幸福論

立華あみ

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 期待に満ちた心と体を鎮めることが出来ない。絢聖は一緒に帰ろうという秋頼の提案を断った。十数年、悠しか知らず過ごしてきたが、秋頼の温もりを知った今、他の男の誘いに乗るハードルは非常に低かった。
 とにかく年上の男性に優しくされたい。そうでなければ、この孤独を癒せそうにない。
 ––––綺麗だろう…。
 柔らかそうなブルネットの髪、温和な雰囲気。くりくりと大きな目が可愛らしさを残している男は自分より三つ年上らしい。
「綺麗です。それにとても飲みやすい」
 昭和モダンな雰囲気が漂うバーに連れ込まれた絢聖は、お酒と雰囲気にすでに酔いはじめていた。秋頼との解散後、マッチングアプリで知り合った彼…佐上さん。位置情報を確認した所、彼がヒットし、すぐに合流した。
 話もそれなりに上手く、気を紛らわせる相手としては丁度良い。美味しいお酒、適度に盛り上がる話題、許容内の容姿。一夜の関係だけであれば充分だ。
 悠以外を知ってさえしまえば、悠に対する不安も、秋頼に対する執着も弱まるかもしれない。
 馬鹿げたことを考えている自覚はある。愛されるだけの魅力がある自信がない。悠と別れて、次の相手と出会えないのが怖い。
 秋瀬に甘えたいが面倒臭がられたくない。嫌われたくない。他の人と経験を積んでしまえば、二人に執心せずに済むかもしれない。愚かな行為だと自覚していても、少し自由になりたかった。
 佐上は、絢聖を心地良い言葉でちやほやしてくれる。肉体という対価を払えば、一時はこの淋しさを埋めてくれるかもしれない。
 ––––だが、そこに熱情はあるのか。
 あの日、秋頼が自分の孤独を理解してくれたことは、絢聖にとってかつてない程の癒しであった。だらしない色男に甘い言葉を掛けられて、ホッとしてしまった。他人から見たらその程度のことなのかもしれない。それでも、あの時の秋頼との時間が自分を支え、救ってくれた。
 自分を不安にさせてばかりの悠に不満はあるが、悠を支え、彼から健全な愛を受けることで自分のまともな精神性を保てているのも事実だ。
 秋頼に息も出来ないほど愛されたい、悠のことは大きな愛で支えたい、好きな人には尽くしたい。それは、やはりあの二人でないと駄目なのだ。
 帰ろうと思う。ずるくても、最低でも、都合が良くても、欲深い自分に向き合わなくてはならない。そうでなければ生きてはいけない。欲深い自分を受け入れた今、自分は謙虚にはなれないことを自覚してしまった。
「本当にごめんなさい…帰ります」
 小さい頃から愛に飢えていた。父に褒められる兄が羨ましくて、常に親の関心を引きたいと感じていた。
 優しく強い兄は美しく、いつまでたっても絢聖は、自分に自信が持てなかった。
 自分に自信がないから、人に期待する。けれど、人をコントロールすることは出来ないから、希望と結果の落差に失望する。
 そして、その事実を客観視出来てしまうからこそ、自己嫌悪する。
 生きづらいと思う。それでも、この性格を受入れ、折り合いをつけなければ。
 まずは帰って、気持ちを整理しよう。人に振り回されてばかりで疲れていたから、思考放棄をしていた。自分の気持ちに向き合い、考えをまとめたい。
 絢聖は、数枚の紙幣をテーブルに置くと、重厚な木製の扉を開け、店を出ると、家路を急いだ。終電間際に乗り込んだ電車に揺られながら絢聖は、自分の感情を振り返る。
 秋頼が好きだ…彼の情熱に触れたい。彼に愛されたい。けれど、悠を放ってはおけない。態度は淡白だが、何より絢聖のことを大切にしてくれている。
 目標も目的も、あまり持たないタイプの悠が、頑張れているのは僕を守ろうとしてくれているから。それが、理解出来るから。そんな彼を、支え続けたい。
 二人とも愛したいし、愛されたい。許されないことだと思う…けれど、拗れた気持ちを自覚してしまえば、抑圧するのは不可能だ。抑え耐える程に膿が溜まり、いずれは、溢れ出す。それが、まさに今なのだから。
 足音に注意し、階段を上る。自宅の玄関扉の前に––––秋頼はいた。
「秋頼さん…何で…」
 駄目だ…自分の気持ちに向き合ってから行動すると決めたのに。彼を前にすると、鼓動が早まり感情がコントロール出来なくなる。
「勝手に来てすまなかったね…。その…隙だらけな雰囲気の君を見てね。やはり、心配になってしまって」
 ––––嬉しい。秋頼が、鼻先を赤くしている。きっと、極寒の中、数時間も待ってくれた。
「大丈夫です。ちょっと、その…寄り道をしてから帰っただけですから」
「そうか…寄り道か」
 その先を言い淀む秋頼の態度に、自分の行動が見透かされているのがわかる。秋瀬と絢聖は似た者同士なのだ。淋しい者同士、相手の孤独を感じ取ってしまう。大体の行動は読まれるのだ。
「何にもないですよ…会ってはみましたが、びびってしまって。帰ってきました」
 自嘲気味に絢聖は笑い、言葉を続ける。
「浮気も出来なかったくせに、秋頼さんが欲しい。だけど、悠とは別れたくないんです。最低…なんですっ」
 堪えきれず、嗚咽を上げ泣き出した絢聖を秋頼が強く抱きしめてくる。
「時間も遅い。部屋に入れてくれるね?」
「はい…」
 絢聖は震えた手で玄関扉の鍵を開ける。玄関に飾られた、悠と絢聖の写真を秋頼は見つめ「すまない…」と小さく呟いた。
 部屋に入り落ち着きを取り戻した絢聖は、兄からもらった中国土産のジャスミン茶を入れた。華やかな花の香りが、部屋に広がる。
「どうぞ…」
「あぁ、ありがとう」
 しばし沈黙が流れるも、話を切り出したのは秋頼だった。
「この前、悠が家に来てね。君にプロポーズする予定だと伝えに来た」
「プロポーズですか?男同士なのに」
「結婚式を上げて、正式に周りに紹介したいと。籍の問題は色々複雑でも、まずは、パートナーであることを周りに示したいそうだ」
「そう…ですか」
 嬉しくないわけではないのだ。ただ、正直何が変わるのだろうと感じてしまう。元々淡白な悠が二人の関係を公にすれば、その安心感から更に、絢聖に対する連絡が減るのではないかとさえ思ってしまう。反面、物事にあまり執着しない悠が覚悟を決めたのだから、生半可な気持ちではないのも理解出来る。
「嬉しくないのかい?」
「いや…そうではなくて。突然で、びっくりしてしまって」
 プロポーズをされたらきっと自分は応えるだろう。それが、彼の生きる励みになるのなら。それに、悠が他のところにはもう行かないと誓いを立ててくれるのだ。それは…とても嬉しい。自分勝手ではあるが、悠には自分以外を愛さないで欲しい…。
 彼に束縛されたい…そうしたら悠のことも縛ることが出来るのに。悠が、重過ぎる愛で繋ぎ止めてくれていたら、きっと秋頼に靡くこともなかったのに。
 まただ…相手に期待ばかり。束縛など、悠が一番理解出来ない感情だ。
「そうか…。君はプロポーズに応えるだろうと思ってね。私と君との関係は今なら引き返せる。色々と悩んだが、三人でライチを食べた日に仲慎ましい君達を見てね。考えた結果、引き返すべきだと思った」
「悠のプロポーズには応えます。ただ…秋頼さんのことが、好きなんです。貴方に抱かれたい…一緒に出掛けたい…連絡がとりたい」
「言っていることが支離滅裂だ…落ち着きなさい」
「めちゃくちゃでも、僕なりに考えて話はしています。悠のことは支えたい、見捨てられない。だけど…愛されたいのは貴方だ!もう、今までみたいな触れ合いだけじゃ満たされない」
「…っ‼」
「好きになってごめんなさい…秋穂さんの気持ちは…どうなんですか。どんな気持ちで、僕に手を出したのですか?」
 一番酷いことを言っているのは自分だ。なのに、涙が溢れ肩が震える。悠も、秋頼も両方欲しい…。もう気持ちに嘘は吐けない。秋頼の返事を、聞くのが怖い…。
 けれど、聞かない訳にはいかない。彼に愛されたい。彼から愛の言葉が聞きたい。
「最初はそうだな…甘えてくる君がたまらなく可愛くて構いたくなってしまった。まぁ…すけべ心がまったくなかったとはいえない。ただ、何だか放ってはおけず、だらだらと連絡をしてしまった。その内…」
「その内?」
 秋頼が本心を話してくれているのだ。急かすのは良くないのに、続きが早く聞きたくて問い返してしまう。
「君が欲しいと思うようになった。君を私の色に染めたい。ただ、これ以上関係を持つからにはひとときの過ちでは終わらせられない」
 震える声で秋頼が愛を、欲を、告げる。不安はある…けれど、彼の言葉を信じたい。
 何より––––嬉しい。彼の愛を浴びて、彼に欲をぶつけられて、秋頼色に染められる。
 被虐傾向を持つ絢聖にとって、それ程までに幸せなことはない。嗜虐性を持ち合わせない悠には不可能な愛し方。それを、秋頼は叶えてくれる。
「だったら、僕を染めて?秋頼さんの為なら何でも出来る…」
 潤んだ瞳で、秋頼を見つめ、絢聖から口付ける。忠誠のキス…。貴方に染められ、貴方に従い、貴方に所有されたい。秋頼は、接吻を受け止めながら、絢聖の髪を撫で問う。
「何でも…ね。悠との新婚生活を送りながら私とも関係すると?」
「はい…僕は、悠に幸せでいて欲しい。だから全てを秘密に出来ます。貴方の息子を支えます…だから、秋頼さんは、僕をいっぱい愛して…」
 倫理から外れ過ぎている自覚はある。それでも、悠に幸せでいて欲しい気持ちは絢聖も秋頼も一緒だ。そして、互いの孤独を理解し、癒し合う関係は秋頼と絢聖でしか築けない。
 –––––ならば、道は一つしかない。
 ––––二人で地獄に堕ちるしかないのだ。
「君は私を愛せるのかい?」
「愛せます。秋頼さんが淋しいと感じない位貴方を喜ばせたい。興奮させたい」 
 秋頼が孤独を感じない位、自分が不安を抱かず済むように、濃厚で甘い時間を彼と共有し続けたい。
 その為なら、悠を騙し切ることさえ、苦ではない。
「––––絢聖、愛している」
 そう言うと秋頼は、僕を抱き上げ寝間に導いた。
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