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「やあ」
久し振りの来客は、僕の学校の先生だった。芦田風太郎。そんなに面識があるわけじゃないけど、学校でも一~二を争う変な先生だと言われている。
長いこと見なかったからか、先生は僕の記憶の中の芦田先生とは少し印象が違っていた。眼鏡をかけていないからかも知れない。何だ、この先生、眼鏡をしてないと結構いい男じゃないか。
「なんで来たのさ」
「君をここから出すために」
先生は簡潔に答えた。
「ダイレクトだね」
「遠回しに言っても仕方ないだろう」
「そりゃそうだ」
先生は僕が座っている場所に近づいて来た。長身の先生を見上げるのは、少し疲れる。
「僕がここから出ないって言ったら、どうする気?」
「君は出るさ。出ざるを得なくなる」
先生の口調は、奇妙に断定的だった。
「あんたもそうやって決め付けるんだ」
ちょっとはマシだと思ってたのに。
「君はここから出たくないのか?」
さりげなく、しかしよく通る声で。先生は僕に訊いて来た。出たい? ここから? 僕が? そんなの、考えたことすらない。外は僕には辛すぎるんだ。それがみんな、判ってない。僕はうつむいた。先生の顔を見上げているのは、疲れる。
「……君が何故ここに閉じこもるようになったか、覚えているか?」
覚えてはいないけれ──それがどうしたって言うんだ。僕は答えなかった。
「そうか──抑圧してしまったんだな。自分達にとって何よりも辛い記憶だから」
短く何かを考えて、先生は再び言葉を発した。
「君を恐喝していた少年達は、逮捕されたよ」
……恐喝?
その言葉を聞いた途端、僕の記憶の奥底から何かが頭をもたげた。僕は得体の知れない恐怖を覚えた。いけない。思い出しては、いけない。思い出してしまったら──
──おしまい、だ。
「それも恐喝の罪だけじゃない。殺人の容疑もかかっている」
言うな。それ以上言うな!
がくん、と部屋全体が揺れた。書棚から本が次々と宙に舞った。スタンドが、パソコンが、机が椅子がベッドが。一斉に先生に向かって襲い掛かった。
「静まれ」
先生は一言、そう言った。
ぴたり、と全てのものがそのままで静止した。次の瞬間、それらはガラガラと音を立てて床に落ちる。先生は僕の傍らに膝をついた。
「なあ、世の中には潮時ってものがあるんだ。そろそろ認めた方が、誰にとってもいい」
「うん……判ってる」
今、判ってしまった。自分が一体、何なのか。
「でも、僕はまだ、ここにいたいよ」
ボロボロと涙がこぼれ出た。何故泣いてるんだろう、僕は。誰かのため? それとも、自分自身のため? 考えてみてもよく判らなかった。それより先に何だか判らない感情ばかりがあふれて来て、止めようにも止められなかった。
「それは出来ないんだ。何もかも思い出してしまったからには」
ゆらり、と。部屋が揺れる。周りの風景が調子の悪いCG画面のように崩れて行く。
「もうこの空間も、こんなに不安定になっている。もともとここは不安定な場所だったが──そろそろバランスが崩れかけていた頃だ。自分自身さえ巧妙に騙していようが、無理が来るのは仕方がない」
僕の脳裏に、一つの風景が浮かんだ。今まで忘れようとして……記憶の奥底に押しこめていた風景だ。河原。草の生い茂る。僕は取り囲まれている。何人もの人間。最初の拳が腹に入る。崩れ落ちる体。痛み。青臭い、草の匂い。
「もういい」
先生が言った。
「もう、そんなことは──思い出さなくていいんだ」
最後に僕が見たのは、本当に切なそうな先生の眼だった。僕の意識は闇の中に溶けて行った。
久し振りの来客は、僕の学校の先生だった。芦田風太郎。そんなに面識があるわけじゃないけど、学校でも一~二を争う変な先生だと言われている。
長いこと見なかったからか、先生は僕の記憶の中の芦田先生とは少し印象が違っていた。眼鏡をかけていないからかも知れない。何だ、この先生、眼鏡をしてないと結構いい男じゃないか。
「なんで来たのさ」
「君をここから出すために」
先生は簡潔に答えた。
「ダイレクトだね」
「遠回しに言っても仕方ないだろう」
「そりゃそうだ」
先生は僕が座っている場所に近づいて来た。長身の先生を見上げるのは、少し疲れる。
「僕がここから出ないって言ったら、どうする気?」
「君は出るさ。出ざるを得なくなる」
先生の口調は、奇妙に断定的だった。
「あんたもそうやって決め付けるんだ」
ちょっとはマシだと思ってたのに。
「君はここから出たくないのか?」
さりげなく、しかしよく通る声で。先生は僕に訊いて来た。出たい? ここから? 僕が? そんなの、考えたことすらない。外は僕には辛すぎるんだ。それがみんな、判ってない。僕はうつむいた。先生の顔を見上げているのは、疲れる。
「……君が何故ここに閉じこもるようになったか、覚えているか?」
覚えてはいないけれ──それがどうしたって言うんだ。僕は答えなかった。
「そうか──抑圧してしまったんだな。自分達にとって何よりも辛い記憶だから」
短く何かを考えて、先生は再び言葉を発した。
「君を恐喝していた少年達は、逮捕されたよ」
……恐喝?
その言葉を聞いた途端、僕の記憶の奥底から何かが頭をもたげた。僕は得体の知れない恐怖を覚えた。いけない。思い出しては、いけない。思い出してしまったら──
──おしまい、だ。
「それも恐喝の罪だけじゃない。殺人の容疑もかかっている」
言うな。それ以上言うな!
がくん、と部屋全体が揺れた。書棚から本が次々と宙に舞った。スタンドが、パソコンが、机が椅子がベッドが。一斉に先生に向かって襲い掛かった。
「静まれ」
先生は一言、そう言った。
ぴたり、と全てのものがそのままで静止した。次の瞬間、それらはガラガラと音を立てて床に落ちる。先生は僕の傍らに膝をついた。
「なあ、世の中には潮時ってものがあるんだ。そろそろ認めた方が、誰にとってもいい」
「うん……判ってる」
今、判ってしまった。自分が一体、何なのか。
「でも、僕はまだ、ここにいたいよ」
ボロボロと涙がこぼれ出た。何故泣いてるんだろう、僕は。誰かのため? それとも、自分自身のため? 考えてみてもよく判らなかった。それより先に何だか判らない感情ばかりがあふれて来て、止めようにも止められなかった。
「それは出来ないんだ。何もかも思い出してしまったからには」
ゆらり、と。部屋が揺れる。周りの風景が調子の悪いCG画面のように崩れて行く。
「もうこの空間も、こんなに不安定になっている。もともとここは不安定な場所だったが──そろそろバランスが崩れかけていた頃だ。自分自身さえ巧妙に騙していようが、無理が来るのは仕方がない」
僕の脳裏に、一つの風景が浮かんだ。今まで忘れようとして……記憶の奥底に押しこめていた風景だ。河原。草の生い茂る。僕は取り囲まれている。何人もの人間。最初の拳が腹に入る。崩れ落ちる体。痛み。青臭い、草の匂い。
「もういい」
先生が言った。
「もう、そんなことは──思い出さなくていいんだ」
最後に僕が見たのは、本当に切なそうな先生の眼だった。僕の意識は闇の中に溶けて行った。
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