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現場は捜査員や鑑識の人間でごった返していた。彼らの表情は一様に無表情に見えたが、そこはかとない苦渋に満ちていた。無理もない。死んだのは、まだ高校生の少年だったのだから。
普段は人気のない、町外れの廃ビル。それが現場だった。
少し離れた場所で一人の若い男がたたずんでいた。何処か野性味のある整った顔立ちの青年。彼は煙草をくわえ、ライターで火をつけた。紫煙が一筋、空高くまでたなびいた。
「武田さん」
声をかけられ、彼は振り向いた。
黒縁の眼鏡をかけた、彼と同じ歳恰好の青年が、影のようにそこに立っていた。黒縁眼鏡の青年がいつその場に現れたのか、武田と呼ばれた男には全く判らなかった。この眼鏡はそういう男だった。
「よう、センセイ」
だから武田はそう応えた。そうとしか反応のしようがなかった。
「死んだのがうちの生徒だというのは、本当ですか?」
いつもはニコニコとわざとらしい笑顔を浮かべている青年だったが、今日ばかりはそうは行かなかったようだ。
「あいにくと本当だぜ。学生証があった」
武田は学生証に記されていた住所氏名を見せた。青年は眉をひそめた。
「確かに、うちの生徒ですね」
青年は顔を上げた。眼鏡の奥の瞳は、どちらかと言うと童顔なこの青年には似つかわしくないほどに鋭い。いや──これが実はこの青年の本質なのだと、武田には理解っていた。
「……で、君はここに何を見ました?」
「何も」
青年の問いに、武田は短く答えた。
「何も? あらゆる死者の無念を読み取る君が、現場に立ってその目に何も映さなかった、と?」
何処かなじるような視線を軽く受け流し、武田は紫煙を吸い込んだ。
「ここには──何もなかったんだ」
★
僕が自分の部屋に引きこもるようになって、どれくらい経つだろう。
部屋から一歩も出ないでいるうちに、時間の感覚などほとんど忘れてしまっている。だから、今がいつかも判らない。この部屋にこもってから、一週間くらいしか経ってないようにも、十年くらい経ったようにも感じる。
ここに引きこもるようになった、最初のきっかけが何だったかも良く覚えていない。
ただ、何となく判る。自分の中から声がする。ここから出てはいけない、と。外は恐ろしいから。きっと僕は、ひどく傷つきやすい人間なのだろう。外での生活に、僕は耐えられなかったのだ。だからこもった。それしかなかったから。
父も兄も、そんな僕を理解していないらしい。二人とも、まるで僕がいないように振舞っている。彼らには僕が負け犬に見えるのだろう。世の中に負けて、自分の中に逃げ込んだ弱い人間だと。確かにそんな面がないとは言わない。でも、みんながみんな、自分達のように輝かしい道を歩けるわけじゃないんだ。あの人達にはそれが判ってない。
母は、それでも時々ドアの外からぼそぼそと話しかけて来る。時折泣いてもいるようだ。そんな時は流石に母に対してすまない気持ちになる。でもごめん、母さん、僕はここから出られないんだ。ドアの外からの母の言葉は僕の心まで届かず、僕も母には答えない。だから、父や兄より母の方が近くはあるけど、決してつながっているわけではない。
学校の友人などもいない。もともと入りたくて入った学校じゃなかった。兄に負けないようにと、無理をして入った私立高。無論僕のレベルで授業について行けるはずもなく、どんどん成績は落ちて行った。落ちこぼれた僕は他の連中と離れて行った。自分が惨めになるだけだから。そういうわけで最初の頃はともかく、ここ最近は担任の先生すら訪ねて来なくなった。もっとも先生も誰も彼も、このドアの前にすら来ることはなかったけれど。
この部屋に何かがあるわけじゃない。むしろ、何もないと言った方がいい。でもいいんだ。何かがあれば、それは変化に通じる。変化なんかいらない。僕に必要なのは、絶対の安定。それだけでいい。他人もいらない。僕を脅かすものだから。
いつまでもここでこうしていること。
それだけが僕の望みだった。
普段は人気のない、町外れの廃ビル。それが現場だった。
少し離れた場所で一人の若い男がたたずんでいた。何処か野性味のある整った顔立ちの青年。彼は煙草をくわえ、ライターで火をつけた。紫煙が一筋、空高くまでたなびいた。
「武田さん」
声をかけられ、彼は振り向いた。
黒縁の眼鏡をかけた、彼と同じ歳恰好の青年が、影のようにそこに立っていた。黒縁眼鏡の青年がいつその場に現れたのか、武田と呼ばれた男には全く判らなかった。この眼鏡はそういう男だった。
「よう、センセイ」
だから武田はそう応えた。そうとしか反応のしようがなかった。
「死んだのがうちの生徒だというのは、本当ですか?」
いつもはニコニコとわざとらしい笑顔を浮かべている青年だったが、今日ばかりはそうは行かなかったようだ。
「あいにくと本当だぜ。学生証があった」
武田は学生証に記されていた住所氏名を見せた。青年は眉をひそめた。
「確かに、うちの生徒ですね」
青年は顔を上げた。眼鏡の奥の瞳は、どちらかと言うと童顔なこの青年には似つかわしくないほどに鋭い。いや──これが実はこの青年の本質なのだと、武田には理解っていた。
「……で、君はここに何を見ました?」
「何も」
青年の問いに、武田は短く答えた。
「何も? あらゆる死者の無念を読み取る君が、現場に立ってその目に何も映さなかった、と?」
何処かなじるような視線を軽く受け流し、武田は紫煙を吸い込んだ。
「ここには──何もなかったんだ」
★
僕が自分の部屋に引きこもるようになって、どれくらい経つだろう。
部屋から一歩も出ないでいるうちに、時間の感覚などほとんど忘れてしまっている。だから、今がいつかも判らない。この部屋にこもってから、一週間くらいしか経ってないようにも、十年くらい経ったようにも感じる。
ここに引きこもるようになった、最初のきっかけが何だったかも良く覚えていない。
ただ、何となく判る。自分の中から声がする。ここから出てはいけない、と。外は恐ろしいから。きっと僕は、ひどく傷つきやすい人間なのだろう。外での生活に、僕は耐えられなかったのだ。だからこもった。それしかなかったから。
父も兄も、そんな僕を理解していないらしい。二人とも、まるで僕がいないように振舞っている。彼らには僕が負け犬に見えるのだろう。世の中に負けて、自分の中に逃げ込んだ弱い人間だと。確かにそんな面がないとは言わない。でも、みんながみんな、自分達のように輝かしい道を歩けるわけじゃないんだ。あの人達にはそれが判ってない。
母は、それでも時々ドアの外からぼそぼそと話しかけて来る。時折泣いてもいるようだ。そんな時は流石に母に対してすまない気持ちになる。でもごめん、母さん、僕はここから出られないんだ。ドアの外からの母の言葉は僕の心まで届かず、僕も母には答えない。だから、父や兄より母の方が近くはあるけど、決してつながっているわけではない。
学校の友人などもいない。もともと入りたくて入った学校じゃなかった。兄に負けないようにと、無理をして入った私立高。無論僕のレベルで授業について行けるはずもなく、どんどん成績は落ちて行った。落ちこぼれた僕は他の連中と離れて行った。自分が惨めになるだけだから。そういうわけで最初の頃はともかく、ここ最近は担任の先生すら訪ねて来なくなった。もっとも先生も誰も彼も、このドアの前にすら来ることはなかったけれど。
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いつまでもここでこうしていること。
それだけが僕の望みだった。
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