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二日目 事件
二日目・8 表現者は音楽で死者を送る
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「戸田君、歌は好き?」
不意に明智さんが訊いた。
「好きだね。声を使う表現の一つとして」
戸田さんの答えに、明智さんは面白そうに笑った。
「根っから表現者なんだね、君は」
「お互い様だろ? でなきゃ、こんなとこにいるわけねえじゃん」
「確かに」
「I’m here. その一言を世の中に言い放つために俺は舞台に立つし、おまえは楽器を持つ。それが表現者だ。その一言を感じたからこそ、おまえは音楽を欲したわけだし、俺はここにおまえを訪ねた。──同種の人間だよ、俺達は」
「そうだね」
二人は共犯者のように微笑んだ。
「じゃ、表現者の一人として何か一曲弾こうか」
「いいなぁ」
戸田さんはさりげなく窓を開けると、窓わくに軽く腰掛けた。
「ここで死んだ一つの魂への手向けになるような奴を。なるべく明るいのがいいな。ゴスペルって確か、本来は陽気に死者を送り出すための音楽だろ。死人だってにぎやかな方が成仏しやすいんじゃねーの?」
「判った」
明智さんはにっこり笑って、鍵盤に指を走らせ始めた。さっきとは打って変わって、明るく軽快な曲調だ。よく聴くと、同じフレーズをほんのちょっとずつ変えながら繰り返している。戸田さんはしばらくそれをじっと聴いていたが、いきなり座っていた窓枠から飛び降りると息を軽く吸って──歌い始めた。
舞台の上で出すような張りのある声が、ピアノの音色とあいまって素晴らしいアンサンブルを奏でている。そして、──音楽のことなどよく知らない僕にさえ、はっきりと判った。戸田さんが演奏に加わった瞬間、明智さんのピアノの音が明らかに変化したのだ。さっきより数段艶めいて、奥行きがあって、深い音色に。
僕は──呆然と──この演奏を聴いて──僕は今、何を聴いている?
二人の異なる表現者の個性がぶつかり合い、競いつつ、互いを高め合う──その瞬間を、僕は確かに耳にしていた。
すごいすごいすごいすごいすごい。
僕の言語中枢は馬鹿みたいにそればかりを繰り返していた。
やがて、演奏はクライマックスに差し掛かり、その熱さとともに終わった。ピアノの音と歌声が、申し合わせたように同時に止まった。しばしの余韻。そして、割れるような拍手がとどろいた。
拍手してるのは僕だけじゃない。いつのまにか、みんなここに集まって来ていたのだった。
「これだよ……これだよなあ、明智さんの“音”は!」
上月さんが、感極まったように言った。隣で、大江さんが上気した顔でうなずいた。
「あー……久々に、音楽に酔っ払った」
「はは……俺も脳内麻薬の出過ぎでラリっちまった」
明智さんと戸田さんはそう言葉を交わし、笑顔で手を叩き合った。
──明智さんとその仲間達が音楽プロデューサー仰木潤に見出され、高校卒業を待たずにプロデビューするのは、もう少し後の話になる。
☆
それから先は、大した事件もなく時間が過ぎて行った。柴田さんは相変わらずつまらなさそうな顔で木野さんにくっついていたし、戸田さんは木野さんとケンカしながらも夕飯を作り、大江さんは(持ち前の人当たりのよさもあるんだろうけど)実に自然に他校の人達と打ち解け合っていた。
特に三沢さんは自分の映画の参考にしようと思ってるらしく、あの芝居の脚本を書いたという大江さんをあれこれ質問攻めにしていた。ただし、肝心のラスト部分に関しては、何を訊いても答えてもらえなかったようだ。
そんな風にして、長かったような短かったような二日目は過ぎて行った。
★
トイレに行くふりをして、木野友則はそっと教室を離れた。
誰もいないのを確認してから、自分の携帯を取り出して電源を入れる。防水機能のついていたガラケーは、どうやら持ちこたえてくれていたようだ。相手を呼び出す。
『君ですか。電話にもメールにもSNSにも応答がないんで、みんな心配してましたよ』
電話の向こうから、若い男の声がした。
「あっしー……いや、芦田先生。悪い知らせがある」
『……君が僕をそう呼ぶということは、尋常ではないことが起こったようですね』
電話の向こうの声が固くなる。
「拓が──菅原拓巳が、死んだ」
しばらくの沈黙。
『……どういうことです』
「──殺された」
再び、相手は絶句した。
『犯人は……』
「俺らじゃないことは確かだな」
『警察には?』
「こちらからは、連絡が取れないことになってる。この携帯は、うまいことごまかせたけどな。……あっしーの知り合いに刑事さんいたろ、県警の。あの人通じてこっちの警察手配出来ないかな。なるべくなら、目立たないように来て欲しいから」
『判りました、彼に連絡を取ります。ついでに、僕もそっちに向かいますね』
「え、来れるの?」
『国道や高速はもう復旧してますから。高速を飛ばして行きますよ』
「判った。じゃあ、明日には会えるな」
『……木野君。勝算はありますか?』
相手の問いに、木野友則は口元に笑みを浮かべた。
「ないわけねえだろ」
『愚問でした。では、また』
木野友則は電話を切って、何食わぬ顔で教室に戻って行った。
──明日には、きっとケリがつく。
不意に明智さんが訊いた。
「好きだね。声を使う表現の一つとして」
戸田さんの答えに、明智さんは面白そうに笑った。
「根っから表現者なんだね、君は」
「お互い様だろ? でなきゃ、こんなとこにいるわけねえじゃん」
「確かに」
「I’m here. その一言を世の中に言い放つために俺は舞台に立つし、おまえは楽器を持つ。それが表現者だ。その一言を感じたからこそ、おまえは音楽を欲したわけだし、俺はここにおまえを訪ねた。──同種の人間だよ、俺達は」
「そうだね」
二人は共犯者のように微笑んだ。
「じゃ、表現者の一人として何か一曲弾こうか」
「いいなぁ」
戸田さんはさりげなく窓を開けると、窓わくに軽く腰掛けた。
「ここで死んだ一つの魂への手向けになるような奴を。なるべく明るいのがいいな。ゴスペルって確か、本来は陽気に死者を送り出すための音楽だろ。死人だってにぎやかな方が成仏しやすいんじゃねーの?」
「判った」
明智さんはにっこり笑って、鍵盤に指を走らせ始めた。さっきとは打って変わって、明るく軽快な曲調だ。よく聴くと、同じフレーズをほんのちょっとずつ変えながら繰り返している。戸田さんはしばらくそれをじっと聴いていたが、いきなり座っていた窓枠から飛び降りると息を軽く吸って──歌い始めた。
舞台の上で出すような張りのある声が、ピアノの音色とあいまって素晴らしいアンサンブルを奏でている。そして、──音楽のことなどよく知らない僕にさえ、はっきりと判った。戸田さんが演奏に加わった瞬間、明智さんのピアノの音が明らかに変化したのだ。さっきより数段艶めいて、奥行きがあって、深い音色に。
僕は──呆然と──この演奏を聴いて──僕は今、何を聴いている?
二人の異なる表現者の個性がぶつかり合い、競いつつ、互いを高め合う──その瞬間を、僕は確かに耳にしていた。
すごいすごいすごいすごいすごい。
僕の言語中枢は馬鹿みたいにそればかりを繰り返していた。
やがて、演奏はクライマックスに差し掛かり、その熱さとともに終わった。ピアノの音と歌声が、申し合わせたように同時に止まった。しばしの余韻。そして、割れるような拍手がとどろいた。
拍手してるのは僕だけじゃない。いつのまにか、みんなここに集まって来ていたのだった。
「これだよ……これだよなあ、明智さんの“音”は!」
上月さんが、感極まったように言った。隣で、大江さんが上気した顔でうなずいた。
「あー……久々に、音楽に酔っ払った」
「はは……俺も脳内麻薬の出過ぎでラリっちまった」
明智さんと戸田さんはそう言葉を交わし、笑顔で手を叩き合った。
──明智さんとその仲間達が音楽プロデューサー仰木潤に見出され、高校卒業を待たずにプロデビューするのは、もう少し後の話になる。
☆
それから先は、大した事件もなく時間が過ぎて行った。柴田さんは相変わらずつまらなさそうな顔で木野さんにくっついていたし、戸田さんは木野さんとケンカしながらも夕飯を作り、大江さんは(持ち前の人当たりのよさもあるんだろうけど)実に自然に他校の人達と打ち解け合っていた。
特に三沢さんは自分の映画の参考にしようと思ってるらしく、あの芝居の脚本を書いたという大江さんをあれこれ質問攻めにしていた。ただし、肝心のラスト部分に関しては、何を訊いても答えてもらえなかったようだ。
そんな風にして、長かったような短かったような二日目は過ぎて行った。
★
トイレに行くふりをして、木野友則はそっと教室を離れた。
誰もいないのを確認してから、自分の携帯を取り出して電源を入れる。防水機能のついていたガラケーは、どうやら持ちこたえてくれていたようだ。相手を呼び出す。
『君ですか。電話にもメールにもSNSにも応答がないんで、みんな心配してましたよ』
電話の向こうから、若い男の声がした。
「あっしー……いや、芦田先生。悪い知らせがある」
『……君が僕をそう呼ぶということは、尋常ではないことが起こったようですね』
電話の向こうの声が固くなる。
「拓が──菅原拓巳が、死んだ」
しばらくの沈黙。
『……どういうことです』
「──殺された」
再び、相手は絶句した。
『犯人は……』
「俺らじゃないことは確かだな」
『警察には?』
「こちらからは、連絡が取れないことになってる。この携帯は、うまいことごまかせたけどな。……あっしーの知り合いに刑事さんいたろ、県警の。あの人通じてこっちの警察手配出来ないかな。なるべくなら、目立たないように来て欲しいから」
『判りました、彼に連絡を取ります。ついでに、僕もそっちに向かいますね』
「え、来れるの?」
『国道や高速はもう復旧してますから。高速を飛ばして行きますよ』
「判った。じゃあ、明日には会えるな」
『……木野君。勝算はありますか?』
相手の問いに、木野友則は口元に笑みを浮かべた。
「ないわけねえだろ」
『愚問でした。では、また』
木野友則は電話を切って、何食わぬ顔で教室に戻って行った。
──明日には、きっとケリがつく。
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