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第100話 幕間 男の意地を見せたい(後編)

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 さすがにこれは意外だったのか、シークヴァルド殿下が目を瞠って息を呑んだ。
 だがこれに関しては語るべきことでもないので、ちょっとした無駄話みたいなものだ。

「俺の母は、元は高級娼婦でした。高級娼婦には貴族崩れの娘もいる。俺の母親は元は伯爵令嬢だったらしくて、許嫁がいるのに屋敷で働く下男と駆け落ちして伯爵家から廃嫡されたそうです。ですが結局その男に捨てられて、娼婦にしかなれなかったんでしょうね」

 言伝のような言い方なのは、俺自身が母から聞いたわけじゃないからだ。
 これはアルと子どもを作れと言われた時に、エインズワース公爵が俺に告げた俺の素性だ。
 半分はエインズワース家とはいえ、残り半分はどこの馬の骨とも知れない相手の血を王家に入れるわけにはいかない。
 俺を引き取るときに、エインズワース公爵が調べ上げたのだろう。

 しかし娼婦になるしかないとは言ったが、俺の母は結構したたかな性格だった。男を手玉に取っている姿も覚えている。
 娼婦でなくともやっていけるたくましさがあったように思える。
 でもあえて高級娼婦になったところを見ると、男という生き物を見返してやるつもりもあったんじゃないだろうか。

「妃殿下が陛下に嫁がれた頃は、オーウェンが妃殿下を気遣って何度か王都に来ていたんでしょう。逆算すると、俺はその時に出来た子どもなんだと思います」

 昔は仲のいい兄妹だったと聞いている。だが兄を見れば、妃殿下は許嫁を思い出すだろう。
 その当時、オーウェンが妹に会えたかはどうかはわからない。もし会えたとしても、不憫な妹の姿を見て心を痛めたことは想像できる。

 そして男が弱った時に頼るものと言えば、酒と女。

 金はある立場だから、やけくそな気分も合わさって花街に救いを求めて行っていたんじゃないだろうか。
 それをどうしようもないと思う反面、なんとなくわかる気もする。
 勿論、別の相手が父親な可能性もある。
 俺は父親であるオーウェンとは似ていない。祖父に似てしまっているから間違いはないと思うが、母は「誰の子かわからないわ」と言っていた。実際、相手は山程いたと思う。
 だが高級娼婦ともなれば、避妊薬を飲んでいる。それでも間違いが起こる可能性もあるが、母は結構稼ぎ頭だったと言っていたから、確実性のある薬を手に入れていたはず。
 ならば俺のことは望んで身籠ったともいえるが、この辺は母が既に亡い以上、真相はわからない。

「ならばおまえを身籠った時点で、おまえの母がオーウェンに身請けを願っていたのでは?」
「それはないと思います。俺の母は貴族が嫌いでした。廃嫡された過去を考えれば、貴族世界に戻りたいとは思わないでしょう」

 娼婦の子として扱われてきた俺は、貴族社会のいやらしさを嫌というほど思い知っている。だから母の気持ちもわかる。
 俺を身籠ってすぐ、母は高級娼婦を辞して花街から一時は消えた。結局俺を抱えて立ち行かなくなった母は戻ってくることになるけれど、今度は普通の娼婦として生計を立てていた。

「オーウェンが俺を見つけたのは、本当に偶然です」

 母が亡くなった後、俺は生きていくために汚いこともやっていた。
 その内の一つ、高級娼館が立ち並ぶ場所で財布を掏ろうとして、失敗した相手。

 いま思うに、多分あれがオーウェンだった。

 夜だから暗かったし、いちいちカモの顔なんて覚えていなかったから確信は持てない。
 けど俺を捕まえた男は、俺を見てひどく驚いた顔をしていた。
 あの時はアルを知っている貴族だと思っていたけれど、よく考えたらアルは表舞台に出ていない。
 図書室を徘徊していたとはいえ、あの頃はまだ極力人を避けていたはずだ。一目でアルとそっくりだと思われる程に認識されているとは思えない。ましてや、俺は黒髪だったのだから印象はかなり違ったはずだ。
 それでもしつこく俺を探し出したことに執念を感じる。
 そうして俺を、エインズワース公爵家に連れていった。

 アルの身代わりにさせるためだと思い込んでいたけれど、爺の子ではなくオーウェンが父親だったというのなら、何かしら思うところがあったんだろう。
 どういうつもりだったのかまでは不明なままだ。あえて今更知りたいことでもない。

「俺がエインズワース公の次男とされたのは、オーウェンの長子とするには外聞が悪かったからだと思います。エインズワース公は多少問題があっても、誰も何も言えませんから」

 オーウェンは誰とも結婚していない。それなのに子どもがいるのは、もし今後婚姻する気ならよろしくない。
 オーウェンが結婚しないのはエインズワース公爵家を存続させないためだと思っていたけれど、今考えるとそれだけでもないような気はする。
 母とオーウェンの間に何があったのかは、俺にはわからない。だけどオーウェン的に、俺をあのまま放置はできないと思える程の情的なものはあったのだろう。

(じゃああの人を父親と思えるかと言えば、思えないんだけどな)

 引き取りはしたものの、あの人は俺を避けていた。いきなり現れた息子に、どう接していいのかわからなかったのかもしれない。
 ならば爺を父だと思えるかと言えば、それもない。

「おまえはオーウェンを父だと知っていて尚、私に売ったのか?」

 淡々と特に感慨もなく語った俺に対し、静かな眼差しで見据えられた。心を見透かすような瞳を真っ向から見つめ返して、迷うことなく口を開く。

「あの人たちは、俺にとって家族にはなりえない。俺の家族は母さんと、アルとメリッサとスラットリー老だけだ」

 確かにあの人には住む場所を、食べるに困らない生活を与えてもらった。
 でもエインズワース公爵家の人間は、他人よりも遠い人達だった。いつだって、心は隔たったままだった。
 あの人たちは、俺を一人の人間としては見てくれなかった。

「そうか」

 シークヴァルド殿下は暫し俺を見つめた後、静かに頷いた。

「実のところ、アルフェを救うだけならいくらでも方法はある。だがアルフェの周り……特におまえもとなると、どうしたものかと思っていた」

 意外なことを言われて目を瞠った。
 いや、アルを救う方法があると言うことに関しては、あるだろうと思っていた。シークヴァルド殿下はアルを守ると言っていた。そうでなくとも、アルは特別な存在なのだと言っていた。
 以前エインズワース公爵にそれらしいことを聞いたことがあるが、所詮はお伽話の妄想だと思って聞き流していた。あれはあながち爺の妄想ではなかったわけだ。
 それはともかく、俺まで救う気でいることに驚いた。
 それが伝わったのか、シークヴァルド殿下が小さく嘆息を吐きだす。

「アルフェにとって、おまえ達も含めてアルフェになっている。一人でも欠ければ、絶対に自分を許さないだろう。あれは結構我儘だ」

 我儘だと言いつつ、その声は優しい。
 けれど顔を上げ、俺を見つめた時にはもうそこに甘さも優しさはなかった。

「セイン・エインズワース。おまえだけはエインズワース公爵家の者だけに、残念だがなんの痛みもなし、というわけにはいかない」

 ごくり、と緊張で乾いた喉を嚥下させる。膝の上、無意識に強く握り締めていた拳が震えた。

「私はこれからランス領に行く。そこで当然、エインズワース公は私を暗殺しようと企てるだろう。現状エインズワース公爵家が救われるには、私が死に、アルフェを王に祭り上げるしかないからな」

 確かにこうなった以上、エインズワース公爵にはそれしか道が残されていない。

「私はそこでエインズワース公が暗殺を首謀者であるという、確実な証拠を得る」

 エインズワース公爵は、現在王都の屋敷に事実上の拘留状態だ。自分では思うように動けないとなれば、嫌でもオーウェンを頼らざるを得ない。
 だがオーウェンは父親の足を引っ張るために、完璧ではない刺客を寄越すだろう。

「私がそれを手に入れたら、おまえが断罪に赴け」

 淡い灰色の瞳は、ひどく冷たかった。

「助かりたいのなら、自分の手で奴らを切り捨てろ。おまえにとっては残酷だが、これは救済措置でもある。私に用意してやれるのはそこまで。出来なければそれまでだ」

 どうする? 視線で問われたそれを、真っ向から受け止めた。
 一度目を閉じて、脳裏の浮かぶ顔を一人一人確かめる。
 こんな時、思い出すのはエインズワース公爵家の人間じゃない。
 面倒臭いアルと、アルに関する事には極端に厳しい生意気なメリッサ、それと厳しいけど俺に身を護る術を教えてくれたスラットリー老。
 血の繋がった人間よりも、これまで一緒にいたあいつらの顔を思い出す方が胸の奥があたたかくなる。
 俺は、それでいい。
 俺の家族は、それだけでいい。それ以外はいらない。
 俺の大事な奴らを人間扱いしないような奴らは、いらない。

(俺が選ぶ答えなんて、一つしかない)



   ***

 届いた書面に目を落とし、胸のざわめきを抑えるように深く息を吐き出す。
 ランス領に滞在しているシークヴァルド殿下からの一報が届いたのは、まだ日が明けたばかりの早朝だった。

(やっとか)

 予定通りの内容に目を通し、即座に身支度を整えた。その間にアルフェンルートの名でスラットリー老に呼び出しを掛ける。
 現在アルは寝込んでいることになっている為、早朝に呼び出しても不審には思われない。
 しかし実際には、アルの私室は祭祀の日以来もぬけの殻。
 元々病弱ということになっていたし、事実このところは体調を崩しがちだった。出歩くようになったのもここ数か月で、それまでは姿が見えることが珍しい奴だったから数週間ぐらいいなくても不審がられない。季節が夏だったこともあり、暑さにやられたんだな、ぐらいにしか思われていない。

 それでも以前と少し違うのは、そんなアルを心配に思う人間が増えたことだ。

 訓練場に行くと、「今日も殿下来ないな」と誰かが呟くのを聞くようになった。
 アルがそこにいるというだけで、一部の上官は点数稼ぎのつもりか高慢な態度を改める。
 激昂に駆られてアルに馬鹿な真似をした者が、それなりに力のある家だったにもかかわらず容赦なく更迭された件が彼らの背筋を正した。下に付く者には有り難い話だ。
 それにアルがいれば、スラットリー老の治療が多少は優しくなる。
 時々アルが珍しい飲食物が提供したからか、単純に餌付けされた者もいるのだろう。
 それまでは厄介者扱いしていたというのに、自分達に利が齎されれば手の平を返すなんて現金なものだと思う。

 ……それにしてもちょっと思い返しただけでも、アルは色々としでかしている。
 たぶんそこまで深く考えていないアルの行動のせいで、俺が今まで無能に思わせようとやってきた苦労は台無しにされたが、あれはアルが皇子だと思われていたからこそやっていたことだ。
 皇女であるアルにとっては、好意的に見られる傾向は良いことなんだろう。

(あいつはこの先も、ここで生きていかなきゃならないんだから)

 俺達がいなくなった後も──。
 溜息を吐いたところで、部屋にノックの音が響いた。
 スラットリー老が来訪を告げる声が聞こえ、すぐに扉を開いて招き入れる。そのすぐあと、スラットリー老と時を置かずして近衛のラッセルも部屋にやってきた。

「これが今朝方届いた」

 二人に書状を差し出せば、先にスラットリー老が元々厳めしい顔を更に顰めて無言で目を通す。

 内容は、シークヴァルド殿下がエインズワース公爵の手の者から暗殺を受けた、というものだった。
 つまり証拠は揃えた、という連絡である。

 今までシークヴァルド殿下の暗殺未遂は数あったものの、実のところエインズワース公爵家が直に動いたことはない。
 エインズワース公爵が動かずとも、その意を組んだ狂信者たちが勝手に行っていたことだ。暗殺を指示した形跡すら欠片もなく、だからこそ王家はこれまで手をこまねいていたともいえる。
 だが今こうして証拠が上がった以上、今度こそ逃れることは出来ない。
 内容を確認して頷いたスラットリー老は苦々しく顔を歪めた。
 スラットリー老はエインズワース公爵と元々古い友人だったという。道を踏み外した友に胸の内でどんな思いを抱いているのか、俺には計り知れない。
 スラットリー老が書状をラッセルに渡し、顰めた表情のまま俺に向き直った。

「オーウェンの元に行くのか」
「ああ。ラッセルも、すぐに行けるな」

 エインズワース公爵家の長子オーウェンは、現在エインズワース公爵領の本宅にいる。
 エインズワース公爵が誰かに嵌められたのだと言って、厳戒態勢を強いて部外者が一切入れないようにされているようだ。
 実際にはあの爺が周りにそう言い含めて、オーウェンを軟禁しているのは余裕で想像できた。
 そしてこの状況下において、緊急の知らせを届けるという名目で角が立つことなくエインズワース公爵家に乗り込むことが出来るのは、一応は身内である俺だけである。
 ラッセルも同行するのは俺が逃げないように、という監視の意味も含めているのだろう。
 それと、単純に俺一人じゃ何かあっても制圧できない。
 視線を向ければ、いつもより少し強張った表情を見せながらもラッセルは頷く。

「はい。陛下からそのように承っています」

 そう言って頷くラッセルの着ている近衛の制服は、今日はいつもと少し違う。
 アルフェンルートに仕えることを示す三本ラインではなく、襟と袖口には一本しかラインが入っていない。

 即ち、陛下直属であることを示す。

 ラインを見る視線に気づいたのか、ラッセルがやや渋い顔で「今だけです」と言い訳をした。
 別に責めてない。本来なら正式な陛下直属の騎士が出向くべきところを、アルの事情を鑑みて今だけ所属を変更させてラッセルを割り当てたことぐらいわかっている。
 だが陛下が直に動かす形になることには、少しどころでなく驚いた。
 アルを冷遇していたとはいえ、ここまで王家に喧嘩を売られれば陛下も動かざるを得ない。
 それとも、これを待っていたと考えるのは穿ちすぎか。

(なんにしろ、これでエインズワース公爵家は潰される)

 この状況で近衛騎士を差し向けるというのは、そういうことだ。
 近衛騎士というだけで、いくつかの特権がある。
 正式に確定している罪状がなくとも、王の勅命という形で対象を捕縛、場合によっては排除することが出来る。それを阻む者は王家への反逆と見なされる為、まず拒否できない。
 ただ乱用すれば王家の信用はなくなるため、余程でなければ振るわれない力だ。

 だからこそ、こうして証拠が揃うのを待っていた。

 そしてきっとオーウェン・エインズワースも、断罪されるのを待っている。
 父親に潰されて、失敗を恐れ、これまでは抗う勇気も持てずに燻っていた男。
 彼の胸の内を知れば、情けないと罵る者もいるだろう。
 けれど誰も彼もが強靭な精神を持っているわけじゃない。きっとあの人は、普通の人間でしかなかった。
 父親に歯向かう言葉を告げたことで、親友の未来を潰してしまうことになった。
 妹から許嫁を奪い、心まで壊してしまうことになった。
 自分の言った言葉でまた何かを壊してしまうのかもしれないと恐れ、何も言えなくなった少し弱くて、優しい人だったのかもしれない。
 その優しさは、とても許容できないものだったけど。

(まぁ、話したことなんてほとんどないんだけどな)

 あの人は、いつも俺を避けていた。
 オーウェンと二人だけで話せるのも、これが最初で最後の機会だろう。

(動くなら、もっと早く動いてくれてればよかったってのに)

 結局あの人は、腹を決めるのが遅すぎた。
 こういうところに血の繋がりを感じてしまって、少しだけ呆れが滲んでしまう。
 昔、母さんが「情けない男を見ると放っておけなくて、つい絆されてしまうのよね」とぼやいていたことがあった。
 あれはオーウェンのことも言っていたんだろうか。俺は両親の駄目な部分に限って継いでしまった気がする。

「じゃあ、行くか」

 書状を懐に納めると、ラッセルに声を掛けた。スラットリー老に一度だけ視線を向ける。
 スラットリー老はここに残る。いわば人質のようなものだ。それにもし要請があれば、王都に滞在……事実上、王都内のエインズワース公爵別宅に拘留されているエインズワース公爵の元に向かうことになるだろう。

(アルがこの状況を見たら卒倒しそうだな)

 何がどうしてこうなった!? 混乱してそう叫ぶ姿が想像できる。
 アルには知らせていないことは、いくつかある。

(ランス領に発つ前に一応は謝ったけど、わかってなかっただろうな)

 「ごめん」の一言で詰め込むには、無理があったことは理解している。
 だが言い訳させてもらえるなら、わけもわからず襲われた挙句、罪の意識に囚われてまったく余裕のないアルに告げることなど出来なかった、という事情もある。
 こうなったのは胸糞悪くなるような話で、アルが聞いたら絶望しそうに思えた。ただでさえ心が瀕死の状態だったというのに、あそこで告げるのはとどめを刺すようなものだ。
 言えるわけがなかった。
 いつかは知らなければならないとしても、あらかたケリがついてからでもいいだろう。シークヴァルド殿下も、それを許したのだから。

(もうこれ以上、あいつが自分を犠牲にする必要なんてない)

 そっと胸元を押さえれば、受け取った書状が熱を持ったような錯覚を覚えた。
 シークヴァルド殿下から届いた書状は、もう一枚あった。
 俺個人に宛てたそれには、アルが自分の首と引き換えに、メリッサと俺の助命を願ったことが書かれていた。
 アルは自分の手で、自分の命を餌に、なんとしてもエインズワース公爵を排除するつもりでいた。
 祖父を手に懸けることすら厭わないほどの覚悟をもって、俺達を守ろうとした。
 アルがそこまですると言わせた俺に、何が返せるのか。

 覚悟を見せろ。そう言われたようだった。

 正直、アルに対して「なに余計なことをしているんだ」という気持ちはある。
 あいつは本当に馬鹿だ。全然周りの気持ちをわかってない。助けてほしいだなんて、誰も頼んでないだろ。この点に関しては、全く人の話を聞こうとしない。勝手で、我儘だ。
 なら俺達がアルを生かすために動いたって、文句は言わせない。

(アルが俺達を大事に思うように、俺達だってアルが大事なんだ)


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