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第77話 66 フラグは潰していこう
しおりを挟む「お話がそれだけでしたら、これで終わりにしましょう」
そもそも、兄が様子を見ると決めたのなら彼だけの責任ではない。
気づかなかったという点では、両親や私の周りにいた人達にも言えることだ。小さい頃の私は人と話すのが得意じゃなくてあまり喋らなかったから、気づかれなくて仕方ないのだけど。
とにかく、この件で彼一人が悪いと責めるのもお門違いというもの。
でも私が責めない以上、きっと彼の中にわだかまりは残るのだろう。私の中にも、同じようにそれは残る。
けれど正解がない以上、自分自身でどうにか噛み砕いて、納得できなくても飲み下していくしかない。
ランス伯爵は棘でも飲み込んだような顔をしながらも、何も言わなかった。
それを了承と見て取った。テーブルの上に置いていた小箱を手に、その場から立ち上がる。
「パステルを返してくださってありがとうございました」
「……アルフェンルート殿下」
部屋を出ていこうと扉に向かいかけた。その背を躊躇いがちに呼び止められる。
振り返れば、「何か、こちらで足りないものはございませんか」と問われた。
脈絡のないそれに、きょとんと見つめ返す。すぐにそれが彼なりの罪滅ぼしのつもりなのだと気づいて少し苦く笑った。
「いいえ。……いえ、ひとつお願いさせていただいてもいいですか」
断りかけてから、ふと思い出したことがあって言い直した。
「卵と塩と、氷を譲っていただきたいのです。それと、出来れば料理人の方の手もお貸しください」
せっかくだから、ゆで卵の材料をもらっていこう。
この場で頼むようなことでないと思う。けれどここで何も頼まなければ、それはそれでランス伯爵は気にするのだろう。ならば丁度いい。
ランス伯爵は私の希望が予想の斜め上だったのか、一瞬だけものすごく怪訝そうな顔をした。けれどすぐに表情を引き締める。
「わかりました。用意させましょう」
「ありがとうございます」
特に何も聞かずにこちらを信頼して頷かれるところが、さすが陛下の信も厚い元近衛騎士というべきか。
そう思ったところで、ふとランス伯爵の姿に違和感を覚えた。数秒見つめて、すぐに違和感の正体に思い至る。
「ランス伯爵は帯剣されていないのですか?」
いつ危険があるかわからない兄は常に帯剣しているけれど、本来、貴族が帯剣していることはあまりない。ましてや、屋敷にいる領主が帯剣している方が珍しいとは思う。
けれどこの人は元近衛騎士で、その剣は陛下から賜ったもののはず。
騎士にとって王から賜った剣というのは誇りだと思う。その身から離すことはあまり考えられない。メル爺ですら、元軍医とはいえ今は王宮医師だというのに、前陛下に賜った剣は肌身離さず帯剣していた。
それぐらい大事なものだと思っていたから、丸腰なことが意外で目を瞬かせた。
「こんな私が騎士を名乗るなどおこがましいでしょう」
すると、苦い笑みを浮かべて自虐的なことを言われてしまった。
(もしかしなくても私のことがネックになっているの?)
そう気づかされて、こちらも苦い顔になってしまう。
近衛騎士を辞したのは、爵位を継いでランス領を治める為というのが一番の理由だとは思う。
けれど自分のことも少なからず引っかかっているのかと思うときまりが悪い。私のせいで剣を置いたなどと言われるのは勘弁してほしいのだけど。
それに、この人が帯剣していないとなると気にかかることもある。
「思うところはあるのかもしれませんが、せめて兄様がこちらにいる間は、ランス伯爵も帯剣してくださると安心できます。兄様を守れる方は一人でも多い方が良いですから」
こう言うと『領主だろうと、第一王位継承者は体を張って守れ』と傲慢に命じているように聞こえるだろう。
けれど口にしたのは建前。脳裏にはゲームで見た不穏なテキストが流れている。
(第一皇子がこの屋敷に滞在中、ランス伯爵が大きな怪我を負うルートがある)
どこまでゲームのシナリオが影響してくるかわからないし、私がここにいる時点で既に狂ってきているとは思う。
それでも万が一を考えると、丸腰よりは帯剣していた方が安心ではある。
予定では来年のことだし何もなければそれでいいけれど、備えあれば憂いなし。帯剣していると邪魔かもしれないけど、怪我するよりはいいでしょう。
(……死んでほしいと思うほど、この人が憎いわけじゃない)
むしろ黙っていれば済んだことに、誠心誠意向き合おうとしてくれた。その誠実さは認めるべきところだ。
(それにクライブとデリックの父親なわけだから。一応、知り合いのお父さんってことになるし)
もし万が一、何かあったら後味が悪いどころの話じゃない。
これで帯剣していても何かあったのなら、それはもう私には手に負えないけれど。いま忠告しただけ有り難いと思ってほしい。
それだけ言いおくと、ランス伯爵は驚いたように目を瞠りながらも「承知しました」と頷いてくれた。それに内心安堵しつつ、一応軽く一礼してから部屋を後にする。
念の為に人払いがしてあったのか、廊下は人気がなくてしんと静かだった。数歩進んだところで無意識に詰めていた息が零れ落ちていく。
「……アルト様は、」
不意にそれまでずっと黙って傍らにいたクライブが口を開いた。思わず足が止まる。
ゆっくりと斜め後ろを振り返れば、眉根を寄せた複雑そうな顔で私を見つめるクライブと目が合った。
「時々、僕より大人なんじゃないかと思えます」
「!」
ぎくり、と胸が竦んだ。
(実際、大人だから……っ)
前の生ではアラサーだったから。中身はそれなりにいい大人です。本当は。
内心焦る気持ちを必死に硬い表情で覆い隠す。わざと口をへの字に曲げた。
「そう簡単に大人になれたら苦労しません」
不機嫌さを装って言うと、何か言いたげなクライブを振り切るように顔を元の位置に戻した。振り返ることなく、少し早足で再び歩き出す。
これでしばらく話しかけてはこないでしょう。というか、話しかけてこないで。頼むから。
心臓がバクバクとうるさい。これ以上余計な突っ込みをされたら、まともに対話出来る気がしない。
(でも一度リセットしているせいか、前の年齢+今の年齢が精神年齢というわけでもないのだけど)
多分前は前で、あそこで止まってしまっている。そこから成長している気がしない。
(それに向こうとこっちでは、常識が違いすぎるから精神年齢も一概に比べられない)
こちらの世界では、15歳で成人。
貴族の跡取りなら、領地を治めていくことを幼少期から叩きこまれる。第二子以降なら、家を放り出されることは確定している。自分の力だけで自活していくことを念頭に置いて生きていかなければならない。
女性の場合は一人で生きていくのがまだ難しいから、どうすればうまく生きていけるかを狡猾に探っていくことを余儀なくされる。
20歳過ぎても子供のままでいられるような前の世界と違う。ここでは生きていくことに関して当初から心構えが違う。
(兄様やクライブを見ても、本当ならまだ子供でもいい年齢なはずなのに子供に思えない)
だからといって、大人とも言い切れないけれど。
私は以前生きた分の経験があるから、本当は大人なのだと思いたい。
だけど時代も常識も違うから頼りなさが拭えない。今の分を足しても、どうしたって甘い部分が出てしまう。
それにこちらで生きてきた14年間の方が馴染み深い上に、体に引きずられているのか大人だった頃の冷静さが時々行方不明になる。
(……だからクライブ相手に動揺するのだろうし)
そこまで考えて、必死に抑え込んでいた今朝のことが脳裏に蘇ってきた。思い出すだけで赤くなればいいのか、青くなればいいのか自分でもわからなくて奥歯を噛み締める。
(なんなの、ほんとにっ)
思い出しただけで動機が激しくなってくる。手には嫌な汗が滲み、頬が強張ってしまう。
黙ったまま付いてくるクライブが気になって、肩越しにチラリと伺った。
すぐにクライブは気づかれてしまい、こちらに何か言おうと唇が開かれる。けれどそれを聞く前に慌てて顔を元に戻した。
さっさと今朝のことを謝ってもらえば、スッキリするのかもしれない。
けどなんとなく、それに触れるのが怖かった。
(寝ぼけてるにしたって、なんであんなことしようとしたの)
それを聞いたら、クライブはなんて答えるのだろう。
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