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第117話 97 幼馴染の本音
しおりを挟む外から鳥の囀る声と差し込む日差しに気づいて飛び起きた。
「もう朝!?」
あんなことがあったのでなかなか眠れなかったけど、気づけば寝入っていたらしい。日の出とともに動くつもりだったのに、思ったより疲れていたのかちょっと出遅れてしまった。
焦る気持ちに急かされながら服を着替える。大丈夫、本格的に人が動き出すにはまだ少し早い。とはいえ日の出とともに城門は開いているだろうから、マルシェに店を出す人達はもう動いているはず。
急いで顔を洗って、適当に髪に櫛を通す。結うのは帰ってからでいい。化粧をするか数秒悩んだけど、それより時間が惜しかった。仕事に行く前に往復しないと。
(まだこの時間なら落ちてるかもしれない……っ)
編み上げブーツに足を突っ込んで部屋を飛び出した。昨日ペンを投げつけたマルシェへ向かって、路地を抜ける。
自分でも諦めが悪いと思う。
でも、もしかしたら、と思うと居ても立っても居られない。
もう誰かが拾っているかもしれない。親切な人なら警邏隊に届けてくれるだろうけど、限りなく期待はできない。ちょっと珍しい物だし、一見して高級品に見えるから、拾われたら質屋に売られそう。いっそ質屋に流されたのなら質屋の店主に頼んでおけば見つかる可能性も零じゃないけど、自分の物にされたらおしまい。
はやく、と気持ちばかりが焦る。なのにこういう時に限って、走ろうとした足首に痛みが走った。
昨夜は必死だったから気にしてる余裕がなかったけど、どうも昨夜よろけた時に足首をねん挫したっぽい。地面を蹴るとズキリと足が痛んで、咄嗟に壁に手をつく。普通に歩く分にはまだどうにかなるけど、力を入れて走ろうとすると駄目だ。
(どうしてこういう時に限ってこうなるの)
ちょっと泣きたい気分に駆られた。
でも泣いてたって、ペンが戻ってくるわけじゃない。ぐっと唇を噛み締めて顔を上げる。
「アル? こんな朝早くに、こんなとこで何してんだ」
早足に切り替えようとしたところで、後ろから声を掛けられた。ビクリと肩が飛び跳ねて、驚いて振り返る。
そこには、ロイの姿があった。
どうやら開店前に得意先へ配達に行くのか、花のたくさん積まれた荷車を引いていた。朝日の下だと赤茶けた髪が光を透かしていつもより赤く見える。ゲームでこういう立ち絵を見た記憶が脳裏を過る。
それはともかく、この通りにロイの実家の花屋があるんだった。いてもおかしくはない。
「おはよう、ロイ」
「ああ、やっぱアルだよな。なんかちょっと顔変わった?」
訝し気に見てくるから何かと思えば、指摘されてドキリとした。
化粧してなかった! それどころじゃなかったし、知り合いに会うことを想定していなかったから油断していた。咄嗟に恥じている風を装って、片手でさりげなく口元を隠す。
「化粧、まだしてないから……」
「女ってほんとに化粧で顔変わるんだな。なんか違うから、一瞬別人かと焦った」
しかしロイは年頃の少女の恥じらいを察してくれない。感心したようにまじまじと私を見て、率直な感想を述べる。
私はあえて別人に見せたくて化粧をしているから怒らないけど、人によってはデリカシーが無いと怒りそうなセリフ。
正直なのはいいことだけど、たまにリズを怒らせているのはこういうところなんだろうな……。
「それより、こんなところで何してるんだよ。まだパン屋はやってねーぞ」
「実は昨日マルシェで落とし物をしたから、ちょっと探しに行こうかと……」
「はぁ? 昨日の今日でそんなとこに一人で出歩こうとするなよ。危ないだろ」
「こんな朝から人攫いなんて出ないでしょう?」
怖い顔をするロイに怯みかけたけど、私も引けないので言い返す。
私だって、何も考えずに動いているわけじゃない。これでも昨夜のうちに戻って探したいのを我慢して、ちゃんと朝まで待ったのだから。
ロイも自分で言ってさすがに心配しすぎだと思ったのか、「まぁ大丈夫だろうけど」と言い直す。だが小さく息を吐き、「どうせマルシェも通るから、そこまで一緒に行く」と申し出られた。
「一人で大丈夫だよ」
「もしアルに何かあったら、リズが心配するだろ」
そう言われてしまうと、荷台を引くロイの隣に並ぶしかない。走っていきたいところだけど、どちらにしろ足が痛くて走れないので諦める。
歩き出したところで、ロイが荷車を振り返って花を1本引き抜いた。片手で茎の水気を払い、「ん」と私に渡してくる。
「えっ!?」
御礼より先に疑問が口を突いて出た。
これはどういう意味なの。咄嗟に受け取ってしまったけど、なぜ花を渡された!?
夕方なら売れ残りの花だとわかる。でもまだ早朝。白い花は瑞々しく咲き誇っている。立派な売り物だ。
しかし、これが私に対する恋の告白的なものでないことは百も承知。でも気軽に女の子に花を配るタイプでもない。だからこそ、ロイの謎な行動に目を瞠った。
「昨日の礼。リズのこと守ってくれたんだろ」
ぶっきらぼうに言われて、そういうことかと胸を撫で下ろした。でも御礼をされるようなことじゃない。
「あれは遅くまでリズを引き留めた私が悪いのだから、御礼をされるようなことじゃないよ」
「昨日だけじゃなくて、アルには感謝してるんだ」
唐突に言われた感謝に全く覚えがない。眉尻を下げて首を傾げた。
するとロイは言葉に悩んでいるのか数秒口籠る。ちょっと経ってから躊躇いがちに「リズのおばさんが亡くなってからさ」と話し出した。
「あいつずっと塞ぎ込んでたんだ。まだ1年も経ってないし、当然だよな。マリーさんもうちの親も気に掛けてたけど、あいつはそういう時は絶対心配させないように無理に笑ってみせたりするんだよ。見てらんなかった。でもなんとかしてやりたくても、俺だけじゃどうにも出来なくてさ」
本心を零すことに躊躇いがあるからか、ロイの声は少し硬い。けれどそこまで話すとこちらに視線を向け、少しだけ笑った。
「そんなときにアルが来て、リズがまたちゃんと笑えるようになったんだ」
「!」
「アルが夜に出歩こうとするぐらい世間知らずで心配だとか、料理が苦手みたいで野菜は全部生で齧ろうとするから見てられないとか。そのくせ、お嬢様だと思ってたのに害虫駆除してくれたとか。この辺りは同じ年の奴って俺しかいなかったから、同じ年の女友達はアルが初めてなんだよな。リズはそれが嬉しかったみたいだ」
半分以上が私の黒歴史だったけど、ここは黙って聞いた。
「アルはなんかちょっと……事情があるんだろ? 最初は警戒されてたって言うし、どうしたら仲良くなれるだろうって、俺に訊かれても知るかよってことまで相談されたりしてたんだけど」
痛い所を突っ込まれて思わず言葉を失った。
リズには私が訳有りなことは伝わっていたのだ。当たり前といえば当たり前だった。平民なら誰でも出来そうなことも知らなくて、貴族の紹介状を持ってるのにこんなところに一人でいる。怪しいことこの上ない。
でも何も聞かずにいてくれた。そういえば家族の話になった時も、私が言い難そうにしているとすぐに話題は別のことへと移っていった。たぶん気を遣ってもらっていたのだ。
「俺としてはあんまり関わらない方がいいんじゃないかと思ってたんだけどな。でもアルが来てから、リズは前と同じぐらい元気になってきた」
リズのことを語るロイの横顔は優しくて、本当に大切なのだと伝わってくる。それは恋愛的な意味だけでなく、幼馴染としての絆が見えた。
「だから、それはその礼。と、勝手に警戒してた詫び。リズを元気にしてくれて、ありがとな」
そう言ってロイはばつが悪そうな顔をした後、照れ臭そうに笑った。
年齢よりちょっと大人びて見えるのは、守りたいものがある人の顔なんだろうか。見ているだけで心にあたたかいものが灯ったように感じられる。
ゲームで推しカプだったとか関係なく、純粋に二人が並ぶ姿は愛しく、眩しく映る。
「お世話になってるのは私の方だよ」
「それは否定しない。せめて野菜は茹でるか焼くか出来るようになれよ。このままだと未来の旦那が泣くぞ」
ほっこりしていたところで、何気ない一言に現実を突きつけられた。とても余計なお世話です。
(それにそんな心配されなくても私が誰かと結婚することはない、と思う、けど)
チクリと胸が痛む。顔を強張らせてしまったせいか、さすがのロイも失言だったと気づいたらしい。「えっと、ほら、まだ先は長いから頑張れ」と料理の応援をしてくれる。
そういうつもりで落ち込んだわけじゃないけど、ここは苦く笑って流しておいた。
会話が途切れたところで、ちょうどマルシェに着いた。ロイは配達があるからこれ以上は付き合えない。
「しばらくは仕事終わったら工房まで迎えに行くから。待っとけってリズにも伝えといて」
昨夜のことが心配だったのか、迎えを申し出るロイの言葉は有り難かった。頷いて、この場は別れた。
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