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二日目 事件
二日目・5 彼にはもう一つの顔がある
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「ずみ君ずみ君」
大江さんと一緒に体育館から出た僕を、戸田さんが手招いた。「ずみ君」と言うのは、どうやら僕のことらしい。勝手に人にあだ名をつけてしまうのが、この人の癖なんだろう。
「ちょっと訊きたいんだが、昨日ムラサキ田君が言ってたシャワー室って……あれ?」
戸田さんは、体育館の裏手に目立たないように建っている小さな建物を指差した。更衣室とシャワー室が一つになっている建物だ。
「はい、そうですけど」
僕がうなずくと、戸田さんは小走りにそちらへ向かい、建物の周囲をを何か探すように見て回っていたが、やがて中に入って行ってしまった。大江さんが、へえ、シャワー室ってあんなとこにあったんだ、と一人ごちた。
「あれ、知らなかったんですか?」
「ああ、さっきはさ、一階に降りてさあ探そうかって時に三沢さんが来てね。結局何も見てないうちに現場に行っちゃったから」
そんなことをしゃべってるうちに、戸田さんが戻って来た。
「床がまだぬれてた」
それだけ言って戸田さんは、昼食の準備があるから、と先にすたすたと行ってしまった。忙しい人だ。
僕と大江さんは後からゆっくりと行くことにした。そこへ。
「星風の大江賢治か──どこかで聞いた名前だと思ってたんだよな」
後ろから声をかけて来たのは、上月さんだった。大江さんは不審そうな顔を上月さんに向けた。
「さすがにここまで噂は伝わっちゃいねェようだが……俺は聞いてるぜ。星風の大江賢治って言やぁ、中坊の頃からそこらの族連中やら何やらに恐れられてた男だ、ってな。まさか、こんな女みてェなツラしてたとはな」
「噂ってのは当てにならないもんだよ」
そっけなく大江さんは答えた。
「確かに中学ん時、何かと言いがかりをつけて来た奴は多かったし、売られたケンカはとりあえず買ってたけど──学校シメてただの、そこらのチンピラ全部従えてただのって話はみんなデマだよ」
人ってのは本当に見かけによらない。いかにも優等生の美少年、って感じの大江さんに、そんな噂があったなんて。
「んなこたぁどーでもいいんだ。俺ぁ今、ムシャクシャして誰か殴りたい気分なんだよ。てめーみてェな、強いって言われてる奴ボコボコにしてやったら──さぞかしスッとするだろうな」
「くっだらない」
大江さんは上月さんに背を向けて歩き出そうとした。
「待てよ、おい! 逃げんのかよ!?」
「やめてくださいよ、上月さん」
「るせえな」
上月さんは僕を乱暴に突き飛ばした。大江さんの足が止まった。上月さんは大江さんの肩をわしづかみにし、そのまま顔面めがけて殴りかかった。僕は思わず眼をつむった。
「あんまり俺を怒らせるな」
低い──すごく、低い声が聞こえた。僕は恐る恐る眼を開いた。
上月さんの拳は、大江さんの手で見事に止められていた。大江さんは目を伏せている。その姿に、──なんだか奇妙なオーラが立ち昇っているような、そんな気がした。
大江さんが顔を上げた。
普段の人当たりのいい笑顔は完全に消え、本来この人が持っている美貌──そう、その時の大江さんはどんな女性にも負けないほど綺麗だったんだ──がダイレクトに表に出ていた。ただし、それはとてつもなく綺麗なのに……とてつもなく、怖かった。
まるで魂の奥底から染み出して来るような、本能的な恐怖。僕はその場で金縛りになり、上月さんは二、三歩後ろによろめいた。今にして思えば、大江さんの何があんなに怖かったのか、どうしても判らないのだけれど。
大江さんはそれ以上何もせず、一人で廊下の向こうに消えて行った。僕と上月さんはほっと息をついた。
「何なんだよ……何だったんだ、今の」
上月さんが冷や汗をぬぐいながら、そうつぶやくのが聞こえた。
大江さんと一緒に体育館から出た僕を、戸田さんが手招いた。「ずみ君」と言うのは、どうやら僕のことらしい。勝手に人にあだ名をつけてしまうのが、この人の癖なんだろう。
「ちょっと訊きたいんだが、昨日ムラサキ田君が言ってたシャワー室って……あれ?」
戸田さんは、体育館の裏手に目立たないように建っている小さな建物を指差した。更衣室とシャワー室が一つになっている建物だ。
「はい、そうですけど」
僕がうなずくと、戸田さんは小走りにそちらへ向かい、建物の周囲をを何か探すように見て回っていたが、やがて中に入って行ってしまった。大江さんが、へえ、シャワー室ってあんなとこにあったんだ、と一人ごちた。
「あれ、知らなかったんですか?」
「ああ、さっきはさ、一階に降りてさあ探そうかって時に三沢さんが来てね。結局何も見てないうちに現場に行っちゃったから」
そんなことをしゃべってるうちに、戸田さんが戻って来た。
「床がまだぬれてた」
それだけ言って戸田さんは、昼食の準備があるから、と先にすたすたと行ってしまった。忙しい人だ。
僕と大江さんは後からゆっくりと行くことにした。そこへ。
「星風の大江賢治か──どこかで聞いた名前だと思ってたんだよな」
後ろから声をかけて来たのは、上月さんだった。大江さんは不審そうな顔を上月さんに向けた。
「さすがにここまで噂は伝わっちゃいねェようだが……俺は聞いてるぜ。星風の大江賢治って言やぁ、中坊の頃からそこらの族連中やら何やらに恐れられてた男だ、ってな。まさか、こんな女みてェなツラしてたとはな」
「噂ってのは当てにならないもんだよ」
そっけなく大江さんは答えた。
「確かに中学ん時、何かと言いがかりをつけて来た奴は多かったし、売られたケンカはとりあえず買ってたけど──学校シメてただの、そこらのチンピラ全部従えてただのって話はみんなデマだよ」
人ってのは本当に見かけによらない。いかにも優等生の美少年、って感じの大江さんに、そんな噂があったなんて。
「んなこたぁどーでもいいんだ。俺ぁ今、ムシャクシャして誰か殴りたい気分なんだよ。てめーみてェな、強いって言われてる奴ボコボコにしてやったら──さぞかしスッとするだろうな」
「くっだらない」
大江さんは上月さんに背を向けて歩き出そうとした。
「待てよ、おい! 逃げんのかよ!?」
「やめてくださいよ、上月さん」
「るせえな」
上月さんは僕を乱暴に突き飛ばした。大江さんの足が止まった。上月さんは大江さんの肩をわしづかみにし、そのまま顔面めがけて殴りかかった。僕は思わず眼をつむった。
「あんまり俺を怒らせるな」
低い──すごく、低い声が聞こえた。僕は恐る恐る眼を開いた。
上月さんの拳は、大江さんの手で見事に止められていた。大江さんは目を伏せている。その姿に、──なんだか奇妙なオーラが立ち昇っているような、そんな気がした。
大江さんが顔を上げた。
普段の人当たりのいい笑顔は完全に消え、本来この人が持っている美貌──そう、その時の大江さんはどんな女性にも負けないほど綺麗だったんだ──がダイレクトに表に出ていた。ただし、それはとてつもなく綺麗なのに……とてつもなく、怖かった。
まるで魂の奥底から染み出して来るような、本能的な恐怖。僕はその場で金縛りになり、上月さんは二、三歩後ろによろめいた。今にして思えば、大江さんの何があんなに怖かったのか、どうしても判らないのだけれど。
大江さんはそれ以上何もせず、一人で廊下の向こうに消えて行った。僕と上月さんはほっと息をついた。
「何なんだよ……何だったんだ、今の」
上月さんが冷や汗をぬぐいながら、そうつぶやくのが聞こえた。
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