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最終章 最終決戦
第34話 イベリス。
しおりを挟むその日は雨が降っていた。
俺は物憂げに分厚い雲を眺めていた。
「外にはいけないからね」
イベリスは、釘を刺すように俺に言った。
彼女は魔族であり、俺の育て親だった。
「は~い、分かってるよ、それくらい」
俺は不満たらたらな返事をした。
正直に言えばつまらなかったんだ、毎日毎日刀で素振りするだけ、魔物討伐もそこそこするけれど、刺激溢れる日々ってのには、縁遠かったように思える。
「母さん、ちょっと出かけてくるから」
「なんだよ、母さんは出ていくのかよ!」
「ちゃんとお留守番しておくのよ」
家に一人ぼっちにされた。最悪だ、何して待てばいいんだ。
イベリスは帰ってこなかった。
いつまで経っても帰ってこない。
流石に心配になって出ていこうとすると、酷く憔悴した様子の近所に住む男達が、玄関から飛び込むように入ってきて、いきなり荷物を纏め始めた。
「に、逃げるよ!」
「なんで?」
「魔王様の娘さんが何者かに暗殺されたんだ!」
訳が分からなかった。
なんでもその日、魔王の娘は死んだのだ。
誰が殺したのか、殺した事で何が起きるのか。
分からない事だらけのまま、魔界はその日から地獄になった。毎日どこかで戦争が勃発して、魔法が飛び交う。外にも碌に出られない日々が続いた。イベリスとは会えなかった。
魔王様の逆鱗に触れた結果引き起こされた戦争だというのは、後から分かり始めた。疑わしきを罰し続けた結果、ここまで規模が大きくなったのだろう。
魔族は散り散りになった。もし疑われたら殺されるという恐怖が、皆を不安にさせ、その場から逃げ始めたのだ。
俺は次第に、その魔王の娘という存在に興味を持つようになった。やる事がなかった俺は、文献や記録を読み漁って、その少女が何者かを知った。
彼女の名はラケナリア。
稀代の天才魔法師であり、魔族界隈でも次世代のスターとして騒がれていた。彼女は、現魔王軍のパワーバランスを確かなものにする程の影響力があった。革命を起こし、現魔王を滅ぼそうと画策する者達にとって、ラケナリアという少女は、邪魔でしかない。
だから、殺された。
「……」
俺達は逃げに、逃げた。
気が付けば、ほぼ人族の国境付近まで来ていた。
人族の言葉や知識についても俺は同時に把握していた。
第九地区。王国の郊外ではあるが、立派な人族の領地が目の前にある。
魔王軍は、俺達に目を向け始めた。
最早、悩む理由はなかった。
人族の領地に逃げ込んだ。
「地下にこんな隠し通路があって、助かった」
鉱山の地下に、謎の施設が隠されていた。
文明を感じる佇まいで俺達が隠れ住むには、格好の場所だった。近所の男達からは、どこにも行くな、離れるなと何度も注意をされたけど、俺とて年頃の男子。
ここを探索してみたいという欲求が勝った。
「確か行き止まりって話だったけど……」
不思議な事に、その施設。遺跡と呼称するが、遺跡はまるで俺を出迎えるように奥へ奥へと誘導してくれた。見知らぬ言葉が書かれた標識を一瞥しながら、部屋の文献を漁り、俺は一つのアーティファクトを手にした。『クロノリング』だった。
「過去改変。タイムリープ?」
どうやらその指輪は、過去に干渉する力を持っているらしい。正直な所、話が難しすぎて全然分からなかった。
まあ、簡単に纏めると、過去にあった出来事をなかった事に出来るという。ただ使用には絶大な魔力が必要だ。
「これ、使えるようにならないかな」
俺はその日から、貯金箱にお金を貯めるみたいに、魔物を倒して倒して、倒しまくって、『クロノリング』の発動に足る魔力をかき集めた。
十年以上が経った。
驚く程、長い月日が流れた。
魔族の闘争は日に日に激化し、戦争は酷くなった。
人族とも衝突を繰り返し、世界大戦となった。
どこにも救いはない、そこかしこを見渡せば死体が転がっている。
後に分かった。イベリスは、あの日死んでいた。
人族に殺されたらしい。俺はどうしたらいいか分からなかった。当時は思い切り泣け叫び、人族を恨んだ。だが殺し、殺されるという関係が、最早自然の摂理かのように、今では死と闘争はありふれていた。
地獄だ、この地獄を早く終わらせて欲しかった。
きっかけはなんだった。
もう忘れてかけていたが、思い出した。
ラケナリアという少女が死んだせいだ。
彼女が死んだからこの世界は壊れた。
だったら、それを無かった事にすればいい。
俺の指に蒼に煌めく指輪が嵌まっていた。
魔力は満ちた。
俺は、この指輪を。『クロノリング』を使う事が出来る。
十数年、俺は魔力をため続けた。
そしてようやく、準備は整った。
俺は、このクソみたいな世界を変える。
さあ、飛ぼう。
こんな地獄とはおさらばだ。
「───行けええええええ!!!」
□■□
俺は、あの日に戻った。
身体と記憶は、同じ物を携えたままだ。
俺は出来る限り、その日のラケナリアの行動をありとあらゆる面から調べ上げていた。この日の為に、歴史を動かす日の為に、俺はずっと準備していた。
魔界の森。そこにラケナリアはいる。
俺は、急いでその森に行った。
彼女はすぐに見つかった。稀代の天才として謳われる彼女は、書物に描かれる顔写真よりも何倍も可愛く綺麗だ。丸太に座り小鳥と戯れている。
まだ、年若き幼女らしき風貌ではあったが、将来はきっと、誰もが羨む程の美女に成長するだろうという実感が溢れていた。
ここに誰かが現れる。
誰かが彼女を殺しに来る。
俺は、その存在を殺し、彼女を助ければいい。
誰だ。誰が来る。
がさっ。俺の背後から、一人の魔族がラケナリアの背後から忍び寄った。素晴らしい身のこなしだ、俺に気配を悟られずに彼女に接近するとは。
だが、甘い。俺はこの十数年で剣を鍛え続けた。
逃げられるとは思うなよ。
「【神装派・第一秘刀】《一閃華》ッッ!」
不可視の刃を飛ばした。
ばたり。その魔族は力尽きて死んだ。
「大丈夫かい、お嬢さん」
「貴方は、だれ」
「『俺』は、ただの人族の冒険者さ」
俺は彼女に、人族の冒険者と告げた。
それは実の母が、そうだったからかもしれない。
子供の頃に抱いた憧憬を、彼女と分かち合いたかったのかもしれない。潜在意識の中、俺は冒険者に憧れていた。
俺はその後、倒れた死体を確認した。
万があったら、大変だ。俺はうつ伏せになった死体をよく観察し、確認しようとして、ようやく気が付いた。
「え……?」
ラケナリアを襲った存在。
それは、俺の育て親。イベリスその人だった。
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