疎通はおろか、自発的な覚醒もない。そもそも意識を喪失したのは此処にいる技師たちの措置によるものだが、男性の意識レベルをコントロールしているつもりの彼らに想定外のことが起こった。覚醒措置を行っても叶わず、ずっと睡眠状態が続いている。
技師たちは、もう一年近く変化のない〝対象〟の状態を観察する任に就いていた。
「意識もないのにベッドに縛りつける意味はあるのかね」
「そういう決まりだ。仕方がないさ」
「こう毎日男の寝顔ばかり見てたんじゃ流石に見飽きて――……」
技師のひとりが些細な異変に気づいた。すぐに数人の技師が集まってにわかに慌てだした。
彫刻のような顔付きで眠り続ける〝対象〟の表情に変化が現れた。瞼は固く閉じられたままだが、口の端が歪んだように見えた。
「まさか……笑っている?」
「何故突然。この一年間、何の反応もなかったのに」
「徐々にネェベルの数値が上がっている。〝回路〟の活性化を確認した。じきに覚醒するのか……?」
アキラたちは城内への侵入に成功していた。
出入り口に衛兵はおらず警備は手薄であり、城内への侵入は容易だった。むしろ、城内のほうが多くの衛兵が配置されている。外観では寂れた古城を装いつつも、内部に侵入した者は必ず捕らえる厳重さだ。隠しておきたい何かが此処にあるのだと期待させるに充分だ。
耀龍たちは事前の調査で内部の構造は把握している。最大の問題は、城内の何処に天尊が捕らえられているか不明である点だ。その点については、城内で何人か捕獲して尋問して聞き出す算段だ。縁花がいる限り、難しいことではないと踏んでいた。
「じゃあ、オレが透過牆壁を張ろっか」
「私は武官ではないが、透過牆壁のみに頼り過ぎないほうがよいと聞く。敵がネェベル探知や熱探知を装備していた場合――」
――ゾクッ。
耀龍と麗祥はほぼ同時にハッとして顔を上げた。
「これは……」
「天哥々のネェベルだ」
ふたりはそう言ったが、何も感知できなかったヴィントは、ルフトへと目線を向けた。
「探知できますか、姉様」
「わたしにはできん。どういう感度をしとるんだ、彼奴らは」
ルフトは若干悔しそうな表情で腕組みをした。姉弟で比較すればルフトのほうが敵の気配やネェベルに敏感だが、今このときに限っては何も感知できなかった。
赫=ニーズヘクルメギルの御令息たちは、生来の〝回路〟の回転数やネェベルの総量も然る事ながら、その操作や感知についても優れた才覚を有していると認めざるを得ない。
「先ほどまで微塵も探知できなかったのに」
「アキラはエンブラだから何も感じないけど、天哥々には分かるんだ。《オプファル》が近いって」
耀龍と麗祥はアキラへと目線を集めた。
「これで尋問する手間が省けた。天哥々がいらっしゃる大凡の位置は特定した」
アキラは、麗祥の言葉を聞いて驚いて目を丸くした。
「どこにいるかまで分かるんですか?」
「ああ。プログラムを使えば可能だ」
耀龍は意気揚々と縁花を振り返った。
「最短距離で行ける? 縁花」
「かしこまりました」
縁花は小さく頷いた。そしておもむろに拳をグッと握った。
ルフトとヴィントは、縁花が何をしようとしているか悟ってギョッとした。ふたりしてアキラを後退させ、縁花に背中を向けて壁となった。
バゴォオオンッ!
縁花は何の躊躇もなく拳を足許へと叩きつけた。石造りの古城の堅牢さよりも、自身の肉体の頑健さが勝るという確乎たる自負。その自負のとおり、足許の床を裸の拳で易々と叩き割り、階下への道を拓いた。
縁花が床を破壊して階下へと侵入する。それを幾度か繰り返し、天尊のネェベルを感知した階層まで到達した。壁や床は石造りの古城に似付かわしくなく、スチールのような無機質な材質で出来ていた。これまでに貫通させたほかの階層とは明らかに造りが異なる。
ストン、とヴィントはアキラを抱きかかえて軽やかに降り立った。
足許にお気を付けて、と言い添えてアキラをゆっくりと無機質な通路に立たせた。
ルフトも流石の身の軽さで降り立ち、半ば茫然と縁花を見上げた。その目線には敬意より惘れがあった。
縁花の拳には流血ひとつなかった。縁花自身も何の変化もなく無表情のまま。その表情を見るに彼にとっては造作もないことだったのだろうが、侵入を気づかれるのも厭わず直進するのは短絡的だ。
「……ユェンファ殿。思ったより無茶をなさる」
「耀龍様の御所望であった」
ああ、そうだ、とルフトは納得した。短絡的なのは縁花ではなく、その主人。何でも自分の意の儘にできると思っている、そうでなくては許せない、この貴族の令息たちだ。
丁度、耀龍と麗祥がふわりと上の階層から落下してきた。彼らは落下速度をコントロールするプログラムを扱えるから、まるで散歩のように優雅なものだ。
しかしながら、彼らの表情は強張っていた。
「……ここだな」
「うん。たぶん」
耀龍と麗祥は同じ一点を見詰めた。ルフトとヴィント、縁花も同じ方向へ顔を向けた。そして、そのまま沈黙が訪れた。
姉様、とヴィントはルフトへと目線を遣った。
ルフトは怪訝な表情で首を捻った。
「確かにここからわずかにネェベルを感じるが……本当にコレか?」
「?」
アキラにはルフトの言葉の意味が分からなかった。
耀龍と麗祥が此処だというなら信じるしかない。立ちはだかる扉を、ただ見上げるしかできなかった。扉をジッと見詰めてみても、耳を澄ませてみても、何も感じなかった。耀龍と麗祥が緊張する理由も、ルフトが怪訝になる理由も分からなかった。
扉は縁花の背丈よりももっと大きく、天井まで届きそうだ。見た目の質感は鋼鉄製であり重量を感じさせる。男の力でも簡単には押し開けられそうにない。扉の表面に縄が張り巡らされ、木の実や獣の皮が飾るように掲げられており、無機質な鋼鉄製の扉にそのような装飾が施されているのはミスマッチだった。この階層が現代的であるが故に、余計に近寄りがたい、異様な趣だった。
「これは〝まじない〟か?」
「邪竜封じだろう。古臭い」
ルフトは大扉を見上げて小首を傾げた。
麗祥は嘆息を漏らした。彼は〝まじない〟を非効率と考える。これほど現代的な技術を持ちながら、あえて非効率な行動をとるのは馬鹿馬鹿しいと思った。
アキラは扉の表面に目を凝らした。そこには模様が細工されている。その模様に見覚えがあった。それは一見して模様のように見えるが、実際には文字だ。かつて書物のなかで見た――――神々を呪う言葉。
お前の飼っている家畜は死んでしまい、人々はお前を避けるようになろう。
お前は疫病にかかったように汚らしく、嫌われ者として世の中を渡っていくことになる。
§ § § § §
分厚い扉を隔てた内部は、蜂の巣を突いたような騒ぎだった。城主によって集められた優秀な技術者であり、頭脳明晰な彼らが慌てふためく理由、想定を上回る事態、理解を超えた許容しがたい現実。〝対象〟に接続された計器はメーターを振り切りっぱなし、けたたましいブザーが狂ったように室内に鳴り響く。
彼らは数値が映し出されたディスプレイや、ベッドに横たえられた〝対象〟そのものを凝視して顔面蒼白だった。
「何だこのネェベルの急上昇は! こんな数値、馬鹿げている……ッ」
「睡眠が浅くなってきているぞ! 何をしている! 麻酔をギリギリまで投与しろッ」
「もうやっていますが効きません。……覚醒します!」
カッ! ――〝対象〟は開眼した。
技師たちは何故かは分からないが身震いがした。かつては〝対象〟の覚醒を待ち望んだこともあるというのに。
上司から命じられて何度も覚醒を試行し、その度に失敗して無能と罵られ、悔しい思いをした。覚醒したなら安堵するか肩の荷が下りた思いを味わえると考えていた。しかし、実際はどうだ。否応無しに戦慄に襲われて皮膚が粟立つ。カタカタと身体が小刻みに震える。
〝対象〟が何物であるか、自分が何を管理・監視しているのか、頭脳では理解している。当然、言葉で説明もできる。しかし、実際に目にして訳が分からなくなった。計器やマシンは嘘を吐かない。メンテナンスを怠ってはいない、誤作動ではない。数値のすべてが想定を上回っている。つまりそれは、想定など何の意味も持たない未知のものということだ。
「拘束装置を作動させろ!」
誰かの声に反応して、技師のひとりがハッとしてボタンを押した。
ガチンッ! バチン、バチンッ! ――床からベルトが噴出してベッドごと〝対象〟の身体を拘束した。
繊維に強靱な合金が織り込まれた特殊拘束ベルトが、肉に食いこんでギチギチと締め上げた。〝対象〟は睡眠状態にあるときから常時ベッドに拘束されていたが、これによって完全に身動きを封じられる。
ブオンッ。――同時に拘束プログラムが起動した。
法紋がベッドの真上の空中に展開し、ネェベルを吸収しながら〝回路〟の回転数を制限する。身体の自由とネェベルの制限という二重の拘束を可能とする装置。これで制圧できない個体はまず存在しない。
ブツンッ! ブツブツッ、ブチブチブチブチィッ!
〝対象〟がゆっくりと上半身を起こし、特殊拘束ベルトは音を立てて千切れ飛んだ。同時に空中の法紋も光となって霧散した。
「特殊拘束装置を引きちぎりやがった!」
「ドラゴンも拘束する器具をいとも簡単に……⁉ かッ、怪物だ!」
技師たちの理解を超えた時点で最早監視対象ではなくなった。制御することのできない未知の存在、まさに怪物だ。
彼らは想定を超える事態を目の当たりにし、驚愕の面相をしてヒィイッ、ヒィイッと牝馬のような悲鳴を上げた。明晰な頭脳など役に立たず、冷静な判断など皆無だった。ただただ目の前の事象に、この世のものとは思えない存在に、恐怖して震え上がった。
怪物は自分の周囲を一瞥した。小蠅でも払うかのように軽く手を振った。
ジュバッ、バチュンッ! ――技師たちの頭部のいくつかが飛び散った。
頭部を半分失ったり首から上をそっくり切断されたりした身体が、ゴロンと床に転がった。
何が起こったのか、頭部があっても誰にも分からなかった。しかし、同僚が死亡したことだけは誰の目にも明らかだ。あの怪物にとって自分たちの生命を奪うことは、虫螻の如く容易く、虫螻の如く無関心であるということを、歴然とした事実として突きつけられた。この場にいては生きた心地がしない。己の意思で生きてはいない。虫螻同然の生命など、怪物と称した存在の恣意によって、どうとでもなってしまう。
耀龍と麗祥、アキラ、彼らのそれぞれの護衛である縁花、ルフト、ヴィントは、古城を目指して館を出立した。大貴族の令息の遠出としてはかなりの少数だ。族長の部屋を盗聴して入手した情報による秘密裏の行動だ。多くの従者や兵士を連れてくるわけにはいかない。
崖の上に建つ古城の足許には、森林が広がっている。彼らは森林を進み、古城を仰角に臨める地点へと到着した。そこから目視する古城は、灰色の曇り空のなかに浮かんでいるようだった。古城の周囲をたまに海鳥が旋回する。
「ここに、ティエンが?」
アキラは古城を眺めて尋ねた。
私たちの見立てではそうだが、と麗祥は歯切れの悪い答えを返した。
「アキラは何か感じたりする?」
耀龍がそう尋ね、アキラは首を左右にふるふると振った。
「そうか。姑娘もか」と麗祥。
「わたしも?」
「《索敵》を広域展開したが天哥々のネェベルを探知できない。ネェベルを隠蔽する牆壁でも張っているのか」
麗祥は嘆息を漏らした。
耀龍はニッと笑った。
「だとしたらアタリだ。もし違うとしても行くしかない。行って確かめるしかないよ、麗」
「そうだな」
ルフトは飛翔して上空から古城を偵察した。
バサンッ。――大きな羽搏きを立てて地面に降り立った。
「城の周辺に衛兵の姿は見えぬ」
その報告を聞いた耀龍は、コクンと頷いた。
「そう。じゃあ行こうか」
ねえ、とアキラは耀龍の袖を掴んだ。
耀龍はアキラを振り返った。
「いま話、してもいい?」
「どうしたの?」
「お祖父ちゃんはどうしてティエンをそんなに嫌ってるの? ティエンの力が恐がられてるっていうのは分かったけど、でも、ロンやリーさんはティエンを大好きだし、お父さんもティエンの味方なんでしょ。なのにどうして、お祖父ちゃんは……」
「オレから見て、御祖父様は誰よりも誇り高い赫だ。もしかしたら族長である父様よりも。だから《邪視》を許せない」
「?」
耀龍は、分からないという表情をしたアキラを見て、フッと笑みを零した。
《邪視》は先祖返りなのだ、と耀龍は説明した。赫=ニーズヘクルメギルはこの世界で最古の血族であり、その祖は神代のドラゴン。地獄を住み処とし、光を嫌い暗雲を呼び、死と腐敗の臭気を纏い、死人や屍肉を漁って糧とする、何より浅ましいドラゴン――――邪悪の象徴。そのような穢らわしい怪物を祖とするのは恥ずべきことだ。どれほど隆盛を誇ろうと、絶大な権力を持とうと、圧倒的な武力を身につけようと、元を辿れば原始の怪物。《邪視》はその事実を見せつける存在に他ならない。
祖父にとっては天尊の存在それそのものが、己に汚穢の血が流れる証左であり、視界に入れるのも耐えがたいほど許せないことなのだ。祖父だけではない、歴代の族長の多くがそうであった。生涯幽閉するか、滅殺したくなるほどの嫌悪を禁じ得なかった。
ラタトクス城・地下。
地下には特別な一室があった。ネェベルを遮断する壁と分厚い特殊合金とに何重にも囲まれ、鋼鉄の扉によって封じられた一室。
冷えて薄暗い室内に数人の技師たちが勤める。中央にガラス張りの小部屋があり、そのなかにはベッド。無数のケーブルや管が接続され、手足には重力枷がはめられた男性が、横たえられていた。
男性には意識がなかった。この場所に安置されて一年近く、生体反応があるのみで会話や意思疎通はおろか、自発的な覚醒もない。そもそも意識を喪失したのは此処にいる技師たちの措置によるものだが、男性の意識レベルをコントロールしているつもりの彼らに想定外のことが起こった。覚醒措置を行っても叶わず、ずっと睡眠状態が続いている。
技師たちは、もう一年近く変化のない〝対象〟の状態を観察する任に就いていた。
「意識もないのにベッドに縛りつける意味はあるのかね」
「そういう決まりだ。仕方がないさ」
「こう毎日男の寝顔ばかり見てたんじゃ流石に見飽きて――……」
技師のひとりが些細な異変に気づいた。すぐに数人の技師が集まってにわかに慌てだした。
彫刻のような顔付きで眠り続ける〝対象〟の表情に変化が現れた。瞼は固く閉じられたままだが、口の端が歪んだように見えた。
「まさか……笑っている?」
「何故突然。この一年間、何の反応もなかったのに」
「徐々にネェベルの数値が上がっている。〝回路〟の活性化を確認した。じきに覚醒するのか……?」
アキラたちは城内への侵入に成功していた。
出入り口に衛兵はおらず警備は手薄であり、城内への侵入は容易だった。むしろ、城内のほうが多くの衛兵が配置されている。外観では寂れた古城を装いつつも、内部に侵入した者は必ず捕らえる厳重さだ。隠しておきたい何かが此処にあるのだと期待させるに充分だ。
耀龍たちは事前の調査で内部の構造は把握している。最大の問題は、城内の何処に天尊が捕らえられているか不明である点だ。その点については、城内で何人か捕獲して尋問して聞き出す算段だ。縁花がいる限り、難しいことではないと踏んでいた。
「じゃあ、オレが透過牆壁を張ろっか」
「私は武官ではないが、透過牆壁のみに頼り過ぎないほうがよいと聞く。敵がネェベル探知や熱探知を装備していた場合――」
――ゾクッ。
耀龍と麗祥はほぼ同時にハッとして顔を上げた。
「これは……」
「天哥々のネェベルだ」
ふたりはそう言ったが、何も感知できなかったヴィントは、ルフトへと目線を向けた。
「探知できますか、姉様」
「わたしにはできん。どういう感度をしとるんだ、彼奴らは」
ルフトは若干悔しそうな表情で腕組みをした。姉弟で比較すればルフトのほうが敵の気配やネェベルに敏感だが、今このときに限っては何も感知できなかった。
赫=ニーズヘクルメギルの御令息たちは、生来の〝回路〟の回転数やネェベルの総量も然る事ながら、その操作や感知についても優れた才覚を有していると認めざるを得ない。
「先ほどまで微塵も探知できなかったのに」
「アキラはエンブラだから何も感じないけど、天哥々には分かるんだ。《オプファル》が近いって」
耀龍と麗祥はアキラへと目線を集めた。
「これで尋問する手間が省けた。天哥々がいらっしゃる大凡の位置は特定した」
アキラは、麗祥の言葉を聞いて驚いて目を丸くした。
「どこにいるかまで分かるんですか?」
「ああ。プログラムを使えば可能だ」
耀龍は意気揚々と縁花を振り返った。
「最短距離で行ける? 縁花」
「かしこまりました」
縁花は小さく頷いた。そしておもむろに拳をグッと握った。
ルフトとヴィントは、縁花が何をしようとしているか悟ってギョッとした。ふたりしてアキラを後退させ、縁花に背中を向けて壁となった。
バゴォオオンッ!
縁花は何の躊躇もなく拳を足許へと叩きつけた。石造りの古城の堅牢さよりも、自身の肉体の頑健さが勝るという確乎たる自負。その自負のとおり、足許の床を裸の拳で易々と叩き割り、階下への道を拓いた。
縁花が床を破壊して階下へと侵入する。それを幾度か繰り返し、天尊のネェベルを感知した階層まで到達した。壁や床は石造りの古城に似付かわしくなく、スチールのような無機質な材質で出来ていた。これまでに貫通させたほかの階層とは明らかに造りが異なる。
ストン、とヴィントはアキラを抱きかかえて軽やかに降り立った。
足許にお気を付けて、と言い添えてアキラをゆっくりと無機質な通路に立たせた。
ルフトも流石の身の軽さで降り立ち、半ば茫然と縁花を見上げた。その目線には敬意より惘れがあった。
縁花の拳には流血ひとつなかった。縁花自身も何の変化もなく無表情のまま。その表情を見るに彼にとっては造作もないことだったのだろうが、侵入を気づかれるのも厭わず直進するのは短絡的だ。
「……ユェンファ殿。思ったより無茶をなさる」
「耀龍様の御所望であった」
ああ、そうだ、とルフトは納得した。短絡的なのは縁花ではなく、その主人。何でも自分の意の儘にできると思っている、そうでなくては許せない、この貴族の令息たちだ。
丁度、耀龍と麗祥がふわりと上の階層から落下してきた。彼らは落下速度をコントロールするプログラムを扱えるから、まるで散歩のように優雅なものだ。
しかしながら、彼らの表情は強張っていた。
「……ここだな」
「うん。たぶん」
耀龍と麗祥は同じ一点を見詰めた。ルフトとヴィント、縁花も同じ方向へ顔を向けた。そして、そのまま沈黙が訪れた。
姉様、とヴィントはルフトへと目線を遣った。
ルフトは怪訝な表情で首を捻った。
「確かにここからわずかにネェベルを感じるが……本当にコレか?」
「?」
アキラにはルフトの言葉の意味が分からなかった。
耀龍と麗祥が此処だというなら信じるしかない。立ちはだかる扉を、ただ見上げるしかできなかった。扉をジッと見詰めてみても、耳を澄ませてみても、何も感じなかった。耀龍と麗祥が緊張する理由も、ルフトが怪訝になる理由も分からなかった。
扉は縁花の背丈よりももっと大きく、天井まで届きそうだ。見た目の質感は鋼鉄製であり重量を感じさせる。男の力でも簡単には押し開けられそうにない。扉の表面に縄が張り巡らされ、木の実や獣の皮が飾るように掲げられており、無機質な鋼鉄製の扉にそのような装飾が施されているのはミスマッチだった。この階層が現代的であるが故に、余計に近寄りがたい、異様な趣だった。
「これは〝まじない〟か?」
「邪竜封じだろう。古臭い」
ルフトは大扉を見上げて小首を傾げた。
麗祥は嘆息を漏らした。彼は〝まじない〟を非効率と考える。これほど現代的な技術を持ちながら、あえて非効率な行動をとるのは馬鹿馬鹿しいと思った。
アキラは扉の表面に目を凝らした。そこには模様が細工されている。その模様に見覚えがあった。それは一見して模様のように見えるが、実際には文字だ。かつて書物のなかで見た――――神々を呪う言葉。
お前の飼っている家畜は死んでしまい、人々はお前を避けるようになろう。
お前は疫病にかかったように汚らしく、嫌われ者として世の中を渡っていくことになる。
§ § § § §
分厚い扉を隔てた内部は、蜂の巣を突いたような騒ぎだった。城主によって集められた優秀な技術者であり、頭脳明晰な彼らが慌てふためく理由、想定を上回る事態、理解を超えた許容しがたい現実。〝対象〟に接続された計器はメーターを振り切りっぱなし、けたたましいブザーが狂ったように室内に鳴り響く。
彼らは数値が映し出されたディスプレイや、ベッドに横たえられた〝対象〟そのものを凝視して顔面蒼白だった。
「何だこのネェベルの急上昇は! こんな数値、馬鹿げている……ッ」
「睡眠が浅くなってきているぞ! 何をしている! 麻酔をギリギリまで投与しろッ」
「もうやっていますが効きません。……覚醒します!」
カッ! ――〝対象〟は開眼した。
技師たちは何故かは分からないが身震いがした。かつては〝対象〟の覚醒を待ち望んだこともあるというのに。
上司から命じられて何度も覚醒を試行し、その度に失敗して無能と罵られ、悔しい思いをした。覚醒したなら安堵するか肩の荷が下りた思いを味わえると考えていた。しかし、実際はどうだ。否応無しに戦慄に襲われて皮膚が粟立つ。カタカタと身体が小刻みに震える。
〝対象〟が何物であるか、自分が何を管理・監視しているのか、頭脳では理解している。当然、言葉で説明もできる。しかし、実際に目にして訳が分からなくなった。計器やマシンは嘘を吐かない。メンテナンスを怠ってはいない、誤作動ではない。数値のすべてが想定を上回っている。つまりそれは、想定など何の意味も持たない未知のものということだ。
「拘束装置を作動させろ!」
誰かの声に反応して、技師のひとりがハッとしてボタンを押した。
ガチンッ! バチン、バチンッ! ――床からベルトが噴出してベッドごと〝対象〟の身体を拘束した。
繊維に強靱な合金が織り込まれた特殊拘束ベルトが、肉に食いこんでギチギチと締め上げた。〝対象〟は睡眠状態にあるときから常時ベッドに拘束されていたが、これによって完全に身動きを封じられる。
ブオンッ。――同時に拘束プログラムが起動した。
法紋がベッドの真上の空中に展開し、ネェベルを吸収しながら〝回路〟の回転数を制限する。身体の自由とネェベルの制限という二重の拘束を可能とする装置。これで制圧できない個体はまず存在しない。
ブツンッ! ブツブツッ、ブチブチブチブチィッ!
〝対象〟がゆっくりと上半身を起こし、特殊拘束ベルトは音を立てて千切れ飛んだ。同時に空中の法紋も光となって霧散した。
「特殊拘束装置を引きちぎりやがった!」
「ドラゴンも拘束する器具をいとも簡単に……⁉ かッ、怪物だ!」
技師たちの理解を超えた時点で最早監視対象ではなくなった。制御することのできない未知の存在、まさに怪物だ。
彼らは想定を超える事態を目の当たりにし、驚愕の面相をしてヒィイッ、ヒィイッと牝馬のような悲鳴を上げた。明晰な頭脳など役に立たず、冷静な判断など皆無だった。ただただ目の前の事象に、この世のものとは思えない存在に、恐怖して震え上がった。
怪物は自分の周囲を一瞥した。小蠅でも払うかのように軽く手を振った。
ジュバッ、バチュンッ! ――技師たちの頭部のいくつかが飛び散った。
頭部を半分失ったり首から上をそっくり切断されたりした身体が、ゴロンと床に転がった。
何が起こったのか、頭部があっても誰にも分からなかった。しかし、同僚が死亡したことだけは誰の目にも明らかだ。あの怪物にとって自分たちの生命を奪うことは、虫螻の如く容易く、虫螻の如く無関心であるということを、歴然とした事実として突きつけられた。この場にいては生きた心地がしない。己の意思で生きてはいない。虫螻同然の生命など、怪物と称した存在の恣意によって、どうとでもなってしまう。
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