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最後の道化師
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バンドール王国の王都は炎に包まれていた。
壊滅状態の軍に対し、バンドール王国のエノク王は可能な限り王国民を守りつつ隣国へ逃げ延びよと最後の命令を下した。恐らくその命令を守ることができる兵士はもう残ってはいないだろう。
戦える兵士たちは全て魔王軍との戦いで死んでいた。いま王都に残っているのは傷病兵かまだ敵に剣を向けたことのない少年兵だけだ。
魔王軍との交渉は結局無駄に終わってしまった。
今この国を攻略している鬼人の将軍は、かつて人から恩を受けたことがあることから、他の魔王軍幹部とは異なり交渉の余地があるはずだと王国は考えていた。
その予測は正しかった。これが人間の王国と最初に行われる本格的な交渉ということもあって、魔王国側でも慎重にことを進めようとしているらしいことが垣間見えた。
魔王軍との交渉の場が設けられ、エノク王は魔王国との相互不可侵条約の締結に向けてあらゆる手を尽くした。
実質的には圧倒的な力を持つ魔王にこの王国の存続をどこまで許してもらえるのかという絶望的な交渉でしかなかったが、それでも最終的には王室の解体と引き換えに、王国民の安全と生活の保障までこぎつけるまであと一歩のところまできていた。
エノク王は長きに渡る交渉を経て、魔王の信任厚きこの鬼人の将を信頼するようになっていた。鬼人の将軍もまた、王室の利益ではなく王国民の安寧のために尽くすエノク王に好感を抱き始めていた。
だが、その微かな希望をつなぐ関係は一瞬にして崩壊してしまう。
魔王国軍との徹底抗戦を主張する派閥の送った暗殺者が鬼人の将軍の毒殺に成功したからだ。彼の存在こそがバンドール王国と王国民の命を守る盾であったことを、人間至上主義者たちはまったく理解していなかった。
将軍を失った魔王軍は、その日のうちに王都の半分を焼き払った。王都の人々は着の身着のままで逃げ出した。翌日には王宮からもほとんどの人間がいなくなっていた。
そして王は僅かに残った近臣や衛兵に最後の命令を下した。
もはや王宮に残るのはエノク王のみ。明日には王都にいる人間は自分一人となっていることだろう。もしそれまで生きていればの話だが。
「あぁ、哀れや哀れやバンドールの王は、魔王の足をばペロペロと舐め、魔王にその顔蹴り飛ばされる! ワハハハハ! 最後の最後に盛大な! 王自らのお笑い話!」
玉座に座るエノク王の前に、柱の影から宮廷道化師が姿を現した。
「タッタか……。逃げろと命じたはずだが?」
王がうろんげな目を宮廷道化師に向ける。
「ククククク、やはり王にはコメディアンの才能がおありのようですな! 宮廷道化師が王の命令に従うなどと、ここに居並ぶ王侯貴族の皆様が大爆笑なさることでしょう!」
タッタと呼ばれた宮廷道化師は両手を広げてくるりと一回転する。
「もはや誰もいませんが……」
タッタが王に向かって華麗にお辞儀をする。
「ふっ……死に場所を決めたのなら、最後まで余を楽しませるがよいわ」
「もちろんですとも! そのためにこそわたしがここにおります故!」
「しかし、お前がいくら力を尽くして神々の笑いを望もうとも、悪魔と取引して多くの民の犠牲を出した俺の無様さには届くまい!」
「正直申しますと、本当にそれが悔しくてなりません」
「俺は邪悪な王として名を遺すのであろうよ」
「ご不満ですかな?」
「いや、その通りだから何も文句はないさ」
「では、わたしは悪魔王エノクの下に最後まで残った、愚かなる地獄の宮廷道化師タッタとしてその名を遺すことと致します」
「……そうか」
「寄らば大樹の陰というやつですな」
エノク王は思わず吹き出して笑ってしまった。タッタはそんな王を「してやったり!」と満面の笑顔で見つめている。
ドンッ!
王の間の扉が開かれ、二人の視線がそちらに向く。魔王軍が王の間になだれ込んできた。
王は剣を抜いて立ち上がり、タッタを背後に下がらせる。
魔王軍の中から屈強な身体をした鬼人が、王の前に進み出てそのまま剣で王の腹を貫く。鬼人は剣を王の腹に残したまま、タッタの前に進み、短剣を抜いてその喉を切り裂いた。
膝を付いた王は、今の際にあるタッタと目が合った。
タッタは王の目を見ながら満面の笑顔を作ろうとしていた。
王は道化師の見事な生き様と死に様に、笑顔を以て応えようとしたものの、口角を引きつらせるだけで精一杯だった。
そしてエノク王の首が床に転がった。
こうしてバンドール王国は滅んだ。
――――――
―――
―
後に戯曲「悪魔王エノクと地獄の道化師」は、悪魔と取引したエノク王が民を地獄の炎で焼きながら道化師と共に哄笑する話として、吟遊詩人によって歌われる。
ゴンドワルナ大陸の親たちは、
「そんなことしてるとエノクとタッタに連れていかれるよ!」
と子どもたちを脅して躾をする。
~ おしまい ~
壊滅状態の軍に対し、バンドール王国のエノク王は可能な限り王国民を守りつつ隣国へ逃げ延びよと最後の命令を下した。恐らくその命令を守ることができる兵士はもう残ってはいないだろう。
戦える兵士たちは全て魔王軍との戦いで死んでいた。いま王都に残っているのは傷病兵かまだ敵に剣を向けたことのない少年兵だけだ。
魔王軍との交渉は結局無駄に終わってしまった。
今この国を攻略している鬼人の将軍は、かつて人から恩を受けたことがあることから、他の魔王軍幹部とは異なり交渉の余地があるはずだと王国は考えていた。
その予測は正しかった。これが人間の王国と最初に行われる本格的な交渉ということもあって、魔王国側でも慎重にことを進めようとしているらしいことが垣間見えた。
魔王軍との交渉の場が設けられ、エノク王は魔王国との相互不可侵条約の締結に向けてあらゆる手を尽くした。
実質的には圧倒的な力を持つ魔王にこの王国の存続をどこまで許してもらえるのかという絶望的な交渉でしかなかったが、それでも最終的には王室の解体と引き換えに、王国民の安全と生活の保障までこぎつけるまであと一歩のところまできていた。
エノク王は長きに渡る交渉を経て、魔王の信任厚きこの鬼人の将を信頼するようになっていた。鬼人の将軍もまた、王室の利益ではなく王国民の安寧のために尽くすエノク王に好感を抱き始めていた。
だが、その微かな希望をつなぐ関係は一瞬にして崩壊してしまう。
魔王国軍との徹底抗戦を主張する派閥の送った暗殺者が鬼人の将軍の毒殺に成功したからだ。彼の存在こそがバンドール王国と王国民の命を守る盾であったことを、人間至上主義者たちはまったく理解していなかった。
将軍を失った魔王軍は、その日のうちに王都の半分を焼き払った。王都の人々は着の身着のままで逃げ出した。翌日には王宮からもほとんどの人間がいなくなっていた。
そして王は僅かに残った近臣や衛兵に最後の命令を下した。
もはや王宮に残るのはエノク王のみ。明日には王都にいる人間は自分一人となっていることだろう。もしそれまで生きていればの話だが。
「あぁ、哀れや哀れやバンドールの王は、魔王の足をばペロペロと舐め、魔王にその顔蹴り飛ばされる! ワハハハハ! 最後の最後に盛大な! 王自らのお笑い話!」
玉座に座るエノク王の前に、柱の影から宮廷道化師が姿を現した。
「タッタか……。逃げろと命じたはずだが?」
王がうろんげな目を宮廷道化師に向ける。
「ククククク、やはり王にはコメディアンの才能がおありのようですな! 宮廷道化師が王の命令に従うなどと、ここに居並ぶ王侯貴族の皆様が大爆笑なさることでしょう!」
タッタと呼ばれた宮廷道化師は両手を広げてくるりと一回転する。
「もはや誰もいませんが……」
タッタが王に向かって華麗にお辞儀をする。
「ふっ……死に場所を決めたのなら、最後まで余を楽しませるがよいわ」
「もちろんですとも! そのためにこそわたしがここにおります故!」
「しかし、お前がいくら力を尽くして神々の笑いを望もうとも、悪魔と取引して多くの民の犠牲を出した俺の無様さには届くまい!」
「正直申しますと、本当にそれが悔しくてなりません」
「俺は邪悪な王として名を遺すのであろうよ」
「ご不満ですかな?」
「いや、その通りだから何も文句はないさ」
「では、わたしは悪魔王エノクの下に最後まで残った、愚かなる地獄の宮廷道化師タッタとしてその名を遺すことと致します」
「……そうか」
「寄らば大樹の陰というやつですな」
エノク王は思わず吹き出して笑ってしまった。タッタはそんな王を「してやったり!」と満面の笑顔で見つめている。
ドンッ!
王の間の扉が開かれ、二人の視線がそちらに向く。魔王軍が王の間になだれ込んできた。
王は剣を抜いて立ち上がり、タッタを背後に下がらせる。
魔王軍の中から屈強な身体をした鬼人が、王の前に進み出てそのまま剣で王の腹を貫く。鬼人は剣を王の腹に残したまま、タッタの前に進み、短剣を抜いてその喉を切り裂いた。
膝を付いた王は、今の際にあるタッタと目が合った。
タッタは王の目を見ながら満面の笑顔を作ろうとしていた。
王は道化師の見事な生き様と死に様に、笑顔を以て応えようとしたものの、口角を引きつらせるだけで精一杯だった。
そしてエノク王の首が床に転がった。
こうしてバンドール王国は滅んだ。
――――――
―――
―
後に戯曲「悪魔王エノクと地獄の道化師」は、悪魔と取引したエノク王が民を地獄の炎で焼きながら道化師と共に哄笑する話として、吟遊詩人によって歌われる。
ゴンドワルナ大陸の親たちは、
「そんなことしてるとエノクとタッタに連れていかれるよ!」
と子どもたちを脅して躾をする。
~ おしまい ~
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