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第78話 67 命の洗濯は大事
しおりを挟む結局無言で兄の部屋まで戻ると、兄は僅かに安堵を滲ませた。
「渡してきたか?」
「はい。ちゃんとお渡しできました」
ちゃんと、話は出来ました。
言葉の裏にある問いかけに微かに笑って頷けば、少しだけ申し訳なさそうな顔をされて「ご苦労」と労われる。
きっと兄はランス伯爵の迷いに気づいていたのだろう。
本来は私から兄にランス伯爵との話を伝えるべきなのだろうけれど、他の人の目もある手前それは控えることにした。それに、あえて私からは触れたい話でもない。
兄がランス伯爵との会話が気になるようなら、後でクライブから聞くはず。聞かれて困る話はしていないので、後はそちらに任せることにした。
だからこの件は、私の中では一旦おしまい。
「それでは今から私は仕事に取り掛かりますので、何か御用があればお呼びください」
「仕事?」
とりあえず侍女として来ているわけだから、今は侍女の役割を果たすべくそう口にした。
すると兄が怪訝な顔をして首を傾げる。何をする気だと言わんばかりだ。
そんな顔をされても、兄が侍女を連れてきていない以上、私とメリッサが侍女の仕事をやらなければならないと思うのだけど。
「侍女としての仕事です。これからベッドシーツを剥がして、他の洗濯物と一緒に洗い場に持っていきます。兄、いえシークヴァルド殿下がこのままお部屋にいらっしゃるようでしたら、お茶をお淹れようと思いますが茶葉のご希望がありますか? もしなければ厨房でおすすめを訊いてまいりますので……」
「待て」
「はい?」
これからの予定を告げれば、途中で兄に遮られた。
(この一連の流れに何か問題でも?)
通常メリッサがしてくれていることを参考にしたのだけど、何か足りないだろうか。
首を傾げれば、複雑そうな顔をしている兄の代わりに、脇に控えていたクライブから「アルト様」と遠慮がちに呼びかけられた。
極力クライブと顔を合わせたくはないのだけど、呼ばれた以上は振り向かないわけにはいかない。渋々視線を向けると、困惑を露わにしているクライブと目が合った。
「お茶を淹れられるのはともかく、それ以外のことは家の使用人がやります」
「そうなのですか? では、何をすればよいのでしょう。掃除ですか?」
まさかお茶を淹れるだけってことはないでしょう。
私の城の部屋の掃除はメリッサではなく、私が不在の間にメリッサの指示の元で専任の人がしてくれていた。ベッドシーツすら変えないのに掃除を命じられるとは思えないけど、念の為に訊いてみる。
「それも家の者がしますから。普通、王族付きの侍女はそこまでされないかと……」
しかし、それもクライブに断られてしまった。じゃあ何をしろというの。
「王族付きの侍女は一般的に何をしているのですか?」
困惑してメリッサに救いを求めて目を向ければ、メリッサも私と同じような顔をしている。そんな私とメリッサを見て、兄も困惑した眼差しを向けてくる。
「基本、身だしなみの手伝いだな。あとはお茶を淹れたり、話し相手になったり、ちょっとした言付けを頼んだり……ぐらいだと思うが」
「身だしなみのお手伝い……?」
「着替えや、朝、髪を整えるぐらいか」
「私は兄様の着替えのお手伝いをすべきだったのですか!?」
それはまったく頭になかった。驚きのあまり、食い入るように兄を見てしまう。
(一人で着替えないの!?)
いやでも王族なら、誰かの手を借りて着替えるのはきっとおかしくない。
(そういえば以前、兄様の部屋で服を借りた時にクライブに手伝おうかって言われたけど)
あれは女性用の服は慣れないだろうから、という意味だけだと思っていたけど、それだけでもなかったということなの?
私は体の都合上、メリッサにすら見せるのは憚られて念の為に自室でも浴室に入って一人で着替えている。
でも普通の王族なら服を着替えるのも、髪を梳くのも、入浴も、周りが手を貸してくれて当然なのかもしれない。
(髪はともかく、着替えの手伝いなんて洗濯と掃除よりハードルが高すぎる!)
兄ではあるのだけど、たとえ家族でもこの世界で夫でもない異性の体を見ることはまずない。貴族の場合は特にない。
侍女という心構えをしていれば割り切れるのだろうけど、つい昨日侍女もどきになった私にはハードルが高すぎる。高跳びレベルで越えられる気がしない。
前の生では異性の裸ぐらい見たことあるし、今更その程度でどうしたと言いたいところではある。推しキャラの水着ガチャだって嬉々として引いていた。
けれど私の中に根付いているこの世界の常識が「無理!」と告げている。ここで生身の異性の半裸など、直視出来る気がしない。挙動不審になりかねない。
だけど兄から見れば私は弟なわけで、同性の裸に動揺していたら不審に思われてしまうっ。
「さすがにそこまでは私も頼む気はない。お茶を淹れて、遊び相手になるぐらいで十分だ」
固まったまま明日からどうしようかと内心焦りまくっていた私に、兄から救いの言葉がもたらされた。
よかった! 助かった!
よく考えたら、侍女もどきとはいえ同じ王族の使えなさそうな弟に手伝いさせるわけがなかった。
しかしそれはそれとして、別の言葉が引っかかった。眉尻を下げて、どういうことかと首を捻る。
「遊び相手、ですか?」
「その為に連れてきたようなものだ」
「兄様相手に、いったい何をして遊べばいいのでしょう……?」
思わずシークヴァルド殿下呼びしそこなってしまった。それぐらい、動揺していた。
ただでさえ兄とは性別も違えば、年も4歳違う。遊び方も大きく違うはず。
私の遊びといえば読書一択なのだけど。意外にも体育会系な兄に遠乗りとか虫取りとか、まかり間違っても湖で水遊びなどと言われたら死んでしまう。もし水に入れと言われたら、虚弱を理由にお断りさせていただこうと固く心に決める。
「そうだな……私もここに来ると、昼寝と読書と遠乗りぐらいしかしないが、遠乗りはアルフェは難しいだろう」
「難しいです」
間髪入れずに大きく頷いておく。
一人では乗れないし、またしても誰かさんと二人乗りする羽目になるのは断固遠慮したい。
「なら、その辺の散策と舟遊びか。せっかく湖があることだしな。だがまだ移動の疲れがあるだろう? 今日はカードゲームぐらいだな」
そう言った兄の言葉に一先ず胸を撫で下ろした。
折角の貴重な休みなのに私に合わせてくれているのが申し訳なくて、だけど少しくすぐったくもある。
(本当に兄弟みたい)
実際、異母とはいえ血の繋がった兄妹なわけだけど。
こんな日が来るなんて思わなかったから、まるで都合のよい夢の中に迷い込んだように感じる。
――かくして、この日はデリックも呼んで、クライブと近衛2名とメリッサも混ぜて総勢でカードゲームに興じたわけだけど……平和だった。一部白熱したゲームもあったけど、驚くほど平和だった。
ちょっとクライブとはぎくしゃくしたけれど、それすら一瞬忘れそうになったぐらい。
勝ったら嬉しくて、負けたら悔しくて、拗ねればちょっと目こぼししてもらえたりもして。ふと、もし自分が普通に育っていたらこういう光景が当たり前にあったのかも、なんて考えてしまった。
与えられるものを甘受して、ただここで笑っていられたらどれだけよかっただろう。
その度に、これは夢だと自分に言い聞かせる。ほんの一時の、意地悪な神様が珍しく与えてくれた優しい休息。
(ここで、時が止まればいいのに)
一瞬そんな甘えが過って、叶えられるわけがないそれにギシリと胸が軋む音がした。
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